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最愛の敵編 カレ目線 東雲4話

帰宅ラッシュに揉まれながら、何とはなしに車内広告を見上げる。
けれども、見事なほどその内容は頭に入ってこなかった。

ーー「いつまでクズに構うつもりだ」

(構ってないし)
(しかも「子守り」って)

病院に行ったのは、あくまでばあやの見舞いのためだ。
決してあの子のためなんかじゃない。

(そりゃ、気になるけど。少しは)
(でも、それはあくまで元教官としてであって···)

津軽
東雲、彼女の上司は誰だ?

東雲

津軽
答えろ、東雲
彼女の、今の上司は誰だ?

(···うるさい)

そんなの、わかっている。
嫌というほど身に染みているのだ。

(でも、それでも···)

(少しくらい、気にかけたって···)

難波
おお、歩じゃないか

東雲
室長···
おつかれさまです。休憩中ですか?

難波
まあ、そんなところだ。お前もか?

東雲
いえ、今日は定時上がりなんで

味噌ラーメンを頼んで、隣の椅子を引く。
室長は、スマホで動画を見ていたようだ。

東雲
仕事関係のですか?

難波
いや、プライベートのだ
元同僚が、子どものためにウサギを飼ったらしくてな

小さな画面の中で、子どもがウサギを抱っこしようと奮闘している。
室長がイヤホンを外すと、動画の音声が聞こえてきた。

???
『あー···こっちに来ちゃったね、ウサちゃん』

東雲
······

???
『ほーら、ウサちゃんだよ』
『かわいいねぇ、ウサちゃん』

「ウサちゃん、ウサちゃん」と連呼しているのは、たぶん室長の元同僚だ。
それなのに、脳裏に浮かぶのは別の人物の顔で···

(うるさい···)
(うるさいうるさい、うるさい!)
(だいたい何、あの「ウサちゃん」って)

(意味不明、ほんと謎すぎ)
(そもそも、あの子はウサギじゃなくてカッパとかスッポン···)

難波
どうした?すごい顔だな

東雲

難波
もしかして、ウサギが嫌いだったか?

東雲
いえ、そんなことは···

取り繕うように笑うと、動画に目を向けた。

東雲
この子、よほどウサギが気に入ったんですね
こんなにずっと追いかけまわすなんて

難波
確かにな
ウサギとしては、たまったもんじゃないだろうが

(···え?)

難波
ウサギは、繊細な生き物っていうからな
構われすぎると、かえってストレスを溜めて
長生きできなくなるらしいぞ

(それって···)

再び頭をもたげた苛立ちを、オレはかろうじて押さえつけた。

(······落ち着け、考えすぎだから)

兵吾さんに待ち伏せされたのは、ほんの数時間前のことだ。
今の室長の発言が何らかの揶揄を含んだものである可能性は、極めて低い。

(それに揶揄っていうのは···)

津軽
ねぇ歩くん、聞いたことない?
『ウサギは寂しいと死んじゃう』って言葉

東雲
······

津軽
アレ、嘘だって。むしろ、構いすぎないほうがいいんだって
特に新入りの頃はさ

(···知られている)

昨日の室長のような偶然ではない。
この人は、すでにいろいろな情報を得たうえで、オレに話しかけてきている。

(百瀬さんか、報告したのは)
(あの人も、たしか今、潜入中のはずだし)

だとしたら誤魔化しはきかない。
あの人は中途半端な情報を上げたりはしないだろうから。

(だったら···)

東雲
もしかして昨日のことですか?

津軽
······

東雲
誠盟大学附属病院の件なら、身内の見舞いに行っただけです
なんなら調べていただいても構いませんよ

先制攻撃のつもりだった。
それなのに、目の前の曲者は「ああ、違う違う」と朗らかに笑った。

津軽
さすがに疑ったりはしていないよ
兵吾くんに躾けられた君が、潜入捜査の邪魔をするはずないじゃない

東雲
ええ、もちろん···

津軽
ただ、これはあくまで一般論だけど
頼られるって気持ちいいよねぇ
自分が相手に必要とされているみたいで

(······は?)

津軽
反対に『何もしない」って辛いよねぇ
自分が不必要な存在だって突き付けられてるわけだから

(この人、何を言って···)

津軽
邪魔なんだよね、子離れできないやつは
いつか足を引っ張るから

東雲
······

津軽
もちろん、歩くんはそんなことしないよねぇ?

(···当然だ)

2年間、あの子が一人前になることを願って指導してきた。
甘やかしたことなどほとんどない。
むしろ、かなり厳しかったはずだ。

(あり得ない。足を引っ張るとか)
(そんなの、絶対に···)

その数日後だった。
彼女を、警察庁内で見かけたのは。

(···バカ!何やってんの!)
(潜入捜査中にここに出入りするとか)

けれども、そんなことは彼女だって百も承知のはずだ。
それなのに、こうして出入りしているのは···

東雲
言えば?
どうせ、ふたりきりなんだし

絶対に何か理由がある。
そう確信していたからこそ、彼女の前に姿を現した。

(元教官として、何か力になれるならーー)

けれども、彼女は小さく頭を下げた。

サトコ
「すみません。失礼します」

東雲
···っ

ぴしゃりとはねつけられた気がした。
目の前にいるはずの彼女が、まるでどこかへ行ってしまうかのようなーー

東雲
······待ちなよ

東雲
聞いていないんだけど。キミの答え

サトコ
「!」

東雲
どうしてここにいる?
何があった?

サトコ
「······」

東雲
答えろ。氷川サトコ

それでも彼女は口をと出したまま。

(ああ、そう···)
(ああ、そう!)

こうなったら意地だ。
こっちで勝手に暴き出してやる!

(たぶん終わっていない···捜査自体は···)
(となると、ここにいるのは彼女の独断···)
(つまり、彼女の置かれている状況は決して良くなくて···)

もし、この場に「未来のオレ」がいたら、今のオレをたしなめただろう。

ーー「そうじゃない。そんなの今はどうだっていい」

けれども「今のオレ」は分かっていなかった。
何も見えていなかったのだ。
結局、あの子は初めての任務を途中で外された。
理由は、上司の指示に従わなかったから。

それと、もうひとつ。

捜査員1
「あの新人、潜入捜査中にここに出入りしていたらしいぜ」

捜査員2
「まじで?あり得ないだろ」

捜査員3
「公安学校って、そういうことを教えないのか?」

捜査員4
「エリート学校だかなんだか知らねぇけど、使えねぇな、これじゃ」

血の気が引いた。
ようやく、オレは自分の間違いに気が付いた。

(追い出すべきだった。あのとき)

資料室で見かけた時、すぐにそうしなければいけなかったのだ。

(なのに、オレはオレのエゴを優先した)

彼女が自分を頼るように誘導し、そうならなかったことに苛立ちを覚えた。
あのときのオレは、元教官でも捜査員でもなかった。

(ただの、どうしようもない男だ)

あの子の正義感を、熱意を。大事に育てたつもりだった。
だからこそ、明らかに冷遇されている今の状況が不満だった。

(あの上司のもとにいたら、あの子の熱意が消えてしまう)

でも、違った。
あの子を潰すのは、津軽さんじゃない。

(オレだ)
(オレが潰すんだ。あの子を)

かまいすぎたウサギは、長くは生きられない。

(あの子の敵は、オレなんだ)

to be continued

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