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最愛の敵編 カレ目線 東雲5話

気付きたくなかった事実は、ただただオレを困惑させた。

(どうすればいい?)
(距離を置く?関わらないようにする?)

どれくらいの範囲で?いつまで?

(できるの?そもそも)
(あの子と距離を置くなんて、今のオレに···)

???
「歩さーーん!」

ガタガタと慌ただしい音が響いた。

黒澤
お昼ですか?またエビフライ定食ですか?

東雲
······

黒澤
あ、オレはハムカツサンドですよ!
公安なのでハム···

鳴子
「サトコ、おにぎりとサラダだけ?」

いきなり飛び込んできたその名前に、半ば反射的に振り向いてしまった。

(···ああ、昼休みか。あの子も)

どうやら、今日は鳴子ちゃんと昼食をとるようだ。

黒澤
鳴子さんは、今日も元気ですねー

東雲
······

黒澤
でも、サトコさんはさっぱりですねー

東雲
······

鳴子ちゃんがいろいろ話しかけているのに、彼女の反応はイマイチ鈍い。
あんなにも背中を丸めている彼女を見るのは、一体いつ以来だろう。

鳴子
「こういうときこそ、たくさん食べないとね!」
「それじゃ、いただきます!」

やっぱり彼女の声は聞こえない。
口は小さく動いていたから、何らかの言葉を発しているはずなのに。

黒澤
やっぱり、例の件で落ち込んでいるんでしょうか
次の人事異動で飛ばされるんじゃないかって噂もあるくらいですし

透の言葉が、耳に痛い。
それでも、今のオレにはどうにもできない。

黒澤
···いいんですか?

東雲
何が

黒澤
声かけないんですか?
元教官として、ここはビシッとアドバイスでも···

東雲
ないから。そんなの

(むしろダメだ。オレのアドバイスなんて)

つぶしたくない。大事にしたい。

(だからこそ、今はあの子と距離を置かないと···)

颯馬
···ああ、いましたね

めずらしいことに、颯馬さんがうちの班に顔を出した。

颯馬
銀室長が呼んでいますよ
すぐに会議室に来て欲しいとのことです

東雲
はぁ···

(銀室長が?なんで?)


「···先日、お前が持ってきたレポートを読ませてもらった」

(ああ、宮山の···)

上にあげてほしいと頼まれていた業務改善レポートだ。

東雲
いかがでしたか?


「なかなか興味深かった」
「公安学校にも、優秀な者はいるようだな」

東雲
ありがとうございます

(···意外)
(誉めることがあるんだ、この人も)


「もっとも、こうした人材は、公安学校に行かずとも頭角を現すだろう」
「それが優秀な者の宿命だ」

東雲
·········そうかもしれませんね

(前言撤回)

これが言いたかったのだ。おそらく。
もちろん、宮山への誉め言葉に嘘はないだろうけれど。


「レポートは確かに受け取った。人事に提出しておこう」
「以上だ」

東雲
よろしくお願いします

(···確かに優秀だ。宮山は)

今期、補佐官を引き受けてもらっているけれど、驚くほど手がかからない。
誰があるとすれば、小生意気な性格と、女性の趣味が悪いことくらいだ。

(でも、あの子だって···)

優秀ではないけれど、悪くはない。
道さえ間違えなければ、いい捜査員になれるはずなのだ。

(それを曲げてしまう。オレが)

どうしようもないオレのエゴが。
「あの子を手離したくない」という身勝手さが。

(だからダメだ。関わったら)
(元教官だからこそ、何がなんでも···)

???
「ありがとうございます、後藤教官!」

ハキハキした声が、耳に届いた。

後藤
よせ、もう教官じゃない

元訓練生
「あ、そうでしたよね。すみません」

(あいつ、あの子と同期の···)

先日卒業したばかりの元訓練生。
在籍当時から、宮山並みに後藤さんを慕っていたヤツだ。

(今は警視庁勤務だっけ)
(たぶん、こっちに来たついでに挨拶をしに···)

後藤
また何かあったら声をかけてくれ
俺でよければ、いつでも相談に乗るから

(え···)

元訓練生
「はい。では失礼します」

(今、「相談」って···)

胸の奥が、熱くなる。
怒りとも憤りともつかないこの思いは、いったい何なのか。

東雲
のるんですね、相談に

気付いたら、オレは後藤さんの傍に立っていた。

東雲
いいんですか。もう訓練生じゃないのに

後藤
···?
訓練生でなくなっても、悩み相談くらいは応じるだろう

東雲
···っ、でも···
距離感も関係性も、以前とは違っていて
元教官のアドバイスとか、余計なものかもしれないですよね?

後藤
······

東雲
今の彼女···彼にはそぐわないかもしれないですし
むしろ、足を引っ張る可能性もあるわけで

後藤
······

東雲
放っておくほうが、むしろ相手のためになるんじゃないかと
何より、彼には新しい上司がいるわけですし···

後藤
歩の言う事も一理あるだろうが
逆に、元教官だから言えることもあるんじゃないのか?

(······え?)

後藤
あまり出しゃばったことはするべきではないだろうが
元教官だからこそ、答えられることもあるだろう
俺はそう思っているんだが、お前は違うのか?

東雲
······

混乱してきた。

(元教官だから言えること?)

あるのだろうか、そんなものが。

(力になれなかったくせに?)
(むしろ足を引っ張ったくせに?)

(この状況を招く一因になったのに?)

子ども1
「スペシャルキーック!」

子ども2
「スーパーパーンチ!!」

子どもたちの容赦ない攻撃に、着ぐるみのウサギが力なくよろめく。
交通総務課主催の交通安全イベント。
その着ぐるみの中身が、公安課の捜査員だなんていったい誰が思うだろう。

(ていうか何をやってるんだろう。オレこそ)

公安学校へ向かう途中、ふらりと立ち寄ってしまった。
彼女がここにいると聞いていたから。

(バカだ)

距離を置くと誓ったはずなのに、簡単に揺らいでしまうこの心。

(行かないと、そろそろ)
(余計なことをする前に···)

子ども1
「オラーッ」

どすんっと鈍い音がした。
驚いて振り向くと、着ぐるみのウサギが膝をついたところだった。

子ども1
「なんだよ、超楽勝じゃん」

子ども2
「弱っちいな、このウサギ」

子ども3
「こいつ、悪者のくせにぜんぜん使えねぇじゃん!」

それでもウサギは動かない。
まるでノックアウト寸前のボクサー···いや···

(今のあの子そのもの···)

子ども1
「つまんねぇな。もう行こうぜ」

子ども2
「行こう行こう!」

子どもたちと入れ違いに、イベントの司会を務めていた警察官がやってきた。
どうやら休憩を促しているようだ。

(ちょうどいい)

立ち去るなら今だ。
どうせ何もないのだ。オレにできることは。

ーー「悩み相談くらいは応じるだろう」

東雲
···っ

(ダメだ!)

オレは、後藤さんじゃない。
もうあの子の上司でもない。

(あるはずがない)
(今のオレにできることなんて、結局何も···)

ーー「元教官だから言えることもあるんじゃないのか?」

東雲
······

ーー「元教官だからこそ、答えられることもあるだろう」

何度も何度も、心を揺さぶられる。
だって、本当は放っておきたくなどないのだ。

(今だけ···今回だけ···)
(元教官だからこそ、言えることがあるのなら)

東雲
聞いてよ、ウサギさん。オレの元部下の話

宮山みたいに優秀ではないけれど。
たくさんの失敗をやらかしてきた子だけれど。

(信じている)

この子が、こんなところで終わるはずがないと。
もっと自信を持っていいのだと。

(元教官として、それだけは···)

あのアドバイスが正解だったのか、正直なところ今でも自信がない。
ただ、その後、彼女は捜査に復帰し、今度こそ任務をやり遂げた。

黒澤
いやぁ、さすがサトコさん!見事に名誉挽回しましたね!

東雲
そう?
特になかったと思うけど。あの子の名誉なんて

黒澤
またまた~、本当は嬉しいくせに~

(嬉しい···のか?)

同意しないわけではない。
ただ、心の隅でわだかまっている、このモヤッとしたものはなんだろう。

(嫉妬?不満?)
(オレが関わっていないところで、彼女が任務を成し遂げたことに対して?)

あるいは···

(寂しい、とか?)

以前、ばあやに指摘されたこと。
やっぱりオレは「子離れ」ならぬ「補佐官離れ」ができていないのだろうか。

黒澤
それにしても容赦ないですよねー、津軽さんも

東雲
え?

黒澤
あれ、聞いてません?
例の宗教団体の件で、津軽さんが次の手を打ったらしいって噂

東雲
どういうこと?

実行犯は、すでに捕まっている。
公安がマークしていた人物や思想団体の捜査も、順調に進んでいるはずだ。

黒澤
まあ、うちや加賀班的はそうかもしれないですけど
津軽さんって、オレたちとはちょっと考え方が違うじゃないですか
一度『クロ』になった者に対して容赦ないっていうか

(まさか···)

黒澤
あの宗教団体のこと、徹底的につぶすつもりらしいですよ

数日後ーー
透の指摘が、現実のものになった。

山重
「エゲつない手を使うよなぁ、津軽さんも」
「まさか、未成年の情報を週刊誌に売るなんて」

シゲさんが見ているのは、ゴシップ週刊誌のSNSアカウントだ。

ーー「人気WeeeTuber『みちゃと』とカルト教団の黒関係?」
ーー「公式有料動画サイトでは、明日23時より関連情報を配信」
ーー「みちゃとの『裏の素顔』を大公開?」

山重
「この掲載写真も、もとは捜査資料って噂だぜ」

東雲
まさか。そんなの、バレたら処分ものでしょう

山重
「上の許可を取っていなかったらな」

東雲

じゃあ···

山重
「銀室長が許可を出していたなら話は別だろ」
「まあ、あくまで噂だから本当のところはわからないけどな」

SNSにあがっている写真は、どう見てもプライベートのものだ。
それを資料として提出できるのは、茶谷家に潜入していたあの子しかいない。

(だとしたら気付くはず)
(自分が撮った写真が、流出したって)

もちろん、この件であの子が責められることはない。
どこぞの上司が、無理やりあの子のせいにしない限りは。

(でも、それでも···)
(何も感じないはずがない)

そういう子だ。
そんなの、オレが一番よく知っている。

(だから、あの子なら···)
(たぶん、きっと···)

その日の夜。
留守電にメッセージが入っていた。

サトコ
『あ、あの···おつかれさまです···』

メッセージの後ろに、かすかに聞こえるざわめき。
列車の到着を告げるアナウンス。

(駅···?)
(ってことは、帰り道···?)

サトコ
『あの、歩さん···私······』

???
『···サトコ?』

男の声。聞き覚えがない。

???
『ああ、ごめん。電話中か』

サトコ
『う、ううん!大丈夫!』

そこで。メッセージはぷつりと切れた。
まったくもって不可解な内容だ。

(···誰、声かけたの)
(しかも呼び捨て?)

いや、その件はひとまず保留だ。
また一時の感情に流されて、判断を誤るわけにはいかない。

(大事なのは「理由」だ)
(なんであの子は電話をしてきた?オレに何を伝えたかった?)

明らかに、迷いをにじませた声。
そこから思いつくのは、昼間のーー

(週刊誌の···?)

時刻を確認して、彼女に電話してみる。
けれども、何度かけても留守電に切り替わるばかりだ。

(電源が入っていない?)
(それとも、わざと···?)

どうするか迷って、ひとまずLIDEでメッセージを送っておいた。

ーー「留守電、聞いた。用件は?」

けれども、一晩経っても「既読」がつくことはなく···

翌日ーー

黒澤
いやー疲れましたねー
まさかこんな時間まで資料室に閉じこもることになるなんて

東雲
透はただ閉じこもっていただけじゃん
作業したの、オレなんだけど

黒澤
えーオレも仕事しましたよ?
『歩さん頑張れー』って応援してましたし
頼まれていたピーチネクターの差し入れだって···

東雲
ファジーネーブルだから!お前が買ってきたのは

黒澤
えーむしろお得じゃないですか。ピーチ味にオレンジが加わって···

東雲
いらないから!オレンジは!

本気の抗議を「またまたー」と軽く流されたところで、公安課のドアが開いた。
中から現れたのは···

黒澤
あ、サトコさんだ

東雲

黒澤
すごい荷物···今日はどこかにお泊りでもするんですかね

(···違う)

あの子がうちに泊まりに来るときは、もっと荷物が多い。
必要なさそうなものまで、あれやこれやと詰め込んでくるせいだ。

(それに、あの歩き方···)

仕事終わりだというのに緊張感が漂っている。
まったくもって、あの子らしくない。

東雲
···透、このマグカップと資料、オレの席に置いといて

黒澤
えっ、歩さんはどちらに···

東雲
急用

半ば確信していた。
あの子が、これから何をやろうとしているのか。

だから、追いかけて引き止めたのだ。

東雲
知ってる?今、課内に出回ってる噂
キミの上司が、捜査資料をマスコミに流したんだって

彼女は、静かな眼差しでオレを見た。
そのことが、なぜかひどく居心地が悪くて···
自然と、オレは早口になっていた。

東雲
手伝えなくはないけど。業務外のことなら
所属とか、関係ないし

(ああ、遠い)

こんなに近くにいるのに、彼女の存在がひどく遠い。
なおも言い募ろうとしたところで、彼女はフッと頬をほころばせた。

サトコ
「ありがとうございます」
「でも必要ないです。ひとりでできます」

(必要ない···?)

心臓が、イヤな感じに跳ねた。
それでもなんとか唇をつりあげたのは、オレなりの意地だった。

東雲
へぇ、結構な自信じゃん

サトコ
「はい」

彼女は、誇らしげに胸を叩いた。

サトコ
「東雲教官の、元補佐官ですから」

(···ああ)

そうだ···そうだった。
裏口入学だった彼女が、堂々と歩いて行けるように。
胸を張って、自分は刑事だと名乗れるように。
そう願って指導してきた。
そういう2年間を、オレたちは過ごしてきたのだ。

(いいんだ、これで)

彼女は、もうオレの補佐官じゃない。
けれども、それは寂しいことなんかじゃない。

(オレがいるんだ。あの子のなかに)

ようやく、本当にようやく「補佐官」だった彼女を手離せる気がした。
「教官」だった自分を、切り離せる気がした。
ピシッと背を伸ばしたままの彼女に、オレははなむけの言葉を贈った。

東雲
全うしておいで。氷川サトコ
信じているから

サトコ
「はい!」

オレのもとに謎のメールが届いたのは、それから数時間後のことだった。

to be continued

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