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お遊戯会 石神2話

事の発端は、『眠れる森の美女』の話から。

石神
こういった資格を手にし、前に進み続ける女性の方が魅力的では?

秀樹さんの一言で資格取得に興味を持った私は、
いろいろ調べた結果、簿記に挑戦してみることにした。

(身につけておいて損はない資格だよね。潜入捜査の時に役に立つかもしれないし)
(考えたくはないけど、津軽さんの言う “万が一の時” の備えにも···)

いざ勉強を始めると、分野外のことを頭に入れるのは一苦労だった。
抱えている捜査が佳境に入りつつあることに加え、試験日も間近なので時間との勝負だ。

(訓練生の時と比べても、勉強する能力自体が落ちてる気がする)
(勉強を続けるのって大事なんだなぁ)

睡眠時間を削ることになってしまったけれど、睡魔と格闘しながら私は勉強を続けている。

翌日の昼休み。

(···ダメだ。眠すぎる···今のうちに15分だけ仮眠しよう)

デスクに突っ伏すこと、15分。

スマホのバイブアラームで目を覚ますと同時に、コツ···とデスクに置かれる缶コーヒー。

石神
無理してないか?

サトコ
「石神さん···」

(こんな寝惚けた顔を···!)

慌てて表情を引き締めたものの、きっと腕に押し付けていた頬の赤みはとれていない。

サトコ
「昨日、気付いたらテキスト開いたまま寝落ちちゃって···」
「でも、今仮眠したら、だいぶスッキリしました。コーヒーありがとうございます」

石神
15分から20分の仮眠は効率的な昼寝と言われているからな
今度からは、仮眠の前にコーヒーを飲むといい
カフェインは摂取後
15分~20分後に血中濃度が最も高くなり覚醒作用があると言われている

サトコ
「次から、早速試してみますね」

冷たいコーヒーを一気に飲む私に、秀樹さんはその目を細めた。

石神
真剣になると、のめり込むのは学生の頃から変わらないな

サトコ
「はは、つい···気を付けます」

石神
それがお前の長所でもあり短所でもある
あまり根を詰めるなよ

サトコ
「はい!」

(秀樹さん、心配してくれてるんだ···)

場所が場所ゆえに、その口調はいつもと同じものだけれど。
眼鏡の向こう瞳に優しさが宿っているのが、私にはわかる。

津軽
ねぇ、俺が勧めた資格は?

(津軽さん、いつの間に秀樹さんの後ろに···)

サトコ
「とりあえず、基本的なところからと思いまして」

津軽
ふーん。今、ウサちゃんがやってるのは、秀樹くんの勧め?

石神
俺は何も言っていない

津軽
お堅いものを最初に選ぶところが、まだ秀樹くんちの子って感じがするんだよなぁ

<選択してください>

津軽さんとこの子ですよ

(秀樹さんとの仲を疑われないためにも、ここは津軽さん側に···)

サトコ
「またまた···私は津軽さんとこの子ですよ」
「いつも『うちの子』って言ってくれてるじゃないですか」

石神
氷川、お前···

(わかってください、秀樹さん!)

意図を伝えようと、バシバシッとウィンクをしてみる。

津軽
今の言葉、一生覚えとくね

サトコ
「い、一生!」

石神
はぁ···

とんでもないことを言ってしまったのかと口を押える私に、秀樹さんのため息が降ってきた。

石神さんとこの子です

サトコ
「石神さんとこの子です···」

津軽
こらこら、お口かがり縫いするよ

サトコ
「かがり縫い!?」

石神
育てたという意味では、氷川は石神班育ちだ

津軽
実家だって言いたいの?でも、お嫁に出した子は返さないよ

石神
嫁になど出していない

津軽
同じようなもんでしょ

石神
嫁には出していない

サトコ
「ま、まあまあ···あの、ここは石神班育ちの津軽班所属ってことでいきましょう!」

(なぜ私が、こんなに気を遣うことに···?)

どこの子でもありません···

サトコ
「私はどこの子でもありません···強いて言うなら、氷川家の子···」

津軽
いやいや、ここでは、うちの子でしょ

石神
津軽班に所属しているだけだろう

津軽
班員は我が子同然。秀樹くんのところは違うの?

石神
そんな言い方するのは、お前くらいだ。『~の子』だとか···

石神
そもそもなんだ、その言い方は

秀樹さんが眉間にシワを寄せても平然としているところは、津軽さんの凄さだと思う。

津軽
何て言うかね、まだ匂いが残ってるっていうか、手垢がついてるって言うか?

サトコ
「手垢···」

津軽
ウサちゃんはうちの子なんだから、その自覚をちゃんと持ちなさい

津軽さんは私の頭をポンポンすると、またどこかへ消えていく。

石神
全く、あいつは···

津軽さんの背中に秀樹さんが苦々しい溜息を吐いた。

サトコ
「津軽さんって神出鬼没ですよね」

石神
昔から、そういう男だ。だから、油断できない

しばらく津軽さんを視線で追っていた秀樹さんだけれど、こちらに向き直ると表情を緩めた。

石神
とにかく、今は余計なことには構わず、自分のやるべきことだけを頑張ればいい
試験は来週だったな

サトコ
「そうなんです。あと約1週間、集中します!」

言外に津軽さんを “余計” と表現した気がしないでもないけれど、ここは深く聞かないでおく。

(秀樹さんも応援してくれてるし、いい報告ができるように頑張ろう!)

そして1週間の時は、あっという間に過ぎーー

(いよいよ本番···試験が終わったら、秀樹さんが最寄りの駅まで迎えに来てくれるって言うし)
(これまでの勉強の成果を発揮できるように···)

会場までの道を歩きながら、深呼吸して気持ちを整えていると。

老婦人
「うう···」

前方のバス停に止まったバスから、70歳くらいの女性がよろよろと降りてきた。
女性は青白い顔で、その場でうずくまる。

サトコ
「大丈夫ですか!?」

老婦人
「え、ええ···バスに乗っていたら、急に気分が悪くなってしまって···」
「でも、大丈夫よ。少し休めば、良くなるから。ありがとう」

(そうは言っても、自分で立ち上がることも出来ないみたい···)

時計を確認すれば、試験が始まるまであと15分。

(試験に間に合わなくなるかもしれないけど···放っておけない!)

サトコ
「休むにしても、座れるところに移動しましょう。つかまってください」

老婦人
「あら、でも···あなたも、ご用事があるんじゃ···」

サトコ
「大丈夫ですよ。あと、何か冷たい物でも···」

近くのカフェに移動し、女性の顔色が良くなるのを確認したのは、
ーーそれから30分あとのことだった。

試験終了時刻に合わせた、秀樹さんとの待ち合わせ時間。

石神
······

(あ、もう秀樹さん来てる)
(何て言おうかな···)

サトコ
「お待たせしました!」

小走りで駆け寄ると、秀樹さんは労うような顔を見せてくれた。

石神
今日までよく頑張った。手ごたえは、どうだった?

サトコ
「それが、その···」

秀樹さんの表情を見れば、今日一日の試験のことを気にかけてくれていたのかがわかる。
その彼に、さっきの出来事を伝えるのは気が引けたけれど···

サトコ
「実は、試験会場に行く途中で、気分を悪くした年配の女性に会ってしまって···」

結局、試験は受けられなかったと話すと、秀樹さんは軽くその眼鏡を押し上げて応えた。

石神
そうだったのか

サトコ
「すみません。秀樹さんにも応援してもらっていたのに」

石神
その女性を助けたことを、後悔してるのか?

ふと真剣な目を見せる秀樹さんに一瞬目を瞬かせた。

サトコ
「まさか!後悔はしてません!」
「試験は次がありますけど、人の命に次はありませんから」

石神
警察官なら当然の判断だ

サトコ
「警察官なら、当然···」

秀樹さんから与えられた、その言葉を噛み締める。

(私にとって一番大事なことは···)

この日は秀樹さんの部屋に一緒に帰ってきた。
そしてすぐに、秀樹さんがお茶を淹れて戻って来てくれる。

石神
まずは一息入れろ

サトコ
「ありがとうございます」

温かなお茶を一口飲むと、ほっと息が零れた。

サトコ
「私って、ほんとすぐに視野が狭くなるんですよね···」

石神
だが、本当に大切なことは見失っていない

その長い指先がスッと私の頬を撫でた。

(私が警察官を志したのは、皆の暮らしと笑顔を守りたかったから)
(だから、今日私が選んだ道は正しかったんだ)
(でも、それをはっきりと気付けたのは、秀樹さんからの言葉のおかげ···)

サトコ
「優秀な警察官になるために資格をって思ったのに···」
「目的と手段が入れ替わるって、こういうことを言うんでしょうね」

石神
それを実感できたのも経験だ。勉強というのは座学だけではない

サトコ
「秀樹さんが教えてくれたから、分かったんだと思います」
「私ひとりだったら、『試験に行けなかったなぁ』って思うだけで終わってたかもしれません」

石神
お前よりも経験は積んでいる
教えられることがあれば、それを伝えるのも俺の役目だ
お前も、いつか後輩の面倒を見る日が来るだろう。得たものは下へ下へと伝えて行け

サトコ
「はい!」

恋人ではなく先輩刑事としての秀樹さんの言葉を重く受け止める。

(今は想像もできないけど、後輩···か。いつか、そんな日が来るのかな)
(いや、順調に警察官を続けてれば、来るんだよね)
(その時に、私も秀樹さんみたいな先輩になれていればいいな)

憧れの人の背中は、まだまだ遠いけれど。
それでも追いかけ続けたい。

石神
今回、結果は出なかったが···お前の努力は俺が認めている

カチャッと眼鏡を置く音がする。
キスの予感に目を閉じようとすると···ブルルーーと、スマホが揺れる音がした。

石神
···俺だ

サトコ
「大丈夫ですか?」

スマホが鳴って一番に考えるのは緊急の呼び出し。
一瞬緊張が走るも、小さく頷く秀樹さんにホッとする。

石神
友人からだ。先日の絵本、喜んでもらえたらしい

サトコ
「『眠れる森の美女』ですね。よかった!」

石神
やはり、小さな子にはお姫様の出てくる童話で正解だったようだ

サトコ
「今度は、今時のプリンセスのお話を送ってあげるといいかもしれませんね」

石神
今時のプリンセス?

サトコ
「あれからちょっと気になって調べたんですけど、最近はプリンセス像も変わってるみたいですよ」
「海外では自分の力で道を切り拓くプリンセスたちに人気が集まってるようです」

石神
時代の流れか

サトコ
「そうなんでしょうね。でも、そういうプリンセスなら、秀樹さんもOKじゃないですか?」

石神
そうだな···

考える顔を見せながら、秀樹さんが私の肩を抱き寄せる。

石神
極論を言うなら、俺はプリンセスでも平民でもいい
お前のように、俺と共に歩むことを願ってくれる女性なら

(それって、“私” がいいってこと···?)

思わぬ大胆な告白をいただき、頬がカッと熱くなる。

石神
そもそも俺が王子なんてガラではないが···

サトコ
「秀樹さんは私の王子様ですよ」

石神
眠り姫···ではなかったのか?

サトコ
「え?」

間近で小さく微笑まれ、ドキッとする。

(それって···)

思い出すのは、絵本を一緒に選んだ夜のこと。

サトコ
「あ、あの時、起きてたんですか?」

石神
あの時···とは、いつのことだ?

そう言いながら私の額にキスを落とす秀樹さんは起きていたに決まっている。

(秀樹さんをお姫様呼ばわりしてしまった···!)

サトコ
「起きてたなら、言ってください!」

石神
もしかしたら···眠り姫も、起きていたのかもしれないな

サトコ
「え?」

石神
相手の男を薄目で見て、この男なら···と思い、許可したという可能性もある

サトコ
「じゃあ、秀樹さんが眠ったふりをしていたのも···」

石神
···俺が口づけを許すのは、お前だけだ

特別な存在だと教えてくれる言葉の数々は、どんな愛の言葉よりも私の胸を熱くしてくれて。

サトコ
「秀樹さん···」

石神
······

名前を呼ぶと、やっと唇が重ねられる。
お姫様でなくとも、王子様でなくとも···愛する人との口づけは、誰だって特別だ。

石神
必ず···とは言わないが、努力は可能な限り報われるべきだと思わないか?

そっと唇が離れると、いつもより甘さを孕んだ秀樹さんの声が零れてくる。

サトコ
「そうですね···今回の勉強を無駄にしないためにも、次の試験を···」

石神
その前に、俺がお前に褒美をやる

サトコ
「え?」

石神
今日は全てを委ねて、お姫様気分になれ

恭しく指先にキスを落とされ、その仕草を見ているだけで、どうしようもなく鼓動が早くなった。

サトコ
「いいんですか···?」

石神
ん?何がだ

キスの位置が指先から手首、腕へと徐々に移っていく。
普段ならキスされないような腕の内側などに唇が触れると、くすぐったさと独特の痺れが走った。

サトコ
「全てを任せるような女性には魅力を感じないんじゃ···」

石神
お前が努力家だということは、誰より知っているつもりだ
そんなお前を甘やかせるのは俺くらいだと、思ってもいいだろう?

鎖骨に落ちた口づけに小さく身を震わせながら頷く。

サトコ
「秀樹さんにだけ、甘やかされたいです···」

私にだけ口づけを許すと言ってくれた言葉をなぞるように返すと、再び唇にキスをされた。

石神
今夜はいくらでも甘やかしてやる

愛する人に甘やかされる夜。
それはおとぎ話には描かれることはないーーけれど、確かにある幸せな結末のワンシーンだった。

それから数日後。

津軽
わっ!

サトコ
「わっ!?」

休憩時間、まったりと過ごしていた私へ唐突に津軽さんの声がかかる。

サトコ
「お、驚かせないでくださいよ」

津軽
お勉強は?

サトコ
「あ···」
「少し焦り過ぎてた気がして。資格のための勉強は家でコツコツと続けていくことにしました」

津軽
そう。ま、いざとなれば永久就職って手もあるしね

サトコ
「え···」

(まさか、秀樹さんとのことを···?)

ギクリと固まりかけた私に津軽さんはさらなる笑みを向けてくる。

津軽
俺の言う事100%聞くなら、ずっと手元に置いてあげるよ

サトコ
「···それは永久就職ではなく、永久監獄では···」

百瀬
「馬鹿か、永久天国だろ」

サトコ
「······」

津軽
あっははは!120%聞くワンコがいた

(このまま津軽班にいるのは、将来へのリスクを感じる··!)

横から聞こえてきた忠犬モモさんの声は聞こえなかったことにし、私はそっと席を立ったのだった。

Happy End

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