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俺の駄犬が他の男とキスした話(前) 加賀2話

私を酔っ払いから助けてくれたのは、以前潜入捜査の時にお世話になった奥野さんだった。

(新聞記者で、あのときの私の上司で···)
(色々あって、私が刑事だってことも知られちゃったけど···)

全てを知って、結局は黙ってくれている。そんな人だった。

サトコ
「奥野さん、助けてくれて本当にありがとうございました」

奥野譲弥
「酔っ払いに絡まれてる女がいると思ったら、まさかお前だったとはな」

サトコ
「それはこっちの台詞ですよ。ヘンなサングラスかけてるし」

奥野譲弥
「これは、まあ···色々あってな」
「それより、あんなところをひとりで歩くなんて危ないだろ」

サトコ
「えーと···それはこちらにも、色々ありまして」

奥野譲弥
「···ああ」

仕事絡みだと気づいたのか、奥野さんはそれ以上追及してこなかった。

サトコ
「とにかく、目立ちたくないので本当に助かりました」
「ここは私の奢りです!いっぱい食べてください!」

奥野譲弥
「ああ。悪いな」
「···髪、少し伸びたか?」

不意に伸びてきた手は、私の髪に触れる前に止まる。
自制しているような、遠慮しているような様子だった。

(···奥野さん、やっぱり優しくていい人だな)
(私があの新聞社に、捜査のために潜入した時も···)

奥野譲弥
『俺の前では···女に戻っていい』
『···たまには、自分を “女” に戻してやれ』

奥野譲弥
『ったく···ほんとに隙だらけだな』
『ちゃんと、彼氏に守ってもらえよ』

(いつだって優しくて、相手の気持ちを考える人だった)

伸ばされかけた手には気付かないふりをしながら、一緒におでんをつつく。

サトコ
「あれから、結構経ちましたもんね」

奥野譲弥
「そうだな。懐かしいもんだ」
「とにかく、仕事で仕方ないかもしれないが、あの辺はひとりで歩くなよ」
「あそこは那古組のシマだからな。下手に目を付けられると面倒だ」

サトコ
「那古組···」

(奥野さんがそれを知ってるってことは、もしかして···)

サトコ
「奥野さん、那古組を追ってるんですか?」

奥野譲弥
「ああ。最近キナ臭い話をよく耳にする」
「記者の勘ってやつだな。今の那古組には何かある気がするんだよ」

サトコ
「何か···」

奥野譲弥
「このサングラスも、どこにいるか分からない組の奴らに顔を覚えられないようにだ」
「記者だとバレたら、あの界隈を歩けなくなる」

サトコ
「そうだったんですか···」

(奥野さんも那古組を追ってる···じゃあやっぱり、組の中で何かが起きてるんだ)
(津軽さんは、内情を探れって言ってたけど)

津軽さんのことを思い出すと、自然とあの時の言葉が蘇る。

(『協力者をうまく使えば数日で終わる』···津軽さんはそう言ってた)
(でも新米の私には、協力者なんて···)

奥野譲弥
「おっ、この大根、しみてて美味いな」

屋台店主
「だろ~?うちで一番人気だよ」

奥野譲弥
「氷川、お前も熱いうちに食え」

サトコ
「は、はい」
「あの···奥野さん」

奥野譲弥
「ん?どうした?」

(私の協力者になってください···って、言ってもいいのかな)
(協力者はお互いの利害が一致して、さらに信頼関係がないと無理な相手···)

新聞記者の奥野さんにとって、刑事と繋がりを持つのは悪くないだろう。
私にとっても、奥野さんの立場は申し分ない。

(それだけじゃない。信用できる奥野さんがいい)
(だけど···何て言えば)

サトコ
「あの···な、何でもないです。すみません、がんも下さい!」

屋台店主
「あいよ~」

奥野譲弥
「······」

笑顔で誤魔化す私を、奥野さんは黙って見ていた。

それから少し話したあと、そろそろお開きにしようということになり···

サトコ
「すみません、お会計お願いします」

奥野譲弥
「バカ。いい」

サトコ
「え?」

私の前に立ち、奥野さんがお金を払ってしまう。

サトコ
「だ、ダメです!今日は私の奢りって···」

奥野譲弥
「なら、また今度な」

サトコ
「今度って···」

(次、いつ会えるか分からないのに···)

口を開く前に、ピシッとおでこを指で弾かれた。

サトコ
「い、痛い!」

奥野譲弥
「何悩んでんのか知らねぇが、ひとりでどうにかしようとするな」

サトコ
「奥野さん···」

奥野譲弥
「前にも言ったが、お前は頑張りすぎる」
「少しは肩の力を抜け」
「···俺でよければ、いつでも話聞くから」

サトコ
「······!」

言うだけ言うと、奥野さんが手を挙げて立ち去ろうとする。
その背中に、思わず声を掛けていた。

サトコ
「あのっ、奥野さん···!」

翌朝、いつもより早く目が覚めたので、しっかり朝ごはんを食べて家を出た。

サトコ
「なんていい朝···」

(ああ···陽射しがまぶしい)

心なしか、身体も何だか軽い気がする。
私にとって、初めての協力者。
それが信頼する奥野さんであることが、なんだとても誇らしい。

(早く津軽さんに報告しなきゃ!)
(今日はきっといい一日になるよね)

美女
「気を遣わせてすみません。ありがとうございます」

駅のホームへと急ごうとしたとき、よく通る綺麗な声が聞こえてきた。
振り返ると、男性物のコートを着た女性が誰かと話しているのが見える。

(すごい、綺麗な人···朝からあんな人を見られたものラッキーかも)
(···ん?あの人の隣にいるのって···)

加賀
風邪ひくなよ

サトコ
「!」

美女
「兵吾さんが貸してくださっているので平気です」

(加賀さん···!?ど、どうして)
(それにあの人、『兵吾さん』って···)

よく見れば、女性が羽織っているのは間違いなく加賀さんの上着だ。
そして加賀さんはスーツではない···私服姿。

(一体、どういう···)

美女が手を伸ばし、加賀さんの頬に触れる。
頬へのキスを受け入れるように、加賀さんが少し屈んだ。

美女
「私を気にかけてくれる男性は星の数ほどいれど···」
「触れていいのは兵吾さんだけなんです。知っててくださいね」

加賀
······

そうして二人は、私に背を向けて歩き出した。

サトコ
「······」

(いい一日になる···って)
(そう思ったのに···)

私服なのはつまり、プライベートということ。
言葉もなく、ただただその背中を見送ることしかできなかった···ーー

to be continued

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