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俺の駄犬が他の男とキスした話(前) 加賀4話

サトコ
「この男で間違いなさそうです」

チェックインするとすぐ、隣の部屋とを隔てる壁に機械を設置して、ベッドの上で会話を盗聴する。
隣では、情事に紛れて秘密裏に会話が交わされていた。

サトコ
「さっきの女···エレンが所属する組織が、矢野を仲間に引き入れようとしてるみたいです」
「最近の那古組の資金源は、その組織で間違いないと思います」

奥野譲弥
「組長もその組織のことは知ってるってことか」

サトコ
「じゃないと資金源の説明がつきませんね」
「でも···エレンの話から察するに、最終的に彼女の組織が那古組を牛耳るつもりだと思います」

奥野譲弥
「なるほど。それに協力するってことは」
「那古組が組織の傘下に入ったあと、矢野はそれなりの地位でも用意されてるんだろうな」
「つまり、今後は矢野を調べればいいわけだ」

(このあと、奥野さんはスクープを取るために矢野を追うことになる)
(でも私の仕事はひとまずこれで終わり···津軽さんに報告すれば一応終了だ)

ホッとしつつ、隣で一緒に盗聴器から洩れてくる声を聞く奥野さんを見る。

(あ、全然普通だ)
(いや、そうだよね。奥野さん、なんだかんだ言って真面目だし···)

少しだけ意識して構えていた自分が、なんだか恥ずかしい。
盗聴器を壁から外そうとした時、近くに置いてあったアメニティに肘がぶつかった。

サトコ
「あっ」

奥野譲弥
「どうした?」

サトコ
「いえ、大丈夫です。すみません···」

エレン
『あっ···待って、そんなに急がないで』
『それで···どうなの?首尾は上々···?』

情事が続いている証拠に、盗聴器からはエレンの吐息まじりの声が聞こえてくる。

矢野
『ああ、任せておけ。お嬢のことだろ』

エレン
『ええ。あなたにしかできないんだから、お願いね』

サトコ
「······!」

(今、「お嬢」って言った···?)

サトコ
「奥野さん、今の···」

奥野譲弥
「おっ」

慌てて振り返ったせいか、ベッドの上でバランスを崩す。
落ちそうになった私を支えてくれた奥野さんも結局、体勢を崩しーー

サトコ
「······!」

奥野譲弥
「······!」

ベッドに押し倒される格好になり、お互い、息を飲んだ。
言葉を失い、見つめ合う。

(い、い、今っ···)

唇にかすかに残る、柔らかい感触。
あれは、間違いなく···

(奥野さんの、唇···っ)
(わ、私っ···奥野さんと···)

エレン
『···ぁっ···ああ、もっと···っ』

サトコ
「······」

エレン
『激しくしてぇ···!』

奥野譲弥
「······」

盗聴器から聞こえてくる、エレンのあられもない声。
沈黙の中、数十秒間見つめ合った後、奥野さんはようやく我に返ったように飛びのいた。

奥野譲弥
「悪い!そんなつもりじゃ···」

サトコ
「だ、大丈夫です···私のほうこそ、す、すみません···!」

奥野譲弥
「いや、俺が悪いんだ。お前を助けようとしたのに、逆に···」

サトコ
「あの、ほ、本当に···」

お互いにペコペコと謝り合うその間も、盗聴器からはエレンの嬌声が聞こえてくる。
慌ててスイッチを切り、ベッドから降りた。

サトコ
「も、もうめぼしい情報は取れなさそうですし、見つかる前に帰りましょう」

奥野譲弥
「あ、ああ···そうだな」

気まずいまま、そそくさと部屋を後にした。

妙な空気のまま奥野さんと解散したあと、とぼとぼと街の中を歩く。

(事故とはいえ、加賀さん以外の人とキスなんて···)
(どうしよう···加賀さんがキスされてるのを見た時よりもショックだ···)

あのときは、彼女を協力者だと信じていた。
少し不安になったりもしたけど、でも加賀さんに限って浮気などあり得ないと思っていた。

(なのにまさか、自分がそっちの立場になるなんて···)
(どんな顔して会えば···)

タイミングよくというか悪くというか、加賀さんから電話がかかってきたのはそのときだ。

(それに···声が聞きたい)

サトコ
「···はい」

加賀
どこだ

サトコ
「えっと···」

今いる場所を告げると、以前合流したことのあるラーメン屋台の場所を告げられた。

加賀
すぐ来い

サトコ
「はいっ···」

電話を切り、ぐいっと唇を拭う。

(どんな顔して会えばいいかわからないけれど···でもやっぱり、会いたい)

屋台では、加賀さんが先に塩ラーメンを食べていた。

加賀
遅ぇ

サトコ
「こ、これでも大急ぎで来たんです···」
「あ、味噌ラーメンください」

店主
「あいよ!ちょっと待ってな」

サトコ
「加賀さん、仕事終わったんですね」

加賀
そっちもだろ

その言葉に、ギクリと動きが止まった。

(何で今さっき仕事が終わったこと知ってるの···?ぐ、偶然?)
(まさか奥野さんと一緒だったことまで、知られてるんじゃ···)

加賀
明日行ったらさっさとテメェんとこの班長に報告しろ

サトコ
「え?」

加賀
お前から捜査が終わったって連絡きたのに報告がない、とかほざいてやがった

サトコ
「ええ···!?報告は明日でいいって、さっき電話で言われたんですけど」

加賀さんがタイミングよく電話してきたのは、津軽さんのぼやきを聞いていたかららしい。

(そうだよね、奥野さんと一緒だったこと、知ってるわけない···)

でも、どうしてもさっきの唇の感触を拭いきれず、目を合わせられなかった。

(···私、いつもどんな顔で加賀さんと話してたっけ···?)
(目は···?表情は?何を考えて喋ってた···?)

意識すればするほど混乱して、加賀さんをまっすぐ見ることができない。
当然、加賀さんがそんな私の変化に気付かないはずがなかった。

加賀
なんだ

サトコ
「えっ」

加賀
なんか言いてぇことあんだろ

サトコ
「な、何もないです」

加賀
そんな嘘が通用すると思ってんのか
テメェの考えはだだ洩れだ。さっさと吐け

いやだ。
加賀さん以外の人とキスしたなんて、言いたくない。

(奥野さんが協力者になってくれたことも、このままじゃ···)

加賀
おい

サトコ
「ほ、本当に、なんでも···」

加賀
いい加減にしろ

サトコ
「···なんでもないですってば!」

思わず大きな声を出してから、ハッと口をつぐんだ。

加賀
······

サトコ
「あ、あのっ···」

(私、なんてことを···加賀さんは心配して聞いてくれただけなのに)

店主
「あいよ、味噌お待ちー」

サトコ
「······」

加賀
······

(加賀さんに対してあんな言い方するなんて···)
(もうダメだ···余裕なさすぎ···)

加賀
···冷めないうちに食え

小さく溜息をつき、加賀さんが私のラーメンの上にメンマを乗せてくれた。

加賀
本当に何もねぇなら、最後まで貫けよ

サトコ
「···チャーシューがいいです」

加賀
調子に乗んな。野菜全部入れるぞ

サトコ
「また味が混ざる···」

あんな言い方をしたにもかかわらず、加賀さんは怒った様子もない。

(絶対、何かあることに気付いてるよね)
(それでも、敢えて聞かないでくれてるのかな···)

その優しさが、今は何だか痛いほどしみた。
やっぱり、加賀さんが好き。
どうしようもなく好き。

(ずっと一緒にいたいよ···)

これ以上心配を掛けないようにと気持ちを新たにしたとき、横に置いてあったバッグが落ちた。

サトコ
「あっ」

加賀
何やってんだ
······

(ん?加賀さん、何見て···)
(···え!?)

地面に落ちて、中身がぶちまけられた私のバッグ。
そのすぐ横に落ちていたのは···ラブホテルのアメニティだった。

(な、なんで!?私、あんなの···)
(あっ···肘でぶつかった時···!)

サトコ
「す、すみません!すぐ拾います!」

加賀
···ああ

慌ててしゃがみ込み、すべてを隠すようにバッグに押し込む。

(どっ、どうしよう!言い訳する!?)
(いっそのこと、全部吐く···!?)

加賀
食わねぇのか

サトコ
「へっ!?あ、食べます!」

今度こそ落ちないようにバッグを抱えながらラーメンを啜り、加賀さんの表情を窺う。

(見られてなかった···わけないけど、仕事だって気付いてくれたのかも)
(だとしたら、変に言い訳しない方がいいよね···)

なんだか、自己嫌悪に陥ることが多い一日だった···

to be continued

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