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だから僕はうまく恋ができない 石神

石神
···差し入れだ

サトコ
「石神さん!」

秀樹さんの眼鏡が薄暗い照明を弾いてキラリと光った。

サトコ
「差し入れって···」

距離の近さにドキドキしながらも、秀樹さんの右手の下に何かあるのを見つける。

サトコ
「これは···」

石神
残業には糖分が必要だろう

右手がどかされたところにはチョコレートの箱があった。

(プリンアラモード味のチョコ···)

石神
···チョコは見たくもなかったか?

今気づいたという顔をする秀樹さんに急に愛おしさが込み上げる。

サトコ
「ここにあるのは食べられないチョコだから、嬉しいです」
「今年は石神さんに先越されちゃいましたね」

石神
そんな呑気なこと言っていていいのか

チョコの箱を手に表情筋を緩ませていると、呆れた声が降ってきてしまった。

石神
14日の件

サトコ
「あ!」

(津軽さんにデートに誘われたこと···)

サトコ
「もちろん、断ります!津軽さんとデートなんて青汁激辛バナナ味を飲んでいるようなもので···」

石神
内容を確認しろ

サトコ
「はい···って、え?内容確認?」

(それって、デートに行けってこと?)

石神
あの男が意味もなくお前を誘うわけがない
俺たちの関係に探りを入れている···という、くだらない理由の可能性もあるが

サトコ
「なるほど···そうですね、津軽さんならあり得ます」

(ただ、からかっているだけかと思ったけど、14日を指定してくるところとか、確かに···)

石神
言っておくが、デートに行けという意味ではないからな

サトコ
「あ···そうなんですか?」

石神
津軽の意図を探れば、それでいい

(さっき私が考えたこと、完全に見透かされてる···)

石神
俺が他の男とデートしろと言うと思ったのか?

サトコ
「任務上ならあり得ることかなと···」

石神
······

思わず本音で答えると、秀樹さんがぐっと言葉に詰まったように見える。

石神
今は仕事の話はしていない

(図星だったんだ)

それもまた秀樹さんらしいと笑みが込み上げてきた。

サトコ
「これ、ありがとうございました。津軽さんにも、ちゃんと確認しますね」

石神
上司とはいえ任務の時以外は、あいつの発言はいちいち真に受けなくていい
適当に帰れ

サトコ
「はい」

まだ他の仕事が残っているらしい秀樹さんを見送り、私はチョコの箱を開ける。

(美味しそうなチョコだけど、あんなに強くデスクに叩きつけたりしたら···)

サトコ
「やっぱりバキバキに割れてる···」

秀樹さんにしては乱暴だったと思いながら、チョコの欠片を口に入れる。

サトコ
「ん、美味しい」

(津軽さんのこと···ちょっとはヤキモチ妬いてくれたのかな?)

口に広がるプリンアラモードのチョコ味は、私の疲れを確かに癒してくれた。

それからバレンタインに日が近付くにつれ、
公安課に運び込まれるダンボールは増えていく一方だった。

サトコ
「これ、全部石神さんの分です」

石神
···またか

サトコ
「どこに置いておきましょうか?」

皆さんの机の周りは秀樹さんだけでなく、チョコレートの山が出来つつあった。

石神
ここまでいくと業務妨害レベルだ

サトコ
「そこまで言わなくても···」

東雲
なんか、今年は妙に多いですよね。誰かがどっかで煽ってるんじゃないかって疑いたくなるくらい

東雲さんがチラッと視線を流す先にいるのは、鼻歌を歌う津軽さん。

(まさか、津軽さんが一枚噛んでる?)

東雲
こんなにあっても食べきらないしね

石神
全くだ。これだけの熱量を、もっと有意義なことに使えば···

サトコ
「チョコを贈った人には、これが有意義なことなんですよ」

出過ぎた発言かと思ったけれど、好きな人にチョコを贈りたいという気持ちは痛いほどわかるから。

サトコ
「もちろんお世話になったお礼とか、お付き合いとか···いろんなタイプがあると思います」
「でも、気持ちが込められたものは···もっと大切にしてもいいんじゃないかと」

石神
······

東雲
···真面目すぎ

サトコ
「東雲さんって、女子力高い割に女子の気持ちがわかってな···」

東雲
津軽さーん、おたくの新人が油売ってますけど

津軽
えー、モモ、回収してきて

百瀬
「意識ナシでもいいですか?」

サトコ
「良くないです!」

聞こえてきた会話に慌ててツッコミを入れながら。

石神
······

(秀樹さん?)

チョコのダンボールをじっと見つめる秀樹さんが気になった。

その日の午後、書類を届けに警視庁に行った帰り道。

石神
······

(ん?あれって、秀樹さん?)

警察庁近くの、やや人目につかない街路樹の影に彼に似た背中を見つけた。

サトコ
「石神さ···」

声を掛けようと近付いて、彼の前に人がいることに気付く。

(女の人!)

女性
「あの、これ···受け取ってください!」

石神
···これは?

女性
「バレンタインのチョコレートです。私、以前から石神警視のことを···」

石神
申し訳ないが、気持ちに応えることはできない
だが···ありがとう

(秀樹さん···)

秀樹さんは女性の顔をしっかりと見ながら真摯な声で答えている。
それはサイボーグと揶揄される顔ではない。

女性
「そ、その言葉だけで充分です!」
「チョコは石神警視に食べていただきたくて買ったので、貰ってください!」

石神
いいのか?

女性
「はい!」

石神
休憩の時にいただくことにする

かすかに表情を和らげた秀樹さんを、妙に遠くに感じながら見つめる。

(チョコを業務妨害なんて言ってたのに、なんだ···実際は結構優しいんだ)

真っ赤になっている女性と、チョコを受け取っている秀樹さんと。
何故か見てはいけないものを見ているような気分になった私は、そっとその場を後にした。

夕方、公安課に戻ってきた秀樹さんは、また増えているチョコを冷めた目で見ていた。

(うーん、この差は···手渡しか送って来るか···の違い?)

津軽
秀樹くん、チョコ何個になった?

石神
数えていない

津軽
えー、ほんとに?本当は、こっそり数えてるんでしょ?

石神
その暇人の発想が誰にでもあると思うな

津軽さんの方を見もせずに、秀樹さんは淡々と答える。

津軽
誰かとチョコの数、競ったことくらいあるでしょ

石神
ない

津軽
ウソ、ほんとに!?信じられなーい

(なぜ、一昔前の女子高生のノリで···)

皆さんがゲンナリするのを気配で感じる。

加賀
さっきから、ウゼェ

課内に漂っていた空気を言語化してくれた加賀さんに、心の中で拍手が贈られるのが分かった。

津軽
兵吾くんは競ったことあるでしょ?

加賀
勝負を吹っ掛けられて、逃げるような負け犬じゃねぇからな

津軽
だよねー。それが正しい男の子
そんなだから、秀樹くんはサイボーグなんて言われちゃうんだよ

(サイボーグは告白されて『ありがとう』なんて言いませんよ)

思わず出かかった言葉を飲み込んでいると、津軽さんがこちらに戻ってきた。

津軽
そうそう、ウサちゃん。14日の予定だけど

サトコ
「私も聞こうと思ってました。デートなんていう冗談は置いておいて、何かあるんですか?」

津軽
俺からのデートの誘いを冗談とか、ひどいな
14日は俺宛てのチョコが特別たっぷり届くから、それを持って帰りやすいように分けといて

サトコ
「···思いっきりデート関係ないじゃないですか」

石神
津軽、部下を私用で使うな

(秀樹さん···!)

津軽
秀樹くんの地獄耳

サトコ
「チョコの保管奉行は謹んで辞退させていただきます」

(秀樹さんのおかげで救われた!ありがとうございます!)

やっぱり優しい人なのだと再認識すると同時に、私ではない女性と向き合ってる顔が思い浮かんで。
自分でもよくわからない旨の詰まりが生まれているのに気が付いた。

その日の夜。

サトコ
「石神さん!」

ちょうど前を歩く秀樹さんを見つけ、声をかける。

石神
氷川

立ち止まる彼に駆け寄るまでの距離を長く感じた。

(どうしても今日、約束したくて···)

サトコ
「14日なんですけど···夜、空いてますか?」

石神
問題ない

サトコ
「良かった!」

石神
14日と言えば、津軽のことだが···断るべきところは、きちんと断れ
一度付け込めば、あいつは際限がない

サトコ
「こ、これからは気を付けます」

石神
俺はこれから警視庁だ。もう遅い、気を付けて帰れ

サトコ
「はい···」

足早に歩いていく秀樹さんの背を冷たい風のなか見送る。

(バレンタインの約束をしたんだけどな)

秀樹さんの口角が上がることはなかった。

(ちょっとくらい笑ってくれてもって思うのは···望みすぎ?)

また昼間の遠い秀樹さんの微笑が頭に浮かんできて。
秀樹さんの背が見えなくなるまで、そこに立っていた。

そして迎えた、14日の夜。

石神
コーヒーでいいか?

サトコ
「あ、私が···」

石神
立ったついでだ。俺がやる

お湯を沸かし、ペアのマグカップを並べる秀樹さん。
準備の音を聞きながら、私は自分のカバンに視線を移す。

(チョコを渡すなら、コーヒーを飲むタイミングで···しかない)
(普通に渡せばいいだけなのに)

躊躇いがあるのはーー受け取った時の秀樹さんの顔を見るのが怖いから。

(今日の約束をした時みたいに、いつも通りで···少しも笑ってもらえなかったら)
(私はまた比べてしまう···)

断られた女性と自分を比べるのは、おかしいというのはわかっている。
わかっているのだけれどーー

(こういうのも···ヤキモチって言うのかな···)
(秀樹さんの笑顔が他の女性に向けられたことへの···)

石神
悩んでいることがあるなら、話せ

サトコ
「え···」

コーヒーの香りが近くに来ていた。
秀樹さんが静かに横に腰を下ろす。

石神
お前がそういう顔をしているときは、ひとりで考えている時だろう
話して解決できる者なら、俺が聞く

サトコ
「秀樹さん···」

(敵わないな、本当に)

彼に隠し事はできないと、胸にあることを全て打ち明ける。
告白の場面を見てしまったこと。
その時の笑顔に嫉妬してしまったこと、自分への反応にほんの少しの不安を覚えてしまったこと。

サトコ
「秀樹さんの気持ちを疑ってるわけじゃないです」
「自分でも、どうしてって思うんですけど···」

石神
お前が言ったんだろう

秀樹さんは俯きそうになっていた私の頬に手を掛けると、顔を上げさせた。

石神
気持ちが込められたものは、もっと大切にしろ···と

サトコ
「あ···」

(チョコのダンボールを運んでる時···秀樹さんが『業務妨害だ』って言った時の話)

石神
お前のおかげで、俺も恋愛というものを少し理解できるようになったからな
お前の言葉にも一理あると思えたんだ

サトコ
「そうだったんですか···」

(そもそもの原因は私、だったんだ···)

真実を知れば、身体から力が抜ける。

石神
人を想うのには、かなりの気力が必要だと俺も知った
真剣に向けられた想いには、きちんと答えるのが礼儀というものかもしれない

サトコ
「私···ひとりで空回りして、馬鹿みたいですね···」

石神
いつものことだろう

フッと笑われ、羞恥で頬が赤くなる。

石神
それを止めるために、俺がいる

(そうやって···秀樹さんは結局、優しいんですよね)

そういう一面を多くの人に知って欲しいと思う反面で、
私だけが知っていたいという独占欲に気が付く。

サトコ
「私って、結構自分勝手です」

石神
お前はそのくらいで、ちょうどいい

サトコ
「そんなことないです」

石神
少しくらい自分勝手でなければ、あの課では生き残れないぞ

サトコ
「それは···否定できないのが厳しいところですね···」

唯我独尊の班長の顔を思い出して、今後の生存戦略をいずれ立てなければと思っていると。
少しの沈黙の中、秀樹さんがその眼鏡を押し上げた。

石神
ところで···俺も自分勝手な期待をしていたんだが

サトコ
「え?」

石神
一番欲しいものを、まだもらっていない

サトコ
「あ···」

(それって、私からのチョコレート?)

サトコ
「これ···ですか?」

石神
ああ

カバンの中からチョコの包みを取り出すと、その口元に微笑が浮かぶ。
それは私が遠くから見たあの時の顔とは全く違うものだった。

(そっか···馬鹿だな、私)
(私には、ちゃんと笑ってくれる。向けてくれる笑顔は、こんなに···)

胸が苦しくなるほど高鳴らせてくれるし、きっと秀樹さんのこんな表情は私しか見られない。

石神
ありがとう

秀樹さんの手に収まったチョコを見て、ほっとする。

サトコ
「悩んだけど、作ってよかったです」

石神
悩む?何をだ

サトコ
「もうあれだけのチョコを貰ってるから、渡しても埋もれるだけかなって思ったりして」

石神
俺はチョコの数は数えないと言ったのを忘れたのか?

チョコがそっとテーブルに置かれる。
その手は私の肩にかかり、引き寄せられた。
眼鏡が外されると、その前髪が揺れる。

石神
受け取ったものに込められている気持ちを無視はしないが···
俺が意義を見出すチョコは、お前からのものだけだ

軽く唇を触れ合わせながら囁かれる、チョコよりも甘い言葉。

サトコ
「あまり···モテすぎないでくださいね」

石神
それはこっちの台詞だ。あまり、付け込まれるな

サトコ
「津軽さんのことですか?」

石神
主にアイツだが、他の奴らにも
でなければ、お前との関係を伏せておく自信がなくなる

キスを繰り返す瞳に滲む気持ちを独占欲と思っていいのか。
問いかけるようにこちらから唇を寄せれば、より深い口づけが返ってきて。

石神
覚えておけ
俺の目に映る女は、お前だけだと

奪うように求められれば息が上がり、濡れた吐息が双方の唇から洩れる。
怜悧な瞳に抑え切れない衝動が生まれる瞬間から、目が離せない。

サトコ
「覚えておきたいから···ちゃんと教えてくれますか?」

石神
お前は···

腕の中で問うと、秀樹さんは軽くその眉を上げた。

石神
どこで覚えた?そんな誘い方

サトコ
「秀樹さんこそ」

石神
何の話だ

口づけの合間に交わす会話は睦言の代わりでしかない。
衣擦れの音が水槽の音に混じって響く。
言葉を交わすのも、もどかしい···けれど、そうしなければ理性がちぎれそうだった。

サトコ
「そんな口説き文句···とてもサイボーグって言われる人のものとは思えません」

石神
お前が人間にしたからだろう

サトコ
「ん···っ」

温もりがあることを教えるように、素肌が重ねられる。
それがきっと、衝動を突き動かす合図。

石神
教えて欲しいのなら、教えてやる

秀樹さんの掌が肌を滑る。
胸元から脇腹、腰骨···私の弱いところを確実に押さえてくる指先。

サトコ
「···っ」

石神
どれだけ俺の中が、お前で占められているのか···を

有言実行で几帳面な彼の性格をよくよく思い知らされる···

バレンタインの翌日。

(当日はそれどころじゃなかったけど、一応···)

元生徒兼現部下として、お世話になっている皆さんに市販のチョコを配っていると。

石神
氷川、いいか

サトコ
「はい」

秀樹さんに廊下へと呼び出される。

誰もいない廊下の隅まで行って、彼が振り返った。

サトコ
「何か、お手伝いですか?」

石神
いや···

こっそり石神班のお手伝いに呼ばれたのかと思ったが、そうではないらしい。

石神
俺も来年からは義理チョコの扱いについて熟考する
だから、お前も···

サトコ
「もしかして···皆さんに配ってるチョコのことですか?」

石神
···あまりいい気がするものではないとわかった

軽く眉間に寄せられたシワが示すのは、小さな嫉妬か。

黒澤
サトコさんからのチョコ、オレのが一番大きいですよ!

後藤
どれも同じチョコだろ

津軽
何言ってるの。見てよ、俺のだけギフトシールがついてる特別仕様

東雲
それ、ただのパッケージ差分ですよ

石神
···まったく、あいつらは

(秀樹さんも、結構ヤキモチ妬き···?)

課内から聞こえてくる声にシワが深くなるのも、また愛の証だった。

Happy End

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