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だから僕はうまく恋ができない 難波

ドンッ!

突然誰かが背中越しに私のデスクに手をついた。

サトコ
「!?」

(だ、誰!?もうこんなに遅いんだから、これ以上の要求は勘弁···)

恐る恐る振り向くとーー

サトコ
「し、室長!」

難波
よう、お疲れさん。こんな遅くまで精が出るな

サトコ
「ええ、まあ···」

(精が出るというか、チョコのせいというか、なんというか···)

これが任務での残業ならともかく、状況が状況だけに思わず苦笑してしまう。

難波
あとどれくらいで終わる?

サトコ
「もうすぐですが···何か?」

難波
何かってそんな寂しいこと言うなよ
もう終わるんなら待ってるから。一緒に帰ろう

サトコ
「は、はい!」

(嬉しい···!室長が待っててくれるなら、こんなチョコの管理業務なんて5倍速で···)

2月の夜の空気は、ピンと張り詰めたように冷たい。
でも隣に室長がいるからか、私の心は温かかった。

難波
仕事、頑張ってるみたいだな

サトコ
「はい···時々、これも仕事なの?って思うようなこともありますけど···」

難波
それも仕事なんだよ

室長は諭すように言うと、私の頭に大きな手をポンと置いた。

難波
無駄な仕事なんかひとつもない···はずだ

サトコ
「···はず、ですか?」

難波
たぶんな

室長は決して、班長たちの指示を否定したり非難したりはしない。
たとえそれが、どんな内容でも。
その代わり、必死に頑張る姿は必ずどこかで見ていてくれる。

(嬉しいよね。こうして直属ではなくなっても、ちゃんと見ていてくれてるって···)

サトコ
「···クシュン!」

難波
大丈夫か?そうだよな、寒いよな

室長は私のクシャミで初めて気付いたように、通りに向かって手を挙げた。
でもなかなかタクシーは捕まらない。

難波
なんだ···この時期はみんな外を歩きたがらないってことか?

サトコ
「大丈夫ですよ。別に寒くないし、風邪もひいてないですから」

難波
でも···

サトコ
「行きましょう!止まってる方が寒いですって」

室長の腕を掴んで歩き出した。
タクシーで並んで座るのもいいけれど、こうして歩いていた方が二人きりの時間を満喫できる。
室長は、諦めたように歩き出した。

難波
悪いな。最近できるだけ歩くようにしてたもんだから、つい···

サトコ
「···歩くって、健康のためとかですか?」

難波
健康というか···腹回りがちょっと···

言いながら、室長は切なそうな目を自分のお腹の辺りに向けた。

サトコ
「いや、別に気にするほどのことは···」

難波
それがそうでもねぇんだよ
これがまた、脱ぐとすごくて

(そうかなぁ、ムキムキしてた記憶しかないけど···)
(でも前回室長のお腹なんか見たの、いつだっけ?)

お互いに忙しいとはいえ、最近なかなかゆっくり会えない。

(バレンタインの予定も結局、聞きそびれちゃったし)
(そのせいで私は津軽さんに付き合わされることに···)

心の中で、小さく溜息をついた。

酔客
「あ~お姉ちゃん、かわいいねぇ」

満員電車に乗り込むなり、隣にいた酔っ払い客に顔を覗き込まれた。
お酒臭い息がまともに顔にかかり、顔を背ける。

酔客
「お姉ちゃん、名前は···」

難波
ああ~っと

尚も絡んでこようとする男と私の間に、室長がグイッと身体を割り込ませた。

酔客
「おい!」

難波
あ~、すみませんね。この電車、意外と揺れるもんだから

室長は小芝居をして私をドア際に押しやると、
両腕をドアについて私のためのスペースを確保してくれた。

サトコ
「ありがとうございます」

難波
自分の女が絡まれてんだ。守るのは当たり前だろ

室長の言葉がジワッと胸に染み入って、幸せな気持ちが込み上げる。
思わず表情が緩みそうになるのを誤魔化そうと、混雑に紛れてさりげなく室長の胸に顔を埋めた。

(なんかこういうの、新鮮···満員電車も意外と悪くないかも···)

視線を感じて顔を上げると、私をジッと見つめる室長と目が合った。

サトコ
「?」

(なんだろう···もしかして室長も同じことを思ってる?)

難波
お前さ、俺に何か隠してることないか?

サトコ
「!?ええと···いえ、別に···」

とっさに何のこと分からずにそう答えるが、室長は尚も何か言いたげに私を見つめ続けている。

難波
···14日、津軽に誘われたって?

サトコ
「!」

(な、なんで室長がそのことを!?)

津軽さんに付き合うのは任務の一環としか考えていなかっただけに、
そのことを突っ込まれて驚いた。

(さては、あの場にいた誰かが···)

班長たちの顔が次々に頭に浮かんでは消えていく。

サトコ
「別に···ただの任務の延長ですよ?」
「室長の当日の予定も分からなかったので、断れなかっただけというか···」

何もやましいことはないのに、心なしかしどろもどろになっている自分が恨めしい。

難波
俺の予定な···
実は、休みなんだ。14日

サトコ
「え···そうだったんですか?」

(だったら早く言ってくださいよ、室長!)

難波
まあ、いいんだけどな。任務の延長じゃ、しょうがねぇし

室長はそう言いながら、ふっと遠い目になった。

(全然しょうがないって思ってない顔···こうなったら、なんとかするしか···!)

翌朝。
出勤するなり、私は真っ直ぐに津軽さんのデスクに向かった。

サトコ
「おはようございます」

津軽
ああ、おはよう。サトコちゃん、どうしたの?怖い顔して

サトコ
「一応確認ですが、14日に付き合えというのは仕事ですか?」

津軽
ううん、言ったでしょ。デートだって

サトコ
「だったら、やはりお断りさせてください!」

勇気を出して、思い切って言ってみた。
津軽さんは一瞬ポカンとなった後、別に気にも留めない様子で笑う。

津軽
いいよ、別に。だったら俺は、違う子を誘うから

サトコ
「え···」

津軽
もしかして、それも嫌なの?

サトコ
「いえいえいえ···」

全力で手と首を横に振って、津軽さんの気が変わらないうちに急いで自分のデスクに戻った。

(さんざん悩まされた割にあの反応···一体なんだったの?)

バレンタイン前日。
あれからすぐに室長に連絡をし、14日のデートの約束を取り付けた。
そして準備したのは···おからチョコクッキー。

(これなら、お腹周りを気にしてた室長にもきっと喜んでもらえるよね)
(よし、ラッピングも可愛くできたし、あとは室長に手渡すだけ!)

バレンタイン当日。
庁舎を出るなり、室長からLIDEが入った。
メッセージは、『周囲に十分気を付けろ』。

(気を付けろって···?)

誰かに尾けられている気配を感じ始めたのはその直後。

『大丈夫か?』

また室長からLIDEが入った。

(私、尾けられてるかもしれません···!)

追跡者に気付かれないように、何気ない表情で返事を送った。

『やっぱりか···まっすぐこっちに向かわず、まずは逆向きの電車に乗れ。3つ目の駅で下車』

(分かりました···!)

心の中で呟きながら返事を送り、足早に駅に向かう。
その間も、尾行の気配はちっとも消える様子がない。

(どうして私が尾行なんか···)

疑問が過るが、とにかく今は追跡者を撒くのが先決だ。

電車に乗っても、背中に視線を感じ続けていた。

(気になる···でも、こういうときに振り向くのは相手の思うつぼだし···)

必死に平静を装いながら、室長からの次の指示を待った。
でも、あれからすっかり何の連絡もない。

(もうすぐ3つ目の駅に着くけど、その後はどうすればいいんだろう?)

心に浮かんだ疑問をそのまま、室長にLIDEを送ってみる。
でも室長からの返事はない。

(どうしたんだろう···室長にも何か不測の事態が?)
(まさか、この尾行のせいで今日は室長に会えないなんてことはないよね···)
(大丈夫···室長を信じて、指示に従えば···)

室長との連絡は相変わらず取れないが、室長の考えを必死に想像した。

(室長ならきっと、電車を降りてタクシーに乗り換える)

降りるべき駅に着いても、じっと動かずにドアが閉まりかけるのを待った。

(今だ···!)

ドアが閉まる瞬間、ホームに飛び出す。
その勢いで、クッキーの包みがバッグから飛び出した。

(あっ···!)

このまま一目散に改札を出なければ、到底尾行を撒くことなどできない。
でも考えるよりも先に、足はクッキーの包みに向いていた。

難波
それは尾行を撒くよりも大事なことか?

頭の中で、室長の声が響いた。
瞬間的に立ち止まる。
思い直して改札に向かいかけるが、やはり諦めきれなかった。

(尾行は撒かなきゃいけないけど、室長の喜ぶ顔も見たい···)

心を決め、クッキーの包みを拾いに行った。

(あとは、タクシーに乗ってからなんとか尾行をかわそう)

改札を走り出ると、どこからか室長が姿を現した。

サトコ
「室長···!」

(なんでここに?)

疑問がよぎるが、室長の視線は私ではなく、私の肩越しに注がれていた。

難波
百瀬、だったか···

サトコ
「え!?」

驚いて振り向くと、ちょうど会談を駆け下りてきた百瀬さんと目が合った。

(どうして百瀬さんがここに?私を尾けていたのは百瀬さんなの!?)

百瀬さんはきまり悪そうに、並んで立つ私と室長から目を逸らす。

難波
なるほどな。ご苦労さん

サトコ
「え?ご苦労さんって···」

(もしかして、室長は何か起きているか大体見当が付いてた?)

難波
じゃ、行くか

室長は悔しそうな百瀬さんに構わず、さっさと目の前のタクシーに乗り込んだ。

サトコ
「どういうことですか?室長には分かってたんですか?私を尾けてるのが誰か」

難波
まあ、だいたいな···

走り出したタクシーの中で、室長はのんびりと答える。

サトコ
「だったらもっと他にやり方が···これじゃ、私たちは付き合ってますって教えたようなものです」

思わず語気が強くなったが、室長は気にしない。

難波
そんなこと、あんまり気にしてもしょうがないぞ

サトコ
「そうかもしれませんけど···」

(津軽さんがあの手この手で私たちを探ろうとしてるの、室長も知ってるはずなのに···)

庁内でどんな風に振る舞うのが正解なのか分からず、そのまま黙り込んだ。
そんな私を、室長はじっと見つめている。

難波
それよりその袋···仕事中でも、お前は取りに戻ったか?

サトコ
「!」

(室長は、全部見てたんだ···)

これだから室長はあなどれない。

サトコ
「すみません。分かってはいたんです。戻るべきじゃないって···」
「でもこれは、どうしても室長に今日渡したくて···」

難波
ふ~ん

室長は気の無さそうに言った後で、ニッカリ笑った。

難波
つまりこれは、俺のもんってことだな

その子どものような笑顔に、思わず私の顔もほころんだ。

サトコ
「もちろんです。ハッピーバレンタイン、室長」

久しぶりに2人で入るお風呂は、何だかドキドキした。

難波
相変わらず、白いな

サトコ
「そうですか···?」

ゆっくりとバスソルトをお湯に溶かしながら、室長が私の肌に触れる。

難波
お···今度は赤くなった

サトコ
「そんなことあるわけ···んんっ」

笑って否定しようとした私の唇を、室長が覆った。
バスタブのお湯よりもわずかに熱を帯びた室長の唇が、何度も私の唇をついばむ。

難波
ちょっと、しょっぱい

サトコ
「バスソルトを触りながらするから···」

難波
しょうがないだろ。急にむらむらっときちまったんだから

室長は笑って言いながら、もう一度ゆっくりとキスを落とした。
大きな手が、私の肌を優しく撫でる。
思わず悩まし気なため息が出て、室長が私を軽く睨んだ。

難波
そんな声出すなよ。我慢できなくなるだろ

サトコ
「ここではちょっと···出るまで我慢してください」

難波
分かってるよ。にしても、じらすねぇ···

室長は満更でもなさそうに言いながら、私の首筋を伝う雫を指でそっと拭った。
くすぐったい感覚に、首をすくめる。

難波
流れ落ちる汗って、色っぽいよな

サトコ
「そ、そうですか?」

難波
バスソルトってのもいいもんだ···

室長はひとりで満足げに頷いている。

難波
でもこうしてゆっくり2人で風呂に入るなら、もっと広い方がいいな

サトコ
「ですね」

難波
じゃあ、2人で暮らす家は、風呂にもこだわろう

(2人で暮らす家か···)

室長がさり気なく口にした言葉に、室長との未来を感じて心が温かくなった。

(いっそのこと2人で一緒に住んじゃえば、津軽さんたちの詮索も気にならなくなるのかな)
(津軽さんたちの詮索といえば···)

再び今日の不可解な出来事を思い出した。

サトコ
「今日のことですけど、室長は最初から全部わかっていたんですか?」

難波
全部って?

サトコ
「それは···尾行していたのが百瀬さんであることとか、尾行してた理由とか···」

室長は頭の後ろで腕を組んで、ふっと天井を見上げた。

難波
今はまだ、それを言う段階じゃない

サトコ
「今は···ですか」

つい不満そうな声が出てしまった。
それを敏感に感じ取って、室長は改めて私を見つめる。

難波
いつかちゃんと話すから
信用してない訳じゃないんだ。でももう少し、俺に時間をくれ

(こんな風に真っ直ぐに見つめられたら···)

私は、静かに頷いた。

(信じよう。室長を···)

室長が先に脱衣所を出た後で、私はゆっくりと身支度をしてリビングに戻った。

(バスソルトのせいかな。いつもより、肌が火照る···)

ぴたぴたと頬を両手で触りながら、この後のベッドでの室長の反応を想像して表情が緩む。

サトコ
「室ちょ···」

(え、なんで···?)

さっき服を着て出て行ったはずの室長が、再び半裸になっている。
しかも新聞でパタパタと身体を扇ぎ始めた。

難波
あち~、バスソルトってのは、思った以上に効くな

サトコ
「そ、そうですね。でもそんなことしてたら、逆に風邪ひきますよ?」

難波
まあ、そうなんだが···

室長はそう言いながらも、扇ぐ手を止めない。

(もう、しょうがないな···)

サトコ
「それじゃこれ、飲みましょう」

冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを取り出して、室長の火照った頬に押し当てた。

難波
おっと、冷てぇな~

一瞬首をすくめた室長がすぐに満面の笑みになる。

難波
いいねぇ、さすがは気が利く

同時にプルトップを開けて、軽く缶をぶつけ合ってからビールを流し込んだ。

難波
うめぇな

サトコ
「ですね」

難波
これでようやく···

室長が私の身体をグッと抱き寄せた。

難波
心置きなくお前を抱ける

サトコ
「室長···」

難波
でもその前に、もう少しだけクールダウンな

室長は笑って私にキスを落とすと、美味しそうにビールを煽った。
思いがけず、一緒に過ごせることになったバレンタイン。
1年に一度のこの日を最高の時間にしたい······
想いを込めて、まだ火照りの残る室長の首に腕を回す。
今日は、いつも以上に熱い夜になりそうだった。

Happy End

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