カチカチ···という時計の秒針の音で目が覚めた。
(ここ、どこだ···?)
天井に見覚えはあるけれど、自分の部屋ではない。
寝起きの回転の悪い頭を徐々に動かし···
サトコ
「ん···」
津軽
「ああ···」
(サトコの家···か)
(好きな子の部屋に上がり込んどいて寝るとか、だっさ···)
ーーと思うも、上がり込んでどうするつもりだったのかと聞かれれば。
(襲うつもりも···ない、よな?)
自分でも自分のことが把握しきれていない。
横で眠りこける彼女の肩に触れてみても、性欲が強く湧くわけではなかった。
(いや、そりゃ誘われれば、据え膳食わぬしたかもしれないけど)
(この子、だからなぁ)
女性に誘われた経験は星の数ほどあるけれど、この子がそういうことする姿は想像もできない。
(公安ならハニトラも必要になる時もあるだろうに)
(いや、それは俺がさせないか)
いろんな感情が溜まってこんがらがっているせいで、独占欲だけが人一倍強くなっている気がする。
(やれやれ···)
俺には毛布を掛けて、自分はブランケットでいる。
その身を縮めて、横で丸まっていた。
(ベッドで寝ればいいのに)
(毛布だって自分が使えばいいのに)
春先とはいえ、寝ていればまだ冷える。
毛布の中に引き入れると、へらっと笑ったように見えた。
(ほんとこの子は人のことばっかだな···)
温かい毛布の中で、頬杖をつきながら彼女の顔を眺める。
(顔のランクで言えば、よくて中の上?)
(客観的に見れば、きっと中の中···)
(だけど、愛嬌は抜群だ)
(誰がこの横顔を見て、公安刑事だって思う?)
サトコの身上書にはひと通り目を通している。
ごく一般的な家族構成の家庭。
家族に愛されて、友達もたくさんいて···微笑ましい恋愛経験を持つ、ごくごく普通の女の子。
(まあ、女の子って歳でもないけど)
(そういう普通が、どれだけの幸運の偶然の上に成り立ってるか···なんて)
(考えたこともない人種)
一言で言うなら、棲む世界が違う。
けれど綺麗な水にいる彼女は、水底に澱んだものが存在することを意識すらしないかもしれない。
津軽
「イノシシ」
サトコ
「ん···」
耳に吹き込むと、小さく反応した···けれど、起きない。
(疲れたもんな。きっと眠りにしがみついてるんだろ)
津軽
「反抗期、ナマイキ、お節介」
サトコ
「んん···」
その眉がどんどん下がっていく。
(この子の下がり眉、好きなんだよな)
津軽
「お人好し、ガンコ」
サトコ
「うーん···」
津軽
「ぷっ」
下がり眉が次第にしかめられていくのに、思わず声が漏れた。
(寝てても反応いいじゃん)
試しにその鼻をつまんでみると。
サトコ
「ふがっ」
津軽
「ふがって···寝てても面白い子だな」
肩を揺らすほど笑ってしまう。
そういえば、この子に出会ってから素で笑う機会が増えた。
こんなの高校の頃、バカやってた時以来だ。
津軽
「···ほんと、俺のに」
(なんないかな、この子)
抱き締めてみる。
温かい。
同時に湧き起こるのは罪悪感に似た感情。
(懐柔する目的なら付き合えた)
(その方がどれだけ楽だったか)
けど、今はーー
この子とは付き合えない。
好きだから、付き合えないーー
津軽
「なんで君、公安学校出身なんだよ」
(でも···そうじゃなきゃ出会いもしなかったか)
長野の交番勤務のこの子が公安課にやってくるなんて考えられない。
津軽
「······」
(抱けば俺のものになるとか)
(好きだって言えば俺のものになるとか)
そういう簡単なものだったらいいのに。
津軽
「···バカ」
きっと聞いたら、彼女は怒る。
『人のバカって言っちゃいけない』とか『口が悪いですよ』とか。
そんな顔が好きで、わざと怒らせたくなる。
津軽
「······」
おでこに唇を押し付けてみる。
キスーーなんて呼べるよう上等なものじゃなくて。
それを隠すように前髪を梳く。
(二度寝するかな)
ひとつの毛布にくるまれば、さっきより温かい。
眉間からシワも消えた寝顔はあどけない。
(一緒に海で遊ぶ夢でも見ようよ)
(バカになってさ)
夢の中なら、余計なこと考えなくて済む。
幸せな夢を見てもらいたい。
そしてできるなら···そこに俺の居場所も欲しかった。
津軽
「······」
サトコ
「······」
次、目を開けると、サトコの顔が目の前にあった。
津軽
「ちかっ」
サトコ
「わっ」
ぱちっと目が合ってお互い目を丸くする。
(俺の寝顔観てた?)
津軽
「何してたの」
サトコ
「いや、その生きてるのかなって思って」
津軽
「は?」
サトコ
「ものすごく穏やかに寝ているので、息してるのかと」
津軽
「こんなところで死んだら···」
幸せーーかつ、自分には訪れない未来···だと思ったけど、それは口には出さなかった。
津軽
「今、何時?」
サトコ
「午後の3時です」
津軽
「うわ、そんなに寝てたんだ」
(二度寝でこんなに寝ちゃうなんて···ていうか、こんなに深く眠ったのっていつぶりだろ)
呼吸を確認したくなるほど寝入ってたとなれば、よほどだ。
(この子、安眠効果もあるのかな)
津軽
「こんな時間まで寝ちゃって、夜寝れるかな」
サトコ
「明日は仕事だから寝不足ってわけにはいきませんよ」
津軽
「じゃあ、2人で眠くなる映画でも観て眠気を待つ?」
サトコ
「それって、津軽さんと2人で···」
津軽
「一晩過ごしたんだから、二晩過ごしても同じでしょ」
サトコ
「昨日の一晩にカウントされるんですか!?」
津軽
「一緒にいたじゃん」
サトコ
「それはそうですけど···」
(あ、眉が下がった)
津軽
「一旦、部屋に帰ってシャワー浴びてDVDとってくる」
「待ってて」
サトコ
「私、いいなんて一言も言ってませんけど···」
津軽
「夜はピザでもとろっか」
もう少しだけ、夢の中に浸っていたいなんて。
(···俺、まだ夢見ることなんてできたんだな)
サトコ
「スパイス山盛りにしないでくださいね?」
津軽
「大丈夫、俺、ピザにパイン乗せない派だから」
(そうやって最後は俺を受け入れてくれる)
(だから、つけこむ···ああ、そうか···)
俺はサトコに甘えてるんだ。
幸せな夢を見て欲しいと願いながらーー俺にもその夢を見させて欲しいと願ってる。
分不相応だと知りながら。
Happy End