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カレKiss 難波5話

部屋に入るなり、室長は私を抱きしめ、包帯が巻かれた右腕に唇でそっと触れた。
包帯越しなのに、その感触が堪らなく愛おしい。

(ようやく会えた···室長に···)

難波
まったく···無茶するよな

呟くような室長の声が、耳に心地いい。

難波
剣道、できなくなったらどうするんだ?
お前の唯一の特技だろ?

(う···唯一かぁ···)
(誉められてるんだか貶されてるんだか···)

ちょっぴり切ない気持ちになるが、室長の目は真剣だ。
室長は真剣に私を想って、心配してくれている。
それが嬉しくて。
少しでも安心させてあげたくて。
私は、まだ痛みの残る右腕をブンブン振り回して見せた。

サトコ
「全然大丈夫ですよ!ほら」

難波
···しょうがねぇな

室長は呆れたように笑って、そっと私の腕を下げさせた。

難波
もうわかったから、頼むから安静にしててくれよな
あの時···

室長は言いかけて、ふっと表情を曇らせた。

難波
本当はすげぇ辛かった

サトコ
「え?」

驚いて室長の顔をまじまじと見る。
でも室長は、誤魔化すこともなく悲痛な表情で続けた。

難波
大切な女が危ない目に遭ってるのに、助けに行くことも出来ない···
もう二度と、俺の目の前であんなことに巻き込まれないでくれ

サトコ
「室長···」

あの時、一度だけ交錯した視線。
でも少なくともあの時の室長にとっては、
私よりも相棒のあの女性の方が大切なのだと思っていた。
だから、たとえ目の前に私がいても、迷いなどないのだと思っていた。

(そうじゃなかった···室長だってあの瞬間、人知れず葛藤してくれてたんだ···)

難波
···悪かった。助けてやれなくて

室長の気持ちが痛いほどに分かって、私は何度も大きく首を振る。

サトコ
「そんなこと言わないでください。勝手なことをしたのは私だし、自業自得です」
「それに、私はそんな風に、どんな時でも職務を全うする室長のことが好きだから···」

難波
サトコ···

室長はちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑ってもう一度私を抱きしめた。

サトコ
「それはそうと、室長···」

室長の腕に絡まりながら、二人で一緒にソファに座った。
そのまま、逞しい腕に頬を寄せる。
ことさら強く腕に抱きつく私を、室長は不思議そうに見下ろした。

難波
おいおい、どうした?

サトコ
「···なんでもないです」

ちょっと考えてから、上目遣いで答えた。

難波
何でもないって···さっき、何か言いかけただろ?

サトコ
「いいえ、気のせいじゃないですか?」

惚けて笑って、室長の腕に身を委ねた。

(今回は私たち、お互いに反省すべきところが色々あったよね···)

公安刑事という立場上、同じ捜査に関わっているのでなければ、捜査のことは明かせない。
たとえ仕事上のことであれ、大切な人に秘密を持たなくてはいけないのは辛いことだ。
だからついつい距離をとって、私も自分に室長を禁じてしまった。

(何も話せなくたって、こうして傍にいられればよかったのに···)

とはいえ、潜入中は役に徹しなければいけないのもまた事実。

(そこをうまく切り替えるには、まだまだ修行が必要なんだろうな)
(なにしろ私は、まだ “ひよっこ” だから···)

サトコ
「私、まだチャンスありますかね?」

難波
ん?チャンス?

サトコ
「公安学校時代にも室長から怒られたこと、またしちゃったから···」

難波
自分のしたことの意味をちゃんと分かってるんなら、いいんじゃねぇか

サトコ
「自分のしたことの、意味···」

私は、室長の言葉を噛み締めるように呟いた。

難波
まあ、お前次第だってことだよ

室長は笑いながら、私の頭に大きな手を置く。

難波
とりあえず、よく頑張った
こっからは、俺のために頑張ってもらうかな

サトコ
「きゃっ」

いきなり身体を抱き上げられ、そのままベッドへと運ばれた。

サトコ
「もう大丈夫だとは言いましたけど、優しくしてくださいね?」

難波
任せとけ。いつも以上に、今日は優しくサービス予定だ

室長は慈しむように私の髪を撫で、優しく微笑む。
そっと重ねられた唇が、語り掛けているような気がした。
「おかえり」と。

サトコ
「···ただいま」

思わず小さな呟きが漏れて、室長が驚いたように私を見つめる。

難波

それから嬉しそうに微笑んで、室長はもう一度、唇を重ねた。

(ようやく戻って来られた···室長の傍に)

溢れる喜びを握り締めるように、キスを交わしながら、指と指を絡ませる。
その時になって、ふと気づいた。
室長の左の薬指に、もう指輪がないことに。

(室長も終わったんだ···潜入捜査···)

例え仕事だとわかっていても、室長が誰か違う女性に優しくするのを見るのは辛い。

(でももう···この指も、キスも、吐息も、ヒゲだって···全部私だけの···)

嬉しくて、確かめるように室長の身体のあちこちに触れてみる。

難波
何してんだ?くすぐったいぞ

サトコ
「何って···マーキング···?」

難波
マーキング!?
お前···ネコか?

サトコ
「ふふっ、かもしれませんね」

難波
そういうことなら···俺もマーキングしてやる

室長はいつもよりちょっと長めに首筋に唇を押し付けた。

(もしかして、キスマークつけようとしてる!?)

サトコ
「だ、ダメですよ!明日、仕事なんですから」

難波
いいだろ、そんなもん。バレやしねぇよ

サトコ
「でもそういうとこ、妙に鋭いのが公安の皆さんじゃないですか」

難波
それもそうか···でも、ちょっとかぶれたって言っときゃわかんねぇだろ

サトコ
「絶対にわかりますって」

困ったように言いながらも、ちょっと嬉しかった。
「お前は俺のもの」ーーそう言われた気がして。

サトコ
「こんなことしなくても···」

難波
しなくても、何だ?

サトコ
「いいえ、なんでもありません」

(···私は、いつだって室長だけのものですよ)

心の中で呟いて、室長の首に抱きついた。
右腕がちょっと痛んで、思わず顔をしかめる。

サトコ
「っつ···」

難波
ほら、安静にしとけって言ったろ?
お前はじっとしてればいいんだよ

熱いキスが落ちて来て、身体が溶けてしまいそうになる。
室長はいつもより優しく、全身に指を這わせた。
身体の奥底でマグマでもたぎっているかのように、ドクン、ドクン、と音がする。
ゆっくりと、静かに、私たちはひとつになっていくーー
離れていた時間を埋めるかのように、私たちは固く、固く······結び合った。

まだ身体には、微かな火照りが残っていた。
室長の腕を枕に、ぼんやりと天井を見上げる。
その瞬間、ふと病院で目覚めたときのあの感覚が蘇ってきた。

サトコ
「そうだ···赤い薔薇···」

難波
薔薇がどうした?

サトコ
「病室で目覚めた時、薔薇が···」

難波
ああ、あれな

サトコ
「来てくれたんですね。仕事中だったのに」

『潜入捜査』とは敢えて言わなかった。
でも室長は、構わず口に出す。

難波
で、どうだった?初めての潜入任務は

サトコ
「それは···」

言いたいことはたくさんあった。
聞いて欲しいことも。でも······

サトコ
「内緒です」

難波
なんだよ、ケチだな

サトコ
「だって私は今、難波室じゃないですし···」

真面目くさって言い訳する私を、室長は面白そうに見つめている。

難波
···よくできました

サトコ
「え?」

難波
公安刑事として、でかした心掛けだ
さすが、俺が仕込んだだけのことはあるな···

室長は満足げに言って、目を瞑った。

(今の、自画自賛?)

ちょっとおかしくなって、室長の顔を覗き込む。
その目元には、隠せない疲れがこびりついていた。

(ひどいクマ···)
(当然か)
(室長はきっと、私なんかとは比べ物にならないような過酷な任務に就いてたはずだもんね)
(それなのに、私のことまで心配かけて···)

サトコ
「ごめんなさい···」

室長の顔を見つめながら、自分だけに聞こえる声で呟いた。

サトコ
「花びらのキス···ありがとう···」

あの時、病室のベッドで眠る私の唇に、そっと降ってきた一枚の花弁。
あれは間違いなく、室長からのキスだった。温かくて、優しくて、私の全てを包み込むような······
私は感謝と切なる想いを込めて、室長の頬にキスをした。

(花びらのキスのお返し···)
(これからも、あなたがゆっくりと眠れる場所が、ずっと私の隣でありますように···)

室長はもう、小さな寝息を立てている。
ようやく任務から解放されて、安心しきった様子で。
私は起こさないように、そっと室長に寄り添った。
私の居場所もまた、こうしてずっと室長の隣でありますようにーーそう願いながら。

翌日。
公安課に顔を出すのは、実に数カ月ぶりだった。

(ようやく戻ってきたって感じ···!)
(しばらくはここも慣れなかったけど、今ではすっかり、私の帰る場所だよね···)

少し感慨深げに思いつつ報告書をまとめていると、津軽さんが出勤してきた。

津軽
サトコちゃん、おはよう。復帰早々、精が出るね

サトコ
「おはようございます。入院したりで遅くなってしまったので、早く報告書をまとめようと」

津軽
それは···感心、感心
全てを包み隠さず書いてくれればなお関心、だけどね?

サトコ
「?···それって···」

(もしかして、室長のこと?)
(やっぱり津軽さんは、あの時の室長の動きを知りたがってる···?)

素早く思いを巡らす私にプレッシャーをかけるように、津軽さんが一歩距離を詰めた。

津軽
ここでクイズです

サトコ
「えっ?」

津軽
氷川サトコは、誰の部下でしょう

思いがけず真剣な顔で聞かれ、一瞬背筋がゾクッとなった。

(やっぱり···これって、室長へのけん制···)

津軽
ほら、早押しだよ

サトコ
「はい!もちろん、津軽さんです!」

できるだけ、何でもないように答える。

津軽
ピンポンピンポン、よくできました
そいういうことなら、これからも、ちゃんと俺の部下でいてね?

サトコ
「!」

津軽さんは一応笑顔を見せてはいるが、目が笑っていない。

(こ、怖いんですけど···!)

室長との絆を強めてくれた初めての潜入任務。
でも上司との関係は······ますます微妙になってしまったようだった。

Happy End

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