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ヒミツの恋敵編  難波Happy End

行き先も告げずに、室長は夕暮れの街を抜けて走り出した。

サトコ
「···どこに行くんですか?」

難波
どこでもいいぞ。どこか、行きたいところないのか?

サトコ
「行きたいところですか···」

(そりゃ、室長と一緒に行きたいところなんていくらでもあるけど···)

急な問いに返答を困っている私を、室長は運転しながらチラリと見る。

難波
特にないなら、名古屋に味噌カツでも食いに行くか

サトコ
「な、名古屋!?って、今からですか?」

難波
もちろん、今からだ

室長はそう言うなり、『東名高速道路方面』表示の方へハンドルを切った。

(室長、本気みたい···)
(ちょっとびっくりしたけど、たまにはこういうのも楽しいかも···)

ワクワクしながら車窓の景色を目で追っていく。

(久しぶりだな。こんな風に解放された気分···)

難波
今回もご苦労だった
ショックだったか?信じてたヤツに裏切られて

サトコ
「···ええ、ちょっと」

難波
これで、あとはもう一人

あの時、室長に見せられた写真に写っていたのはナナカさんだった。

難波
···

室長は前を向いたまま、左手でそっと私の頭を撫でる。

(もしかして室長は、私の気持ちを少しでも晴らしてくれようとして···?)

サトコ
「私もナナカさんを騙していましたから。おあいこです」

難波
まあな

サトコ
「室長はいつ気付いたんですか?ナナカさんが組織の人間だって」

難波
そうだな···いつって言われると···

室長はアゴを撫でながら考え込んだ。

難波
あえて言うなら
ナナカがサトコを似鳥の知り合いの社長の席にわざわざ呼んだって聞いたあたりか···

ナナカ
『オーナーに紹介された太客だからね~』

サトコ
『へぇ、似鳥オーナーに···』
『その人って、どんな人?』

ナナカ
『やだ~レイアさんったら、私のお客、狙ってる?』

ナナカ
『レイアさん、こちらがさっき話した社長さん!』

サトコ
「え、そんなことでですか?」

(さすがは室長···!私は全然疑いもしなかった···)
(むしろ、直接情報をとれて好都合なんて思ってたんだっけ···)

難波
いくらサトコに恩を感じていたとしても、仕事上はライバルだ
普通の女なら、そんな太客にわざわざライバルを引き合わせないだろ

サトコ
「そう言われてみれば···」

難波
よほど気前がいいわけじゃないなら、何かのカモフラージュと考えるのが自然だ

サトコ
「じゃあもしかして、あの社長さんは組織の人間だったってことですか?」

難波
ああ、組織とナナカの繋ぎ役じゃねぇかと踏んで、ナナカの身辺を調べた
そうしたら、店に登録していた名前も住所も、裏ルートで売買された戸籍のものだったよ

サトコ
「そうだったんですか···」

(彼女は存在すら、嘘だったんだ···)

サトコ
「ナナカさんのあの店での任務は何だったんでしょう?」

難波
似鳥の監視役だよ
似鳥は組織の自分に対する扱いに不満を抱いていたからな
万が一にも裏切ったりしないように、惚れたフリして見張っていたんだ

サトコ
「あれがお芝居だったなんて、すごい···」

初めて会った時、嫉妬むき出しの表情で私を睨みつけたナナカさんの顔が蘇る。

サトコ
「私はてっきり、本当に似鳥に惚れてるものだと···」

難波
俺から見てもあれはかなりのやり手だよ
いまだに本名すら突き止められないのが何よりの証だ

サトコ
「公安の力を持ってしても分からないなんて···」

ふと呟いてから、ハッとなった。

サトコ
「もしかして···それでホテルに?」

難波
···ホテル?ああ、ビュッフェな

サトコ
「え···ビュッフェ?」

(部屋に行ったんじゃなくて···?)

思わず室長の横顔をまじまじと見てしまった。
でもその表情には、何の曇りも感じられない。

難波
俺は結局酒しか飲まなかったけど、女はスゴイな
料理食ってデザート食って、また料理食ってデザート食って」
「見てるだけでこっちは腹いっぱいだよ

サトコ
「ですね···」

(そっか···じゃあ、やましいことなんて何もなかったんだ···)

分かりやすくホッとしている自分にちょっと自己嫌悪。

(仕事だからって言ってたくせに、私、全然ダメじゃん···)

そんな私を、室長は不思議そうに見つめている。

サトコ
「室長の冷静さをもっと見習います···」

難波
冷静?俺が?

室長は笑いながら言うと、信号待ちの車内で私の身体をグッと引き寄せた。
時を惜しむかのように、熱い唇を重ねてくる。

サトコ
「!」

難波
俺だって、仕事だろうが好きな女が他の男とキスするのは嫌だけどな

サトコ
「え···それじゃ、室長···」

(あの時、何でもない顔をしてたけど、本当は嫉妬してくれてたんだ···)

難波
でも、信頼してるから···お前のこと

室長は大きな手で優しく私の頭を撫でると、青信号と共に思い切りアクセルを踏み込んだ。
気持ちのいいスピードに乗りながら、ポツリと言う。

難波
ごめんな···その、婚姻届···

サトコ
「わかってます。室長は私のことを思ってああしたんだって···」

(もちろん、あの時はものすごく辛かったけど···)

難波
まあな···お前があんな紙切れに縛られるくらいならいっそって思ったのは確かだが···
自分でもとっさの行動だったから、あとでさすがに···

室長はきまり悪そうに頭を掻いた。

サトコ
「室長って、仕事ではすべてを完璧に計算するのに、プライベートだと···」

(本当に緩すぎる···)

最後までは言わずに笑っている私を、室長は恨めしそうに見る。

難波
分かってんだけどな···そういやあれ、もう捨てたか?
捨てるよな、普通···

室長に言われて、私はおもむろにバッグのポケットを探った。

サトコ
「それが···実はここに」

つぎはぎだらけの婚姻届を出して見せると、室長はいよいよきまり悪そうな表情になった。

難波
繋いだのか?あれを

サトコ
「はい···どうしても諦めきれなくて」

難波
悪い···本当に悪かった。浅はかだ。浅はかすぎる···

あまりに真剣に謝ってくれる室長がなんだか可哀想になって、
私は婚姻届をしまってスマホを取り出した。

サトコ
「味噌カツの美味しい店、調べてみますね」

難波
ああ、頼んだ。一番うまいヤツ頼む

サトコ
「はい!」

久しぶりに聞いた、何の屈託もない自分の声。

(私も室長みたいに、ただ信じてればよかったんだよね···)

サトコ
「良かったですね、何とか部屋が見つかって」

難波
まったく、無計画ってヤツは危険だな

サトコ
「しかもこんなに大変な思いして部屋を取ったのに、明日は朝イチで出ないとですよね?」

難波
···それを言うな。とりあえず今は、憩いたい

室長はそう言うなり、ベッドにごろんと横たわった。

サトコ
「じゃあ私、先にシャワーに···」

難波
いや、先はなしだ

サトコ
「じゃあ、お先にどうぞ」

難波
じゃなくて、一緒に···だろ?

サトコ
「え···」

有無を言わさずシャワー室に連れ込まれ、モクモクと立ち込めた蒸気の中で室長が来るのを待った。

ガチャッ

難波
入るぞ

サトコ
「どうぞ···」

難波
なんだ、意外と見えないもんだな

(そっか···なら良かった···)

室長は残念そうだが、私は内心ホッとする。

難波
少し、痩せたか?

室長は私の身体のラインをなぞりながら気遣わし気に言った。

サトコ
「さすがに、激務だったので」

難波
そうだよな···訓練に夜の仕事に、ご苦労だった
夜の女の香り、いい加減抜かないとな

そう言うと、室長は手で丁寧にボディシャンプーを泡立てて、私の身体を優しく撫でていく。
いつもより滑らかに這う室長の手が、私の身体を早く熱くした。

難波
俺が他のヤツとも、こういうことをしたと思ったのか?

サトコ
「ちょっと···」

難波
バカだな。俺がこういうことをするのは、サトコだけだよ
こういうことも···

降り注ぐシャワーの中、重ねられた唇。
後藤教官とのキスの感触が綺麗に取り払われていくようで、私はもっと深く室長を求めた。

難波
···どうした?

サトコ
「室長のキスだなって思って···」

難波
他の男を知った後だから、余計に良さが分かるんだろ?

サトコ
「もう、その話は···」

逞しい胸をペシッと叩く。
その手を掴んで引き寄せ、室長は私をギュッと抱き締めた。

難波
おかえり、サトコ···

サトコ
「どこにも行ってませんよ、私は」

難波
···そうだよな

シャワーを終えた私に、室長は自分のシャツを貸してくれた。
大きくて白くて、ほんのり柔軟剤の香るシャツ。

サトコ
「···どうでしょう?」

難波
いいな、その格好

ベッドに横たわっていた室長は嬉しそうに微笑んで、私を手招いた。
導かれるままに、彼の腕の中へ。
任務が終わった解放感と久しぶりの室長との時間が嬉しくて、私は自ら室長の身体に身体を重ねた。
その瞬間ーー

難波
いててっ

室長は思わずと言った様子でみぞおちの辺りを押さえる。

サトコ
「大丈夫ですか?」

難波
大丈夫、大丈夫···

サトコ
「驚かせないでください。私、そんなに重くないですからね?」

難波
知ってるよ

室長は巧みに体をずらしつつ、私の身体を抱きしめてキスをした。
何度も、何度も。
まるで、室長とのキスの記憶だけが残るようにしようとしているかのように。

(これで、後藤教官とももう普通に接せられそう···)
(潜入捜査後にどんな顔で会ったらいいか、本当はちょっと気になってたんだよね)
(それにしても、ナナカさんが似鳥を監視していたなんて···)

いつの間にか、思いは事件のことに戻ってしまっていた。

(公安刑事として相手を騙しているつもりが、いつの間にか騙されて···)
(私はこれから先、一体何を信じて行けばいいんだろう?)

難波
なあ、サトコ

サトコ
「え?」

難波
カツはさ···味噌もいいけど、やっぱり醤油だよな

サトコ
「ええっ、ソースじゃなくてですか?」

難波
まあ、俺も若い頃はソース党だったが、最近は妙に醤油がうまいんだよ

しみじみ言っている室長を見て、思わず吹き出してしまった。

(室長はきっと、私が事件のことを考えてたの気付いてる)
(だからこうやって、わざとどうでもいいこと言ってくれるんだよね)

室長の優しさが嬉しくて。
私はもう一度、室長に抱き着いた。

(やっぱり、私には室長が必要···)

溢れる愛が、夜の闇に溶けて行くーー

サトコ
「こんな感じでしょうでしょ?」

額に入れたつぎはぎだらけの婚姻届を見て、室長は微妙な表情になった。

難波
やっぱり新しいの書くか?

サトコ
「いいえ、これでいいです。あの時の気持ち、ちゃんと覚えておきたいから」

あの時の興奮、喜び、幸せ、緊張······
あれは絶対に、初めてのあの時にしか生まれない。

難波
そうか···

サトコ
「それに私たち、これはビリビリでも、心はしっかり繋がってますしね」

難波
まあ、そうだな···

室長はちょっと微妙な表情ながらも頷いた。

難波
じゃあ、次こそ本番にしような

サトコ
「!···はい」

難波
何を驚いた顔してるんだよ

サトコ
「だって···今までいろんなこと言ってくれたけど」
「あんまりそういうこと、言ってくれなかったので···」

難波
言わなくたって、分かってくれよ
オッサンには、今時の若者みたいに器用じゃねぇんだ

親指で私の涙を拭って。
室長はキスを落とす。
誓いにも似たキスを。

サトコ
「その時は、老人みたいにヘロヘロな字にならないように気を付けます」

難波
確かに、何度見てもひどい字だ

サトコ
「だから、緊張してたんですって!」

笑いながら見つめる先には、二人がまた一つ壁を乗り越えた証の婚姻届。
これをもう一度書く日が遠からんことを願いつつ、私たちは幸せ溢れる笑みを交わし合った。

Happy End

それからしばらくは穏やかな日々が続いてーー

難波
おーい、サトコ!朝飯できたぞ

サトコ
「はーい、今行きます!」

慌ててメイクを済ませて着替えをして···部屋を出ようとしたその時。

バサッ

サトコ
「ああ、もう···こういう時に限って余計なことを···」

ぶつけて崩してしまった書類の山を整えていると。
ベルベットの布が貼られた真新しい小さなケースが転がり出てきた。

サトコ
「あれ?」

何気なくフタを開けると、そこには光り輝くダイヤのリングが。

(え···えええっ!?)

to be continued

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