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エピソード0 難波1話

モクモクと立ち込めるタバコの煙が思考力を削いでいく。
いや、これは単に、昨夜からロクに寝ていないせいか?

(そろそろ勝負を決めねぇと···)

チラリと壁の時計を見た。
1限の授業はもうとっくに始まっている。
でも2限は······今日こそちゃんと出席しないと、そろそろ卒業に赤ランプが点灯だ。

(やべぇな···どっちを取る?)
(負けか、単位か···単位か、負けか···)

苛立たし気に咥えていたタバコから、燃えカスがポロリと落ちた。
いつの間にか短くなっていたタバコの火が、僅かに唇を焼く。

難波
あっちぃな···

灰皿にタバコを吐き出した。
その時だ。
ついに、待ちに待ったパイが来た。

難波
ロン!

(よっしゃ~!)

四暗刻(スーアンコー)で役満。

(最高じゃねぇか)

満面の笑みになる俺とは対照的に、卓を囲む面々は分かりやすくガッカリした表情になった。

難波
それじゃ俺、そろそろ大学行かないと

通っている大学は、さっきまでいた雀荘とは駅の反対側。
走れば5分もかからない距離だが、授業開始までもう5分もない。
全力疾走は、徹夜マージャン明けの身体に結構堪えた。

難波
セーフ···

俺が教室に駆け込んだのと、授業開始のチャイムが鳴ったのはほぼ同時だった。
見知った顔を見つけ、隣に無造作に腰を下ろす。

難波
よう

公文卓滋
「なんだ、来たのか···にしても、相変わらず煙臭いな」

難波
そういうお前も、相変わらずホルマリン臭いぞ

公文卓滋
「それとこれとは話が別だろ。一緒にすんなよ」

難波
それはまあ、そうか···

彼は、医学部に在籍している同級生。
学部は違うのに、入学当初から奇跡的に交流が途絶えずにいる。

公文卓滋
「で、勝ったのか?」

難波
当然だろ。負ける勝負はしない

負けを覚悟していたなんてことは、おくびにも出さず胸を張った。

難波
そういうお前は?

公文卓滋
「だから···」

難波
分かってるって、どうせ朝まで死体切り刻んでたんだろ

公文卓滋
「全くその通りだが、死体って言うな。献体と言え、献体と」

難波
あー、はいはい···

いつだったか、彼が初めて解剖をした時、その話をやたら楽しげに語っていた姿を思い出す。
その時、こいつはやっぱり変わってるなと思う一方で、何となく羨ましくもあった。
そんなふうに好きなもの、夢中になれるものを見つけた彼のことが。
それに引きかえ、俺は一体何になりたいのか······
そんなことをようやく漠然と考え始めたのは、たしかあの時だったはずだ。

久しぶりに会ったついでに、一緒に飯を食うことにした。
場所はもちろん、学生食堂。
隣できゃあきゃあ騒いでいる女子大生たちの一団が、妙に眩しい。

(こういう大学生活もあったんだな···)

しみじみと周囲を見回すが、彼はそれすらも興味なさそうに黙々と肉を食っている。

難波
よく食えるよな。肉とか

公文卓滋
「お前、肉嫌いだったか?」

難波
そうじゃなくて···解剖した後でよく食えるなって話

俺の言葉に、彼は不思議そうに首を傾げた。

公文卓滋
「···逆に、何で食えないんだ?」

難波
何でって···

(愚問だった···解剖大好きなやつにこんなこと···)
(こいつはきっと、医者は医者でも法医学者とかになって)
(この先も好き放題、死体を切り刻むんだろうな)
(あ、いや、献体か···)

公文卓滋
「それで、試験は?」

難波
試験?

公文卓滋
「受けたんだろ?」

難波
ああ···

彼が聞いているのは、国家公務員一種試験のことだ。

(こいつに国試受験するなんて話、したんだったか···)

もうずいぶん前のことでおぼえていない。
が、この様子だと恐らく話したようだ。

難波
受かったよ

公文卓滋
「ほう···」

彼は飯を食う手を止めて俺をまじまじと見た。
その目に、隠せない驚きがありありと見て取れる。

難波
記念受験だとでも思ってたのか?

公文卓滋
「思ってた···」

難波
勘弁してくれよ~

(と言いつつ、俺もまさか受かるとは思ってなかったんだが。あの程度の勉強で···)

難波
俺、意外とココいいんだぜ

冗談めかして頭を指差した。
でも彼は、ニコリともしない。
いい奴だけどクソまじめで冗談ひとつ通じない。
俺とは全く違うタイプだが、逆にそれが交流が途絶えなかった理由なのかもしれない。

公文卓滋
「それで、何になるんだ?」

難波
だから、官僚

公文卓滋
「それは分かってる。でも官僚って言ったって、色々あるだろ」
「もう農林水産省とか、建設省とか」

難波
あのな、建設省なんてのはもうないの。今は、国土交通省

公文卓滋
「ああ、そういえばそうだった···」

(相変わらず浮世離れしてんな~)

公文卓滋
「で?」

答えを急かされて、俺は思わず口ごもった。
もうとっくに希望は決めてある。
でも何となく、それを口にするのが気恥ずかしい気がした。

難波
···いさつ······

公文卓滋
「は?」

難波
だから、警察。警察庁

思い切って言った瞬間、たまもや彼の目が驚きに見開かれた。
恐らく一番予想していなかった場所だったのだろう。

公文卓滋
「毎日マージャンばっかりしてるお前が、市民を取り締まるのか···?」

難波
言っとくが、マージャンは別に罪じゃない

公文卓滋
「そうなのか?」

難波
賭けなきゃいいの、賭けなきゃ

(まあ確かに、時々賭けてはいるけどさ···)

ちょっとだけ胸が痛んだが、すぐにこのくらいはご愛嬌だと自分い言い聞かせた。

公文卓滋
「まあ、何庁であれ、公務員という選択は悪くないな」

難波
だろ?

とは言いつつ、警察庁は省庁の中でも最高レベルに入庁が難しいと言われている役所。
国家公務員試験に通った後で、さらにその入庁試験をパスしなければいけない。
この時点ではまだ、それにパスできるかどうかも不透明。
警察庁からの合格の通知が届くのは、ここからひと月ほど先のことになる。

教官
「気を付け!警視総監に、敬礼!」

警察大学校の体育館に、教官の良く通る声が響き渡った。
居並ぶ生徒たちが、一斉に姿勢を正す。

警視総監
「諸君、警察大学校への入学、おめでとう」
「君たちはこの先、キャリア官僚として」
「全国の警察官を束ねる役割を担ってもらわねばならない···」

大学を無事に卒業した年の4月。
俺は満開の桜と共に、警察大学校の入学式を迎えていた。
生徒たちの顔には、等しく緊張感がにじみ出ている。

(いよいよ始まるのか···)

ここでの研修は6ヶ月。
その間に、学ぶべきことは実に多い。
新米警察官として、厳しい訓練と研修の日々が始まったーー

to be continued

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