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エピソード0 難波3話

俺が発見したのは、不自然な金の流れだった。

(まさか、裏金ってヤツか···?)

裏金なんて、ドラマや映画ではよく聞くが、どうにも現実感がない。
信じられなくて、信じたくなくて。
俺は、夢中になって金の流れを追い始めた。

(信じがたいが、公安課の山田室長が関わっているのは間違いなさそうだ···)
(でも、どうして?)

調べても調べても、そこに大義名分は見当たらない。

(あくまでも私利私欲のためってことか···)
(国家の安全を担うべき公安課の警察官が、なぜこんなことを···)

失望は、ため息となって零れた。

???
「この間から、何をしてる?」

難波

ハッとなって振り返る。
そこには、怖い顔をした小澤さんが立っていた。

難波
いえ、別に···

とっさに資料を隠した。
どうすべきか······判断が付きかねたのだ。
こうなってしまった以上、誰がこの件に関わってるのか分からない。
誰を信じ、誰を疑えばいいのか。

(でも、小澤さんだけは···)

難波
ここでは、ちょっと···

小澤誠
「じゃあラーメン、食いに行くか」

オヤジがタバコを吸いに屋台を離れたタイミングを見計らって、
思い切って事の次第を打ち明けた。
小澤さんは······途中ひと言も言葉を差し挟まず、じっと俺の話を聞いていた。

難波
これが事実なら、あまりに汚い···
こんなことしてるヤツが国家の安全を守る?
そんなの、おかしくないですか?

小澤誠
「······」

難波
俺は···俺は悔しいです

小澤誠
「そうか···悔しいか···」

ようやく口を開いた小澤さんの言葉はあまりにのん気で。
場違い過ぎる気がして、俺は不信感を隠せなかった。

難波
小澤さん···?

でも小澤さんは、なおも穏やかに続ける。

小澤誠
「それを調べて、どうなる?」

難波
どうなるって···
見過ごせるんですか?こんなことを

小澤誠
「わかった。質問を変えよう」

小澤さんはラーメンのどんぶりを脇に寄せると、片肘をついて隣の俺と向き合った。

小澤誠
「任務中、目の前で人が殺された。お前はどうする?」

難波
それは···

(究極の選択ってヤツだろ···)
(でも公安刑事なら、答えは決まってる)

難波
もちろん、ターゲットを追い続けます

たとえ目の前で人が殺されようと、自分が追うべきターゲットを追い続ける。
それが公安課の刑事の使命だ。
つまり小澤さんは、「自分の仕事に集中しろ」と言いたいのだろう。

(言いたいことは分かる。でも···)

小澤誠
「お前が今抱いている感情は、公安刑事として必要ない感情···」
「持ってはいけない感情だ」

難波
······

小澤誠
「難波、このことはもう忘れろ」

難波
小澤さんが···そんなことを言うとは思いませんでした

一緒に憤ってくれると思っていた。
俺は、抑えきれぬもどかしさのままに小澤さんを睨んでいた。
小澤さんの顔にも、ようやく厳しい色が浮かぶ。

小澤誠
「これ以上は、お前が危険だと言っているんだ」

難波
でも···!

小澤誠
「難波!」

小澤さんのこんなにも険しい声を初めて聞いた。
俺は思わず、言葉を飲み込む。

小澤誠
「諦めろ」

難波
······

(諦められるわけがない。ここまで知ってしまったというのに···)
(見て見ぬふりをすれば、俺も同罪だ)

小澤誠
「罪を暴いたところで、何も変わらない」
「お前一人が排除されて、それで終わりという結末もありうる」

(それはもちろん、覚悟している···)

でももう、それ以上を言葉にすることはしなかった。
やるとしたら、一人でやる。
小澤さんにまで、迷惑を掛けたくない。
俺は、答える代わりにポツリと言った。

難波
小澤さん···室長になってください。早く···

(もうこんなことが、二度と起こらないように···)

小澤誠
「それはなぁ···」

小澤さんは表情を緩めて、ちょっと遠くを見た。

小澤誠
「もっと他に、やりたいことがあるんだ」

難波
やりたいこと···?

小澤誠
「そう。室長になることなんかより、もっともっとデカいヤツ」

難波
それは、一体···

小澤誠
「言えるわけないだろ。こんなオッサンがさ、ラーメン屋の屋台で夢なんか語れるかよ」
「でも、いつかきっと叶えたい。その時は、お前にも手伝ってもらうからな」

難波
···はい

訳も分からず頷いた。
この時、肩を組んできた小澤さんの腕の重みが、その後も妙に印象的に残った。

山田室長の裏金作りに関する調査は、徐々に佳境に入っていた。
通常任務をこなしながらの調査は、当然の結果としてプライベートを侵害する。
俺がこうして家に帰ってきたのも、実は3日ぶりだった。

難波の妻
「ねえ、あなた···ちょっといい?」

ドアの隙間から、遠慮がちに妻が中を覗き込む。

(ダメだ···!)

難波
入るな!

難波の妻
「!」

思わず、強い口調になった。
妻は、怒りのこもった眼差しを残して去っていく。

(悪い、許してくれ···)
(知れば、お前にも迷惑がかかる。そう思ったから、つい···)

でもなぜ迷惑になるのか、それを分かってもらうには事件の背景まで説明しなくてはならない。
それができない以上、俺は口をつぐむしかなかった。
家庭内の空気が少しづつ険悪になっていく······

鈴木勘三郎
「最近ずっと、一人でコソコソ何をしてる?」

その日、同僚の鈴木が唐突に聞いてきた。

難波
何って···お前と同じ、任務だよ

鈴木勘三郎
「本当に、それだけか?」

難波
もちろん。そもそも俺、そんなに仕事熱心な男じゃねぇし

鈴木勘三郎
「それは知ってる」

鈴木は笑いながらも、まだ俺を疑っていた。

(鈴木にもおかしいと思われてるようじゃ)
(山田室長サイドに動きを気付かれるのも時間の問題かもな···)

残された時間は、そう多くなさそうだ。
仕上げの時が近付いている。
そう思った瞬間、何か見えない恐怖が沸き上がるのを感じた。

大学時代の友人に偶然再会したのは、そんな時。
俺たちは久しぶりに、喫茶店で向かい合った。

難波
え、外科医?

法医学者にでもなるのだと思っていた彼は、なんと外科医になっていた。

難波
生きた人間の相手なんか、お前できるのか?

公文卓滋
「できるさ。でも···」

友人は言葉を止めると、両の手を広げてじっと見つめた。

公文卓滋
「怖いよ。メスを持つときは、いつだって···」
「一歩間違えば、殺してしまうかもしれない。この手で···」
「でもこの恐怖を失えば、僕は医者じゃなくなる。だからこれは···医者として必要な恐怖なんだ」

難波
医者として、必要な恐怖···

その時俺は、自分の中に湧き上がった恐怖の正体を見た気がした。
一歩間違えば、自分や妻の人生を変えてしまうかもしれない恐怖。
その恐怖に打ち勝つためにはーー完璧にやり遂げるしかない。

to be continued

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