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エピソード0 難波4話

難波
え、奥さんが妊娠って···
じゃあ小澤さん、パパになるんですか?

小澤誠
「まあ、な」

隣でラーメンを食べる小澤さんは、さり気ない風を装いながらもかなり嬉しそうだ。

難波
おめでとうございます!

小澤誠
「ありがとうな」

難波
なんですかね、この感じ···
他人事じゃないって言うか···なんていうか···

小澤誠
「なんだよ、それ」

小澤さんの奥さんの玲さんのことはよく知っていた。
独身時代、よく家に呼んでくれて、手料理を振る舞ってくれたものだ。
二人は俺にとって、お兄さんとお姉さんみたいなもの。
俺が結婚して少し足が遠のいた今も、その気持ちは変わらない。

難波
とにかく、嬉しいです
そうだ、今日は奢りますよ。お祝いに

小澤誠
「何だよ···」
「だったら今日はもう少し、いい店にするんだったな」

日本酒のグラスで乾杯して、2人で喜びを分かち合う。

小澤誠
「それで、お前んとこは?」

難波
え?

小澤誠
「子どもとか、考えてないのか?」

難波
子どもというか···

(そもそも最近、あいつとまともに口きいてねぇな···)

不機嫌な妻の顔が思い浮かぶ。
時々しか帰らない。帰ってもほとんどしゃべらない。
そんな夫に、妻が腹を立てるのは当然だ。

小澤誠
「ちゃんと色々考えた方がいいぞ」
「人生は長いようで、意外と短い」

難波
はい

(でも今は、そんなことより裏金疑惑を明らかにする方が先決だ···)

小澤誠
「···まだ、調べてるのか?」

難波

一瞬、心を読まれたのかと思った。
俺を見る小澤さんの顔に、笑顔はない。
明らかに、調べていることを分かっている顔。

難波
いや···

一瞬目が泳いだのが、自分でも分かった。
公安刑事の小澤さんが、それを見逃すはずがない。

小澤誠
「止めろと言ったはずだ」

難波
ですが···もう少しなんです

小澤誠
「だったら尚更、そこで手を引け。今すぐにだ」

(ここまで来て、そんなことができるわけがない···)

難波
どうして小澤さんは、この件に関してはそんなに弱腰なんですか?
もっと、正義の人だと思ってた···

小澤誠
「失望させたならすまない。でも、いつかお前にも分かる日が来る」

難波
いつかじゃ意味がないんですよ!

小澤誠
「この件は、お前の力じゃどうにもならないんだよ」

声を荒げた俺の言葉を小澤さんは静かに封じ込めた。

小澤誠
「頼むから、手を引いてくれ」

難波
······

小澤さんは、深々と頭を下げる。

難波
頭上げてくださいよ。そんなことされたら、俺···

小澤誠
「頭くらいいくらでも下げるよ。お前が諦めてくれるなら」

難波
小澤さん···

小澤誠
「俺は正義も大切だが、かわいい部下はもっと大切なんだ」
「いや、部下を守るのも、俺にとっての立派な正義だ」

小澤さんは自分の思い付きに自分で満足したかのように、ニッカリ笑った。

(この人は本当にすごい人だ···)
(優しくて、強くて、そしてブレない···)

ほんのわずかだけでも、小澤さんの正義を疑った自分を恥じた。

(やっぱり公安課には、こういう人が必要だよな···)
(公安刑事としても一人の人間としても、優しい正義を持ち続けてくれる人···)
(小澤さんが室長になってくれれば、絶対に公安は変わるのに)

その知らせが飛び込んできたのは、本当に唐突だった。

鈴木勘三郎
「難波!」

ほとんど焦ることのない鈴木が、焦りを隠しもせずに公安課に飛び込んできた。

難波
どうしたんだよ?なにか、やっちまったのか?

鈴木勘三郎
「冗談言ってる場合じゃない」
「小澤さんが、死んだ」

難波
え?

(シンダって···?)

瞬間的に、鈴木が言ってる意味が分からなかった。
ポカンとしている俺に、鈴木が繰り返す。

鈴木勘三郎
「殉職したんだよ」

難波
殉職って···

気付いた時には、走り出していた。

難波
小澤さんっ!

霊安室に横たわる遺体に駆け寄った。
顔にかけられた白い布を払いのける。
そこには確かに、小澤さんの顔があった。

難波
なんだよ、これ···
小澤さん、これ、なんかの冗談ですよね?
ねえ、何とか言ってくださいよ!

小澤さんの身体を激しく揺さぶる俺を、立ち合いの警官が押しとどめた。

難波
離せよ。こんなの、はいそうですかって受け入れられるかよ
小澤さんは、昨日まで一緒にラーメン食って笑ってたんだぞ
それが···それがなんでこんな···

目の前に横たわる真っ青な顔の遺体が、小澤さんだとは思いたくなかった。

難波
ふざけんなっ!

(まだまだ教えてもらいたいこともあったのに···)
(伝えたいことだって、山ほどあったのに···)

鈴木勘三郎
「ちょっと、二人にしてもらえますか」

遅れて入ってきた鈴木が、立ち合いの警官を廊下に出した。
静まり返った部屋の中で、俺と鈴木の呼吸だけが響く。

鈴木勘三郎
「お前、知らなかったのか?」

難波
···なにを?

鈴木は、小澤さんの顔にそっと白い布を掛け直した。
その妙に落ち着いた動きが、今はやたらと癪に障る。

難波
お前、何か知ってるのか?
知ってるなら、言えよ

鈴木勘三郎
「···知らないよ。でも、想像することはできる」

(想像···?)

鈴木勘三郎
「小澤さんが就いてた任務は、殉職者が出るような危険なものじゃなかった」

難波
それじゃ、なんで殉職なんか···

鈴木勘三郎
「俺、この間聞いたよな。お前に、何を調べてるんだって」

難波
ああ···

その瞬間、嫌な予感が押し寄せた。

(あの事と小澤さんの死と、何の関係が···?)

鈴木勘三郎
「俺、知ってたんだ。小澤さんが室長の疑惑を調べていたこと」

難波

小澤さんが?

(どうして···)

その時になって、ふと気づいた。
小澤さんが俺にこれ以上踏み込むなと釘を刺した訳。
お前の力じゃどうにもならないと言った言葉の意味。

(そうか···小澤さんは、自分で決着を着けようとして···)

難波
俺のせい···ってことか

鈴木は、何も言わなかった。
それは、あまりに残酷な事実だと思ったのかもしれない。

難波
なあ、そうなんだろ?
小澤さんは、俺の代わりに殺された···

鈴木勘三郎
「···かもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」

難波
どっちにせよ、やることはひとつだ

鈴木勘三郎
「待てよ!」

鼻息荒く出て行こうとした俺の腕を、鈴木が掴んだ。

鈴木勘三郎
「小澤さんの死を無駄にするな」

難波
······

あまりの悔しさに、自分自身のあまりのふがいなさに、涙がこぼれた。

(俺は、何も分かってなかった···)

to be continued

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