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エピソード0 後藤1話

緑と土の匂いがする。
雲一つない青空の下。
冷たい無機質な石の前に俺は立っていた。

後藤
夏月···

点けた線香の束の煙が空に吸い込まれていく。
前にあるのは警察の合同慰霊碑。

(時が止まったと思っても、実際に止められるものじゃない)
(あれからもう、どれくらい経ったんだろうな···)

煙るような雨の日で慟哭した、あの日からーー

夏月は···殉職したんだ···ーー一柳の声が耳の奥でこだまする。

(なあ、夏月···嘘だと言えよ)
(もう充分だ。質の悪い冗談だったって···)

後藤
······

警察車両に寝かされている夏月。
その顔も身体も今はカバーで覆われていて見えない。

後藤
···、月···

(何だ、これ···声、出ろよ。夏月を起こさなきゃいけねぇんだから)

後藤
···づ、き···っ
···きっ!
···クソっ!

(どうして、夏月を呼べねぇんだよ!)

雨音に混じり、エンジンをふかす音が聞こえてくる。
近くにあった別の車両が濡れた地面を擦りながら動いていく。

(あんな野郎が犯人なわけがねぇ!)

叫ぶように口を開けば、やっと呻くような声が出てきた。

後藤
起きろよ···俺たちで見つけるんだろ···?
お前を、こんなふうにしたヤツも···!一緒に見つけて···っ
俺たちは、相棒だろ!?

カバー越しに夏月の身体に触れる。

後藤

掌から伝わる冷たさに全身が固まった。
動悸がして鼓動が耳の傍でガンガン鳴り響く。

(夏月···)

固くて冷たくて小さい肩。
どれだけ頼れて、どれだけ警察官として優秀で、どれだけ周りに認められていても。

(どうして···守れなかった···?)

目の前に横たわるのは、これまで気付かなかったことが信じられないくらい。
華奢な身体だった。

今が何時なのか、今日が何日なのか···それすらもわからない。
夏月が死んでから、何日経ったのかも。

後藤
······

あれから仕事にも行っていない。

(夏月が、どうして···)

俺は今でもあの雨の中にいる。
寝ても起きても、あの時間に巻き戻されて動けない。

???
「···ったく、汚ねぇ部屋だな」

(···誰だ?)

鍵を掛けたかどうかも記憶にない。
だが、オートロックのこの部屋に入れる人間は限られているはずだ。

一柳昴
「やっぱり、ここにいやがったか」

後藤
一柳···

ズカズカと部屋に入り込んできたのは、夏月もよく知る生意気なあの野郎。

一柳昴
「さっさとシャワー浴びて、その汚ねぇ面を何とかして来い」

後藤
···何しに来た

一柳昴
「カーテンも閉め切ったままで何やってんだ」
「空気、入れ替えるぞ」

後藤
何しに来たかと聞いている

一柳昴
「お前の服って、どこにあんだよ。ゴミとゴミじゃねぇものの区別もつかねぇ」

後藤
何しに来やがった!

日常の一幕のように、一柳はカーテンを開けて窓を開ける。
そんな奴に俺は気が付けば、つかみかかっていた。

後藤
何やってんだよ!夏月が···夏月が死んだんだぞ!?
なのに、お前はどうして何でもないような顔で···

一柳昴
「そうだ。夏月は死んだんだ」

後藤

俺に揺さぶられながら、一柳はひどく冷静な目をこちらに向けてきた。

一柳昴
「今日何日か知ってるか」

後藤
······

一柳昴
「夏月が死んでから、何日経つ?」

後藤
······

一柳昴
「わかんねぇだろ。お前は何にもしてねぇから」
「今夜は夏月の告別式と葬儀だ」

後藤
葬式···

一柳昴
「わかったら、さっさと身なりを整えろ」

時間は動いていたのだと思い知らされる瞬間。
夏月のいない世界が動いている。

後藤
俺は···行かない

一柳昴
「はあ!?」

後藤
俺は行かない

一柳昴
「本気で言ってんのか!」

後藤
どの面下げて行けるんだ!俺は夏月を見殺しにした男だぞ!?

一柳昴
「見殺しになんかしてねぇだろ!」

後藤
じゃなんで、夏月はいねぇんだよ!
なんで、葬式なんて···っ

一柳昴
「現実を見ろ」

声を詰まらせると、静かな声が降ってきた。

一柳昴
「夏月に別れを言えるのは今日だけだ」
「一生後悔したくなかったら、あと30分で支度を整えろ」

後藤
······

一柳昴
「その間に軽く腹に入れるもんを作ってやる。どうせ何日も食ってねぇんだろ」

一柳に手を払われ、力なく腕を下ろす。

(夏月に別れを言う日···)

現実を見ろと言われても、受け入れることはできない。
けれどーー

後藤
······

引きずるように身体を動かし、バスルームへと向かった。

最近の火葬場には煙突もないのだと知ったのは、つい先刻の事。

夏月母
「夏月···!夏月、どうして···っ」

夏月父
「······っ」

聞こえてくるのは夏月の両親の泣き崩れる声。
葬儀の時から涙が枯れることはなく、悲痛な声が止むこともない。

後藤
······

(誰か···悪い夢だと言ってくれ···)

俯くと見えるのは渇いた地面。
夏月の手足についていた泥を思い出し、奥歯を強く噛む。
すると、視界に磨かれた黒い靴が入り込んできた。

石神
後藤誠二、だな

後藤
アンタは···

顔を上げると、そこには眼鏡面の男が立っていた。

(警察関係者か···?)

佇まいで隙がないのは一目でわかる。
だが、見たことのない顔だった。

石神
優秀な刑事だったと聞いた

男の目線が空に向けられ、夏月のことを言っているのだと気が付いた。

後藤
···夏月を知っているのか?

石神
書類上でだが

後藤
何···?

石神
勤務態度も真面目で、現場の刑事として有望視されていた

後藤
当たり前だ。夏月は···表には出さないけど、努力家で···
正義感に溢れる、優秀な刑事だった

脳裏に浮かぶのは、夏月の背中。
捜査に赴く彼女の背を、俺は信頼を持って送り出していた。

(だが···もっと傍にいるべきだったんだ)
(俺は夏月の相棒だったんだから)

石神
葬儀に集まった顔を見れば、彼女の功績は分かる
だが···死んでは何にもならない

後藤

ふ、ざけんな···!

あの雨の夜から凍り付いていた感情が初めて、大きく動いた。
部屋で一柳に掴みかかった時とは比べ物にならない。
滾るような怒りが腹から込み上げ、俺は目の前の男の胸倉を思い切り掴んでいた。

to be continued

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