突然下った辞令。
異動先は警察庁公安課ーー希望を出したこともなければ、縁もゆかりもない部署だった。
(なぜ、こんなことに···)
刑事課から公安課への異動であれば、栄転と言ってもいいだろう。
だが、それを素直に受け入れる気には到底なれなかった。
後藤
「ここが公安課···」
足を踏み入れるまでもなく伝わってくる張り詰めた空気。
そこには刑事課とは全く異なる世界が広がっていた。
石神
「来たか」
後藤
「アンタは···」
課の入り口に立っていた俺に声を掛けてきたのは、夏月の葬儀の日に会った眼鏡の男だった。
石神
「警察庁公安課の石神だ」
「後藤誠二、お前は今日から俺の下で働いてもらう」
後藤
「冗談じゃない。誰がアンタの下なんかで···」
石神
「これは決定事項だ。断るのなら、辞職しろ」
後藤
「誰の仕業だ。俺は異動願いなんか出していない」
睨みつけるが、奴は全く動じず眼鏡を光らせるだけだった。
石神
「お前が知る必要はない」
「お前が知るべきなのは、この事件についてだ」
捜査資料らしきファイルが胸に押し付けられる。
石神
「最初の事件だ。しくじるな」
後藤
「俺は···」
石神
「警察官を辞めたいのか?」
有無を言わせない口調ーー逆らえば、本当に居場所はなくなる···それを思い知らせる声だった。
(警察を辞めさせられれば、夏月の事件を追うことは不可能になる···)
後藤
「···わかった」
石神
「刑事課では言葉の使い方も教えないのか」
後藤
「···わかりました」
石神
「お前には潜入捜査を担当してもらう」
後藤
「経験がありません」
石神
「なら、好都合だったな。これで経験したことになる」
「それとも、お守りが必要か?」
後藤
「···必要ない」
石神
「ならば、資料に目を通し次第、ターゲットが通うバーに常連として入り込め」
「現段階での直接接触は避けろ。男の動向を逐一追え」
後藤
「···了解」
石神
「お前のデスクは、そこだ」
視線だけで教えられた席に向かう。
その間、俺に意識を向ける奴はひとりもいなかった。
(公安は課内でも担当している事件については極秘だと聞く)
(周りに関心がないという意味では、悪くない場所かもしれない)
ファイルを開けば、そこには過激派団体に所属している男の情報が載っている。
(この男の動向を追う任務···バーに常連として入り込むには···)
刑事課の捜査でバーに何日も張り込んだことはある。
その時に出入りする客の特徴などは類型別に記憶に残っている。
(あの時は···お前も一緒だったよな)
ここでは刑事課にいたときのように、本来の仕事を後回しにするわけにはいかない。
ふと気を抜けば意識をあの夜に持って行かれながら、捜査資料を頭に叩き込んだ。
その夜、ターゲットが出入りしているというバーに早速向かった。
件の男を発見するのは簡単なことだった。
(ここの常連から、あらかじめ情報は集めておいた)
(店に馴染むのは、そう難しいことではないが···)
ターゲットの男に特別な動きは見られない。
捜査資料によれば、この店で過激派団体の仲間と接触しているという噂があるらしいが。
(地道な捜査が必要という意味では、刑事課も公安課も同じということか)
1日で有益な情報が得られる方が奇跡に近い。
舐める程度のグラスの氷が溶ける音だけを聞きながら、数時間が流れて行った。
日付が変わる少し前。
男が店を出て、その後をつけていく。
(住所は既に割れている。この道だと、真っ直ぐ家に帰るようだな)
尾行は自宅までだと言われている。
数メートルの距離を保ちながら、人混みを歩いていた時。
(ここは···夏月が消息を絶った現場の近く···)
ふと、この場所は調べ切っていないことに気付く。
(犯行現場は調べたが、この辺りはまだ手付かずと言ってもいい)
調べたい···その衝動に一瞬、気を取られたのが仇になった。
後藤
「!」
(やつは、どこだ!?)
人混みの中で男を見つけることができない。
(見失った···)
男の家までの道を探し回ったが、結局、この夜ターゲットの姿を再確認することはできなかった。
石神
「初日から尾行失敗とは、大したものだな」
後藤
「···申し訳ありません」
石神
「別の捜査員がマークを続けていたから、大事には至らなかったが···」
「失敗の原因は何だ」
後藤
「······」
(夏月が消息を絶った現場の近くを通ったからとは···)
捜査中に他のことに気を取られるのは、もってのほか。
さらに言えば、『死んだら何にもならない』と言った男と夏月の話はしたくなかった。
後藤
「俺の力不足です」
石神
「過去に囚われているからだ」
後藤
「!」
外していた視線を前に戻せば、冷たく鋭い目と出会った。
石神
「知らないとでも思うか?ここに来る者は、すべての情報が洗われている」
「お前自身のことも、お前が関係した事件も全て···な」
(つまり、俺が尾行を失敗した理由もわかっているということか?)
(男の帰宅ルートと、夏月が消息を絶った場所が近いと知っていて···)
後藤
「全部知っているなら、俺の性格もよく知っているはずだ」
「こんな秘密主義の場所が似合うなんて思わねぇ」
「足で稼ぐような捜査が向いてんのに、どうしてこんな所へ連れて来た!?」
石神
「刑事課に、お前は相応しくないからだ」
後藤
「何、だと···?」
石神
「自分勝手な行動ばかりする刑事を抱えていられるほど、警察に余裕はない」
「覚えておけ。お前は優秀だから、ここに引き抜かれたんじゃない」
「ここしか居場所がないから、ここに連れて来たんだ」
後藤
「どういう意味だ···」
( “ここ” ···公安にしか居場所がない···?)
石神
「捜査は続けろ。同じ失敗は繰り返すな」
後藤
「······」
刑事失格だと言われたようだった。
(俺は···)
全身が重くなり動けなくなる。
夏月と積み上げてきた刑事としてのキャリアをすべて否定された気がしていた。
今の俺を見たら、夏月はどんな言葉をかけるのだろうかーー
そんなことを考えていると、いつの間にか警察の合同霊碑に足が向いていた。
後藤
「ここに、お前がいる訳じゃないのにな」
「悪い。まだ仇、とれてない···」
近くで買った名も知らない花を供える。
明るいオレンジ色の花···夏月のイメージに合ったから買った。
後藤
「······」
ここに居ても彼女の声が聞こえてくるわけじゃない。
それでもなかなか動けずにいると。
一柳昴
「···後藤」
後藤
「一柳···」
砂利混じりの靴音と共に、奴の声が降ってきた。
to be continued