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エピソード0 後藤5話

公安を居場所と決めた日の夜。
石神さんに路地裏にある静かなバーに連れて来られた。

石神
ここには、よく情報屋が出入りしている
俺たちの仕事は、“情報屋” を得られて一人前だ
情報屋から、そういった人間を探すのも手だと覚えておけ

後藤
はい

(急に飲みに誘われて、何かと思ったが···公安のイロハを教えるためか)

正直言って、指導を仰げるのは有り難かった。
見て覚えろというタイプの警察官も多い中で、石神さんは新人に必要なことを教えてくれた。

後藤
···少し意外です

石神
何がだ

後藤
公安は課内でも秘密主義だと聞いてましたから
ここまでいろいろと教えてもらえるとは思いませんでした

石神
死ぬ気で任務に当たれとは言ったが、本当に死なれては困る
育ててやる分、成果を出せ

後藤
はい

(印象、変わるな···)

夏月の葬儀の日に会った時は信じられないほど嫌味な眼鏡だと思っていたが。
今、横に座る石神さんの目は誠実に見えた。

(きっと、変わったのは石神さんじゃない)
(俺の目が曇っていたんだろう)

後藤
···夏月の葬儀の日···

石神
あの日のことを謝るつもりはない。だが、飯島を侮辱したわけでもない
あの言葉は、お前に対して言ったものだ
お前の感情を動かす必要もあったからな

後藤

『死んだら何にもならない』ーーその真意を今、初めて悟る。
怒りでも、あの時俺の感情が動いたのは確かだった。

(ああ、そうか···今だって、立派に生きてるなんて言えねぇけど)
(こうして周りを見ることも出来なかった俺は屍同然だった)

あの雨の夜から動けずに、無駄な捜査で空回っていたら、それこそ何にも成果は上がらないだろう。

(夏月が死んだ日の···そのままの俺でいたら、真実は突き止められないって)
(石神さんはあの時から、そう言いたかったのか)

後藤
俺の事、知ってたんですか?

石神
いや。“ある男” から連絡が来て、調べた。飯島の事と共にな

後藤
 “ある男” ···?

石神
近いうちに、こちらに引き取ってもらうことになるだろうから、会っておいてくれと

グラスを傾ける石神さんはその人物について話すつもりはなさそうだ。
気にはなるが、この人が話さないと決めているうちは無理だろう。

石神
あの日を選んだのは、どれほどの冷却期間が必要か見極めるためだ
同時にお前が立ち直れる人間かどうか···もな

後藤
···俺は立ち直れなんかしません

石神
あの時、俺につかみかかる気力があれば、自死はしない
それがわかっただけで充分だ

自死はしない···自分では、そこまで考えたことはなかった。
だが、そこまで深く俺のことを考え、公安に打診してくれるような人は···

( “あの人” しかいない気がする)

夜の繁華街で俺を見つけ出し、声を掛けてくれた、あの人。

石神
···忘れろとは言わない
忘れられないこともある

石神さんが静かに目を閉じる。
その横顔に一瞬、悲痛な影が過ったように見えた。

(もしかして···この人も大切な誰かを失っているのか?)

直感でそう感じたが、今聞けることでもない。

後藤
『復讐心は目を曇らせる』と言われたこともありました
でも···俺はそれを捨てられない

石神
ああ。だが··· “二度と繰り返さない”。事件を未然に防ぐために動けるのは···
俺たちだけだ

後藤
未然に防ぐ···

それはイコール、同じ苦しみを持つものを生まないということでもある。

(国家の危機を未然に防ぐのが、公安の仕事だと思っていたが)
(そういう意味合いもあるのか···)

自分の濡れた足元しか見えていなかった世界が、少し広がった気がする。
夏月の事件を追うことは、もちろんだがーー

(それに執着している俺にも···執着しているからこそ、出来ることがあるのかもしれない)

後藤
···早く一人前になります

石神
ああ、そうしろ。それから···

グラスを置いた石神さんが、俺の手元に視線を流した。

石神
もう少し酒に強くなっておけ。酔ったら、この仕事は終わりだ

後藤
はい

苦手な酒も、少しずつ飲めるようになっていくだろうか。
公安刑事としてのノウハウが身についた頃には。

颯馬
配属を変えて正解だったようですね。見違えました

俺が公安課に配属されてから、数週間後。
周さんもここへとやってきた。

後藤
周さんのおかげです

颯馬
何の話ですか?

薄く微笑む周さんに苦笑を返した。

後藤
周さんまで、どうしてここへ?

颯馬
昴も後藤もいなくなったし···ひとりで刑事課に残っていてもね
それに···まだ諦めていないのでしょう?

前髪の隙間から覗く瞳は、心の奥まで見透かすようなものだった。

(周さんに嘘をつく必要はない)

後藤
公安の方が捜査情報にはアクセスしやすくなりました
俺なりに進めていくつもりです

颯馬
危ない橋は渡らないように

後藤
肝に銘じておきます

公安の任務と夏月の捜査と··両方を進める日々が続きーー
大きな進展はないまま、どれほどの月日が流れただろうか。

ある夜、夏月の事件について、ひとり残って調べを続けていると。

石神
まだ残っていたのか

後藤
···仕事が残っていたので。もう帰ります

本来の業務ではない調べをしていたことを上司に知られるのはまずい。
資料を閉じると、何食わぬ顔で帰り支度を始める。

石神
お前が単独で調べている件だが···

後藤

(石神さんには知られてたのか···)

考えてみれば、この人に隠し事ができると思う方が間違っているのかもしれない。

石神
···俺が上に行くまで待て

後藤
え···?

石神
今のお前では、自ずと調べる限界も出てくる
俺が昇り詰めたら···その時は納得いくまで調べさせてやる

後藤
石神さん···

この人は復讐を止めろとは言わないーーこれまで、一度も言われたことがない。
これは今の俺にとって、彼を信頼するに足りる充分な理由だった。

(周さんや一柳の気遣いとは、また違う)
(この人は俺の復讐心を認めてくれている)
(石神さんの下にいれば、俺は必ず···)

真実に辿り着けるーーその確信が初めて持てた。

後藤
わかりました。ですが···やれることは、やっていきたいんです
ただ待っているのは、性に合いませんから

石神
···そうか

石神さんの口元に微かな笑みが浮かび、俺もそれに微笑で返せた。
この人についていこうと···信頼を深めた瞬間だった。

to be continued

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