カテゴリー

出逢い編 颯馬2話

電話は颯馬教官からだった。

颯馬
授業前に教官室に来てもらえませんか?
黒澤から報告は受けていますが、昨日の話をサトコさんからお聞きしたいので

サトコ
「は、はい。今すぐ伺います」

ノックをして中に入ると、颯馬教官はイスに座って書類を眺めていた。
目で私を近くまで呼び寄せる。

颯馬
突然すみません

サトコ
「いえ、それで···」

颯馬
ああ、昨日はどうでした?

(昨日···)

何も出て来なかった。
私は口を噤む。

サトコ
「···」

颯馬
使えるものは何でも使うのが公安だとわかりましたか?

サトコ
「···はい」
「···黒澤さんの協力者は···すべて納得した上で手伝っていましたけど」
「そうじゃない、人もいますよね?」

颯馬
そうですね
でもスパイが嫌になって抜けようとしたら脅したり
嘘をつくなんて日常茶飯事です

<選択してください>

最低だ

サトコ
「そうやって協力者をなだめすかして···人をモノのように使い倒すんですか?」
「目的のためには何だってするんですね」

自分がモヤモヤして八つ当たりしているだけだと分かっているのに、言葉が止まらなかった。

サトコ
「···交番勤務の時、同僚に聞いたことがあります」
「大勢の命を救うためには一人や二人犠牲にするのも仕方ないって考えてる」
「それが公安のやり口だって」
「噂通りですね。公安は最低だと思います」

どうしてそこまで?

サトコ
「どうして···そこまでするんですか」

声が掠れてしまう。

颯馬
中途半端な付き合いをすると、お互い自滅することになります
それで公安も協力者も共倒れになるケースが多いんですよ

サトコ
「じゃあ、相手の利用価値がなくなるまで使うんですか?」
「壊れるまで使う道具みたいに···」
「公安は···最低だと思います」

そういうことはやめて欲しい

サトコ
「そういうことはやめてください。人を人と思わないのはそうなんですか?」
「それってもう···脅迫じゃないですか」
「公安は最低ですね」

颯馬
ええ。最低です

颯馬教官は淡々と···でも少し悲しそうに言葉を続ける。

颯馬
そうしなければテロが起きて何百人と死ぬことだってありますから

サトコ
「それ、は···」

(確かに···昔、多くの犠牲者を出した国家転覆未遂事件があった)
(東京上空から毒物を撒いて、混乱に乗じて国を制圧する予定だったって聞いたことがある···)
(またあんなことが起きたら···)

颯馬
あなたは、都度目の前の可哀想だと思う人間に同情して
自分の考えた正義を振りかざして怒っているだけです

サトコ
「···っ」

唇を噛み締める。
何故か、とても痛いところを突かれたような気がした。

颯馬
こうしている間に、いろんなものが暗躍しています
事件が起きたら解決する刑事さんと違って、予算ばかり使って公安は無能だと言われます
でも、何か起きる前に未然に防ぐのが公安の仕事なんですよ
今この瞬間が平和だとしたら、それが当り前じゃないんです

颯馬教官は、ふと声のトーンを落とした。

颯馬
家族で笑って食卓を囲んで、安心して眠る普通の毎日
それがある日、いきなりなくなる気持ちが貴女には分かりますか?

(え···?)

その口調が、静かに胸の奥に響く。

颯馬
大事な人を失って泣き叫ぶ人に幸せを返してあげることはできません

(颯馬教官の言う通り、何もないとそれが当たり前になっちゃうけど)
(本当は、平和って素晴らしいことだ)

颯馬
黒澤に会わせたのは、公安だって人間であることを見せたかったからです
彼は本気で協力者を案じ、本気で思っているから協力者も真剣に応じてくれている
利用されるとか使われているなんて考えはお互い、とっくにないんです

いつの間にか涙がこぼれていた。

颯馬
公安は、今日も明日も毎日変わらない穏やかな幸せを守るのが仕事です
それを疑わずにやっていくしかないんですよ

サトコ
「···はい」

(···なんて甘い気持ちで公安になろうとしたんだろう)

自分の未熟な部分に恥ずかしくなる。
颯馬教官はいたわるような口調で、私の肩にそっと手を乗せた。

颯馬
···少し時間が過ぎてしまいましたね
さ、授業へ行ってください

サトコ
「···はぁ」

東雲教官の授業が終わった時、そんな溜息が出た。
腰をグッと伸ばしていると、鳴子が吹き出した。

鳴子
「ちょっとサトコ。何その大きなため息」

千葉
「なんかあったの?」

同期の千葉さんと鳴子が私の顔を覗き込む。

サトコ
「···なんか自分って考えが甘いんだなって実感しちゃって」

千葉
「それはこの学校に入った人はみんなそう思ってると思うよ。甘くないって」

鳴子
「指導してくれるのが颯馬教官ってだけで、他の人よりマシじゃない?」

サトコ
「うん。そうだね···」

(自分にはまだ、いろんな覚悟が足りないって実感した)
(颯馬教官も呆れたよね···)

千葉
「颯馬教官と言えば、剣道の腕がすごいって聞いたな」

鳴子
「あ、それ知ってる!」
「サトコは羨ましすぎるよ。颯馬教官は優しくて生徒にも大人気だもん~」
「加賀教官だったら “ごちゃごちゃ言う無能は去れ、クズ” って言うよ?」

(確かに。あの睨みで言われたら本気で凹むな···)

サトコ
「加賀教官は、1時間900バイオレンスとか当たり前な感じだもんね」

千葉
「1時間900バイオレンス···コンビニバイトの時給みたいだね」

鳴子
「キャハハ、それウケ···」

東雲
バイオレンスは単位なんだね

ハッと振り向くと、いつの間にか東雲教官が納得したような顔で立っていた。

サトコ
「東雲教官···あ、の···」

東雲
そうそう、オレ兵吾さんに用事があったんだ

サトコ
「や、やめてください···!」

東雲
兵吾さんはどこかなー

私の悲痛な叫びも届かず、東雲教官はニコニコしながら風のように去ってしまった。
千葉さんと鳴子が同時に私を見た。

千葉
「···これは加賀教官に殺されるかもね」

鳴子
「···だね」

運の悪いことに、次は加賀教官の授業だった。

加賀
···

教官は恐ろしい目でこっちを睨むと、顎をしゃくって私を立たせた。

加賀
前に出ろ

サトコ
「は、はいっ」

加賀
本日の確保の訓練は、“粗-1” を想定する

(い、いきなり···!?)

加賀
俺を照会種別略号 “粗-1” だと想定して身柄を拘束しろ

サトコ
「は、はい」

私は普通の身柄確保のように加賀教官の動きを封じようとした。

サトコ
「···っ」

加賀教官の手首を取ろうとするが、簡単に振り払われる。

加賀
お前は凶器を持ってる相手にそんなぬるい確保の仕方をするのか

サトコ
「っ!」

加賀
照会種別略号 “粗-1” は過去に凶器を持ってあげられた経歴だ
そんな確保の仕方じゃ、刃物で刺されて即お陀仏

サトコ
「······」

加賀
やる気がねぇなら帰れ

浴びせられる罵詈雑言を前に身体が竦む。
あちこちからざわめきが聞こえた。

男性同期A
「今の分かった···?」

男性同期B
「いや、通信指令室か部長クラスじゃないとわかんない略語だろ」

加賀教官はじろりと生徒たちを睨む。

加賀
何でも言われたことだけ暗記するようなクズは今すぐ失せろ

男性同期B
「···っ」

加賀
これで書類審査トップの成績たぁ笑わせる

教官は私の目の前まで迫り、耳元で一言言い放つ。

加賀
これで1時間900バイオレンスなんて安いもんだ

サトコ
「!!」

(やっぱりバラされてたんだ···!)

授業が終わって、暗い気持ちで歩く。

サトコ
「···」

(考えが甘いだけじゃなくて、知識も足りないなんて···)
(書類がトップ合格なんて、何かの間違いだ···)
(でも今はごちゃごちゃ言う前に、勉強して、訓練して···)
(うん。なんとかしよう)

グルグル色んなことを考えている時だった。

颯馬
お疲れさまです

サトコ
「教官···」

顔を上げると、颯馬教官が微笑んでいた。

颯馬
どうしました?そんな顔をして

<選択してください>

余裕がなくてこんな顔に

サトコ
「あ···えっと、やることがたくさんあるなって思ったんです」
「自分に足らないものだらけで、頭がごちゃごちゃしてしまって···」
「私、きっと余裕がなくて、変な顔してたんですね」

颯馬
······

なんでもないとごまかす

サトコ
「なんでもないんです。あ、ちょっとまだ身体が慣れないし」
「お腹が減ってるのかもしれませんね」

颯馬
······

900バイオレンスの話をする

サトコ
「えっと···今日、加賀教官は1時間に900バイオレンスくらいしてきそうって話をしてたら」
「思い切り東雲教官に聞かれてしまって···」
「当然、しっかり加賀教官の耳に入ってたんです···」

颯馬
ぷっ···

颯馬教官は穏やかな口調で言った。

颯馬
剣道場へ行きませんか?

サトコ
「剣道場ですか?」

颯馬
フフ、少し稽古に付き合ってください

ダンッ!

思い切り剣道場の床に身体を叩きつけられる。

サトコ
「っ!」

颯馬
······

じわりと汗をかいて息を乱す私に反して、颯馬教官は息ひとつ乱していなかった。

サトコ
「···っ」

すぐに跳ね起きて構えようとしたけれど、
相手の喉元に竹刀を合わせる間もなく、手元を弾かれてしまう。

颯馬
竹刀の先がぶれています。もっと殺気を込めて、相手の喉元に突きつける気持ちで

サトコ
「はいっ···」

(強い···構えた瞬間から分かるものだけど···)
(颯馬教官は威圧感で動けなくなる···)

踏み込もうとした瞬間、竹刀が手から離れて床に転がる。

サトコ
「あっ···」

颯馬
動きが読めます。踏み込みが遅いですよ

(稽古に付き合うって言うか···私じゃ相手になんかならない···)
(レベルが違いすぎる···!)

颯馬
考える前に、相手の動きに身体が反応するように

サトコ
「···くっ、はい!」

もう後半はやみくもに竹刀を振り回しているだけで、何ひとつ考えられなかった。

(一本取れなくても、せめて···当てるくらい···!)

何度も床に弾き飛ばされて、叩きつけられて···
それでもどうして這うように立ち上がって、向かっていくのか···自分でも分からなかった。

(公安のやり口···協力者)
(私は知識も足りない。考えも甘い···)
(何でみんなは、私のことを公安の目だって言ったんだろう···)
(何だかモヤモヤすることばかり···!)

颯馬
もっと怒りなさい。悔しさを噛み締めなさい
全てを自分の身体に刻みなさい

それから一時間以上、ひたすら起き上がって竹刀を構え続けた。

どこまでもどこまでも食らいつく私を、颯馬教官はサッと手で制する。

颯馬
本日はここまでにしましょう

サトコ
「···あ、ありがとう···ございました···」

礼をした瞬間、立ち眩みがしてその場で座り込んでしまった。

颯馬
······

颯馬教官は私を道場の隅に連れて行って、面を外してくれた。
清浄な空気と共に、颯馬教官の顔がはっきり···とても近くに見える。
颯馬教官は優しく清く···柔らかく微笑んでいた。

颯馬
大丈夫ですか?

(ああ、なんだか···何て言うんだろう)
(颯馬教官のところだけ···光が差しているみたいに、見える···)

颯馬教官はふっと笑って、頭に巻く手ぬぐいも外してくれる。

颯馬
頑張りましたね

教官のいたわるような、慈しむような言い方に、感情が込み上げて喉が詰まった。

サトコ
「は···はっ···い」

颯馬
合格です

サトコ
「···え」

(なんの···話?)

颯馬
サトコさん、正式に私の補佐になってください

to be continued

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする