颯馬
「え?」
サトコ
「え!」
(なんで颯馬さんがいるの!?)
乗り込んだバスの中で目があった人物に、思わず目を丸くした。
颯馬
「偶然ですね」
サトコ
「本当に···」
にっこりと微笑まれ、ついほっこりしそうになるも何となく腑に落ちない。
(だってその席···)
颯馬
「もしかして、席はここですか?」
サトコ
「···はい」
手にしていたチケットを見直すも、間違いない。
颯馬
「荷物、棚に乗せましょう」
サトコ
「···ありがとうございます」
颯馬
「さあ、座って。そろそろ出発です」
サトコ
「はい···」
いつもと変わらぬ様子でスマートな振る舞いを見せる颯馬さんに促され、席に座る。
サトコ
「颯馬さんもこのツアーに申し込んでいたなんて、ビックリです」
颯馬
「私も驚いています。まさかこんな偶然があるなんて」
サトコ
「本当に、席まで隣同士だなんて」
颯馬
「運命の赤い糸でしょうか」
サトコ
「え···」
(その微笑み······まさかこれって、仕組まれた偶然なんじゃ)
バスが走り出すと同時に、疑念が確信になりつつある。
颯馬
「貴女もこういうツアーに1人で参加されることがあるのですね」
サトコ
「応募してみたらたまたま当選して···」
颯馬
「よかったですね。剣道体験ツアーなんてレアですし、楽しみです」
サトコ
「そうですよね」
当選したのは剣道体験ツアーというとても珍しいバスツアー。
参加者はそれぞれ防具を持参し、その大荷物はバスの収納庫に納められている。
(剣道のツアーだし、颯馬さんが申し込んでいても不思議ではないんだけど···)
颯馬
「貴女がいてくれてよかった」
「1人で参加するより、2人の方が断然楽しいですから」
サトコ
「···はい」
颯馬
「最初から誘ってくれればよかったのに」
再びにっこりと微笑まれるも、その目は僅かに私を責めているようにも見える。
(何も言わずに1人で参加したことを怒ってる···?)
(秘密にしていたのには理由があるんだけど)
(ていうかこれ···絶対偶然じゃない!)
颯馬
「どうして誘ってくれなかったんですか?」
サトコ
「それは···」
「剣道体験も楽しみなんですが、そのあとの防具製作所の見学ツアーに惹かれて」
颯馬
「それは私も一緒ですよ」
サトコ
「···そこでできる手ぬぐいの絞り染め体験がしたいなって」
颯馬
「手ぬぐい、ですか」
探るような目で顔を覗き込まれる。
(うぅ···颯馬さんに秘密を作るなんて、やっぱり無理かも)
サトコ
「···実は、颯馬さんの分もこっそり作ろうと思っていたんです」
颯馬
「俺の分も?」
サトコ
「颯馬さんのイメージに合う涼しげな手ぬぐいに、名前入りで···」
颯馬
「···それは、来てよかった」
声をかけずに参加した理由を白状すると、颯馬さんは改めてにっこりと微笑んだ。
(よかった···今の微笑みには棘がないみたい)
(颯馬さんの言う通り、最初から誘えばよかったかな)
(結局逃れることなんてできないんだから···)
ホッとしながらも、颯馬さんの包囲網を突破する難しさを実感する。
(こうなった以上、2人で思いっきり楽しんじゃおう)
バスは順調に走り、予定時刻に目的地の剣道場に到着した。
サトコ
「立派な道場ですね!」
颯馬
「ここは歴史的にも名が高い、由緒ある道場ですからね」
サトコ
「そうなんですね」
???
「ここで剣を交えることができるなんて、実に贅沢なツアーだ」
サトコ
「?」
声に振り向くと、ツアー参加者の中年男性がこちらを見ていた。
中年男性
「お嬢ちゃん、俺と一本どうかね?」
サトコ
「え···」
見ず知らずのおじさんからいきなり勝負を挑まれ、少し戸惑う。
添乗員
「自由参加のツアーですから、お好きな相手とジャンジャン勝負してください!」
添乗員さんの声掛けで、白線で仕切られた複数の試合場に次々と参加者たちが向かい合う。
(まあ、そういう主旨の体験ツアーであるのは確かだし···)
( “お嬢ちゃん” 扱いされるのも癪だし!)
サトコ
「いいですよ、受けて立ちます」
中年男性
「それはよかった!肩慣らしにはちょうどいい相手そうだから」
(肩慣らしって···)
(こんなお腹の出たおじさんに言われたくない!)
颯馬
「頑張ってくださいね、応援しています」
私の怒りを読み取ったらしく、颯馬さんは敢えて柔らかく微笑む。
中年男性
「彼氏の応援付きか~、いいねぇ」
(ニヤニヤしちゃってやな感じだけど···)
(勝負は勝負、真剣に戦おう!)
サトコ
「よろしくお願いします」
中年男性
「こちらこそよろしく、お嬢さん」
男性は自信満々な様子で下卑た笑みを浮かべると、防具を付けて準備を始める。
その向かいで私も準備を始める。
(このツアーに申し込むような人だから、それなりの経験者なんだろうな)
柔道や空手は帯の色で有段者かどうか判断できるが、剣道にはその判断材料はない。
(動きを見ればだいたい予想はつくけど)
颯馬
「平常心で」
サトコ
「はい」
防具を付け終わった私に、颯馬さんが声をかけてくれた。
頷く私を見届け、颯馬さんは試合場の枠から離れる。
審判役の人に促され、私と男性は剣を持って向き合った。
審判
「では、始め!」
中年男性
「アイヤーッ!!」
(い、いきなり!?)
バシッ
審判の声が掛かるや否や男性が突っ込んでくるも、手首を返して咄嗟に打ち返す。
中年男性
「やるね」
サトコ
「···」
中年男性
「ウリャー!」
接近してきた男性が面の奥でニヤリと笑い、更に打ち込んでくる。
身体を左右に捌きながら交わしていくが、男性は執拗に前に出て来る。
(ゴリゴリ押してくる···)
(どうやらかなり自己顕示欲の強いタイプみたい)
やりにくさを感じながら相手を分析していたその時ーー
中年男性
「面ッ!」
サトコ
「っ!?」
審判
「一本!勝負あり!」
一瞬の隙を突かれ、面を決められてしまった。
(はぁ、分析なんてしてないでもっと攻めるべきだった···)
サトコ
「···ありがとうございました」
中年男性
「まあ、嬢ちゃんも悪くなかったけどな」
「いい汗かいたよ、ハッハッハ!」
後悔を滲ませつつ礼をすると、男性は得意げに豪華にな笑い声をあげた。
颯馬
「今度は私といかがでしょう?」
中年男性
「ん?」
防具を外しかけた男性の前に、颯馬さんが歩み寄る。
中年男性
「彼女の敵討ちか?いいだろう」
颯馬
「では、よろしくお願いします」
相変わらず下卑た笑みを見せ、男性は再び防具を付け直す。
その向かいに、私と入れ替わるようにして颯馬さんが陣を取る。
颯馬
「私もちょっと “肩慣らし” してきます」
サトコ
「え···」
男性が私を見下すように言った言葉を口にすると、颯馬さんはふっと微笑んだ。
(あの男性が颯馬さんの怖さを思い知るのも、時間の問題···?)
サトコ
「でも油断は禁物です。動きや仕掛け方からいくと、相手はおそらくーー」
颯馬
「有段者ですね。まあ、三段くらいでしょうか」
サトコ
「ですね···」
(颯馬さんなら言うまでもなく見破っているか)
颯馬
「では、応援よろしくお願いします」
サトコ
「はい、頑張ってください!」
颯馬さんは柔らかに余裕の笑みを浮かべると、颯爽と頭に手ぬぐいを巻きつける。
中年男性
「デート気分は忘れて、真剣に頼むよ?勝負なんだから」
颯馬
「もちろんそのつもりですよ」
既に準備が整っている相手が面の奥から嫌味な言葉を発すも、颯馬さんは一切動じない。
(あのおじさんが颯馬さんの心を揺さぶるなんて、無理だよね)
颯馬さんも準備が整い、向かい合う2人は心配に促されて礼を交わした。
審判
「では、始め!」
審判の声が響いたものの、2人はほとんど動かない。
(私にはいきなり不意打ちを仕掛けて来たけど···)
(さすがに同じ手は使わないか)
颯馬
「···」
中年男性
「···ッ」
互いに牽制し合うように様子見が続き、ジリジリとした空気が漂う。
そんな空気に痺れを切らしたのか、先に動いたのは男性だった。
中年男性
「アイヤァーーッ!」
颯馬
「···」
踏み込んできた相手の剣を、颯馬さんはいとも簡単に小手先でかわす。
中年男性
「クソッ」
颯馬
「···」
中年男性
「ウリャァー!」
颯馬
「···!」
バシッ!
(あっ!)
振り下ろされた剣を、颯馬さんは下から巻き上げるようにして振り払った。
相手は剣を落としそうになり、大きく体勢を崩す。
その瞬間ーー
颯馬
「胴ーーーっ!!」
中年男性
「クッ」
審判
「一本!勝負あり!」
(やった!さすが颯馬さん!)
終わってみれば、当然というほどに呆気なく颯馬さんが勝利を収めた。
礼を交わし、面を取った両者が歩み寄る。
颯馬
「ありがとうございました」
中年男性
「···なかなかの腕だな」
颯馬
「貴方も悪くなかったですけどね」
中年男性
「···」
自分が私に投げかけた言葉をそのままに返され、男性はバツが悪そうに黙った。
そんな男性に颯馬さんは改めて小さくし一礼し、私の元へやって来る
サトコ
「お疲れさまです。見事な銅でした!」
颯馬
「ありがとうございます」
防具を外した颯馬さんにタオルを渡し、2人でベンチに腰を下ろす。
サトコ
「タオルは必要ないくらいですね」
颯馬
「?」
サトコ
「汗をかく間もないほど、あっさり決めちゃいましたから」
颯馬
「味気なかったですか?」
サトコ
「そんな!見ごたえ充分でした」
颯馬
「それはよかった」
颯馬さんはサラサラと前髪を揺らして微笑む。
(試合後とは思えない爽やかさ···)
その向こうでは、濡れた髪がべったりと額に張り付いているおじさんがガシガシと汗を拭いている。
(その差は一体···)
颯馬
「2戦続けてはあの方も大変でしたでしょうね」
サトコ
「それはそうですね」
「でも颯馬さんの鮮やかな勝利はさすがでした」
颯馬
「相手が焦れて動き出すのを待っただけです」
サトコ
「そこからの、剣を下から巻き上げての攻撃が凄かったです!」
颯馬
「貴女に油断するなと言われましたからね」
サトコ
「···すみません、負けたくせに偉そうなことを」
颯馬
「敗者の言葉は有益な情報です」
サトコ
「敵を討ってくれたんですよね、ありがとうございます」
颯馬
「貴女の敵討ちをしたつもりはありませんよ?」
サトコ
「でも···」
颯馬
「私が彼と剣を交えた理由はただひとつ···」
「せっかくのデートなのに、私以外の思い出なんて残って欲しくないからです」
サトコ
「え···?」
颯馬
「見ず知らずのオヤジに負けた悔しい思い出が貴女を支配するなんて」
「不本意極まりないですから」
サトコ
「そ、そういう理由だったんですね···」
背筋に冷たい汗を流しながら、何とか笑顔を作る。
(···やっぱり颯馬さんを敵に回しちゃ絶対にダメだ)
颯馬
「さあ、次はお待ちかねの絞り染め体験ですね」
私の胸中を知ってか知らずか、颯馬さんは涼し気な微笑みで手を差し伸べた。
to be continued