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カンタンにイチャイチャできると思うなよ 黒澤1話

黒澤
今夜、うちに来ませんか?

突然、耳元で囁かれた声に肩が跳ねた。
危うくケトルのお湯を自分の手に注ぎそうになって、振り返る。

サトコ
「今日、ですか···?」

黒澤
はい!

先程の落ち着いた声が嘘のように、透くんはいつも通りの笑みで答える。

(今日は、特に何も言われてないし···多分、定時であがれるよね?)
(透くんの家に行くのも久しぶりかも···でも、それって···)

黒澤
もー、真っ昼間から何考えてるんですか?

サトコ
「ちがっ!何も考えてません!」

黒澤
え~、ホントですか~?

透くんのニヤニヤ顔が憎らしい。
確かに米粒ほども考えていなかったわけではない。
が、そもそも誘って来たのは向こうであって···ーー

津軽
あ、ウサちゃんいた

サトコ
「津軽さん!」

給湯室に顔を覗かせた津軽さんは、私と透くんを見比べる。

津軽
こんなところで2人でこそこそと、やらしいなぁ

(な···っ!)

黒澤
そうですよ、津軽さん!せっかくの逢瀬を邪魔なんてひどいです

サトコ
「たまたま休憩被っただけですから···!」

わざとらしくベタついて来ようとする透くんを押し返す。
その様子をいまいち感情の読めない笑顔のまま、津軽さんは眺めていた。

津軽
まぁいいや。ちょっと話あるから、いい?

サトコ
「あ、はい」

(ってまだ、透くんに返事してなかった!)

出て行く津軽さんの後を追いながら、ちらりと透くんを振り返る。

サトコ
「ごめんね、返事はあとで···」

黒澤
······

そっと呟くと、透くんは小さく頷いて私を見送ってくれた。

サトコ
「接待···ですか?」

津軽
そう。全員のスケジュールを見れば、出来ればパスしたいところなんだけど
相手が相手でそうもいかなくてさ

(それで私に白羽の矢が立ったと···)

確かにここ最近も慌ただしく、それぞれに動いている。
今日の夜と言って空けられるとすれば、おそらく私であるのは間違いなかった。

津軽
さすがに、ウサちゃん1人にはしないから安心していいよ

サトコ
「お気遣いありがとうございます」

(1人じゃないって、他に誰が来るんだろう?)
(って、そうだ!透くんからのお誘い···!)

デスクに戻りながらスマホを取り出す。
LIDEを取り出すと、すぐ透くんとのトーク画面を開いた。
『行きたいけど、遅くなるかも···』と、打ち込みそのままメッセージを送る。

(でも、よく考えたら透くんだって忙しいはずだよね)
(それでも誘ってくれたのは嬉しいかも···)

そんなことを考えていると、彼からのメッセージが飛んでくる。

『無理しないでくださいね!アナタのTより』

語尾にバラの絵文字まで付けてきた文章に、つい笑いそうになる。

百瀬
「おい、言ってた資料」

サトコ
「あ、はい!すぐ!」

(とりあえず、何か返信しないと···!)

咄嗟に出てきたハートの絵文字。
一瞬戸惑いながらも、それをタップし送信した。

(よしこれで···)

黒澤
うおぉぉぉぉぉぉ!!!

加賀
うるせぇ!

百瀬
「うぜぇ···」

サトコ
「あ、あはは···何があったんでしょうね···」

(明らかに透くんの声だったけど···)

心当たりはありつつも、百瀬さんに渡す資料に視線を落としたのだった。

定時で退庁し、タクシーへと乗り込んだのは私だけではなかった。

(確かに、私1人じゃないとは津軽さんも言ってたけど···)

後藤
すまないな、付き合わせて

サトコ
「いえ、皆さん忙しいですもんね」

(まさか後藤さんとは思わなかったな)
(というか後藤さんって、あんまりお酒強くなかったはずじゃ···)

後藤
本当は氷川じゃなく、黒澤にでも任せたかったんだが···

サトコ
「黒澤さんほどじゃないですが、私も精一杯頑張らせていただきます!」

後藤
気合充分だな

ははっっと笑う後藤さんの目元には、僅かながら疲れが浮かんでいるように見える。
そんな中、接待に駆り出されたのだと思うと、なかなか不憫だった。

(接待も仕事のうち···)
(気合入れて臨まないと!)

警察関係者の集まるパーティーは、ホテルのパーティー会場を貸し切り行われていた。
接待という名目もあり、今の私はおじさんたちの笑い声で包まれている。

サトコ
「さすが、良い飲みっぷりですね!」

おじさん1
「だろ~?でも、昔のガすごかったのよ、これが!」

(この昔語り、あと何回聞かされるんだろう···)

そう思いつつも愛想よく笑顔を振りまき、そして可愛らしく相槌を返す。
それが、この場所でも自分の役割だと弁えていた。

おじさん2
「さっきから氷川ちゃんお酒減ってないよ。ほらもう一杯」

サトコ
「あぁ、恐れ入ります~」

(こういう時、本当にお酒飲み慣れておいて良かったな、って思う···)

学校時代の死屍累々だった飲み会を思い出す。
あの頃に比べれば、随分と飲み方を心得ている気がした。

(後藤さんは···)

チラッと視線を送れば、酒や食事、そして帰りのタクシーなどの手配に追われている。
一瞬の合間を抜け、後藤さんが配っていたお酒を半分ほど引き取った。

後藤
助かる

サトコ
「いえ、ずっと動いてくださってありがとうございます」

後藤
聞き役は、俺よりアンタの方が適任だろうからな

サトコ
「だといいんですが···」

腕時計を見ると、いつの間にか随分と夜は更けていたらしい。

(今日は、透くん家にお邪魔するの難しそうだな···)
(あとで隙を見て連絡しないと···)

サトコ
「っぎゃ!?」

突然お尻を撫であげられ、色気の欠片もない声が漏れる。

おじさん1
「わははは!ぎゃ、だって!」

おじさん2
「もっと可愛い声期待してたのになぁ」

(こんの···っ!)

後藤
···彼女はそういう目的で来たわけじゃありません

(後藤さん···!)

庇うように割って入った後藤さんに思わず目を見開く。

おじさん1
「後藤くん、カッコいいねー!はい、じゃあ一杯!」

後藤

おじさん2
「そうそう!後藤くんのもっとカッコいいところ見てみたいー!」

後藤
······

(この人たち、完全に出来上がってるー···!)
(後藤さんも、私がいなかったら上手く躱せるんだろうけど)

並々とお酒の注がれていく後藤さんのグラス。

サトコ
「あの···」

後藤
······

(後藤さん···)

咄嗟に進み出そうになった私を、後藤さんは視線だけで制する。
勢いよく煽り始め、手拍子で盛り上がるさまをもはや遠目で見守るしかなかった。

おじさん1
「なんだ後藤くん、良い飲みっぷりじゃないか!そら、もう1杯!」

お偉いさん方の見送りを終え、店の前の椅子に座り込む後藤さんを見つめた。

後藤
······

サトコ
「後藤さん、終わりましたよ」

後藤
······

サトコ
「後藤さーん···?」

後藤
······

(完全に寝落ちてらっしゃる···)

後藤さんを家に送りたいが、住所を知らない。
一瞬、透くんの顔も過るが、すぐにその考えは打ち消した。

(さすがにこんな時間に頼るのは申し訳なさ過ぎる···)
(ただでさえ、最近忙しいはずなのに···)

宴の途中で今日は行けない、とも連絡を入れてしまった。
それにもう眠っているかもしれない、と思うと余計だ。

サトコ
「······」

サトコ
「ありがとうございましたー」

後藤さんを背負いながら、何とか自分の家の前でタクシーから降りる。
店の前にずっといる訳にもいかず、とりあえず一緒に帰ってきてしまった。

後藤
······

(うぅ···鍛えてるだけあって後藤さん重い···)
(それにしてもどうしよう···津軽さんの家に泊めてもらうとか?)
(いやでも、それはそれで面倒臭そうだな···)

後藤
······

サトコ
「しょうがない···」

半ば引きずるように、後藤さんを自分のベッドまで運んだ。
とにかく横にして布団をかけるも、相変わらずすやすやと眠っている。

(あんなに飲まされたらね···うん、仕方ない···)

自分の部屋に後藤さんがいる光景を物珍しく眺め、そして息をつく。
仕舞っておいた寝袋を取り出し、その中に埋まりながら目を閉じた。
そうすれば、接待と人一人運んだ疲れも相まって、すぐに眠気はやって来たのだった。

物音に目を覚ますと、ベッドの上で起き上がり半ば放心状態の後藤さんがいた。
もぞっと寝袋に半分埋まったまま起き上がると、後藤さんはさっと青ざめる。

後藤
···氷川

(いや、ここで戸惑ったらおかしい···できるだけ普通に、普通に接して···)
(そう普通に、普通に···)

サトコ
「おはようございます!吐き気とかないですか?大丈夫ですか!?」

(あー!まるで透くんのようなハイテンション···!)

後藤
···すまない。昨日はあの後···

しかし、そんな私の動揺以上に動揺していた。

サトコ
「後藤さんの住所も分からなかったので」
「とりあえず家に運んだって感じなんですけど···」

後藤
世話をかけたみたいだな···

サトコ
「いえ。元々私を庇ったせいでもありますし···」

後藤
悪い。タクシー代は出す

サトコ
「あぁ、そんないいですよ!経費で落とせるはずですから」

後藤さんはベッドから降りるとキョロキョロと辺りを見回していた。

サトコ
「あ、鞄なら向こうに置いてます」

後藤
何から何まで···

サトコ
「いえいえ···あ、そうだ!」

後藤

もぞもぞと寝袋から這い出てキッチンへ向かう。

サトコ
「朝ごはん食べますか?しじみのお味噌汁はすぐ作れますよ」

後藤
アンタは···

はっとこちらを見た後藤さんは、しかしすぐに緯線を伏せる。

後藤
いや、何でもない···
じゃあ、ありがたくいただこう

サトコ
「はい。すぐ準備しますね」

格好はほとんど昨日のまま、キッチンに立つ。
コンロに火をかけながら、鍋でお湯を沸かし始めた。

朝食を食べ終わると、後藤さんは懇切丁寧にお礼を言いながら去って行った。

(本当に名前の通り誠実だなぁ、後藤さん···)

玄関で見送りを済ませながら、そんなことを思う。
そして部屋に戻ると、ベッドの近くでチカチカと何かが光った。

サトコ
「何だろ?」

近付いていくと、それがスマホの通知ランプだということに気付いた。

サトコ
「これ、後藤さんの···!」

慌てて手に取り、窓へと向かう。
外を見渡しても、もう後藤さんの姿はどこにも見当たらなかった。

(後藤さん、早っ···!)
(というか、どうしよう···形態を忘れてるんじゃ、連絡も出来ないし···)

手の中にあるそれに視線を落としながら、昨夜ぶりのため息が漏れた。

to be continued

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