夜のネオンが窓に映り込み始めたホテルの一室で、私はベッドを軋ませていた。
いつもはシーツの上で天井を見上げる側だけれど、今日はーー
サトコ
「し、失礼します···」
逞しい胸に手を当てて軽く押すと、簡単に男の身体がベッドに横たわる。
???
「で?ここから、どうする?」
サトコ
「······」
ベッドの上から、余裕で私を見つめる人はーー
加賀
「動き、止めてんじゃねぇ」
サトコ
「す、すみません!」
そう、私の下にいるのは警察庁公安課の加賀兵吾警視。
(まさか、加賀さんを押し倒すことになるなんて···)
(ごめんなさい、秀樹さん!)
なぜ恋人ではない彼の上に跨っているのかと言えば。
話は数日前に遡るーー
サトコ
「おはようございます!」
挨拶が返ってこないことにも慣れた、いつも通りの朝。
自席に向かおうとすると、津軽さんと目が合った。
津軽
「おはよ」
サトコ
「おはようございます」
(津軽さんが、こんなに朝早く来てるなんてめずらしい)
津軽
「ちょうどいいところに来たね」
おいでおいでと手招きされて津軽さんの席まで行くと。
石神
「来たか」
加賀
「遅ぇ」
(え?秀樹さんと加賀さんも?)
お2人とも津軽さんの机の周りにやってくる。
津軽
「ウサちゃんを貸し出して欲しいんだって。この2人が」
サトコ
「加賀班と石神班の合同任務か何かですか?」
津軽
「えーと···どうなんだろ?」
サトコ
「詳しい話、聞いてないんですか?」
津軽
「聞いたよ。さっき」
サトコ
「······」
津軽
「だから、ほら、あれでそれだよ」
(聞いたけど、忘れたんだ···)
石神
「明後日から。俺と加賀が公安学校で臨時教官をすることになった」
津軽
「そう、それ!」
石神
「今回は、お前に主に女性訓練生の指導の補助を頼みたい。佐々木にも話がいってる」
(なるほど···男女平等とは言われてるけど、任務に出れば性差があるのは事実···)
女性だから役に立てたこと、苦労したこと、両方がある。
それを訓練生たちに伝えられるのは、私としても嬉しいことだった。
サトコ
「ぜひ、やらせてください!」
加賀
「誰もテメェの答えは待ってねぇ」
答えはイエスのみ···そう言外に言う加賀さんに、津軽さんがぐっと私の顔を覗き込んできた。
津軽
「そう、待っているのは俺の答えだよ」
サトコ
「え?」
津軽
「だって、ウサちゃんを煮るも焼くも班長の俺次第なんだから」
「班の仕事を抜けるって言うなら、まずは俺にお願いしないと」
サトコ
「てっきり、津軽さんの了承はすでに得ているものかと」
津軽
「『お願いします。神様、仏様、津軽様』」
サトコ
「······」
(これ、本当に言わなきゃいけないの···?)
どうしたものかと、秀樹さんの顔をチラッと見ると。
石神
「詳細を説明する。俺のデスクに来い」
サトコ
「はい」
秀樹さんが自分の席に戻り、顎で付いてくるように促す。
そして加賀さんも話は終わりだとばかりに離れていった。
津軽
「······」
サトコ
「······」
(このまま秀樹さんについて行きたいけど)
(津軽さんの期待の眼差しが···)
無視して行こうと思えば、できないことはないけれど。
(津軽さんは班長だし、これからの石神班、加賀班との関係を考えれば···)
サトコ
「応援に行かせてください、津軽班長」
津軽
「ダーメ」
サトコ
「···っ、つ、津軽様···!」
津軽
「それでもダメー」
サトコ
「なっ!?」
(最初から、いいって言うつもりはなかった!?)
津軽
「ーーって言いたいところだけど、秀樹くんと兵吾くんに貸しを作っとくのも悪くないからね」
「行っておいで」
サトコ
「ありがとうございます!」
津軽
「ちゃんと帰ってくるんだよ」
津軽さんに頭をポンポンとされると。
石神
「······」
しっかりとこちらを見ている秀樹さんと目が合ってしまった。
その日の夜。
通常業務を終えた後、会議室で夕食がてら明日の打ち合わせを行うことになった。
サトコ
「コンビニでお弁当買って来ました!好きなものを選んで食べてください」
加賀
「塩カルビ弁当は俺のもんだ」
サトコ
「だと思いました!」
「石神さんは、どっちにしますか?」
残った2つはミートドリアと1日の半分の野菜が摂れるバランス弁当。
他に野菜スープも買ってある。
石神
「お前はどっちを食べるつもりで買ったんだ」
サトコ
「私はどちらでも」
石神
「······」
(秀樹さんの分って考えたら、つい栄養バランスのいいものを選んでしまった···)
(秀樹さんも肉が良かったかな)
石神
「こっちをもらおう」
(やった···!)
秀樹さんがバランス弁当を選んでくれて、内心ガッツポーズをする。
石神
「···顔に出てるぞ」
サトコ
「え···」
(こっちを選んで欲しいって顔してた!?)
頬を抑えながら、チラッと加賀さんの方を見ると、すでに塩カルビ弁当を食べ始めている。
サトコ
「ホットスナック類も買って来ました。唐揚げにフランクフルトです」
加賀
「寄越せ。肉が足りねぇ」
サトコ
「あ、その唐揚げは皆で食べる分で···」
加賀
「あ゛あ゛?」
サトコ
「何でもありません···」
石神
「がっつくな。意地汚いヤツだな」
加賀
「テメェはさっさとガソリンスタンドで給油でもしてろ」
石神
「全く、飯が不味くなる」
サトコ
「あの、石神さん。私たちも食べないとフランクフルトも危機です!」
石神
「ゆっくり食事できるときは、慌てずにしっかり噛め」
加賀
「相変わらず年寄りくせぇ野郎だ」
石神
「咀嚼回数が少ない人間は認知症発生率が上がるという説がある」
「お前を見ていれば、その説の信憑性が上がるな」
加賀
「このスープを頭から浴びてぇみてぇだな」
サトコ
「まあまあ、お2人とも···これから、このメンバーで会議するんですし」
「デザートの大福とプリンもありますから!」
加賀
「チッ」
石神
「さっさと食べるぞ」
不穏な空気が落ち着き、ほっと胸を撫で下ろしながら私も食事を始める。
(スイーツは世界を救う···ありがとう、大福とプリン!)
お腹を満たすと、秀樹さんが明日の資料を手渡してくれた。
石神
「明日は街中を使った尾行訓練をすることになっている。これがエリア地図だ」
サトコ
「駅前から繁華街、住宅地···幅広いですね」
石神
「管轄の警察署に連絡はしてあるが」
「一般人に不審に思われることのないように動かなければならない」
加賀
「訓練生のヤツラは腑抜けも多い。しっかり締めろ」
サトコ
「は、はい!」
石神
「今年は昨年よりも女性訓練生の数が増えた。いい手本になれ」
サトコ
「はい!」
秀樹さんが目だけで頷く。
そこには私への信頼の色が見て取れる。
(秀樹さんの期待に応えるためにも、女性訓練生のためにも、明日はしっかり頑張ろう!)
翌日。
久しぶりの公安学校は訓練生時代の感覚と記憶を一気に私に呼び起こした。
石神
「どうした?」
サトコ
「ここに来ると、初心を思い出します」
石神
「それはいいが、寝不足の顔だな」
サトコ
「今日の準備をしていたら、思ったよりも寝るのが遅くなってしまって」
石神
「···そうか」
(秀樹さんの教官姿も久しぶり···)
独特の緊張感は心地良くもあった。
石神
「懐かしさを覚えるのは、お前の居場所がもうここではないという証拠だ」
「お前の顔つきは訓練生の時とは違う」
サトコ
「ありがとうございます!」
東雲
「褒めると油断するタイプじゃないですか?」
後藤
「褒めると伸びるタイプなんだろう」
サトコ
「東雲さん、後藤さん···お2人とも今回の件に?」
石神
「訓練では2人が訓練生を二重尾行する」
東雲
「もうこんなこと卒業できたと思ってたのに、いつまでやらされるのかな」
後藤
「どこも人手不足ということだ」
石神
「俺と氷川がマル秘になる」
サトコ
「加賀さんは?」
石神
「加賀は、尾行前の講習を担当している」
サトコ
「そうなんですか···」
東雲
「顔に意外って書いてあるよ。ポーカーフェイス、もっと頑張ったら?」
サトコ
「それは、その···仰る通りなんですが」
石神
「···担当は黒澤が作ったクジ引きで決まった」
サトコ
「そういうことだったんですね」
後藤
「あいつが参加しようとして、クジが1本多く仕込まれていた」
東雲
「別に面白い仕事じゃないのにね」
サトコ
「その1本多い分の仕事は···」
後藤
「俺がやる」
(さすが後藤さん、こういう時に頼りになる···!)
石神
「加賀の講義に佐々木が参加し、女性訓練生向けの話もする予定だ」
サトコ
「加賀さんと鳴子の講義のあとなら、事前準備は完璧に近いってことですね」
「油断しないようにしないと···」
東雲
「首席入学、首席卒業の名が泣くもんね?」
サトコ
「その話はもう勘弁してください···」
石神
「氷川、最終打ち合わせをする。こっちに来い」
サトコ
「わかりました」
石神さんがかつて使っていた個別教官室に入り、私を呼んだ。
石神
「このルートで行く」
秀樹さんが地図を指で追ってルートの説明をしてくれる。
駅前から始まり、繁華街、住宅街を通って公安学校の敷地内まで戻る道順だった。
サトコ
「住宅街での尾行が肝になりそうですね」
石神
「ああ。だが、今のお前なら問題ないだろう」
「···昨日」
サトコ
「昨日···?」
石神
「俺のことを考えて、夕食を買って来てくれただろう。礼を言っていなかった」
サトコ
「いえ!少しでも身体に良いものを思って···本当は肉の方が良かったりしました?」
石神
「加賀と同じものを食べる気はしない」
「お前が選んだもので良かった」
秀樹さんの手が伸びてきて、軽く私の頬に触れた。
石神
「······」
視線が注がれたまま、動きが止められる。
(秀樹さん···?)
サトコ
「あの···?」
石神
「···行くぞ」
サトコ
「はい!」
見つめる秀樹さんの瞳が気になったけれど。
その言葉に気持ちを切り替えると、彼の真っ直ぐな背中に続いた。
to be continued