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カンタンにイチャイチャできると思うなよ 石神3話

隣の客室に移動すると、その部屋は形容しがたい空気だった。

(う、ここの皆さんにさっきの失態を見られていたなんて···針のむしろ!)

サトコ
「氷川、戻りました」

石神
評価は言わずとも分かっているだろう

サトコ
「···はい」

モニターの前に座る秀樹さんの眼鏡は反射している。
それが余計に、その迫力を増していた。

黒澤
これは、かなりのブリザード···

東雲
撤収の時間ですね。お疲れさまでしたー

黒澤
じゃ、オレもそういうことで、ドロンさせてもらいます!

この空気に黒澤さんと東雲さんが早々に退散していく。

颯馬
相変わらず、逃げ足だけは速い

後藤
······

(颯馬さんと後藤さんは残ってくれるんだ。よかった···)

今の状況で石神さんと加賀さんの3人にされるのは極力避けたかった。

石神
全くもって、セオリーにすら乗っ取っていなかった
もう一度勉強し直せ

サトコ
「はい」

加賀
随分余裕のねぇ顔してんな。サイボーグのクセに

石神
···貴様にも責任があるんじゃないのか

加賀
あ゛?

石神
お前は教官という立場だ。然るべき指導をするのも、お前の仕事のはずだろう

加賀
だから押し倒してやっただろうが

石神
あれが指導か?
貴様の獣ぶりには呆れる
まともな判断ができているようには、とても思えなかったがな

加賀
何に苛ついてやがる。コイツの不出来か?それとも···

加賀さんがその口角を上げた時。

颯馬
今日はこれくらいにして解散しましょう。サトコさんも疲れてるでしょうし

後藤
俺もそれがいいと思います

石神
···そうだな。続きは後日、だ

加賀
くだらねぇことで、時間を潰した

サトコ
「くだらないこと···」

石神
······

大きな失敗に終わった今、加賀さんの言葉は深く胸に突き刺さった。

後日の反省会は、いつも通り私の想像より早くやって来た。

サトコ
「夜遅くに失礼します···」

石神
何か飲むか

サトコ
「いえ、お構いなく」

石神
······

家に来るように連絡があったのは、解散してすぐのことだった。
別々のルートで秀樹さんの部屋に向かい、今の状況にある。

石神
これでも飲め

サトコ
「ありがとうございます」

秀樹さんが私の前に置いたのは温かい日本茶。
一口飲んでほっとするのも束の間、向き合うことになる。

石神
···あの状況を再現してみろ

サトコ
「え···?」

石神
失敗をそのままにしておくつもりか

サトコ
「いえ!」

(今度は秀樹さん相手にハニートラップを仕掛けてみろってこと···)

戸惑い、躊躇い、緊張、様々な気持ちが胸を過ったけれど。
二度同じ失敗はできないという思いの方が強かった。

サトコ
「では、失礼して···」

石神
そんな言葉で押し倒すヤツがいるか

サトコ
「すみません···」

秀樹さんを押し倒し、その上に乗る体勢になる。

(眼鏡···取った方がいいよね)

そっと眼鏡を外すと、テーブルの上に置く。

石神
そもそも、この体勢から入ることが間違いだとわかっているか

サトコ
「あ···!」

(そっか!加賀さんがベッドに座ったから、つい···)
(その時から、ミスリードされてたんだ!)

サトコ
「まんまと手中に嵌まっていたわけですね···」

石神
ハニートラップは性を武器にはするが、犠牲にするものではない
肉体をできるだけ使わず、相手から情報を聞き出すためには、何が必要だ

サトコ
「ハニートラップでも最終的に必要なのは、交換条件だと思います」

石神
交換条件に肉体を使う···というのは危険だ
男女の差がある限り、力づくで押さえ込まれる場合もある

サトコ
「!」

次の瞬間、体勢が逆転しそうになり···

(同じ失敗はできない!)

私は秀樹さんの下から身を転がして抜けた。

石神

サトコ
「押さえ込まれないように気を付けなきゃいけないんですよね」

石神
加賀からは逃げず、俺からは逃げるとは、どういうつもりだ

サトコ
「え···っ、だ、だって、これは訓練なんですよね?」

石神
それが理由になると思っているのか

(理由になると思うんですが···!)

秀樹さんのこめかみに青筋が見えるようで、その言葉は飲み込まれる。
二の腕を掴まれると、ぐっと彼の下に引き戻された。

サトコ
「秀樹、さん···?」

石神
ハニートラップは相手の意表を突き、心を乱すこと
······
···案外、今日は成功していたのかもしれないな

サトコ
「え?」

石神
いや···

秀樹さんの眉間に深いシワが刻まれる。
そして様々なことを考えているのか···そのシワはどんどん深くなる。

石神
話が逸れた。続きだ

サトコ
「続きというのは···ハニートラップの···」

石神
他に何がある

サトコ
「で、ですよね」

石神
さっきはここで止められただろう。続きをしてみろ

押し倒された状態で見上げる秀樹さん。

(ハニートラップに必要なのは、交換条件、相手の意表を突くこと)
(そのためには相手の観察が第一)
(今の秀樹さんは···普段と少し様子が違って···)

サトコ
「もしかして···」

石神
···何だ

サトコ
「加賀さん相手にああなったこと···少し妬いたりしました?」

石神

肩に置かれた指先にぐっと力が入ったのは気のせいではない。

石神
それが、お前が引き出したい情報か?

サトコ
「そ、そういうわけでは···っ」

(ん?そう言われれば、そもそもの引き出す情報の設定を決めていない!)

サトコ
「今も加賀さんの時も、引き出すべき情報を決めていなかったような気が···」

石神
···そうだったな

サトコ
「それで訓練になったんでしょうか?」

石神
···いや

サトコ
「秀樹さんと加賀さんがいながら、なぜそんな事態に?」

石神
······

(あれ?秀樹さんが返答に詰まってる···?)

石神
お前は、ある意味···
いや、何でもない

サトコ
「あの···?」

(今日の秀樹さんは自己完結の話が多いような···)

話の先が見えないと、何を言っていいのか分からずに困る。

サトコ
「秀樹さんは···ハニトラしたことがあるんですか?」

石神
何···?

サトコ
「津軽さんはハニトラの達人だと聞いたので、秀樹さんはそういうのは、どうなのかと···」

(女性に甘い言葉を囁く姿くらいは見たことあるけど。それ以上のことは···)

石神
俺はその手の手段には否定的だ。極力避けている
人の感情に訴えかける手法よりも、情報の精査など確実な手段を取るべきだ
···お前にも、そうあって欲しいと思っている

サトコ
「はい。私も出来たら、違う方法で捜査を進めたいです」

石神
目的のためには手段は問わないのが、俺たちの仕事だが···
そうでありたいと願い、努力することは許されるだろう

秀樹さんの手が背中に回り、抱き上げられる。
そしてその足は、寝室へと向けられた。

ゆっくりとベッドの上に横たえられる。

サトコ
「ハニトラの訓練は···」

石神
もう十分だ

サトコ
「ん···」

唇を塞がれると、いつもよりキスが性急に感じられた。

石神
···約束しろ

キスが解かれ、間近で見つめられる。
秀樹さんの瞳はひどく真剣で、胸が高鳴るのを感じた。

石神
任務であろうと何であろうと、俺以外の男に肌を見せるな

サトコ
「秀樹さん···」

(妬いてくれたと思ったの···気のせいじゃなかった?)

サトコ
「はい。他の手段で情報は収集します」

石神
今となっては、直接教えることは叶わないが
なるべく多くのことを学ぶ機会は作る

サトコ
「はい」

石神
···少し喋りすぎたな

今日は調子が狂うーーという苦い言葉と共に、もう一度唇が重なる。
秀樹さんの指が私のシャツのボタンを丁寧に外していく。

石神
1番上のボタンが取れそうだ

サトコ
「今日、加賀さんに脱がされた時に···」

石神
その話はもうするな

強い口調とは裏腹に、触れる手は壊れ物にでも触れるように優しくて。
秀樹さんの中の葛藤と愛情が伝わってくる。

サトコ
「ハニトラの訓練も、実際にするのも···秀樹さん相手だけです」

石神
俺から何の情報を引き出すつもりだ?

サトコ
「私のことを、どれくらい好きでいてくれるか、とか···」

石神
それなら存分に引き出してみろ
俺も同じことをお前に仕掛けてやる

サトコ
「どっちが勝つか···楽しみですね」

石神
余裕だな

サトコ
「秀樹さんこそ」

お互いの腕を伸ばし合い、抱き寄せ合う。
2人きりのハニートラップの訓練は···決して口外できない、2人だけの秘密になった。

翌日。

津軽
ウーサーちゃーん···

サトコ
「な、何ですか!?」

登庁するなり、津軽さんがずずっと近寄って来た。

津軽
残念だよ、ほんとに

サトコ
「だから、何がですか···?」

津軽
うちの班に泥を塗ってくれたね?

サトコ
「そんなことは···公安学校での仕事でしたら、無事に終わりました」
「尾行訓練の一部始終については、この報告書にまとめてあります」

津軽
そのあとは?

サトコ
「そのあと···」

(そのあとは···ハニトラの訓練···)

サトコ
「あ、あれは非公式の訓練扱いになったと、石神さんが···」

津軽
見たよ、あの映像

サトコ
「どうしてですか!?」

津軽
班長として、監督しないわけにはいかないだろ?
津軽班の一員だって言うのに、ハニトラもロクにできないなんて···
今日1日かけて、俺が特訓してあげようか

サトコ
「い、いえっ」

ぐっと顔を近づけられ、その分ぐぐっと身体を反らす。

サトコ
「私は別の分野で頑張って行こうと思って···その手のことは津軽さんにお任せします!」

津軽
そんな甘いこと許されると思うの?
行くよ。ホテルへ

サトコ
「いや、それは···!」

石神
津軽、会議だ

津軽
ちょ!

至近距離になっていた津軽さんの首根っこを秀樹さんが掴んだ。

津軽
会議の予定なんて入ってないけど?

石神
今入った。来い

秀樹さんが津軽さんを引っ張って行ってくれる。

石神
······

目が合い、小さく表情だけでお礼を伝える。

(まずは、津軽さんを上手くかわせる能力を身につけよう···)

それはハニトラを上回る交渉術へと繋がっている気がして。
秀樹さんとの約束を守るためにも頑張ろうと、決意を新たにしたのだった。

Happy End

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