警察庁の廊下で立ち眩みがしたという銀さんを支えた後。
(下っ端のクセに出過ぎたことを···と、お叱りを受けるかと思ったら···)
銀
「好きなものを選べ」
サトコ
「は、はいっ」
警察庁から少し離れた喫茶店に距離を保って移動し、なぜか同じテーブルで顔を突き合わせていた。
(銀さんと2人でお茶を飲むのは二度目···)
(前回は···)
サトコ
「前回のように、何か仕事でしょうか?」
銀
「全開?」
サトコ
「警察庁の親子遠足の企画の時のように···」
銀
「今は大きな山の捜査中だ。他のことを抱える余裕があるのか」
サトコ
「ありません···!」
銀
「貸しを作る気はないというだけだ」
「以前はモンブランを食べていたな」
サトコ
「は、はい」
(高級モンブランが緊張で無味になってしまったっけ···)
(さすが銀室長、そんな小さなことも覚えてるんだ)
銀
「ここにモンブランはない」
サトコ
「はい。でも、美味しそうなデザートがたくさんあります」
レトロな雰囲気の喫茶店らしく、
定番のホットケーキ、パフェ、コーヒーゼリーなどがメニューに並んでいる。
サトコ
「どれも美味しそう···」
銀
「迷うなら、パフェにしろ。間違いはない」
サトコ
「は、はい」
銀さんはパフェとロイヤルミルクティーのセットを2つ注文した。
(2つ···銀さんもパフェ食べるんだ···)
銀
「······」
サトコ
「······」
注文を終えると、落ちる沈黙。
水を何度か飲むが、それにも限度がある。
(何か、何か···事件のことは話せないし)
(銀さんと話せることといったら···)
<選択してください>
(意外とスイーツ好きだったり?)
サトコ
「課内でもよくお土産でお菓子を頂くんです」
「今度、よろしければ室長にも」
銀
「津軽がたまに持ってくる」
サトコ
「あ、そうなんですね」
(津軽さんしか共通項がない···)
サトコ
「つ、津軽さんは銀さんのお宅で育ったとお聞きしました」
銀
「余計な詮索はしなくていい」
サトコ
「申し訳ありません···」
(うーん···給湯室の設備、とか···?)
サトコ
「給湯室に新しいコーヒーマシンが入って、皆さん喜んでます」
銀
「レモンコーヒーは、もう差し入れなくていいと伝えろ」
サトコ
「え···は、はい」
銀
「最近リンゴ狩りに行ったそうだ」
サトコ
「え···」
津軽さんの話が続いているのかと一拍遅れて気が付く。
(津軽さんの誕生日のこと、かな。あの時、お土産のリンゴも持って帰ってたから)
サトコ
「あのリンゴ、銀室長のお宅に持って行ったんですね」
銀
「···お前も一緒だったのか」
サトコ
「は、はい」
(う、知られたらまずかった?)
津軽さんがどこまで私のことを話してるのかわからないので、困る。
むしろ何も言っていないと思った方がよかったもしれないが···もう手遅れだ。
サトコ
「事件が解決した息抜きに連れて行ってもらったと言いますか」
「偶然、津軽さんのお誕生日でもあったので···」
銀
「···10月の27日に出掛けたのか」
サトコ
「はい」
めずらしく銀さんの表情が出た。
その目が軽く見張られ、そして私を見る目の力がさらに強くなる。
(誕生日に出掛けるなんて、上司と部下っぽくなかった!?)
(津軽さんにとっては、とても重要な日だし···)
その日のことを思えば、胸が重く軋む。
私には何もできないとわかっていても、わかっているからこそ。
もどかしさと無力さを痛感せざるを得ない。
銀
「······」
サトコ
「!」
(顔に出したらダメだ!)
気が付けば視線が落ち、小さく唇を噛んでいた自分に気付き慌てて取り繕おうとしたが、
タイミングよくパフェが運ばれてきた。
サトコ
「豪華···!」
銀
「相変わらず、調味料をかけすぎているのか」
パフェの生クリームを見つめた銀さんが、津軽さんのことを言ってるのだとわかる。
サトコ
「そうですね···でも、レストランだと普通に食事してくれることもあります」
銀
「私の前では行儀よくしているが···そうか」
(銀さんの前では行儀いいんだ···やっぱり、お父さんみたい)
公安課に配属されたばかりの頃は怖さしかなかった銀さんと津軽さんだけれど。
銀さんの前でお行儀よくしようとしている津軽さんを想像すると、頬が緩みそうになった。
銀
「···アレをどう思う」
(もしやこれは···銀さんが津軽さんを評価する面談!?)
サトコ
「配属当時は理不尽だと思うこともありましたが」
「それは私の未熟さがが原因だったと今は分かっています」
「時間を作って班員の話を聞く機会を設け、事件時には客観的に能力を判断し配置をーー」
津軽さんの能力は銀さんが一番よく知っていると思うけれど、部下目線で班長の姿を語る。
少し前の私だったら、きっとできなかった。
(研究所の時も、観覧車の時も···部下のために命を賭けてくれる人···)
銀
「······」
銀さんは言葉を挟まずに無言で耳を傾けていた。
言ってることが本心なのか、探り見透かす目が向けられる。
(この目、誰かに似て······あ)
(······津軽さんだ)
彼がこんな顔をする時は、やや顎を引いて上目遣いになる。
津軽さんは公安刑事として多くを銀さんから学んだのだとわかる目だった。
銀
「班員からは慕われているということか」
サトコ
「はい」
話が終わると、一言そう言って頷いた。
私が話している間に銀さんのパフェは半分になっている。
銀
「女だから、やりづらいと感じることはあるか」
サトコ
「いえ、問題ありません」
「銀室長が課内の風紀を乱すなと、初めに言ってくださったおかげです」
(だけど、津軽さんのこと···)
お互いに『好き』だと伝えてしまった今、何もない顔をするのは大変心苦しい。
銀
「この仕事は一瞬の隙が命取りになる」
「特に新米が浮ついた気持ちでいれば、それは班全体の危機を呼ぶ」
サトコ
「はい」
銀
「私の下にいる以上、ひとりも死なせたくはない」
わずかに痛みが透ける声だった。
銀さんが過去に部下を失い、その結果、精鋭主義になった話は聞いている。
公安学校卒の新人が入ることを嫌ったのも、それが理由だと。
(部下の命は失えない···)
(津軽さんが時折無茶するのは、銀さんのこういうところを見てきたから···)
銀
「ただ、新米以外は別だ」
「石神しかり、加賀しかり。他の刑事はとっとと身を固めろと思っているが」
サトコ
「そ、そうなんですか!?」
(課内全部恋愛禁止じゃないの!?)
銀
「感心がないというならともかく。国のために結婚しない···という選択は馬鹿げているだろう」
「私にも妻がいる。国のために人が犠牲になるべきではない」
サトコ
「······」
私はパフェスプーンを持ったまま、完全に固まっていた。
(銀さんって···こういう人だったんだ···)
女は風紀を乱すからと窮地に追い込まれた初日から始まり。
公安学校卒の人員の排除を画策する銀さんは、
使えないものは切り捨てる人だと勝手な印象を抱いていたけれど。
(違う···そうだ、時々、違うんじゃないかって感じる時は今までにもあった)
(ノアのことを気にしたり···銀さんは切り捨てる人じゃない)
どうしてもっと早くに気付かなかったんだろう。
あの津軽さんの絶対的な存在であり、憧れであり···
大切に思ってる人が、人の心を持っていない訳がない。
今の私なら、そう思える。
サトコ
「あの···」
これまで失礼な言動があったかもしれない。
あらためて非礼を詫びようとした時···聞き慣れた音楽が流れてきた。
サトコ
「『あなしね』の主題歌···」
銀
「銀だ」
(銀さんのスマホの着信音、『あなしね』ですか!?)
銀
「引き続き進めろ。報告は、明日の朝イチだ」
緊張感溢れる声で、おもむろにスマホがテーブルに置かれた。
それを私はじっと見つめてしまう。
銀
「何だ」
サトコ
「あの···お好きなんですか『あなしね』」
銀
「妻と放送日には必ず見ている」
サトコ
「!!私もリアタイ派です!」
銀
「······どうやら、少しは話せるようだな」
「見たか、ノアの『あなたのためなら死ねる』」
サトコ
「はい!あれが次話への引きになるなんて···!」
銀
「実によく練られた脚本だ」
まさか、まさか銀さんと『あなしね』を語り合えるなんて。
追加のショートケーキを食べ終わるまでの小一時間、『あなしね』談義は続いた。
銀さんと思わぬ時間を過ごしてしまった日の夜遅く。
私は冷たい海風の吹く埠頭に来ていた。
サトコ
「純恋ちゃんの捜索を始めるんですよね?」
百瀬尊
「そう言ってんだろ」
サトコ
「私たち2人で?やっぱり、ニコイチ···」
百瀬尊
「今回の捜査は内々に進めることになってるから、大掛かりに捜査員を集めらんねぇんだよ」
サトコ
「内々にしなければいけない理由は?」
百瀬尊
「お前は知らなくていい」
サトコ
「···分かりました。だけど2人で向かうなら、こんな場所をしてしなくても」
「新宿の待ち合わせでよかったんじゃないですか?」
百瀬尊
「うるせぇな。少し黙ってろ」
潮風に髪を揺らしながら、百瀬さんはポケットに手を突っ込んでいる。
(津軽さんを待ってるのかな)
サトコ
「津軽さんの伝説が本当だったら···」
百瀬尊
「あ?」
サトコ
「東雲さんが言ってた、一声でオトモダチが50人は集まるっていう」
「それができたら、人海戦術でいけたかも···なんて」
百瀬尊
「あのな、そんなわけねーだろが」
サトコ
「ですよね···」
(津軽さんが多少悪かったからって、伝説のヤンキーとかじゃないんだから)
(ああ、寒くなってきた。津軽さん、早く来ないかな)
津軽さん待ちだと思い込んでいると···
不意に眩しいヘッドライトが差し込んできた。
サトコ
「これって···」
百瀬尊
「来たか」
警戒する私の横で、百瀬さんはこれを待っていたという顔をした。
ヘッドライトの数は次々と増えて行き、噴かされるエンジン音がうるさくなってくる。
百瀬尊
「50人なんて、そんな程度なわけねぇだろ」
サトコ
「え···」
私たちを囲み始めたバイクは50人どころじゃない···
3ケタは超えそうな数が円を描いて走っている。
ライトに目をチカチカさせながら立ち尽くしていると。
???
「······」
誰かがバイクを降りるのが見える。
視界の隅に金髪が揺れた。
ひとりだけ雰囲気が違う···だけど、よく知っている気がする背中。
ふわっと重たいはずの髪が、今日に限っては軽そうに風に乗った。
津軽
「ウサ」
サトコ
「!」
(き、金の津軽さん!!)
津軽
「初めまして···って、言った方がいい?」
ライトの逆光に溶けそうな金色の髪をした津軽さんが、鯉の滝昇りを背負って私を見ていた。
to be continued