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本編④(前編) 津軽10話

銀さんが倒れたーーその一報で、即座に公安課を出た津軽さん。
昨夜から離れられなかった私と百瀬さんだけれど、別の意味で現実に引き戻された。
始業と共に、デスクに着いたものの集中できない。

(あの時の、ただの立ち眩みじゃなかったんだ)
(あの時点で病院に行ってれば···津軽さんに相談しておけば、こんなことにならなかったかも)

昨日から後悔してばかりだ。

(ダメだ、キリのないことは考えない···)

ちらっと百瀬さんの席を見ると、彼も落ち着かなさそうにイスを揺すっている。

(落ち着かないのは同じ···か。だけど、切り替えないと)
(純恋ちゃんの聴取も控えてるんだし)

彼女の呼び出しに応じたら、鉄骨が降って来た。
その事実をどう捉えるべきか···あの件がある程度解明されてから、
純恋ちゃんから話を訊く予定だった。

(蔀純恋、17歳···茶円と関りのある子で、いじめを受けている)
(この子は被害者側なのか加害者側なのか)

昨夜の報告書を作成しながら資料に目を通すが、文字が目を滑る。

(···集中!この事件を解決しなきゃ、また昨日みたいなことが···)

何度もフラッシュバックしている。
私の名を呼んだ津軽さんの声と、鉄骨が降る轟音。
アスファルトが削れる粉っぽさと、独特の埃っぽい匂い。
世界の音が消えた、あの一瞬。

(相手は『三邑会』、命を狙われる可能性がある)

記憶と闘いながら報告書の作成を終えると。

津軽
ん、よしよし。俺がいなくても、ちゃんとお仕事できてるね

百瀬・サトコ
「津軽さん!」

聞こえてきた声に席を立ったのは同時だった。

百瀬・サトコ
「銀さんは···!」

津軽
過労だって。精密検査はこれからだけど、休養すれば大方大丈夫だろうって

百瀬・サトコ
「よかった···」

津軽
2人のシンクロ率高くない?
あんまり仲良しだと妬いちゃうからね

百瀬尊
「チッ」

睨みと舌打ちで済むのは、百瀬さんも昨夜からのことが堪えている証だ。

(銀さんが過労···そういえば、前に百瀬さんが言ってた···)

百瀬尊
「···銀室長は今、公安内でも不利な立場にいんだろ」

サトコ
「そう···なんですか?」
「課内で銀室長の力は絶大なんじゃないんですか?」

百瀬尊
「そう簡単にいくか。警視正は銀さんだけじゃねぇんだ」
「銀さんの方針に不平不満を抱く刑事も少なくねぇ」

(そういう心労がたたったのかも···)

鉄壁で鋼の心の持ち主だと以前は思っていたけれど、今はそうでないことを私は知っている。

津軽
銀さん不在でも、問題ないことを証明する
いいな?

百瀬・サトコ
「はい!」

百瀬尊
「茶円の残りの拘留時間を確認してきます」

津軽

百瀬さんが完全に切り替わったのがわかる。

(さすが···何が今の津軽さんにとって一番重要なのかを見極められてる)
(それに合わせて、自分をコントロールできる···)

忠犬の名は伊達ではない。
一朝一夕に培えるものではないのだと見せつけられたようだった。

(私も早く追いつきたい···!)

サトコ
「昨夜の報告書をまとめました」
「津軽さんの視点から抜けてる部分があったら指摘をお願いします」

津軽
短い間に頑張ったね

ぽんっと頭に手が置かれた。
見上げると、妙に穏やかで優しい眼差しと出会う。

(津軽さん···?)

津軽
ウサ。明日、デートしようか

サトコ
「え···」

津軽
休んで、行こ

まるで少年のような笑顔で微笑む彼の思惑は見えなくて。
だけど、断るという選択は用意されていなかった。

翌日。
津軽さんの手で私の休みも申請され、私たちは水族館に来ていた。
平日の館内は人も少なく、隣の彼ばかり意識してしまう。

サトコ
「···今日、休んで良かったんでしょうか」
「銀さん不在で、皆さん頑張ってるなか」

津軽
過労で倒れた銀さんが、不休で働くことを望んでると思う?

サトコ
「···いえ、そうは思いません」

津軽
やるべき仕事は昨日終わらせたし、俺たちだけじゃなくて他の班員にも順に休みはとらせる
一時的に上手く回すんじゃなくて
健全な体制で銀室を運営していくことが、今は何よりの見舞いになるでしょ

サトコ
「そうですね!」

(部下を大切に思う気持ちは津軽さんにも受け継がれてる)
(津軽さんがこう判断したなら、今日は思い切り楽しもう!)

津軽
ほら、カニがウサの方に歩いてきたよ

手を取られ、水槽の前に連れて行かれる。
握られた手に初めてでもないのに、今日もやっぱり鼓動がうるさい。

津軽
カニを最初に食べようと思った人って、すごいよね

サトコ
「あの硬い甲羅にかぶりついたんですかね?」

津軽
強靭な歯の持ち主だったのかもね。モモみたいに

サトコ
「百瀬さん、カニの甲羅、歯で割れるんですか!?」

津軽
今度、飲み会で試しなよ

水槽に映る顔は無邪気に見えて。

(何だろう···楽しい時間のはずなのに)

なぜか、この時間の終わりばかりを意識してしまう。
色鮮やかに泳ぐ魚たちよりも、私は津軽さんの表情が気になって仕方なかった。

水族館でイルカショーやアシカショー、ペンギンのエサやりまで満喫した後。
外に出れば日は傾いていて、水族館の裏にある海岸へと脚を伸ばす。

津軽
そういえば、お見舞いに行ったらさ
病院で『あなしね』が観れるかって、そんなこと気にしてて

少し先を歩く彼が夕焼けに染まっていく。

津軽
銀さんが本気で観てるんじゃ、俺も真面目に観ないとな~
『あなたのために死ねる』···か

下を向いてぽつっとこぼし、津軽さんが振り返る。
最近、逆光のこの人を見ていると思う。

(表情が見えづらい···)

それが何故か私の胸を無性に不安に駆り立ててきた。

津軽
俺、簡単に死なないって···諦めないって言ってたけどさ
こないだの夜···君のためなら死ねるなって、思っちゃったんだよね

サトコ
「津軽、さん···」

津軽
ドラマのこと笑えないなー

さらっと言って、くしゃっと笑う。
ドラマだったら、『あなしね』だったら···絶対に盛り上がるシーンなのに。

(全然、嬉しくない···)
(守ってもらわなきゃいけない未熟さを突き付けられたみたいで)
(それに私は何より、2人で生きていきたいのに)
(ドラマは現実は違って当たり前ってことか···)

<選択してください>

冗談ばっかり言って

サトコ
「冗談ばっかり言って」

そのまま受け取りたくなくて、誤魔化してくれる答えを期待して、そんな答えを返してしまう。

津軽
冗談、だったらいいんだけどね。ほんと

サトコ
「···本気だったら、全然嬉しくないですよ」

津軽
だよね···分かってる

私のために死んでほしくないです

サトコ
「···私のために死んでほしくないですよ」

津軽
『あなたのために死ねる!』で、毎週感動してるのに?

サトコ
「現実の感動だったら、一緒に生きてる感動の方がいいです」

津軽
···うん、だよね。君は···そうだよね

ドラマの感化され過ぎです

サトコ
「ドラマに感化され過ぎです。銀さんが好きだからって、そこまで入れ込まなくても」

違うとわかっていて、真に受けないという反応を返した。

津軽
ドラマだったら、これで綺麗に収まったのにね

サトコ
「ドラマはドラマだから、いいんですよ···そんなこと言われても、嬉しくないです···」

津軽
···だろうね。そう言うってわかってた

どこか困ったような顔。
優しい表情なのに、目の前にいるのに···やけに、遠い。

津軽
でも、自分の命よりも大事なんだって気付いた。君が

サトコ
「······!」

どうしてか、遠くで嫌な耳鳴りがする。
これ以上聞くのが、怖い。
どこで間違ってしまったのか···いや、そもそもこれを間違いと呼んでいいのか。
わからないーーでも、私には正解じゃない。

津軽
銀さんって実はさ、すごく優しい人なんだよ

ポケットに手を突っ込み、津軽さんは海の方を向いた。
まるで見る先を変えるかのように。

津軽
前にウサ、言ったよね。俺にとって親父みたいな人なんだって
そうなんだと思う···ていうか、そうだったらいいなって···俺が勝手に思ってる

横顔に浮かんだのは苦笑だった。
視線は水平線に落ち、その瞳を橙に染め上げる。

津軽
俺は···銀さんと家族になりたかったのかもしれない。ずっと

彼の横顔から表情が消えた。
夕暮れになにを見ているのか···想像するのが怖い。

(津軽さんにとっての『家族』は···)

被害者であり、加害者である。

津軽
だから、あの人の人の役に立ちたいって思ってた···思ってる
···でさ

下を向いた横顔が重い髪に隠されてしまった。
表情が見えなくなったことをきっかけに、急に心臓が痛むくらい速くなり緊張に襲われる。
この先を聞いたらいけない···聞きたくないーー心が警鐘を鳴らしてくる。
だけど、逃げ出すこともできなくて。

津軽
あの人は優しいから。ウサを手に入れたら、きっと俺を手離す
もうあいつは大丈夫だな、って
大事なものを手に入れた俺を必要としてくれない
そうしたら···あの人と家族になるチャンスはもう···きっとやってこない

サトコ
「······」

家族はいつか巣立ち、手を放すもの。
だけど手を放したあとも見守ってくれてつながっているーーそれが私の家族観だけれど。

(その考えそのものが、津軽さんとは違う···)

それを私の価値観で図り、気持ちを押し付けるのは、あまりにも無神経な奢りだ。

津軽
だから、ごめん
俺、やっぱりサトコを選べない
···ごめん、ごめんね

息を呑み込む。
まるで涙を呑み込むように。
だけど、その涙は誰のための涙なんだろう。
彼との未来をなくした自分への涙なのか。
家族を切望する彼を想う涙なのか。

津軽
今日は···最後の思い出がほしかったんだ
俺の “ 特別な女の子 ” との···
俺を『好き』だって言ってくれた、俺が『好き』な女の子との
好きになって、ごめん

サトコ
「あ···」

熱い瞼に落とされるキス。

サトコ
「わ、私は···っ」

津軽
もう好きって言わなくていいよ

あんなに大切に育ててきた『好き』って言葉だったのに。
どうして、こんなにも残酷な音に変わってしまったんだろう。

to be continued



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