『三邑会』と『礼愛会』、そこに関わる宗教法人団体が関与する売春ビジネスと警察上層部の癒着。
売春ビジネスの名簿が手に入ったことで、私から見える事件は一段落。
あとは上で処理されることで、結果は分からないが捜査は終了となった。
(純恋ちゃんと茶円のこととか)
(鉄骨が落ちてきたのは事件だったのか事故だったのか···誰の仕業だったのかとか)
(分からないことはたくさんあるけど、知らされないんだろうな)
公安では、事件の全体像が分かる方がめずらしい。
こうやって呑み込んでいくのも経験だ。
サトコ
「あ!隙見てピザにスパイス山盛ろうとしないでください!」
津軽
「ピザにスパイスは普通でしょ」
サトコ
「これチョコバナナのデザートピザですよ···」
私と津軽さんの会話も少し前の日常に戻っていた。
百瀬さんが運転する軽トラのホロの上でーーー
津軽
「選べないって言ったけど」
「身体が···本能が選んじゃうんだよ。君を」
「···どうしよっか?」
あの『どうしよっか』の先は、まだ何も話していない。
ただ今日は『あなしね』の最終回を一緒に観たいと言った私の願いを叶えるために、
隣に居てくれてる。
津軽
「結局、全話観ることになるとはね~」
サトコ
「銀さんと盛り上がれるからいいじゃないですか」
津軽
「盛り上がるって、そこまでは···ノアが出てるから観てるだけでしょ」
サトコ
「え、めちゃくちゃ熱入りますよ?」
津軽
「···待って。ウサ、銀さんと『あなしね』談義してんの!?」
サトコ
「はい。あれ?言ってませんでしたっけ···」
津軽
「初耳だよ。ていうか、いつの間に銀さんと共通の話題持ってんのよ···」
サトコ
「偶然、銀さんの電話の着信音が『あなしね』の曲だったのを聞いてしまって」
「銀さんは真の『あなしね』ファンですよ!同士です!」
津軽
「ああ~、なるほど。そういうことね」
「口頭の尋問報告にも行けるわけだ」
サトコ
「はは···まあ、そういうことです」
室長室での会話。
あの時、私が感じたのは銀さんの息子への愛情···だったと思う。
だけど、そのことについて話そうとは思わなかった。
(あれは親子の会話として、津軽さんが直接聞くべきこと···)
(銀さんの家族になりたいって津軽さんは言ってたけど)
(銀さんはとっくに家族だと、息子だと思ってるじゃないかな···)
津軽
「男の顔をジッと見る時は、欲しがってる時だって自覚ある?」
サトコ
「え···」
身体ごとこちらに向いた津軽さんが距離を詰めてきたかと思うと···
津軽
「はい、チョコバナナピザ」
サトコ
「ぐっ!」
久しぶりに食べ物を口に突っ込まれた。
チョコバナナピザの甘さにグリーンチリソースとスパイスの味が混ざり合う。
(せ、せっかくの美味しいデザートピザが···!!)
(でも、こんな時間も嬉しいなんて···)
嬉しさと辛さを噛み締めながら口を動かしていると、『あなしね』が始まる。
サトコ
「あ。この水族館、私が津軽さんにフラれた場所ですね」
津軽
「······」
偶然にも一緒に行った水族館が舞台になっていた。
ちらっと横を見ると、津軽さんはバツの悪そうな顔をして前を見ている。
(こういう顔、めずらしいかも···発言撤回したこと、一応気にしてるのかな···?)
ドラマを観つつも、津軽さんの様子も気になってしまう。
(音がない状態で話すより、ドラマ観ながら···の方が話しやすいかな···)
(録画してあるし、集中して観るのはひとりの時でもいいし)
サトコ
「今日はありがとうございます。一緒に観てくれて」
津軽
「やりたいことは全部叶えるって言ったじゃん」
「身体が離れられないんだから仕方ないよね」
サトコ
「人に聞かれたら誤解されるような言い方は止めてくださいって」
津軽
「ほんとのことなのに」
ラグの上に置いていた手を重ねられた。
テレビから視線を外した彼は天井に顔を向けて、ふーっと長い息を吐く。
津軽
「まー···選べないんだから、ゆっくり考えるよ」
サトコ
「それがいいと思います」
(選ぶ必要があるのかどうか···そこに気付いてくれる時が来るかもしれない)
(そういう日がこなくたって···)
構わないーー私は私の『好き』のかたちを見つけたから。
津軽
「ほんとにいいの?ウサには宙ぶらりんな思いさせちゃうけど」
膝を立てて頬を預けながら、こっちに視線を送ってくる姿はずるい。
(ハニトラ技が沁みついてるのか···!あざといにもほどがある!)
サトコ
「私も···別に恋人じゃなくていいです」
津軽
「え···」
クライマックスに差し掛かっている『あなしね』の画面だけを見つめ、
心はあの軽トラの上に戻っていた。
あの時、出た答えーー
私は···あなたが夕暮れに足を取られなければ、それでいい。
サトコ
「私···笑ってる顔が好きなんです。津軽さんの」
「くしゃっていうか、へらっとした感じの」
津軽
「···それ、ダサい顔じゃん」
サトコ
「でも、私はそれがいいんです」
大事なことだから、ちゃんと顔を見て伝えないと。
横を向けば、津軽さんもこちらを見ていて、少し唇を尖らせた顔に微笑む。
サトコ
「選べないって悩んだり苦しんだりする顔よりも」
「津軽さんが津軽さんのまま、笑ってくれて···それを近くで見ていられたら」
「できれば一緒に笑っていられたら、嬉しいです」
津軽
「サトコ···」
サトコ
「だから、好きも···もう言いません」
「津軽さん自身の気持ちの邪魔をしたくないから」
好きって言えば、好きって返ってくるのを期待してしまう。
もう彼を好きで縛るようなことはしたくない。
サトコ
「だから、私のことは気にせずゆっくり考えて···」
津軽
「···好きは言ってもよくない?」
サトコ
「···はい?」
津軽
「だって、俺のこと好きでしょ?」
サトコ
「···ここまで振り回しといて、よく自分から聞けますね!?」
津軽
「好きじゃないの?」
サトコ
「けど!好きって言ったら、好きって返してもらいたくなるし···」
「好きって言ったら、恋人とか、関係の定義をどうしても考えるじゃないですか」
「選べない津軽さんの気持ちの邪魔をしたくないって言ったの聞いてましたよね?」
津軽
「···だとしても、好きなんでしょ?」
サトコ
「···言わない」
津軽
「なんで」
サトコ
「言ったら、また葛藤することになるのは、そっちですよ!」
津軽
「いや、ムリムリムリ。ウサから好きって聞けないの、フツーに無理だから」
(もう好きって言わなくていいって言ったの、誰!?)
サトコ
「な、何言ってんですか!津軽さんが言わなくていいって言ったんですよ!」
津軽
「だーかーらー···あれから俺の心、ずっと死んでんのよ」
サトコ
「はい?」
津軽
「好きって言って」
ぐっと距離が詰められる。
サトコ
「無理です」
津軽
「言えって!」
サトコ
「やですってば!」
津軽
「好きだろ!?」
サトコ
「ノーコメントで」
津軽
「うっわ、腹立つ!」
サトコ
「お互い様ですよ!」
津軽
「···じゃ、いい」
(あれ?意外とあっさりと···)
本気で機嫌を損ねたのかと、その顔を見れば。
ガシッと両肩に手を置かれた。
津軽
「肩書だけもらうから」
サトコ
「へ?」
津軽
「結婚しよ」
サトコ
「·········」
「???????」
(···結婚?結婚って言った?この人)
サトコ
「······」
津軽
「······」
サトコ
「·········」
津軽
「············」
サトコ
「···なんで、結婚···?」
津軽
「···好きって言わないってんなら、言わなくても不安にならない存在になってよ」
「俺の傍にずっと居たいって思ってくれてるなら、そういう肩書持ってて」
サトコ
「え、あ、いや···」
(そりゃ!確かに!結婚すれば、問答無用で一番近いポジになりますけど!)
(交際0日で結婚って···うっかり婚ですか!!)
津軽
「文句ある?」
サトコ
「い、いえ、あの、文句というか···」
(そういう···そういう問題じゃない!)
(発想が飛躍しすぎ!!)
サトコ
「け、結婚の前にすることありますよね?」
津軽
「え···ウサちゃん、婚前交渉に積極的なんだ···」
「まあ、婚約した後なら、俺も···」
「でも、婚約期間は1日ね?」
サトコ
「なんですか、その結婚モンスターみたいな発言は!」
津軽
「警視の妻だよ?何が不満なのよ」
サトコ
「何がって···結婚の前に···こ、恋人っていうのが···!」
津軽
「別に恋人じゃなくていいって言ったじゃん」
サトコ
「結婚って言われたら、話は別ですよ···!」
「恋人すっ飛ばして結婚とか、いつの時代ですか!」
津軽
「そんな顔して···恋人じゃなくていいとかカッコつけといて」
「はいはい、恋人ね。まあ、結婚に繋がってんなら、それでもいいよ」
サトコ
「それでもいいって···」
(あからさまに萎えた顔するな···!!)
サトコ
「何なんですか、もう···」
本当はひどく繊細な部分を持ってると知ってるのに、
目の前のこの人がものすごくふてぶてしく見える。
(いや、そもそも本気で結婚とか言ったわけじゃない?)
(からかわれただけ···?)
(···だよね、そうだよね。そう思った方が楽だから、そういうことにしよう!)
(ん?でも···恋人でもいいって···あれは有効?)
私はーー津軽さんの何になったんだろう?
津軽
「サトコ」
サトコ
「はい?」
考え込むあまりに、いつの間にか下を向いていた。
顔を上げると、目の前に重い前髪と長い睫毛が見えた。
サトコ
「そういえば、金髪···」
簡単に色戻りましたね···なんて、ふわっと頭に浮かんだことを喋ろうとすると。
ふにっと “ 何か ” が唇に押し当てられた。
津軽
「······」
サトコ
「······」
(え···キス···?)
この人の唇が死人のように冷たいことは知っている。
それが今、私の唇にくっついてる。
(息が···!)
突然のことで鼓動が急速に速まり、肺は呼吸を拒否してきた。
目を閉じるタイミングもつかめないまま、どれくらいの時間が経ったんだろうか。
津軽
「······」
ゆっくりと唇が離れた瞬間、私の口は酸素を求めてひゅっと大きく息を吸う。
サトコ
「あ、の···これ、は···」
息が整わないので変な声が出た。
目の前にある彼の唇を凝視してしまう。
津軽
「···もう、キスは違わないってことでしょ」
サトコ
「え···」
思い出す、タクシーを降りて並んで歩いた、あの時ーー
視線は逸らさず、互いの瞳に相手が映っている。
まるで瞳の中の自分を見るように、固まって、時間が止まって。
重なる、唇ーー
(いいの?好きって言う前にキス···)
津軽
「ち···がうよな。キスは」
サトコ
「は、はい!違うと思います!」
津軽
「···だよな。違うよな···」
あの時は『好き』って気持ちを2人とも抱えたまま、
それでもお互いの気持ちを表に出していなくて。
(いろいろあったけど···ううん、いろいろあったから···か)
(私たちは自分の心のうち、見せられたんだ)
その結果が、このキスならーー
津軽
「どう思うの。ウサは」
サトコ
「ち、違わないかも···です、ね···」
私が恋人という肩書を得たのなら。
キスは違わなくない。
津軽
「じゃ、もう1回」
サトコ
「!?」
耳が痛くなるような緊張の向こうで『あなしね』の最終回を飾る主題歌が流れ始めていて。
カーテンの隙間、差し込む月明かり。
私たちは今、月が照らす柔らかな夜側にいるーー
Happy End