歩道橋からの脱出劇の翌日。
墨田区の一角にある事務所の近くで俺は腕を組んで待機していた。
(そろそろ···か)
腕時計に視線を落とした時、ちょうど黒塗りの車が滑り込んできた。
後部座席から降りてきたのは背の高い痩せた男。
茶円
「······」
(さてと···)
靴音を立てずに茶円の進行を遮る。
舎弟A
「!」
舎弟B
「こいつ···!」
茶円
「これはこれは···」
津軽
「塩顔イケメンくん、ちょっと俺とお話ししない?」
サービスでとびきりの笑顔で話しかけてやった。
事務所近くにある喫茶店で茶円と向き合う。
茶円は運ばれてきたクリームソーダのアイスにさっそく手をつけている。
茶円
「サクランボ、最後に食べる派なんです」
津軽
「俺は最初に食べる派。目につくものは、とっとと片付けるタチでね」
ブラックコーヒーを物足りなく感じながら、一口飲む。
(情報収集については、期待はしてないけど)
津軽
「どこの依頼で、うちの子狙ってたわけ?」
茶円
「何の話でしょうか」
アイスを含んだ薄い笑みでとぼけてくる。
(署に引っ張られていない時点で、こっちに有力な証拠がないと踏んでる)
(まあ、無理やり引っ張れないこともないけどなぁ)
茶円関連で繰り返し面倒を引き起こすのは、銀さんの警察内での立場を考えれば避けたい。
津軽
「じゃあ、訊き方変えようか。仕込みは、いつから?」
「俺の予想だと、クソビッチシトミの時」
茶円
「口が悪いですよ」
津軽
「ほんと、お上品に事は済ませたいものだよねぇ」
「だから、お前は自分で汚いことはしなかった」
「シトミと男が歩いているところに遭遇させ、連絡先を交換させた」
「鉄骨で始末しようってのは、ドラマチックだけど、ちょっと目立ち過ぎたね」
茶円
「そういうのは警告の意味もあるんじゃないんですか?」
「話しを聞いただけなので、何とも言えませんけど」
津軽
「だろうねぇ。あそこに、お前はいなかったんだから」
茶円は拘留中だった。
津軽
「蔀純恋を被害者に仕立てて、同情を買わせて油断させ近付いた」
「その間、自分は警察の監視下にある···アリバイは完璧だ」
「周到っていうか···ただ性格が悪いだけ?俺と同じで」
茶円
「ふふ···刑事さんと一緒とは光栄ですね」
津軽
「けど、想定外の事態が起きた」
「蔀純恋が客を取ってる場所を吐かなかった」
「そこで氷川を始末するつもりだったのにね?」
茶円
「······」
蔀純恋は本当は俺たちを罠にかける予定だったーー
それがぎりぎりで口を割らなかったのは···
最終的にサトコを殺すという選択ができなかったからだ。
(ウサの人の好さっていうか···想う気持ちが、純恋を止めた)
(誰にも愛されなかった人間は、無条件の好意や信頼に弱い)
(サトコの真っ直ぐさは時に、とんでもない武器になるってことか)
だから、純恋は茶円の命令にさえ背いた。
津軽
「その結果、お前は自分で動かざるを得なくなった」
「昨日のことは言い逃れできないだろ」
「歩道橋の上でのこと」
茶円
「女性が困っていたから、声をかけただけですよ?」
「そのあと暴走族らしき輩がきて、随分と危ない思いをしました」
「被害届、出せますかねぇ」
昨日のバイクの主が俺だとわかっている。
当然、ここまで織り込み済みだ。
津軽
「出せるよ。そうなると、その傷についても聞くことになるけど」
茶円がスプーンを持つ手に視線を留める。
そこに残る、黒い点。
(ウサ、よく頑張ったよ)
津軽
「その手の甲の痕から、しょっぴいてもいいんだけど?」
「あの子が持ってたペンは俺があげた特殊なものでね」
「そこに残るインクを照合すれば、拉致犯が誰かすぐにわかる」
茶円
「それはなかなか面白い。ドラマのような展開だ」
この程度で動じる訳もなく、アイスを食べ終えた茶円はストローに口をつけた。
三白眼の視線がこちらに上がる。
(この手の人間も多く見てきた。けど、こいつはまた面白いっつうか)
(狡猾なところは買える)
茶円
「なんでこの店に入ったか、わかりますか?」
津軽
「店決めたの俺じゃなかった?」
茶円
「決めたのか、決めたように錯覚しただけなのか」
「ここにいる客全員追い返して君に痛い思いをしてもらっても、なかったことになるから···ですよ」
津軽
「なかったこと、ねぇ」
頃合いだと、コーヒーを飲み切る。
津軽
「のこのこ敵の陣地に行くほど、バカに見える?」
「バカが口癖の子を飼ってたから、皆そう見えるようになっちゃった?」
茶円の視線を絡め取り、それをそのまま返すようにぐっと瞳を覗き込む。
何も見えない空虚な目···鏡で見覚えがある。
(似たようなもんだ。誰の下についたか···だけで)
(俺は純恋にも茶円にも似てる)
津軽
「ねぇ、いつもより客足が多いと思わない?」
茶円
「···ですねぇ」
茶円が店内に視線を巡らす。
先にいるのはモモや津軽班の班員たちだ。
茶円
「······」
津軽
「ここで抗争並みの騒ぎを起こすのは、いろいろマズくない?」
「最後に残したサクランボも食べられなくなる」
目を見れば、茶円の中で様々な計算がされているのがわかる。
その計算はこちらでもシミュレート済みだ。
(こいつは『三邑会』の組長に恩義があって、それが全ての行動理念で原理の男)
(組長以外のことは駒だとしか思ってない)
(だからこそ、洗脳に近い掌握術を知ってるんだろうけど)
賢い男だ。
自身を分析し、それを利用し扱える。
茶円
「···何が望みですか?」
津軽
「誰に頼まれて、氷川を狙った?依頼元を教えろ。それから二度と手を出すな」
茶円
「私に言われても、どうすることもできない内容ですね」
津軽
「ほんとに?よく考えてから答えた方がいいよ」
「そこまでして守る価値のある情報?」
茶円
「そこまでも何も、私は何も」
津軽
「何もしてない?」
「してないとしたら、マズいんじゃない?組長の腹心である君が」
茶円
「······」
『組長』の言葉に茶円の眉がぴくっと動く。
(わかるよ、その気持ち。恩のある人に仇を為す者は許せないだろ?)
津軽
「だからさ、何かしようよ」
「俺に使われない?」
茶円
「···エスってやつですか。バカなことを···」
津軽
「その賢い頭でよーく考えることだね」
「うちが持ってる情報は、そっちの親分さんの役に立つもの盛りだくさんだろ?」
「君だけが極秘の情報を組長に渡せる···君は唯一無二の存在になれる」
茶円
「······」
茶円の目が細められた。
感情を完全に抹殺していた男に初めて興奮の色が浮かんでいるのがわかる。
(そりゃ興奮するよな。大事な人にとって欠かせない存在になれるんだ)
善でも悪でも、人間の心の動きというのは同じだ。
津軽
「この提案を呑めば、俺たちはオトモダチ」
「受け入れないなら···再拘束で、今度は君の組について教えてもらおうかな?」
「組織犯罪対策課の友達も連れてくるから。こっちはこっちで面白そうだね?」
茶円
「ふふ、いろんな手をお持ちのようで」
津軽
「手数の多さはどっちが勝つだろうね?」
「まあ、君がどういう選択をしても、変わらないことはある」
イスから立ち上がると、思い切りテーブルに蹴りを叩き込んだ。
茶円の身体にテーブルの端がのめり込む。
茶円
「······」
(脅しにもなんねぇだろうけど)
(ま、一応、組長としての面子もあるし、周りの輩には効果があるかもしんないし)
ただのカッコつけだとわかったうえで、足をテーブルに乗せたまま、ぐっと顔を近づけた。
津軽
「俺が生きてる限り、氷川サトコは絶対に殺させない」
茶円
「勇ましいですねぇ」
津軽
「そういうこと。答えはすぐじゃなくていいよ」
にこっと笑いかけてから、伝票を手に取る。
津軽
「行くよ」
百瀬尊
「奢るんですか?」
津軽
「俺からナンパしちゃったからね」
茶円
「······」
サクランボに口をつけた茶円に、ひらひらっと伝票を振り喫茶店を出た。
店を出るなり、モモの不満そうな顔が目に入った。
百瀬尊
「なんであんなヤツ···」
津軽
「男のエスが足りてなかったしね。俺は特に」
「それにあの手の男は抱き込んでおいた方が楽でしょ」
百瀬尊
「それはわかりますが···」
津軽
「俺にとって一番のお役立ちはモモだよ」
百瀬尊
「······」
モモの唇がむにょっと動く。
皆、誰かを想い、誰かのために生きているーーそれは美しいことなんだろか。
(わかんないけど···俺は君を守るために生きてたいよ、サトコ)
君のためなら死ねるけど、君のために生きてもいたい。
それが俺の『好き』なんだ。
to be continued