人間、予想もつかない事態になると、自分が把握できることに意識が向くものだ。
月が大きいな、とか、車の音がうるさいな、とか。
(どうして、こんなことに···)
歩道橋から飛び降りた結果に意識が行かないのは、自己防衛なのかもしれない。
それとも、“ 彼 ” となら、どんな結果になってもいいと思っているのかーー
???
「···っ」
サトコ
「ぎゃっ」
ぼふっという音と跳ねた身体に、軽トラの荷台に掛かったホロの上に着地したのだとわかる。
私を守るように、真下になってくれているのは誰なのか···考えずとも無意識が知っていた。
サトコ
「津軽さん!」
津軽
「『落下が吉』って言ってたもんね」
目の前で、へらっと余裕の笑みを浮かべられると、言葉よりも熱い塊が胸の奥から込み上げてくる。
(ま、また、こんな無茶をして!)
(上手く着地できなかったら···っ)
サトコ
「~~っっっ!!」
生きていることを、鼓動を確かめるようにぎゅーっとその身体に抱きつく。
大きな手が車の揺れに合わせるように、ポンポンと背を撫でた。
サトコ
「······」
津軽
「···大丈夫?」
サトコ
「·········」
津軽
「え、気絶してないよね?」
ガボッとヘルメットを脱がされ、間近で目が合った。
その顔を見た途端、言葉が溢れ出す。
サトコ
「バカですか!!」
津軽
「は!?」
サトコ
「こ、こんな···っ!バイクで歩道橋駆け上がってくるとか!」
「歩道橋から飛び降りるとか!!」
「し、し、死にたいんですか!あなたのために死ねるじゃないんですよ!!」
「生きる一択でしょうが!!」
津軽
「生きるために助けたんじゃん···」
サトコ
「な、なら、もっと安全な方法で···」
ぎゅっと津軽さんの服をきつくつかむ。
わかってる、どうしてこんな危険な方法をとったのか。
(こうすることでしか、私を助けられなかったから)
(私が茶円に対応できなかったから···だから、またこんな無茶を···)
サトコ
「わ、私、心の底からゴリラだったらよかったって思ってます···!」
津軽
「鼻水飛ばしながらゴリラとかさ~」
「 “ 特別な女の子 ” でも、かなりヤバいラインだからね?」
その胸に擦りつけていた顔を包まれ、上げさせられた。
サトコ
「 “ 特別な女の子 ” って···」
「もう、私は···」
あなたにとっての特別ではないはずなのに。
戸惑いを受け取った津軽さんの眉が、めずらしく困ったように下がった。
津軽
「なんかさぁ、もう無理だなって」
サトコ
「無理って···な、何が···?」
「私の不出来さがですか!?それはもう少しだけチャンスを···」
津軽
「いいから、話聞けっての」
ふがっと鼻をつままれた。
津軽
「俺、サトコを見ると頭より先に身体が動くようになっちゃったんだよ」
「距離を取るとか突き放すとか、そういう境界線とっくに超えてんのに」
「選べないって言ったけど」
津軽さんの瞳に私が見える。
夕焼けに染まる色じゃない。
柔らかな月明かりを吸い込んだような瞳に、包まれるように映ってる。
津軽
「身体が···本能が選んじゃうんだよ。君を」
サトコ
「······」
(なっ···な、なんてことを···!)
(あんなに···どうしようもないって···)
(私の選択肢を消すようなこと言ったくせに···!)
津軽
「···どうしよっか?」
本当に困ったという顔で首が傾げられた。
<選択してください>
サトコ
「どうしよかって···こっちが聞きたいですよ!」
困りたいのは私の方だと、反射的に手が動いていた。
力の入らない手で、それでも思い切り津軽さんの頬を叩く。
津軽
「···はは、それもそっか」
頬に置いた手に、彼の手が重ねられる。
また笑うのが手のひら越しに伝わって来た。
胸に思い切り頭突きすると、津軽さんは息を詰まらせた。
それでもぐりぐりと頭を押し付け続ける。
津軽
「苦し···っ」
サトコ
「お互い様です!」
津軽
「···そっか、だね」
大きく息をしながら、笑う気配が伝わってきた。
サトコ
「こ、こっちが聞きたいですよ!」
もう一度、強く抱きつく。
聞こえる鼓動。
二度と聞くことはできないと思っていた彼の心臓の音。
納得できない展開なのに···速く強く脈打つそれが、どうしようもなく嬉しいなんて。
津軽
「2人で答え、見つけられるかな」
私と同じように嬉しさを覗かせる声だと思ってしまうのは、そう思いたいからなのか。
それともーー
津軽
「お詫びに明日から、ウサちゃんじゃなくてゴリちゃんって呼んであげよっか」
サトコ
「それのどこが、お詫びなんですか···」
染み付いたような日常のやり取りが口からは自然に出ていく。
そんななかで、脳裏に焼き付いている、海の夕陽に染まった顔がちらつく。
だけどそれは月明かりに染まった、目の前のふにゃりとした笑顔に上書きされそうになる。
(ずるい···この人は本当にずるい···)
私の心を引っ掻き回して、なのに平然とまたこんな心を揺さぶるようなことを言ってくるなんて。
サトコ
「また勝手に私の気持ちをぐちゃぐちゃにして···」
津軽
「うん、ごめん」
サトコ
「突き放して、でもそれができなくて、どうしようかって···」
「そんなのね、知るか!って話ですからね!?」
津軽
「はい」
サトコ
「ほんっと面倒臭い人ですね!!」
津軽
「ごめんね」
返ってくる言葉は、あの夕暮れの海と同じなのに。
だけど、あの時とは違う···
痛みはない、代わりに泣きたくなるような熱さが胸を占めている。
サトコ
「どうしようかって···私は津軽さんの激マズお手製おにぎりをまた食べたいですよ」
津軽
「激マズって遠慮ないなぁ」
サトコ
「バイクの後ろに乗って、またどっか出掛けたいし」
津軽
「うん」
サトコ
「ノアと3人でまた遊園地行きたいし···」
津軽
「うん」
サトコ
「『あなしね』の最終回だって、い、一緒に観たいです······」
津軽
「うん。全部、やろう」
津軽さんのへらっとした笑顔が滲んでいく。
(全部やろうって···傍には、いてくれるってこと···?)
(一緒に色んなことして···また、そうやって笑って···)
サトコ
「今の···今度こそ、やっぱナシとか言わせませんからね···!?」
津軽
「言わないよ」
サトコ
「今の津軽さん、正直信頼度0なんですから···ぐすっ」
津軽
「えー···君の鼻水をこんなに受け止めてあげてる男なのに?」
サトコ
「誰のせいだと思ってるんですか!!」
津軽
「俺のせいかー。でも普通、それ涙じゃん?」
(そんな無邪気な笑い方して···!)
そっか。
私はこの人の笑った顔を見ていられるのが一番嬉しいんだ。
だから、あんな泣きそうな顔をさせてしまったことが、どうしようもなく辛かった。
(恋人じゃなくていい。でも、近くに居たい)
(支えたいとか、そんなことより···)
私はこの人が夕暮れの時間に染まる姿を見たくないんだ。
銀さんじゃないけれど、片足でもいい···
そこから抜け出して、この人自身が幸いを抱き締める姿が見たいんだ。
(私は···この笑い声を、笑った顔を···いつまでも見ていたい)
(できるなら、一番近い場所で)
恋人って肩書を欲しがるよりも、ずっと欲張りな願いなのかもしれない。
だけど、これが···私の『好き』なんだ。
to be contineud