津軽
「だから、ごめん」
「俺、やっぱりサトコを選べない」
「もう好きって言わなくていいよ」
(もう···好きって、言わなくて、いい···)
目の奥が熱い。
でも泣いてしまったら声が出なくなるから、それを歯を食いしばって耐えた。
サトコ
「···好きです」
駄々っ子のようだとわかりながら。
それでも『好き』って言葉は『好き』を伝える言葉であってほしくて。
この人にとっては、もう違うとわかっているのに堪えられない。
サトコ
「好きです···津軽さんが好きなんです」
「本当に···っ、好きです!」
今となっては彼に向けてはいけない言葉だと理解しているからか、顔は自然に俯いていた。
好きの数だけ、頷きが返ってくるのだけが気配でわかった。
津軽
「ありがとう」
サトコ
「······」
初めて言った時には返って来た言葉が、今日はない。
(消えたんだ···消したんだ)
(津軽さんは、もう···)
他の道はないのか···縋るような思いで顔を上げれば。
津軽
「······」
夕陽に染まった、その顔がーー
(終わったんだ、本当に)
時に表情は言葉よりも雄弁に現実を語る。
帰る場所は同じだけれど、私はひとり帰路に就いていた。
先に歩き出した私を呼び止めることもなければ、肩が並ぶこともなかった。
(···引っ越した方がいいのかな)
(課内ではまだ取り繕えるけど、帰り道に会ったりしたら···)
これまでと同じようにできる自信がない。
どんな顔を向ければいいのか、わからない。
(私はズルい···好きで繋ぎ止めようとした)
(津軽さんはずっと抱えてた本音を言ってくれたのに)
好きで縛ろうとしたーー最低だ。
(あんな顔をさせるなんて···)
夕陽に彩られた表情が瞼に焼き付いて離れない。
思い出せば、息ができなくなるほど胸が苦しくなる。
サトコ
「······」
(私が津軽さんに何の不安も抱かせないくらいの丈夫なゴリラだったらよかったのかな)
(目も眩むようなスパダリゴリラとか···)
(···違う、そんなことじゃない)
そうだったら、むしろよかったのに。
無敵のゴリラだって目指したのに。
(津軽さんは私と銀さんを天秤にかけた時、銀さんを選ばないってことができなかったんだ)
(津軽さんがほしい、家族···前は家族ごっこで不安にさせちゃったけど)
(それは家族を切望している裏返しでもあって)
きっと恋はうつろう、形を変えてしまう儚いもの。
だけど家族は変わらない、形を変えずに傍にいてくれるものだと、彼は思っている気がする。
(好きって言葉だけでつながる関係···脆く思えるのは、当たり前)
公安学校で心理学についても学んだ。
専門的な知識とはいえないが、津軽さんが求めているのは、もっと確固とした関係。
安心感を得られるような場所···幼いころに彼が失ってしまった場所、なのだと思う。
(家族···か。恋人って肩書が欲しかったけど)
(津軽さんにとって大事なのは、恋人より家族だったんだなぁ···)
目を閉じれば、金色の髪の知らない頃の彼が姿が思い浮かぶ。
百瀬さんはいいな。
あの頃の津軽さんに会うことができてたら。
彼にとっての私の存在も、もっと違うものになっただろうか。
あんなに嬉しかった、好きな人の “ 特別な女の子 ” って肩書が。
今はこんなにも、哀しい。
真っ直ぐ変える気になれなくて最寄り駅ではなく、途中の駅でふらっと降りた。
駅近の適当な居酒屋に入ってみればーー
石神
「ん?」
加賀
「あ?」
サトコ
「え?」
カウンターに並ぶ、見知った大きな背中。
こんな偶然って、あるのだろうか。
石神
「今日は休みだと言ってなかったか」
サトコ
「は、はい。だから、知らない街で呑んでみようかな···なんて」
加賀
「つまんねぇ休みだな」
サトコ
「はは···」
(つまらない休みだったら、よかったなぁ)
石神
「······」
加賀
「······」
班長2人が立ち上がったと思ったら、左右に立たれた。
左右から腕を掴まれ、連行される宇宙人状態になる。
サトコ
「あの?」
石神
「座れ」
加賀
「食え」
サトコ
「え」
おふたりの間に座らされ、私の前には付け合わせの野菜だけが山盛りにされたお皿が置かれる。
石神
「野菜も食え」
加賀
「こいつが食う」
サトコ
「なるほど、私は加賀さんの野菜処理係···今日は東雲さんがいないんですね」
石神
「···ったく、魚と肉も食べろ」
石神さんが鮪のとろろ和えや牛肉のタタキのお皿を勧めてくれる。
加賀
「肉、残ってんじゃねぇか」
石神
「お前のじゃない」
「氷川、奪われる前に食べろ。ただし、よく噛め」
サトコ
「訓練レベルに難しいですね!?」
左右と目の前で展開される肉バトルを見ながら、一切れ牛のタタキを口に放り込む。
(美味しい···こんなに悲しいのに、美味しい)
それは津軽さんが私への『好き』を捨てても、
世界は変わらず動いていくのだと言われているようで。
津軽
「もう好きって言わなくていいよ」
サトコ
「······ぅ゛」
ぼろぼろっと熱い塊が目から溢れてしまった。
石神・加賀
「!」
目の前で繰り広げられていた肉バトルが止まり、凝視されているのがわかる。
(し、しまった···!)
<選択してください>
サトコ
「お、おふたりがケンカしたら悲しいです!」
石神
「···行儀は悪かったな」
加賀
「テメェのな」
石神
「なに?行儀の悪さで言えば、つがーー」
サトコ
「······」
加賀
「呑んでもいねぇのに泣き上戸になってんじゃねぇ」
石神
「生、ジョッキで3つ」
石神さんがビールを注文してくれた。
サトコ
「そんなに肉ばっかり争ってたら、野菜が可哀想です···」
石神
「······」
加賀
「······」
(く、苦し過ぎる言い訳だった···よね···)
加賀
「なら、全部食え」
サトコ
「ぐっ、ブロッコリーを押し込まないでくださいっ」
石神
「津軽のようなことを···」
サトコ
「······」
石神
「···ビールで流し込め」
「生、ジョッキで3つ」
石神さんがビールを頼んでくれて、私はブロッコリーをそれで押し流した。
サトコ
「す、すみません!目にビールが入っちゃって···!」
(···って、テーブルにあるの日本酒なのに!)
石神
「···そうか」
加賀
「生、ジョッキで3つ」
(今から頼むんですか!っていうか、突っ込んでくれていいんですよ···!)
何も訊いて来ない班長たちの優しさが涙を助長させて、止めるためにぎゅっと目を強く瞑る。
瞼の裏に浮かぶのはーー
津軽
「ありがとう」
(津軽さん、泣きそうだった···子どもみたいに···)
(あんな顔、初めて見た)
私が彼を好きになって、彼が私を好きになってくれた結果が、あの泣き出しそうな顔だなんて。
好きって言葉は幸せしか呼ばないと思っていた自分が愚かで悔しい。
加賀
「呑め」
サトコ
「はい!!!」
ジョッキを煽っても、味も分からないし酔いの欠片さえ感じられない。
(追い詰めるために、好きになったわけじゃない)
(私は津軽さんに笑って欲しくて···)
でも、そんな力、私にはない。
恋は魔法なんてかけてくれないんだーー
to be continued