【裏庭】
石神さんの部屋で見つけた、口紅らしきもの。
結局、あれから石神さんの仕事が忙しくなったこともあり、事態の進展はないままだった。
サトコ
「······」
ふと気を抜けば、頭に思い浮かぶのは、鳴子のあの言葉。
鳴子
「浮気の気配ってことだよねー。彼氏の家に、自分以外の女のものが置いてあるって」
(いやいや!石神さんに限って浮気なんてありえない!)
頭を振って雑念を消す。
(悩まなくても、会えた時に理由を聞けば、ちゃんと説明してくれるはず)
(これから警察庁に届け物に行くんだから、気持ちを切り替えて···)
難波室長から預かった書類を手に、警察庁に行こうとしていると――
海司
「氷川?」
後藤
「氷川か」
(この声は···)
同時に声をかけられ振り返ると、そこには後藤教官と秋月さんが並んで立っていた。
サトコ
「おふたりが一緒に···警護の任務ですか?」
海司
「その件が片付いたから、必要な書類を届けて警察庁に戻るところなんだ」
後藤
「俺は報告書を届けに。石神さんが有休で、その代理だ」
サトコ
「だから一緒に···」
(って、石神さん、今日有休を?)
サトコ
「石神教官、今日有休取ってるんですか?」
後藤
「ああ···聞いてないのか?」
サトコ
「はい···」
(休みの時は、連絡をくれることが多いのに···)
脳裏に口紅の影が過り、先程よりも大きく首を振った。
海司
「どうした?」
サトコ
「いえ、なんでもありません!私も警察庁に行くところなので、ご一緒してもいいですか?」
海司
「オレは構わないけど」
後藤
「問題ない」
サトコ
「ありがとうございます!」
(今はひとりになると、余計なこと考えちゃいそうだし)
(直接聞くまでは悩んでも意味ないんだから、やめないと!)
サトコ
「警護の任務、終わったんですね。お疲れさまでした」
海司
「ああ。マルタイも国に帰って一安心だ」
サトコ
「どんな方の警護だったんですか?」
海司
「某国の皇族がお忍びで遊びに来てたんだよ」
サトコ
「それで、公安に協力依頼を?」
後藤
「諜報活動などが行われないか、念のため監視が必要だった」
サトコ
「なるほど···そういう仕事もあるんですね」
(国家を守るのが公安の仕事···現場での任務は多岐に渡るんだろうな)
海司
「結果、何事もなく本当に平和な観光旅行だったけど」
後藤
「SPたちは観光に付き合わされたようなものだったな」
サトコ
「···ということは、同じ任務に就いていた石神教官もですか?」
海司
「石神さんは監視するだけだから、退屈だったんじゃないかな」
「ま、あの人なら動かない任務も慣れてるか」
後藤
「その程度のこと、石神さんには軽い」
(後藤教官、ちょっと嬉しそう?)
(班長が褒められるのって、やっぱり嬉しいんだ)
私も同じ気持ちになりながら、後藤教官の隣を歩いていた。
【駅前】
警察庁に届け物をした帰り道。
後藤
「降ってきたか」
サトコ
「天気予報で雨って言ってませんでしたよね」
後藤
「すぐに止みそうだが、濡れて帰るわけにもな···」
サトコ
「コンビニで傘買いましょうか」
後藤
「そうだな。この近くのコンビニは駅前か」
駅の方に向かって歩き出そうとすると、後ろから私たちを呼ぶ声が聞こえた。
海司
「後藤さん、氷川、傘!」
サトコ
「秋月さん!」
後藤
「わざわざ持ってきてくれたのか?」
海司
「ちょうど降り出すのが見えたから、持ってきた」
サトコ
「ありがとうございます!ちょうどコンビニに寄ろうかと思ってたところなんです」
後藤
「助かった」
(秋月さん、優しい人だな)
秋月さんから傘を受け取ると···
海司
「······」
サトコ
「秋月さん?」
私の向こうを凝視している。
(どうしたんだろう···)
海司
「あれ···」
サトコ
「え?」
秋月さんの視線を追うように振り返り――
サトコ
「石神···さん···?」
後藤
「あれは···マルタイだった人物···」
海司
「帰国したんじゃなかったのか?」
後藤教官と秋月さんも驚いているのがわかる。
同時に私も時が止まったような錯覚を覚えながら、ひとつの傘に入る石神さんと女性を見ていた。
(あの人、石神さんのマンションから出てきた女性だ···)
(皇族って言ってたよね。ということは、プリンセス···)
石神さんは有休だと言っていた。
その彼がどうしてマルタイだった女性と寄り添っているのか。
<選択してください>
(本人に聞いてみるのが、一番···)
上手く思考が出来ていない自覚はあった。
それでも思いついたように踏み出そうとすると···
後藤
「氷川」
後藤教官に肩を掴まれ、止められる。
後藤
「任務中の可能性もある。不用意な接触は避けろ」
サトコ
「···はい」
止められ、私はそのまま二人を見守ることになる。
(とりあえず電話してみるのは、どうだろう)
熟考してのことではなく、思いつきに近かった。
上手く動かない頭で携帯を取り出すと、その手を後藤教官に止められた。
後藤
「任務中の可能性もある。不要な接触は避けた方が良い」
サトコ
「···はい」
私はそのまま携帯をカバンに戻す。
サトコ
「······」
石神さんの隣に寄り添う女性。
後藤教官と秋月さんがいる手前、何かリアクションを···と思うのに、口も身体も動かない。
(石神さん、そこで何をしてるんですか?)
疑問の答えは、すぐに目の前でわかった。
石神
「······」
プリンセス
「······」
傘をさす石神さんに女性が抱きついたかと思うと、その顔が近づいて――
サトコ
「···っ」
最後まで見ていられずに、ぎゅっと目を瞑ってしまう。
(ど、どうして、そんなこと···!)
その拍子に持っていた傘が落ち、秋月さんが拾ってくれた。
海司
「大丈夫か?」
サトコ
「···すみません、大丈夫です」
傘を受け取った時には、もう石神さんと女性の姿はなかった。
サトコ
「······」
後藤
「マルタイが残ってるってことは、何か特別な事情があるのかもしれないな」
海司
「その可能性が高いっスね。班長に確認してみます」
「石神さんはマルタイのお気に入りだったから、巻き添え食ったのかも」
(マルタイのお気に入り···)
その言葉がずしっと重く胸に沈み、そのショックを悟られないように傘を深くする。
(雨が降っててよかった···)
後藤
「石神さんは仕事とプライベートを分ける人だ」
サトコ
「···はい」
警護対象者と不適切な関係にあれば、
刑事としての資質を問われる――そう思ったのか、後藤教官のフォローが入る。
(でも、これで全部つながったかも···)
石神さんの部屋に入った時に覚えた違和感が何だかわかった。
(部屋の香りが違ったんだ。すれ違った女性の香水と同じ香りが部屋に残ってた···)
マンションからプリンセスが出てくる姿も見ている。
となれば、あの口紅の持ち主も言わずもがなだ。
(プリンセスは石神さんの部屋にいたんだ···)
サトコ
「石神教官の任務にマルタイの警護も入っていたんですか?」
海司
「警護はオレたちSPの仕事なんだけど」
「マルタイから強い要望があって、今回は石神さんが駆り出されることもしばしばあった」
サトコ
「そうですか···」
「······」
(警護の仕事だって考えれば、家に呼ぶこともあるのかも)
全ては仕事···そう自分を納得させ、重い空と同じように思い塊を無理に飲み込んだ。
【寮 自室】
サトコ
「はぁ···」
その日の夜。
私は何度零したかわからないため息をまた零していた。
(石神さんからきすしたわけじゃないんだし)
(相手は警護対象だった人で、しかもプリンセス···立場を考えれば拒否するのも難しいよね)
消そうと思っても、繰り返し頭に浮かぶ光景。
二人の顔が近づき、そのあと――
(キス···本当にしたのかな?)
(ぎりぎり避けた可能性も···)
サトコ
「ああ!こんなことなら、目を閉じずにちゃんと見ておけばよかった!」
「私の意気地なし···!」
肝心なところでブラックアウトする記憶に、ぐっと拳を握っていると···
~♪
(電話···石神さん!)
(どうしよう···)
震える携帯をしばし眺め···勇気を出して、電話を取る。
サトコ
「は、はい···」
石神
『今、家か?』
サトコ
「はい」
動揺が声に出ないように、小さく深呼吸しながら答える。
石神
『警護課と組んでの仕事が一段落した。今週末は休みが取れそうだ』
サトコ
「お疲れさまでした。無事に終わってよかったです」
(どうする?昼間に見たこと、いっそのこと聞いてみる?)
(あの口紅のことも···)
<選択してください>
サトコ
「あ、あの···っ」
石神
『ああ』
サトコ
「今日···」
(警察庁近くの駅前で、石神さんとプリンセスがキスする姿を見ました···)
サトコ
「···っ」
心の中で呟いただけで、声にはならなかった。
サトコ
「···にわか雨ありましたよね」
石神
『···そうだったな』
サトコ
「あの、この前···っ」
(石神さんの部屋で口紅を見つけて···)
石神
『この前は悪かった』
サトコ
「え···?」
石神
『会う予定を駄目にしてしまっただろう』
サトコ
「あ、いえ、仕事ですから···」
(もう、聞けない···)
サトコ
「······」
聞きたいとは思ったものの、いざとなると言葉が出てこない。
(それに、こういう話は面と向かって話した方が良いかもしれない···)
石神
『どうした?』
サトコ
「いえ、ちょっと電波が途切れたみたいです」
石神
『そうか』
結局、肝心なことには触れられず、曖昧に言葉を濁してしまった。
石神
『この間出掛けられなかった代わりに、今週末、どこかに行くか?』
サトコ
「······」
今の状況で会えるのか···そんな迷いが一瞬よぎったものの。
(避けてても、何も解決しないんだから···)
サトコ
「はい、行きたいです!」
石神
『行きたいところがあれば、考えておいてくれ』
サトコ
「はい」
務めていつもと同じ調子で電話を切ると、ベッドに寝転がる。
サトコ
「石神さん···」
彼に限って、浮気なんて考えられない――
それは充分にわかっている。
(なのに、こんな苦しい気持ちを抱えるなんて···)
その信頼を裏切っているような気もして···嫌な感情を押し留めるように、きつく目を閉じた。
【教官室】
翌日、石神さんは警察庁での用事があるとのことで、午後から学校に来る予定だった。
(あとでちゃんと聞くとして、とりあえずは普通の顔で···)
???
「おい」
サトコ
「······」
(頬がひきつらないように、顔面の体操とかしておいた方がいい?)
???
「無視とは、いい度胸じゃねぇか」
サトコ
「え!?」
ふっと背後に気配を感じた時には、耳を強い力で引っ張られていた。
サトコ
「か、加賀教官!」
加賀
「卒業が決まって気が抜けてんなら、また一年からやり直すか?」
サトコ
「失礼しました!少し考え事をしていたもので···」
加賀
「その少ねぇ脳みそで考えたところで時間の無駄だ」
「そんな暇あるなら、この資料の整理を終わらせろ」
サトコ
「これは···加賀教官の仕事なんじゃ···」
加賀
「あ?何か言ったか?」
サトコ
「いえ、何でも···」
(作業していた方が平常心でいられるかもしれないよね)
サトコ
「お手伝いします」
加賀
「わかりゃいい」
来年度使う指導要領の整理のようで、印刷されているプリントを項目ごとにまとめていく。
(講義のカリキュラムとか見ると、入学したころを思い出すな)
(あの頃の石神さんは···)
とにかく厳しく怖い印象だったと思い返していると···
サトコ
「あ···」
束ねていたプリントの束を床に落としてしまった。
それを拾おうと屈んだ時···目の前に影が落ちた。
石神
「どうした?」
サトコ
「!」
降ってきた声に反射的に顔を上げる。
(石神さん···)
今、会うとは思っておらず、心の準備ができていなかった。
石神
「顔色が悪いぞ」
サトコ
「いえ、そんなことは···」
貼り付いた声で答えてしまったと思った時、指先に何かが触れた。
石神
「······」
サトコ
「!」
温もりの正体は、書類を拾うのを手伝おうとしてくれた、彼の指先。
その瞬間、フラッシュバックしたのは、雨の匂いとあの光景。
サトコ
「···っ!」
石神
「!」
気が付けば、その手を振り払っていた。
(あ···)
石神
「······」
ちょうど差し込んだ日差しのせいで、石神さんの表情をうかがうことができなかった――
to be continued