【道場】
ルームメイト――などと呼べる存在ではない。
同じ部屋を使う男の名は、加賀兵吾。
(人物への耐性はできていたはずだったが···)
上官
「次、石神秀樹、加賀兵吾!」
石神
「はい」
加賀
「···はい」
訓練の一環として行われる組手の稽古。
同様のの訓練は、これまでに何度も受けていて決して不得手ではなかった。
しかし――
加賀
「······」
石神
「······」
(···隙がない)
対峙しながらも、付け入る隙を見つけられずに視線だけが交わり続ける。
(どうする?こちらから仕掛けるか?)
(だが、一か八かを試すような方法は、本来の俺のやり方では···)
間合いを取り続けるだけの時間が続く。
緊張が増せば増すほど、時折眼鏡の外にある視界の差が気になってきた。
(外しておけばよかったか?いや、さすがにそれでは···)
加賀から自身の視界に注意が逸れた時だった。
加賀
「···甘ぇな」
石神
「!」
空気が動いたと思った瞬間には、襟元が引き寄せられていた。
石神
「···っ」
軸足で留まろと思ったが、それが敵う力の強さではない。
腹に力を入れた時には天井が見え、上から加賀が覆いかぶさっていた。
上官
「止め!勝者、加賀!」
石神
「···ありがとうございました」
加賀
「口の割に大したことねぇな」
石神
「······」
(野生の勘だけは発達しているようだな)
そう考え、それが負け惜しみだと気付き自分を恥じる。
組手のあとは、そのまま並んで待機することになっていて、隣に加賀が腰を下ろしてきた。
加賀
「······」
石神
「······」
上官の手前、部屋にいるときほどではないが崩れた佇まい。
注意が口をつこうとして、意味のないことだと止める。
(こんな男でも、先日の筆記試験結果も上位に入っていた)
(素行以外は成績優秀と言えるのかもしれないが···)
警察官としての素養を問うような面までフォローできているのかと言われれば、
どうかという気もする。
(特に特筆すべき能力が、この男にあるのか···)
(いや、そもそも、なぜこんな男が警察官を志した?)
石神
「···この職を志望した理由は何だ」
加賀
「人にモノを聞くときはテメェから話せ」
石神
「俺は···」
「······」
警察官を志望したのには、それなりの理由がある。
だが、それはここで語るような内容でもなかった。
石神
「この国や、人々の暮らしを守りたいと思ったからだ」
(定型過ぎる答えだな)
加賀
「へぇ、ご立派なこって」
石神
「······」
小さく鼻で笑ってくる加賀を見れば、こちらが本音で答えていないことは見透かされていた。
となれば、さらに話を聞くことも憚られる。
(一筋縄ではいかない男であることは間違いないようだ)
同時に甘く見ることもできない――それだけはわかっていた。
【車内】
数日後、現場実習が開始し、課題は現在起きている事件を解決すること。
加賀
「チッ、テメェと組まされるとはな」
石神
「安心しろ。同感だ」
(同室でバディを組まされることになるとは···)
加賀
「俺がひとりで解決する。クソ眼鏡は本でも読んでろ」
石神
「お前の方こそ、女のところにでも行ったらどうだ?そのほうが早く解決できそうだ」
加賀
「······」
石神
「···時間の無駄だ。さっさと捜査方針を立てるぞ」
どちらかが指揮を執ったほうが効率的なのは、わかっている。
(それでも···)
加賀が指揮権を譲るとは思えない。
ならば、ここで1歩退くべきなのは自分の方だと理解しながらも。
(この男のことだ。綿密な計画を立てることもなく、思いつきで捜査を進めるんだろう)
それを考えれば、退くこともできない。
石神
「今回は地下アイドルのストーカー事件だったな」
加賀
「ネットの書き込みから、ある程度特定されてんだろ」
石神
「まだ特定にまでは至っていないという話だ」
「だが、今日のライブに参加することは、ほぼ間違いない」
「犯人は不特定多数が参加できる掲示板で、ファンクラブ限定のイベントにも言及している」
資料として持ってきたファンクラブの名簿を加賀に渡すと、ヤツは目も通さずに放った。
石神
「必要な捜査資料だ」
加賀
「こんなもん、いちいち目を通してられっか」
「後ろ暗いところがある奴は、一目でわかる」
「現場を見た方が早ぇ」
石神
「根拠のない捜査に賛成はできない」
加賀
「なら、テメェはそこで紙を見てろ」
石神
「おい···」
何の捜査の打ち合わせもないまま、加賀は車を出ていく。
(同じ事件を担当するのに、全く意思疎通ができないまま始める奴があるか)
加賀の勝手すぎる行動に内心舌打ちを仕掛け、これでは奴と同じだと頭を冷やす。
(ペースを乱されてどうする)
(加賀のやり方に賛同できないなら、自分のやり方で進めるだけだ)
ライブが行われる会場の前で張り込みを始めた加賀を横目に、俺は名簿をチェックしていく。
(掲示板の情報と直近のライブ参加数を考えれば、ある程度容疑者を絞れる)
(あとは会場のファンクラブ席の写真から···)
情報と人物を照会し、頭に叩き込んでいく。
すると――
男
「いて!いてて!何すんだよ!」
加賀
「黙れ」
車の窓から外を見れば、加賀がひとりの若い男を拘束しているのが見えた。
(あいつ···)
何を根拠に、あの男を拘束したのかと車を飛び出す。
【ライブ会場前】
石神
「加賀!」
若い男
「何なんだよ、あんたら!」
加賀
「ここで活動してるアイドルからストーカー被害の報告が上がってる」
「テメェ、何か知ってんだろ」
男
「な、なんの話だよ!俺は普通にライブに来ただけで···」
石神
「この男を捕まえた理由は?」
男を拘束する加賀の腕に手をかけ問うと、奴は視線だけを送ってくる。
加賀
「勘に決まってんだろ」
石神
「何···?」
加賀
「思いつめたような虚ろな目でライブに来る奴は、早々いねぇ」
「ストーカー事件の犯人はコイツだ」
石神
「つまり···証拠はないということだな?」
加賀
「これから吐かせりゃ問題ねぇ」
若い男
「証拠もないのに捕まえるとか、許されんのかよ!職権乱用!暴力警官!」
「ネットで拡散してやるからな!」
石神
「···離せ、加賀」
加賀
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ」
石神
「現行犯ではなく、かつ証拠もないのにどうやって取調室まで連れ込むつもりだ」
どれだけ加賀の勘が鋭く、たとえ目の前の男が犯人だったとしても。
(証拠がなければ、拘束はできない)
石神
「加賀」
加賀
「···チッ」
これだけは退けないと強く呼ぶと、加賀の手が離された。
石神
「失礼しました」
若い男
「···っ」
若い男は掴まれていた腕を軽く払ったあと、会場へと走っていく。
加賀
「頭でっかちの正義感野郎」
石神
「···どういう意味だ」
加賀
「そのままの意味だ。テメェのケツはテメェで拭けよ」
加賀の言葉の意味を理解するのは、それからすぐ後のこと――
声
「握手会で男が暴れてるぞ!」
ライブ終了間近。
会場からの声の駆けつけた先で刃物を振り回していたのは――先ほど、加賀が拘束しかけた男だった。
to be continued