シークレット1 カレ目線
【マンション 寝室】
今夜もサトコが泊まりに来ている。
ここのところ何かにつけてはサトコを呼び出し、ちょっとした通い妻のようだ。
俺はいつものようにベッドでサトコに腕枕をしてやりながら、
次の休みについて思いを馳せていた。
(久しぶりの休みだし、きっと行きたい所が溜まってるんだろうな)
難波
「今度の休み、どこか行きたいとこあるか?」
何気なく聞いたつもりだが、予想外にサトコは考え込んだ。
サトコ
「室長はどこかないんですか?」
難波
「俺か?」
突然質問を投げ返されて、不覚にも困ってしまう。
(いつもならすぐにあそこに行きたい、あれがやりたいって言うのに‥どうしたんだ、急に?)
(俺は楽しんでいるサトコの姿が見られりゃ、どこでもいいんだけどな‥)
難波
「俺のことはいいんだよ。別に」
サトコ
「だけど、いつも私に合わせてもらってばっかりじゃ‥」
サトコがそんな風に思っていたとは驚いた。
でも俺はサトコが見せてくれる新しい世界が楽しみだし、
ヘタに俺の希望を言って、
サトコにジェネレーションギャップを感じさせるのもどうかと思ってしまう。
(タミタ食堂のメタボ防止料理教室とかちょっと興味がなくもないが)
(そんな所にサトコを連れて行くのもな‥)
難波
「そういう気は遣うな」
「ほら、行きたいとこがあるなら遠慮なく言ってみろ」
サトコ
「それじゃ‥」
「ハシビロコウを見に行きたいです」
難波
「は、はやしひろこ?」
(誰だ?そりゃ‥一昔前の芸能人か誰かか?)
サトコ
「違いますよ!ハシビロコウです」
「動かなくて有名な鳥なんですよ?」
難波
「‥鳥なのに動かないのか?」
サトコ
「全っ然動かないらしいです」
難波
「そうか‥じゃあ、どれだけ動かないのか確認してくるか~」
(どんなもんだか想像もつかないが、また今回も新しい世界を見せてもらえそうだ)
心の中でほくそ笑んでいると、なにやら隣でサトコがもじもじしているのに気が付いた。
難波
「‥どうした?」
トイレにでも行きたいのかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
サトコ
「いえ、その‥腕枕‥」
難波
「腕枕?」
サトコ
「重くないかな~と思いまして‥」
難波
「ああ‥これか‥」
そんなことを女に言われたのは初めてだった。
(さっきのことといい、こいつは本当に俺に気を遣ってるんだな‥)
(こんなもん、俺がしたいからしてるだけなんだが‥)
腕に感じる程よい重みは、サトコの存在をより身近に感じさせてくれる。
難波
「重くねぇよ、別に」
「俺の上腕二頭筋を甘く見るな」
サトコ
「でも‥」
サトコは申し訳なさそうに首をすくめた。
(俺にとっては幸せな重みでも、サトコが気になるなら仕方ねぇな)
難波
「じゃあ、こうするか」
サトコを横ざまにギュッと抱きしめ、そのまま俺の身体の上に乗せた。
サトコ
「キャッ!」
突然のポジションチェンジにうろたえるサトコの顔が、すぐ目の前で赤く染まっている。
俺は我慢できずに、そっと唇を重ねた。
難波
「‥‥‥」
サトコ
「‥‥‥」
(真っ赤な顔して照れちゃって‥かわいいな)
愛しい気持ちが溢れて、俺はもう一度サトコを抱きしめた。
(これで今夜も、まだまだ眠れそうにねぇな‥)
抱きしめてはキスをし、キスをしては抱きしめ‥
幸せな寝不足の夜がこうして今日も更けていく。
【室長室】
翌朝。
出勤すると、机の上に見慣れた赤表紙の大きな台紙が置かれていた。
難波
「またか‥」
いちいち見なくても、これがお見合い写真なのは分かっている。
なにしろ、今月だけですでに3枚目だ。
この歳で独身というと、とにかく上司たちが気を回したがるから厄介だ。
(こんなダイレクトメール並みに次々来ると、もはや見る気も起きねぇな)
(見合いなんてもう必要ねぇし‥)
毎夜ベッドの中で抱きしめているサトコの顔が浮かび、思わず顔がほころんだ。
(ここはひとつ、ビシッと言っとくか)
心を決めて内線電話の受話器を取った。
難波
「もしもし、課長ですか?難波です。おはようごさいます」
「いつものやつ、また持ってきて頂いたようで‥」
課長
『ああ、そうだった。どうだ、今回の彼女はいいだろう?』
案の定、課長は得意げな様子だった。
珍しく俺から電話を掛けたから、今度こそ話がまとまると期待しているに違いない。
難波
「写真は見ていません。というか、見るつもりもありません」
「このまま手つかずでお返ししますので、ご了承ください」
課長
『なんでだ?いったい何が不満なんだ』
難波
「不満なんじゃなくて、不要なんですよ。見合いなんて」
「そういうわけですから、こういうことはもうこれっきりでお願いします」
まだ何か言いたそうな課長に構わず、受話器を置いた。
難波
「これでよし、と‥」
さっそく見合い写真を封筒にぶち込み、警察庁との連絡便の回収箱に投げ込んだ。
こういう面倒事は、早く片付けちまうに限る。
【河川敷】
それから数日後。
思いつめた様子でウチに来たサトコを、俺はいつかの河川敷に連れ出した。
ここは俺がサトコにシロツメクサの指輪を贈った場所。
素直な想いを伝えたこの場所なら、多くを語らずとも気持ちが伝わるような気がした。
難波
「困ったときほど笑えってな。俺のばあちゃんがよく言ってたぞ」
「笑顔で見れば、ただの雲もひよっこに見えたりするもんだ」
「いつもと違う気持ちで見ると、見えるもんも変わるってもんだろ」
サトコ
「‥‥‥」
遠回しな俺の助言に、サトコはじっと黙り込んだ。
(ちょっと遠回しすぎたか‥?)
(行き詰ったら、まずは物事を見る切り口を変えてみろって言いたかったんだが‥)
かわいいサトコに手を差し伸べてやりたい想いはもちろんある。
でもそれをしてしまったら、公安刑事としてのサトコのためにならない。
俺は、ともすると甘やかしてしまいそうになる自分の甘さをグッと押し込めた。
(公安の任務では、常にその場その場のギリギリの判断が求められる)
(一歩でも間違えれば、自分だけでなく国民の命までもが危険に晒されるんだ‥)
(公安刑事として一人前になるには、常に自分で考えて動いていくしかねぇ)
(でもお前ならきっと、どんな壁でも乗り越えられるはずだ‥)
かわいいからこそ、信じているからこそ突き放す。
崖から自分の子どもを突き落すライオンの気持ちが少しわかったような来がした。
(まずは自分の限界までとことん考えてみろよ、ひよっこ)
サトコ
「‥ありがとうございます」
突然、サトコはスッキリとした声で言った。
強張っていた表情も緩み、少しは気持ちの余裕を取り戻してくれたようだ。
難波
「俺いま、礼を言われるようなこと言ったか?」
サトコ
「言いましたよ、すごく」
難波
「そうかぁ?」
ちゃんと真意が伝わったかどうかは分からないが、想いだけは届いたようだ。
俺はホッとして、わざと話をはぐらかす。
難波
「まあ、たまには休まねぇと、すぐに老け込んじまうからな~」
顔をシワくちゃにしておどけてみせると、サトコは明るい声をあげて笑った。
サトコ
「ふふっ‥変な顔‥」
(そう、そうの表情だよ。いつだってその笑顔を忘れるな)
(お前はもっともっと成長できる‥)
(今はまだひよっこでも、信念を持ってるお前は、どんな優秀なヤツにも負けねぇはずだ)
難波
「変な顔って‥」
「おっさんでも軽くショックだぞ」
サトコ
「変じゃないですよ、普通にしてれば」
2人で笑ってじゃれ合いながら、俺はサトコの更なる成長を願っていた。
【教官室】
それから1週間ほどして。
課長に返したはずの見合い写真を、なぜか黒澤が持ってきた。
難波
「なんでお前がそれを‥」
黒澤
「深くは追及しないでください」
「でもこれを難波さんに渡すのが、今のオレの最大のミッションなんです」
どうやら、課長から直々に命を受けたということのようだ。
いつもなら、断ればすぐに話が立ち消えになるのだが‥‥
今回ばかりは、課長も本気らしい。
難波
「ミッションねぇ。こんなことより他にもっとやるべきことがあるだろうに‥」
(暇だな、課長も黒澤も‥)
あきれて思わずため息が出てしまう。
黒澤
「そうおっしゃらず!このミッションには、オレの今後の人生が掛かってるんです」
「難波さん、お願いですから、何とか受け取ってくださいよ~」
難波
「何度言ったら分かるんだ?」
「俺にそれは必要ない。そう課長にも伝えたはずだ」
黒澤
「ですが、中の写真も見てないそうじゃないですか!」
難波
「受け取るつもりがないんだから見ないだろ、普通」
黒澤
「そんなことないですよ。普通は見ますって!」
「難波さんも男なんですから、見たら気が変わるってことも‥」
難波
「断じてない」
黒澤
「だってお相手は科警研の花、三上百合さんですよ!」
難波
「‥‥‥」
『科学警察研究所の三上』という名前には聞き覚えがあった。
確か、薬物の研究において非常に優れていると評判の女性だ。
(今回の案件では、色々活躍してもらうことになりそうだ‥)
黒澤
「会ってお食事するだけでも価値がありますって」
適当にあしらい続けていたら、いつの間にか黒澤はちょっと涙目になっている。
(こいつも課長からの至上命令じゃ、必死だよな‥)
(かわいそうだから、少しは合わせてやるか)
難波
「花だか草だか知らないが、仕事ができる女は嫌いじゃねぇな」
そう言った瞬間、黒澤の表情がパッと明るくなった。
どうやら、『できる女』というのは三上の事だと思ったらしい。
(確かに三上もそうかもしれないが‥俺の中の『できる』はちょっと違うんだな)
もちろん仕事上の能力も大切だ。
でもそれ以上に大切なのは、信念。
俺がその時に思い浮かべていたのは、もちろんサトコの顔だった。
(こんなちっぽけな言葉で形容したくはないが)
(アイツみたいに一本筋の通った信念を強く持っているヤツはそうそういない)
(信念があるからこそ、努力できる。成長できる‥)
(俺にとっては、ああいうヤツこそ『仕事ができる女』だ)
俺の想いに気付かず、黒澤はホッとした様子で俺に見合い写真を押し付けてきた。
黒澤
「それじゃ、まずはお友だちからということでどうでしょう?」
難波
「お友だちねぇ‥」
仕方なく、黒澤から見合い写真を受け取る。
俺の心がどれだけサトコでいっぱいかを見せてやることができない以上、
課長にはもう一度ちゃんと俺から断りを入れるしかなさそうだ。
サトコ
『わっ!後藤教官‥』
後藤が開けたドアの向こうから、サトコの声が聞こえてきた。
あれから捜査のアプローチの仕方を変えたサトコは、
みごとにこどもの太陽が抱える闇の真相に迫りつつあった。
(サトコ、俺はお前が一人前になる日を信じて待ってる)
(いつでも見ててやるから、しっかり上がってこいよ)
to be continued