【幸せの丘】
幸せの丘にある幸せの噴水の周りは、たくさんの恋人たちでいっぱいだった。
サトコ
「さすがに混んでますね‥」
難波
「ここまで人気のスポットだったとはな‥」
人混みの間を縫い、なんとか噴水の前まで行き着いた。
難波
「これが、幸せの噴水ってヤツか?」
サトコ
「そうです!この噴水の前で写真を撮ると、その2人は一生結ばれるっていうジンクスがあって‥」
スマホを取り出しながらそこまで言って、ハッとなった。
いつだったか、公安学校で突然黒澤さんにカメラを向けられた時のことを思い出す。
【廊下】
黒澤
「そうだ!お2人の写真も一枚撮りましょう」
難波
「は?」
サトコ
「え?」
「じゃ、じゃあ‥」
難波
「いらねぇよ」
サトコ
「!」
黒澤
「そんなこと言わずに!」
難波
「写真なんか撮ってもしょうがねぇだろ」
【幸せの噴水】
(あの時、写真撮られるの、室長すごく嫌そうだったよね‥)
取り出しかけたスマホをバッグにしまい、チラリと室長を見た。
室長は興味深げに、写真撮影をする恋人たちの様子を見守っている。
(頼めば一緒に撮ってくれるとは思うけど、嫌々ながらじゃきっと意味ないよね)
(ここまで一緒に来られたんだし、それだけでも十分って思った方がいいかも‥)
(代わりに、心のシャッターを切るということで‥)
自分に言い聞かせていると、いつの間にか私を見つめていた室長と目が合った。
難波
「どうした?撮らないのか、写真」
サトコ
「えっと‥」
難波
「ほら、ちょうど今がチャンスだぞ」
サトコ
「あの、でもっ‥!」
室長は私の手を取ると、噴水の方へズンズン進んでいく。
難波
「カメラは持ってるんだろうな?」
サトコ
「そ、その前に‥!いいんですか、写真?」
難波
「いいんですかって、何がだ?」
サトコ
「その、なんとなく‥室長は写真が嫌いなのかなって‥」
難波
「‥でも、ずっとここで写真を撮りたかったんだろ?」
サトコ
「‥はい」
難波
「だったら、迷うことなんかねぇだろ」
「撮るぞ、写真」
サトコ
「はい!」
(嬉しいな。室長と初めての2ショット写真!)
私はスマホを構え、噴水と室長と自分がうまく収まるポジションを探した。
でも、なかなか全部がきれいに画面に収まらない。
難波
「どうした?」
サトコ
「室長、もうちょっと右に寄ってもらえますか?」
難波
「ん?こうか?」
サトコ
「あれ?また噴水が隠れちゃった‥じゃあ、私がもう少しこっちに‥」
難波
「おいおい‥それじゃまったく‥」
室長は呆れながら画面を覗き込むと、スマホを持つ私の手をグッと持ち上げ、
もう片方の手で私の肩を抱き寄せた。
難波
「このくらい寄らないと映らねぇだろ」
サトコ
「!」
息がかかりそうなほどに寄り添って、2人でひとつの画面に収まる。
パシャッ!
撮れた写真には、すごく幸せそうな私と、ちょっとぎこちない笑顔の室長が並んで写っていた。
【丘】
眺めのいい丘からの景色を見つめているうちに、いつの間にか日が暮れていた。
たくさんいた恋人たちの数もずいぶんと少なくなり、辺りには静かな時間が流れている。
(日帰りの予定だし、そろそろ行かないとだよね‥)
調べておいた電車の時間が近づいてきているのに気づき、立ち上がった。
サトコ
「そろそろ帰りましょうか。ここから駅までもそこそこかかりますし」
難波
「そうか‥休みの一日はあっという間だな」
サトコ
「でも、楽しかったです。室長とプチ旅行みたいで」
難波
「プチ旅行か‥」
室長は伸びをしながら、何気なく続けた。
難波
「せっかくだから、プチじゃなくて本当の旅行にしちまうか」
サトコ
「え‥?それ、どういう意味で‥」
難波
「一泊してくかってことだよ」
サトコ
「!」
(う、嬉しいけど‥)
サトコ
「いいんですか?」
難波
「温泉旅行の約束も果たしてなかったしな~」
サトコ
「温泉旅行って‥」
(もしかして、2人で北海道に行ったときの‥?)
【北海道】
難波
「ここには、温泉もあるのか‥」
「次は温泉にでも行くか?」
サトコ
「‥ええ!?」
難波
「もちろん、ふたりきりでな」
サトコ
「いや、あのっ‥」
難波
「なんてな」
【丘】
(あの頃はまだ付き合ってもいなかったのに‥)
(あんな約束、ちゃんと覚えててくれたんだ‥)
感動を噛み締めていると、室長がちょっといたずらっぽく私の顔を覗き込んだ。
難波
「あれ?もしかして覚えてないか?」
サトコ
「お、覚えてますよ!でも室長が覚えててくれてると思わなかったので‥」
「すごく、嬉しくて‥」
難波
「じゃあ、決まりだな」
サトコ
「はい!」
室長は立ち上がって私の肩を抱き寄せると、ゆっくりと歩き出した。
難波
「長野はお前のルーツだもんな‥」
「せっかくだから、もっと知りたい」
「ここで育った氷川サトコのこと、もっと教えてくれ」
サトコ
「室長‥」
(私も、もっともっと知ってほしい。私のこと‥)
突然のお泊りにドキドキしながら、私たちは夕暮れに染まる丘を後にした。
【旅館】
サトコ
「はぁ~気持ちよかった~」
温泉から戻ってくると、室長は暗い部屋でゴロリと横になっていた。
難波
「ああ、おかえり~」
サトコ
「お待たせしました。電気も点けず何してるんですか?」
難波
「月明かりがきれいだから電気点けたらもったいねぇだろ」
「お前もこっちきてみ?」
サトコ
「わ‥確かにいい雰囲気ですね」
薄暗い部屋の中、言われるがままに室長の隣の座椅子に腰を下ろす。
遠くから聞こえる虫の声と柔らかな月明かり、そして隣には室長がいて居心地がいい。
そんな中、室長はさっきからスマホを睨んでしきりと何か操作している。
サトコ
「また苦戦してます?暗い中でスマホをいじったら視力下がっちゃいますよ」
難波
「この写真を待ち受けってヤツにしたいんだよ‥」
サトコ
「写真?」
室長のスマホを覗き込むと、さっき幸せの丘で撮った2ショットが大写しになっていた。
サトコ
「こ、これを待ち受けにしちゃうんですか!?」
難波
「そ~なんだが、どうにもこうにも‥」
サトコ
「とりあえず、貸してください」
どうやら室長は、私がLIDEで送った写真を保存することすらできていないようだ。
サトコ
「いいですか?こういう時は、まずこの写真を自分のスマホに保存して‥」
難波
「ほう‥」
サトコ
「このあとで、設定から待ち受けに指定‥と。はい、これでできました」
難波
「おお~できたか」
室長はスマホの待ち受けを見て嬉しそうに目を細めている。
(言われるままにやっちゃったけど‥)
(本当に待ち受けなんかにしちゃってよかったのかな‥)
難波
「どうだ、いいだろ?」
室長は待ち受け画面を見せて、ご満悦の様子だ。
サトコ
「なんか、意外です‥そんな風に喜んでくれるなんて‥」
難波
「だよな。俺も意外だよ」
サトコ
「え‥?」
難波
「写真なんて残したら、お前がいなくなったときに寂しいだろ」
サトコ
「!」
難波
「だからそんなもん、いらんと思っていたが‥」
「こういうのも満更悪くねぇな」
言いながら、室長は嬉しそうに画面を撫でた。
(室長は、写真が嫌いなわけじゃなかったんだ‥)
(でもなんで、一緒にいる時から居なくなった時のことなんて考えるの‥?)
もしかしたら室長には、そう思わずにいられないような、
何か悲しい記憶があるのかもしれなかった。
でも今はまだ、それが何かを聞きだすのは何となく憚られる。
サトコ
「室長、私は‥」
難波
「もちろん、サトコとはずっと一緒だ」
室長は今度は、画面ではなく私の頭を撫でて、そっと微笑む。
難波
「分かってる。お前はいなくならないんだから、居なくなった時のことを心配する必要はない」
サトコ
「‥‥‥」
室長はまるで、自分で自分に言い聞かせているようだった。
その様子が何だかとても心許なくて、傍にいて支えてあげなきゃと強く思う。
(室長にはきっと、これまでに色々あったんだよね‥)
(それがどんなことかまでは分からないけど)
(私が今、何をすべきかってことだけはハッキリわかる‥)
サトコ
「私は‥私だけは、何があってもいつまでも室長と一緒にいます」
(たとえ家族がいなくなっても、他の誰がいなくなっても‥)
難波
「サトコ‥」
サトコ
「‥‥‥」
室長は驚いたように目を見開いた後、フッと笑った。
難波
「お前ってヤツは‥」
「でもだから、俺はお前がいいのかもな‥」
サトコ
「!」
室長はじっと私を見つめたまま、少しずつ私との距離を詰めてくる。
座椅子にスッポリと収まっていた私は逃げ場もなく、
徐々に近づいてくる室長の唇をじっと見つめた。
やがて、温かなキスが私を包み込む。
サトコ
「室長‥」
難波
「ん?なんだ、サトコ」
サトコ
「ヒゲ‥」
難波
「ヒゲ?」
ちょっと顔を離すと、室長は自分のアゴをゆっくりと撫でた。
難波
「もう伸びたか‥」
サトコ
「あっという間でしたね」
難波
「せっかくつるっつるに剃ったのにな」
サトコ
「でもこっちの方が、室長って感じがします」
難波
「そうか?」
室長は嬉しそうに言うと、今度は頬を私の頬に押し付けてきた。
ジョリジョリと聞き慣れた音がして、私はくすぐったさに首をすくめる。
サトコ
「ふふっ」
難波
「なんだ、今日は嫌がらないんだな」
サトコ
「これがないのもちょっと寂しいって分かりましたから」
難波
「そうか‥ようやく分かったか。サトコにも、このヒゲのよさが‥」
室長は嬉しそうに言って、もう一度唇を重ねてきた。
浴衣のすそが心許なく乱れて。
いつもとは違う長野の夜が、ゆっくりと更けていった。
【屋台】
翌日。
東京に戻ってきた私たちは、あのラーメン屋台のあった場所を通りかかって驚いた。
サトコ
「あ、あれ!?」
難波
「おおお~!」
そこには無くなったと思っていた屋台が何事もなかったように置かれ、
大将が開店の準備を進めていた。
難波
「大将、店閉めたんじゃなかったのか?」
室長が勢いよく駆け寄ると、大将は驚いたように顔を上げた。
大将
「ああ、お客さん‥お知らせもしないですみませんでしたね」
「ちょっと屋台を修理に出してまして」
難波
「それでずっと姿が見えなかったのか‥」
サトコ
「じゃあ、辞めちゃうわけじゃないんですね?」
大将
「辞めるなんて、勘弁してくださいよ」
「これがないと、俺も食っていけないからね。死ぬまで続けるつもりですよ」
難波
「そりゃいいや」
サトコ
「よかったですね。室長」
難波
「ああ」
室長は感無量の様子で頷いた。
難波
「失くして初めて分かる大切さってやつだな‥」
室長は微笑みながら、開店準備を進める大将の動きを見つめている。
その目には、言いようのない安堵感が浮かんでいるように思えた。
【難波マンション】
難波
「いろいろあったけど、これで万事、一件落着って感じだねぇ」
家に帰るなり、室長は疲れ切った様子でソファに沈み込んだ。
サトコ
「お疲れ様でした。今、お茶を淹れますね」
難波
「お~頼んだ」
お茶の準備をしながらチラリと見ると、室長はじっと目を瞑っているようだった。
(緊張したり安心したり、疲れがドッと出ちゃったのかな)
起こさないようにと、そっとお茶を運んで行った。
でも気配を感じたのか、室長が目を開ける。
サトコ
「ごめんなさい。起こしちゃいましたね」
難波
「いや、寝てないぞ」
サトコ
「本当ですか?」
ちょっといたずらっぽく顔を覗き込むが、室長は真剣な表情のままだった。
難波
「考えてたんだ。昨日から今日にかけての色んなことを」
サトコ
「本当に、色んなことがありましたよね‥」
気合を入れて両親に挨拶に行ったのに、すっぽかされ、
思いがけなく恋人の聖地で2ショット写真を撮り、温泉での夜も過ごした。
そして最後は、あんなに悲しんだ屋台のあっけない復活‥‥
『失くして初めて分かる大切さ』と言った室長の言葉も、しみじみ思い出された。
(室長の心の傷の断片みたいなものも見たし)
(確かに、色んなことを考えさせられる2日間だったよね)
つられるようにぼんやり考えていると、室長が急に私に向き直った。
難波
「あのな、今回、ご両親にも伝えようと思ってたんだが‥」
サトコ
「?」
室長は気持ちを整理するように一度視線を落としてから、改めて私を真っ直ぐに見た。
難波
「俺はおっさんだし、バツイチだけど‥サトコのことを絶対大切にする」
サトコ
「!」
難波
「これだけは、何があっても約束するよ」
サトコ
「室長‥」
あまりに真剣で思いがけない言葉に、私は返す言葉もなく室長を見つめた。
難波
「だから、これからも一緒にいてくれ」
「俺と‥」
サトコ
「‥‥‥」
室長は、そっと私の手を握った。
その手を、私もギュッと握り返す。
サトコ
「昨日も言ったじゃないですか」
「私はいつまでも‥何があっても、ずっとずっと室長と一緒ですよ」
難波
「‥ありがとうな。サトコ」
室長は私を抱き寄せ、ギュッと抱きしめた。
室長の喜びや悲しみや、驚きや、色んな感情が伝わってくる気がして、私はそっと目を閉じる。
難波
「こうしていると、安心する」
「なんでだろうな‥お前が隣にいると、ただそれだけでなんだか安心しちまうんだよな‥」
(室長、それは私も同じですよ)
心の中で呟いて、私も室長を抱きしめ返した。
私は室長よりもずっと年下で、いつまで経ってもひよっこで、
室長に守ってもらうことの方が圧倒的に多いけれど。
(時々でいいから、室長にこうして安心感を与えられる存在でいられたら‥)
今までよりも少し大人な感情が湧きあがる。
それは室長への想いが、ただの恋からもっと深いものへと姿を変えた証なのかもしれなかった。
Happy End