DAY2 :背徳のキスにほだされて
(何だかすごく、心地いい‥)
朝の光にうっすらと意識が引き戻された。
でもあまりの心地よさに、再び眠りに落ちてしまいそうになる。
難波
『ふっ‥』
サトコ
「?」
室長の抑えたような笑い声が聞こえて、さっきよりも意識がハッキリした。
【寝室】
(心地いいと思ったら‥)
さっきから室長が、優しく私の頭を撫でてくれていたのだ。
その表情は優しさに溢れ、柔らかな手の動きは愛しさを滲ませている。
(幸せ‥)
うっとりしていると、今度は室長が私の顔を覗き込んできた。
難波
「起きてるのか?」
<選択してください>
サトコ
「‥はい。たぶん‥」
難波
「おいおい、なんだそりゃ?」
「完全なお寝ぼけさんだな」
サトコ
「なんだかすごく‥気持ちよくて‥」
難波
「もっと気持ちよくしてやろうか?」
サトコ
「?」
サトコ
「‥まだ‥です」
難波
「起きてないヤツは返事しないぞ」
サトコ
「ふふっ、それもそうですね」
難波
「まったく、しょうがないな」
「こうなったら、これ以上寝ていられないように‥」
サトコ
「室長はいつから起きてるんですか?」
難波
「あのな、おじいちゃんみたいなこと聞くなよ」
「ついさっきだ」
サトコ
「じゃあ、同じですね」
難波
「それはどうかな?」
室長は頭を撫でる手を止めると、ゆっくりとキスを落とした。
それを合図にするように、私の身体の細胞が一つ一つ目覚め始める。
(朝から元気を注入されちゃった感じ‥)
わずかに唇を離した室長に微笑みかけると、室長は急に真面目な顔になった。
難波
「その笑顔、今朝はもう禁止な」
サトコ
「?」
難波
「仕事に行けなくなっちまう」
室長は私の額に軽くキスを落とすと、未練を断ち切るようにリビングへと向かった。
(さて、私もお仕事モードに切り替えますか‥)
【学校 廊下】
コンコン!
その日の昼休み明け。
報告があって室長室のドアをノックしてみるが、返事がない。
(あれ?いないのかな‥?)
サトコ
「失礼しま‥」
難波
『意識失ったくらいでうろたえんな。死なねぇ程度にもっと締め上げろ』
サトコ
「!」
少しだけ開けたドアの隙間から声が聞こえてきて、私は咄嗟に動きを止めた。
難波
『あいつの持ってる情報次第で、大惨事が防げるかもしれねぇんだ』
『お前も公安なら、容赦すんな』
(何の話‥?)
いつもよりも低く抑えたような声。
最後のひと言には、苛立ちすら感じられた。
顔を見なくても、緊迫した雰囲気なのがわかる。
(‥今は邪魔しない方がいいみたい)
私は気付かれないように、そのままそっとドアを閉めた。
(今朝の室長とはまるで別人だな‥)
難波
『起きてるのか?』
(もちろん、あれはあくまでも室長のプライベートな顔で、仕事上の顔とは違うのは当然だけど‥)
プライベートでの関係が深まれば深まるほど、その時の姿と仕事中の姿に
大きなギャップを感じてしまう。
ガチャッ!
ぼんやりと考え込んでいると、不意に目の前のドアが開いて室長が出てきた。
サトコ
「あ、室ちょ‥」
声を掛けようとして、室長が肩でスマホを挟んでいるのに気付いた。
難波
「わかった。すぐ行く」
手早く返事をしながら、手に持っていたジャケットを羽織る。
室長はそのまま、私に目もくれずに歩き出した。
難波
「後で聞く」
サトコ
「え‥?」
それが私に向けられた言葉だと気づくよりも早く、
室長の姿は廊下の角を曲がって見えなくなった。
(こ、声も掛けられなかった‥)
いつもの室長の背中が遠く、遠く感じられた。
【階段】
それから数時間して。
建物の角を曲がると、すぐ目の前に室長と石神教官の姿があった。
二人とも微妙に背を向けていて、私には気づかない。
難波
「だから、それじゃダメだろ」
石神
「もちろん、室長の考えは理解しています。ですが‥」
難波
「お前の言いたいことも分かる。俺は代案にも全て目を通した上でこう言っている」
石神
「それは私も同じです」
難波
「優先事項を変えなきゃ意味ねぇっつってんだ」
二人は難しい顔でじっと黙り込んだ。
(これは、挨拶をするっていう感じでもないよね‥)
なんとなく邪魔をしてはいけない気がして、行こうと思っていたのとは逆方向に歩き出す。
【廊下】
(ああいう姿を見ると、室長と私は上司と部下なんだなって痛感させられるな‥)
そんなこと、とっくに分かってるつもりだった。
本当は公安室長なんて、私たち訓練生にしてみれば雲の上の存在で、
気安く話すことすら憚れる。
それなのに私は、室長の別の顔を知ってしまったから‥‥‥
(知らなければこんな風に感じることもなかったんだって、分かってる。でも‥)
私の知らない公安室長としての顔を見ると、
まるで二人の絆までもが解けてしまったようで不安になる。
頭では分かっていても、心がうまく追いつかない。
(バカだよね‥それとこれとは全然別のことなのに‥)
(でもこんな風に思っちゃうってことは、公安刑事としての私の成長が足りないのかも‥)
恋人としての距離の詰まり方に比べ、公安刑事としての立場はそう簡単に近づくものではない。
(‥こればっかりはすぐにどうこうなるもんじゃないけど)
(きっと、もっと頑張らないといけないんだよね)
(そうじゃないと、胸に時々渦巻くこの空虚な感じは、いつになっても消えてくれない)
胸のざわつきを少しでも忘れたくて、私はその後の訓練に没頭した。
【廊下】
(さすがにちょっと気合入れすぎたかな‥)
その日の訓練をすべて終えた夕方。
疲れ切って廊下を歩いていると、前から室長が来るのが見えた。
(あ、室長だ‥!)
思わず足を止める。
今朝からの室長の姿が頭を過って、とっさにどんな顔をしていいか分からなくなってしまった。
でも室長は構わず、私の方に歩いてくる。
難波
「サトコ、さっきは悪かったな」
サトコ
「え‥ああ、いえ‥」
難波
「何か用だったか?」
(もうすっかりいつもの室長だ‥)
嬉しいような、もどかしいような。
複雑な気持ちを持て余していると、室長が顔を覗き込んできた。
難波
「どうかしたか?」
サトコ
「いえ、なんでも‥先ほどは、この前の捜査の中間報告をと思いまして」
難波
「そうか、じゃあ今頼む」
私が報告を始めても、室長はさっきからのリラックスした様子を崩さない。
難波
「そうか~、ご苦労だったな」
サトコ
「いえ‥」
(何だか今度は逆に変な感じ。仕事の話しをしてるのに、いつもの室長‥)
(室長がこんな風に接してくれるからあんまり意識してなかったけど)
(こういう室長の方が本当は特別で‥)
(さっきまで見せてたような厳しい顔が、みんなにとっての普通なんだよね)
自分の甘えを改めて突き付けられ、気を引き締めた。
サトコ
「以上ですので、私はこれで‥」
難波
「おいおい、やっぱりなんか変だな」
「ウチのひよっこは一体どうしちまったんだ?」
<選択してください>
サトコ
「べ、別に‥何でもありません」
言葉とは裏腹に、目を伏せる。
難波
「刑事を前に嘘をつくのは得策じゃないな」
サトコ
「これが普通なんです」
難波
「‥どういう意味だ?」
強張った表情で言った私の言葉に、室長は怪訝な表情になった。
サトコ
「普通の訓練生なら、こういう接し方になるはずだと‥」
難波
「突然、どうした‥?」
サトコ
「やっぱり分かりますか?」
(ダメだな、私‥ちっともうまく振る舞えてない‥)
サトコ
「‥すみません」
難波
「おいおい、何だよ、突然」
サトコ
「実はちょっと‥」
言いだしかけて、何となく言葉を飲み込む。
難波
「ちょっと、なんだ?」
サトコ
「室長が遠いなって、思ってしまって‥」
難波
「俺が?」
サトコ
「‥‥‥」
コクリと頷くと、室長はさっき以上にグイッと顔を寄せてきた。
難波
「こんな近くにいるけど‥」
(そういう意味じゃないんだけどな‥)
でも上手く伝えられそうになくて、あいまいに笑ってしまう。
サトコ
「で、ですよね‥」
難波
「変なヤツだな」
「これ以上近づいてくれって言われると、ここではもう無理だぞ」
サトコ
「分かってます!」
(分かってる‥恋人としては、近づこうと思えばきっと、いくらでも近づける‥)
(でも、刑事としては‥)
笑いながら去っていく室長の背中を見送りながら、うまく言葉に出来ないもどかしさが募った。
【武器庫】
その夜。
石神教官から武器の使用点検を依頼された私は、一人で武器庫に籠っていた。
サトコ
「銃も弾も、数量チェックOKと‥」
チェックシートに各項目の数量を細かく書き込んでサインを終え、
武器庫を出ようとIDをカードリーダーにかざした。
ピッ
でも、いくら施錠が解けて青くなるはずの光が赤いまま動かない。
サトコ
「あれ?」
もう一度IDをかざしてみると、今度は読み取りの音すらしなくなってしまった。
サトコ
「‥うそっ!」
ドンドンッ!
試しにドアを叩いてみるが、二重になっている防音扉の外に聞こえる訳もなかった。
(ここは携帯の電波も入らないし、どうしよう‥)
(でもしばらく待てばきっと、石神教官が気付いて助けに来てくれるよね)
自分を励ましたその瞬間。
バツン!
サトコ
「!」
室内の電気が切れて、わずかな非常灯に切り替わった。
(ちょっと、どういうこと‥?このままで本当に大丈夫なのかな‥)
さっきまでの気丈さが徐々に影を潜め、だんだんと不安が勝り始める。
(このまま誰も気付いてくれなかったら‥)
(ここで夜を明かす羽目に‥?)
カタンッ!
奥の方で小さな物音がして、背筋がぞっとなった。
(今の音、何‥?)
サトコ
「だ、誰か‥いるんですか‥?」
(そういえばこの間、鳴子たちが武器庫で幽霊が出たとかなんとか‥)
余計な思いつきに、肌が粟立つ。
(今、何か横切ったような‥なんて、バカバカ考えるな!)
(そんなことでビビってたら公安刑事失格だよ)
(だいたい、幽霊なんてそんな非科学的なもの、いるわけが‥)
ガタンッ!
サトコ
「っ!!」
余りの恐ろしさに耐え兼ねて、ギュッと目を瞑り、両手で耳を覆った。
そんな私の肩に、何かが触れる。
サトコ
「やっ‥!」
???
『‥おい』
『おい、俺だって』
サトコ
「‥?」
恐る恐る目を開けると、目の前に室長の顔があった。
サトコ
「し、室長‥」
(よかった‥)
ホッとしたと同時に、膝から力が抜けた。
難波
「おいおい、大丈夫か?」
不安定な私の身体を支えてくれながら、室長が私の顔を覗き込む。
サトコ
「だ、大丈夫です‥」
難波
「そうか」
室長はそう言って笑ってから、私の身体を抱き寄せた。
その時になって初めて、自分の身体が小刻みに震えていることに気付く。
難波
「もう大丈夫だ」
室長は頼もしく私を抱き締めると、優しく頭を撫でてくれる。
サトコ
「‥はい」
安堵感のままに、私は室長の胸に顔を埋めた。
難波
「システム誤作動でお前が武器庫に閉じ込められてるって聞いたときは、途方に暮れたぞ」
「武器庫のセキュリティはとにかく厳重だからな~」
サトコ
「誤作動だったんですか‥でもよかった、すぐに復旧してくれて‥」
難波
「いや、復旧はまだだろ。たぶん今頃、歩が必死にやってるんじゃねぇか?」
サトコ
「じゃ、じゃあ‥室長はどうやってここに‥?」
難波
「ん?俺は‥」
「適当にいじくり回したら、なんか開いちまったんだよな」
サトコ
「ええっ?」
(武器庫のセキュリティ、厳重って今言ってたよね‥?)
難波
「まあ、俺の偉大な愛がシステムに勝ったってことだ」
サトコ
「偉大な愛って‥」
難波
「そりゃ、お前‥俺の女が閉じ込められたんだぞ?」
サトコ
「!」
室長のその言葉は、私のこれまでの不安や戸惑いやモヤモヤを一瞬で吹き飛ばしてくれた。
(俺の女‥)
どんな時であれ、室長にとって私はいつでも「俺の女」なのだと改めて思う。
(私、すっかり忘れてた‥室長は、私に釣り合うことなんて求めてないって‥)
分かっていたはずなのに、大きな差を見せつけられるとまだ時々不安になってしまう。
(今回もまた、遠いなんて一人で勝手に思い込んでたけど‥)
(結局いつも、そんな風に思って距離を作ってるのは私の方なんだよね‥)
難波
「それにしても、あんなに怯えてるとは‥」
「お前、結構ビビりだな」
サトコ
「だ、だって!ここには幽霊が出るって話を聞いて‥」
難波
「ぷっ‥幽霊?」
室長は堪えかねたように吹き出した。
サトコ
「そんな、笑わなくても‥」
難波
「まあ、刑事でも幽霊は怖いよな」
ちょっと不服そうな顔をした私に、室長は軽くキスを落とした。
まるで、これでもう大丈夫だと言わんばかりに。
サトコ
「ちょ‥室長!ここ、学校ですよ?」
難波
「それが‥?」
室長は今さら焦り出した私を面白そうに見つめながら、徐々に壁際に追い詰めた。
サトコ
「!」
壁に押し付けられた私の首に、室長がゆっくりと腕を回す。
そして今度は、ゆっくりと味わうように唇を重ねた。
(ど、どうしよう‥もしかしたら、誰か来ちゃうかも‥!)
既に人気のほとんどない時間だとは分かっていてもハラハラしてしまう。
難波
「そんなに気になるか?」
サトコ
「そ、それは‥」
「もちろん」と言いたいのに、室長の熱い眼差しに見つめられ、
金縛りにでもあったかのように動けなくなった。
(学校でこんなこと‥すごい背徳感‥)
(これ以上はダメ‥なんだけど‥)
難波
「嫌なら、もう‥」
ーー本当は、止めて欲しくない。
室長はそんな私の気持ちを見透かした上で、ワザとらしく身体を離した。
私は思わず、室長の上着の裾をつかんでしまう。
サトコ
「‥‥‥」
難波
「‥?」
「どうして欲しいんだ?」
室長が耳元で甘く囁く。
サトコ
「!」
(どうして欲しいって‥な、何て言えば‥)
戸惑う私を誘うように、室長はそっと頬に触れた。
身体の奥の方が一瞬で熱を帯び、もっともっと触れて欲しいと身体中が室長の温もりを求め出す。
サトコ
「室ちょ‥」
カツカツカツ‥‥
不意に響いてきた靴音に、室長は自然な動きで私から離れた。
石神
「室長、ここでしたか」
「システムの修復は完了しました。氷川、大丈夫だったか」
サトコ
「は、はい‥」
難波
「それじゃ、戻るとするか」
室長は何事もなかったように歩き出しざま、私の耳元に顔を寄せた。
難波
「続きは、また今度」
サトコ
「!」
思いがけないささやき。
(まさか今の、石神教官に聞こえたりは‥)
ドキドキしながら室長と石神教官の背を見送る。
上司と部下であるべきこの場所での室長の恋人宣言に、私の動揺は広がるばかりだった。
to be continued