Goto’s Side1
【後藤 実家】
後藤母
『あら!あらあら!誠ちゃーん!』
玄関からおふくろの声が聞こえてくる。
運びきれないくらいの買い物でもしたのか、と思わず深いため息が出る。
しかし、その割には少し嬉しそうな声に聞こえるのは気のせいだろうか。
後藤
「なにを騒いでるんだ。おふくろは···」
???
「お、おふくろ!?後藤さんのお母さんだったんですか?てっきり、お姉さんかと···」
聞こえるはずのない声に、息が止まるかと思った。
玄関で佇んでいたのは·········
彼女から逃げたのは、怖かったかもしれない。
アイツを···
サトコを、これ以上好きになることが···
【個別教官室】
宗教団体『タディ・カオーラ』
ここ数年、団体の規模が加速するように大きくなり、最近捜査担当に加えられていた。
後藤
「石神さん、報告書です」
石神
「特出事項は?」
後藤
「武器密輸の可能性を秘めている過激派です」
「このままでは、いつ、日本に混乱を招くかわかりません」
石神
「······なるほどな」
パラパラと資料に目を通す石神さんは、とある項目に目を付ける。
石神
「···信者の男女比は半々なのか?」
後藤
「はい、それも独身女性が多いかと」
石神
「独身女性···」
俺の言葉を聞き、石神さんは何かを考え込むようにため息を吐く。
いつも通りの静かな空間。
ただ、その場の沈黙はいつもと違って嫌な予感がしていた。
石神
「後藤、タディ・カオーラに潜入して内部調査をしてきてくれ」
「この本部があるマンションの部屋を押さえる」
後藤
「···分かりました」
石神
「···どうした?」
後藤
「なんでもありません。準備を始めますのでこれで失礼します」
石神
「······」
【コンビニ】
潜入捜査から数日。
(適当に飯でも買って帰るか···)
近くのコンビニに入ろうとした時、前方からやってくる同僚の捜査官の姿に気づいた。
後藤
「······」
同僚
「おっと···!」
同僚は持っていた袋をぶちまけ、慌てたように拾っている。
後藤
「向こうに転がってましたよ」
同僚
「すみません、大荷物過ぎて袋が破けちゃいました」
後藤
「大丈夫ですか?何だったらコンビニから袋を貰ってきますが···」
同僚
「エコバッグを持って来てるんで大丈夫ですよ」
「ほら、念のために余分に持ち歩くようにしてるんです」
後藤
「···!」
そう言いながら同僚は他の人間に気付かれぬよう、小さなメモを渡してくる。
同僚
「···石神さんからの伝言だ」
後藤
「分かった」
同僚がぶちまけた荷物を広い終わったあと、俺はそのまま潜入用のマンションへと急いだ。
【マンション】
後藤
「なっ···」
石神さんから渡された暗号メモには、潜入にサトコも参加させることが書かれている。
(アイツには、この手の事件はまだ早い気もするが···)
これが彼女自身にとって経験になるのは間違いない。
誰もが通る道だ。
(俺も補佐官に甘いな)
(···サトコには立派な刑事になって欲しい)
暗号メモを焼却処分しながら、俺はサトコが来るのを待つことにした。
その日の夕方。
隣の部屋にサトコが越してきた。
挨拶に来たサトコは、少しだけ驚いたような表情を見せる。
その様子が、少しだけおかしかった。
(この様子だと、隣が俺の部屋だって知らされないまま来たみたいだな)
サトコ
「今日、隣に越してきました合羽(あいば)です。よろしくお願いします」
(近隣住民の「状況把握」に挨拶。悪い手ではないが、相手に怪しまれないとも限らない)
(今の時点では70点といったところか)
しかし入学当初とは比べ物にならない成長ぶりに、少しばかり安堵する。
後藤
「こちらこそ。私も越してきたばかりなんですが、よろしくお願いします」
お互いに愛想笑いを浮かべながら挨拶を終え、サトコが部屋に戻っていく。
隣のドアが閉まる音が聞こえたと同時に、震えたスマホ。
確認するまでもない。
画面に浮かぶ『サトコ』の文字を見ながら、俺は苦笑する。
(石神さん、伝えていなかったのか)
(···それにしても、サトコが自室の調査を済ませたかどうかは怪しいな)
すでにサトコの部屋は、石神さんからの指令で調査済みである。
だが、本人にクセ付けされなければ意味がない。
(越してきた物音、時間から察するに···調査前に連絡をしてきたな)
(···減点だな)
サトコ
『どうして、後藤さんが隣の部屋にいるんですか!?』
後藤
「宗教団体『タディ・カオーラ』の捜査だ。俺は1週間前から、この部屋で張っている」
サトコ
『私も石神教官から命じられてこのマンションに来たんです』
サトコはやや興奮気味で話しているが、
いつも通りの元気な姿を想像して口元が思わず緩んだ。
緊張続きだった俺の心が少し和らぐ。
(······)
こんな小さなことで、自分の気持ちが落ち着くとは思わなかった。
気付けば、電話から聞こえてくるサトコの声がひどく心地よい。
後藤
「どうやら初めは夫婦という設定で2人での潜入捜査の話もあがってたらしいんだがな」
サトコ
『夫婦で···』
(サトコとなら···これまでよりも、一層『夫婦』の感じは出せるかもしれないな)
サトコ
『後藤さん?』
後藤
「いや、何でもない。気にするな」
サトコ
『はぁ···』
後藤
「長期の捜査になるかもしれないが、お互い頑張ろう」
サトコ
『はい!』
後藤
「だが、無理はし過ぎるなよ。何かあったら、俺を頼れ」
「俺はアンタの教官であり相棒であり···」
「恋人なんだからな」
(捜査中に何を言っているんだ、俺は···)
不謹慎なのはわかっている。
それでも口をついて出た言葉は「恋人」としての言葉でしかなくて···
後藤
「隣の部屋にアンタがいると思うだけで···」
「なぜかホッとするから不思議だ」
本心だった。
サトコのおかげで···あの忌々しい事件から止まっていた俺の中の時間は動き出した。
(顔を見て···は、言えなかったかもな)
自分の調査資料と過去の調査資料を広げる。
過激派である宗教団体『タディ・カオーラ』。
(この数年の動きが活発になった起因であるのは···)
重要人物の再チェックとマンションの入り口にある監視カメラの映像を観ながら、
サトコからもらった饅頭をひと口頬張った。
数日後。
後藤
「ひとまず、簡易報告は以上になります」
石神
『後で別の者に報告書をまとめさせる』
『他に何か不審な動きはあるか?』
後藤
「今の段階では何とも言えません」
石神
『それだけ相手が慎重になっているということだろう』
『お前に限ってミスはないと思うが、くれぐれも注意しろ』
後藤
「はい」
こういう調査は気長にやるべきだと分かっているが、
調査対象が同じマンションにいることもあり、多少気が逸ってしまう。
(何か起こってからでは遅いからな)
(···被害が出る前に尻尾を掴むことが出来ればいいんだが)
石神
『氷川の方は、問題ないか?』
後藤
「彼女も上手くやっている方だと思います」
「この類の調査は慣れていないので、多少のぎこちなさはありますが」
石神
『そうか。何かあればフォローを頼む』
後藤
「わかりました。それでは失礼します」
石神
『ああ』
本部側で何か分かっていれば捜査にも進展があるかもしれないと考えたが、まだ無理らしい。
後藤
「ん?」
今まで物音がしなかった隣の部屋で、ガタガタと何かを置く音が聞こえる。
隣の物音に敏感になってしまうのは、潜入中の習性のようなものだった。
ただ···少しだけ、困ったことがある。
(こういう生活音を心地よいと思うなんてな···)
(この音の主がサトコだからなんだろうが、まったくどっちが60点なんだか···)
カタン、とベランダの方から音がした。
なんとなく···本当になんとなくだ。
彼女に会えるかもしれないと思いベランダへ出た。
サトコの小さなつぶやきが聞こえた。
後藤
「どうかしましたか?」
サトコ
「え!」
後藤
「今、泥棒···と聞こえた気がしたので」
サトコ
「それが···その···干してた下着が1枚なくなってて···」
「もしかしたら下着ドロボーかなって···」
後藤
「下着ドロボー!?」
自分でも予想以上にデカい声が出たことに驚いた。
(まずい、目立つ行動は控えないと···)
(それにしても···サトコの下着が盗まれたのか?)
眉を下げて困る姿は心細そうで、すぐ抱きしめたくなった。
(この地区に不審者情報は出ていなかったはずだが···)
(今まで出ていないだけで、今も出ていないとは限らな···ん?)
そんな時、サトコの後ろ側でベランダの手すりに引っかかりヒラヒラとなびくモノを見つける。
後藤
「······」
両頬を押さえて困るサトコの姿と、ヒラヒラとなびくそれを交互に見る。
後藤
「···後ろに飛んでるのは違うのか?」
サトコ
「え?」
見つけた瞬間の慌てる姿に、また心が和む。
(顔が真っ赤だ···)
真っ赤になって視線を泳がせるサトコが可愛くて仕方ない。
【墓地】
数日後。
後藤
「悪い。せっかくの休みに付き合わせて」
サトコ
「いえ!私も手を合わせたかったので···」
後藤
「前にアンタを連れて行ったのは警察の合同慰霊碑だったろう?」
「今日は改めてアンタをアイツに紹介しておきたかったんだ」
「俺の···恋人として」
サトコ
「後藤さん···」
後藤
「またサトコと一緒の捜査が始まったからな。その前に···誓いたかった」
「俺はもう···」
夏月の墓に手を合わせる。
(もう、大切な人を失わない)
(今度こそ···俺は必ず、彼女を守る)
夏月に誓うように、俺は心の中で強く呟く。
(ん?)
夏月への挨拶を終え、後ろを振り向くとサトコが熱心に手を合わせていた。
(俺もそれなりに熱心にしていたつもりだが···)
(熱心さではサトコの方が上回っているかもしれないな、まるで神頼みをしているみたいだ)
後藤
「······」
サトコ
「······」
後藤
「随分熱心な挨拶だな。願い事でもしてるのか?」
俺が問いかけると、サトコはキョトンとした表情を見せた。
サトコ
「え?」
後藤
「アイツは神様じゃないから、願いは叶えてくれないぞ」
サトコ
「あ、そっか!」
後藤
「ハハッ」
「ただ···」
サトコ
「ただ···?」
後藤
「見守ってはくれるかもしれない」
夏月はそんなやつだったから。
きっと俺のことも、サトコのことも、仕方ないなって見守っていてくれると思う。
(サトコは···必ず、この手で守る···!)
to be continued