【講堂】
後藤さんの実家訪問から、数日後。
ついに私は、公安学校の卒業式を迎えた。
卒業生たちが難波室長から卒業証書を順に受け取ると、
在校生から送辞が贈られた。
石神
「答辞。卒業生代表、氷川サトコ」
サトコ
「はい」
(ついに、この時が···)
私は一度深呼吸をして、壇上に上がる。
(何度も練習した···あとは自分の気持ちを言葉にするだけ)
サトコ
「桜の花も綻び始め、春の香りも感じられるようになりました···」
会場に視線を向けながら答辞を述べ始めると、教官席にいる後藤さんと目が合った。
後藤
「······」
彼の目はしっかりと私を捕えていた。
(後藤さんが見守ってくれてる···)
感じていた身体の強張りが解けるのがわかる。
サトコ
「私たちは公安学校初の卒業生となります」
「ここで学んだ二年間、様々なことがありました」
「教官方の講義、訓練···」
(本当にいろいろなことがあったなぁ)
公安学校に初めて来た日が懐かしい。
(石神教官と加賀教官に初めて会ったのは、行きの電車の中だった)
(厳しいけど、石神教官と加賀教官あってこその公安学校だったと思う)
そんな二人がこれからは上司になるのだから、ますます気は抜けない。
(それで電車のスリを捕まえようとしたら、犯人の男がナイフを取り出して···)
車内アナウンス
『~駅···~駅、左側のドアが開きます』
ジャンパーの男
「そこをどけぇ!」
サトコ
「!」
(カ、カバンでガード!)
咄嗟に持っていたカバンを抱えた時。
私の前に大きな背中が見えた。
サトコ
「え···」
突如現れたスーツ姿の男性は無駄のない動きで窃盗男の腕を掴み、ナイフを叩き落す!
流れるように後ろ手に拘束すると、その手首に手錠をかけた。
(手錠···この人、警察官···?)
後藤
「素人が無理をするな」
(後藤さんが守ってくれた···)
(再会したあの時から、私を守ってくれたんだ)
その時を懐かしく思うと同時に胸が熱くなる。
サトコ
「教官方から教えていただいたことは、知識ばかりではありません」
「公安刑事としての心構えも教えていただきました」
(颯馬教官には、剣道場で初めて会って···)
(夏月さんの事件を乗り越えられたのは、颯馬教官の力も大きかったと思う)
(東雲教官に会ったのは、シャワールームだったんだよね)
(あの時から、食えない雰囲気のある人だったけど···)
その真の怖さを知ったのは入学してからだった。
(でも、助けてもらったことも多かった)
(後藤さんが辞表を出して山口に帰ってしまったときも···)
辛い事件も、苦しいこともあった。
けれど、気が付けば私たちはいつも、教官たちに支えられ、導かれていたのだと思う。
サトコ
「ここで過ごした日々を胸に···」
「教官方と肩を並べられる公安刑事になれるよう精進して参ります!」
後藤
「······」
サトコ
「卒業生代表、氷川サトコ」
私は一瞬目を閉じると、一礼して壇上を降りる。
私の胸は驚くほど清々しい気持ちになっていた。
石神
「続いて、教官代表祝辞。後藤」
後藤
「はい」
(え?後藤さんも壇上で話すんだ···)
後藤さんは緊張した様子もなく、壇上へと上がる。
そして卒業生たちを見回した。
後藤
「卒業おめでとう。長くは話さないから安心してくれ」
「ひとつだけ···これからが本番だ。ここで重ねた努力は決して裏切らない」
「明日を作っていくのは、お前たちだ。自分の信じた道を進め」
後藤さんの言葉を皆がしっかり受け取っているのが、その真剣な顔でわかる。
卒業生A
「後藤教官って、格好いいよな」
卒業生B
「キャリアじゃなくても、ここまでなれるんだもんな」
(ノンキャリで上がってきた後藤さんだからこそ、その言葉は胸に響く···)
小さく聞こえてきた声に心の中で頷きながら、私は後藤さんを見つめる。
後藤
「次に会うときは対等な刑事として、肩を並べよう。以上」
(やっぱり後藤さんは私の憧れの刑事だ···)
後藤さんの言葉通り、これからが本番。
対等な刑事として歩んでいくための日々が始まろうとしていた。
【教官室】
式後、鳴子と千葉さんと卒業を祝いあったあと。
私は最後に卒業式の出席名簿を届け、教官方にお礼を言うために教官室を訪れた。
サトコ
「卒業式には卒業生全員が出席しました」
「これまで、ご指導いただいてありがとうございました!」
卒業生名簿を机に置き、私は深く頭を下げる。
加賀
「クズが、卒業したぐらいで一人前になったと思うな」
東雲
「まさかウラグチさんが卒業しちゃうとはね。卒業もウラグチなんじゃないの?」
お祝いの言葉どころか、トゲのある言葉を投げつけられる。
(うん、これでこそ加賀教官と東雲教官!)
(普通に祝われた方が驚いちゃうよね)
東雲
「···何ニヤけてんの。気持ち悪」
サトコ
「え!いえ!卒業できて、本当によかったなぁって···」
???
「ああ、その通りだ。卒業、おめでとう」
後ろから声を掛けられたかと思うと、目の前に差し出されたのは彩り綺麗な花束。
振り返ると、そこに立っているのは······
サトコ
「一柳教官!」
一柳昴
「なかなかいい答辞だった」
サトコ
「ありがとうございます!」
後藤
「お前は卒業式に呼んでねぇだろ」
一柳昴
「は?卒業生を祝うのに、誰かの許可がいるのかよ」
後藤
「いる」
一柳昴
「サトコ、やっぱりこんなバカの下にいるより、オレの下に来い」
石神
「二年育てた訓練生を簡単に引き抜かないでもらおうか」
一柳昴
「警護課で立派に活躍させてやるよ」
黒澤
「そういうわけにはいきませんよ!」
サトコ
「黒澤さん!?」
私と一柳教官の横にスッと黒澤さんが現れる。
黒澤
「サトコさんは石神班に配属されるんですから!」
サトコ
「そうなんですか!?」
石神
「いや、配属先はまだ決まっていない」
サトコ
「ですよね···」
後藤
「黒澤、何を勝手な事を言ってるんだ」
黒澤
「だってサトコさんが石神班に配属されれば、オレの後輩になってくれるんですよ!」
「共に石神さんの小言に耐え、共に後藤さんからのぞんざいな扱いに耐え···」
「痛みを分かり合える、そんな相棒がオレは欲しい!」
後藤
「何を綺麗にまとめてるんだ」
後藤さんが黒澤さんの頭をバシッと叩く。
一柳昴
「ふっ··· “お祭り課” の名前は、お前らにやるぜ」
後藤
「くっ···」
東雲
「まったく···」
「誰のせいなんだか」
チラッと東雲教官が私に視線を送ってくる。
サトコ
「わ、私のせいですか!?」
後藤
「一柳のせいだ」
一柳昴
「は!?」
賑やかな教官室。
(ここにいられるのも、今日が最後···少し、寂しくなるな)
私はしっかりと、目の前の光景を目に焼き付けていた。
【屋上】
教官室を出てから、私は何となく学校から去りがたく屋上に来ていた。
奥の柵のそばまで近づいて、日が暮れつつある街並みをぼんやりと眺める。
サトコ
「もうここに来ることもないのかな···」
いつか教官になれば話は別かもしれないが、それはまた遠く不確定な未来だ。
(いざ卒業となると···)
私が思っていた以上に名残惜しい。
後藤
「やはり、ここにいたか」
サトコ
「後藤さん···」
屋上に後藤さんが姿を見せる。
その手には缶コーヒーが2つ。
後藤
「飲むだろ?」
サトコ
「はい!いただきます」
後藤さんが私に手渡してくれるのは、思った通り甘いコーヒーだった。
(このコーヒーに何度となく助けられたっけ)
後藤さんはブラックで、缶コーヒーを開けると並んで夕日に染まった校舎と街並みを眺める。
サトコ
「美味しいです」
後藤
「ここで並んでコーヒーを飲むことも、もうないのか」
サトコ
「そうですね」
後藤
「分かってはいたが、サトコも卒業してしまうんだな···」
感慨深い声で後藤さんが呟く。
サトコ
「ずっと訓練生でいるような気がしてました。でも、本当に卒業できて···」
「二年って、あっという間なんですね」
後藤
「そうだな···この二年は俺の中でも、特別だ」
後藤さんがその目を細める。
(後藤さんと出会って、いくつもの事件を共に見てきて···)
(先日、ようやく夏月さんの事件も解決できた)
公安課に入れば、簡単に担当外の事件に介入は出来ないだろう。
(私が訓練生のうちに解決できてよかった)
後藤
「······」
この二年を思い返し、後藤さんは何を思うのか······
その横顔を見つめていると、目が合う。
後藤
「そういえば昨日、壱誠から電話があった」
サトコ
「壱誠くんから?」
後藤
「ああ。アンタに謝っておいてくれと言われた」
「突っかかって悪かったと」
サトコ
「いえ、そんな···壱誠くん、少し落ち着いたんですか?」
後藤
「そうみたいだ。アンタの一言が効いたって」
サトコ
「私の一言?」
首を傾げる私に、後藤さんがフッと微笑む。
後藤
「壱誠には、壱誠にしか進めない道があるって言ったろ?」
「それで、自分の信じた道を突き進めって」
サトコ
「あ···」
後藤
「その一言で目が覚めたらしい」
「壱誠は親より周りより、自分自身が一番、俺と比べていろいろ考えてたと言ってた」
サトコ
「壱誠くん自身が···」
(何となくわかるかも···)
(後藤さんみたいな立派なお兄さんがいたら、意識せずにはいられないよね)
後藤
「まだわからないことだらけだが、自分が信じた道を突き進んでみるそうだ」
「アンタを見習って」
サトコ
「そう言われると照れますね」
後藤
「···サトコも誰かに憧れられる存在になったんだな」
サトコ
「憧れの刑事だった後藤さんのもとで学べたおかげです」
顔を見て微笑み合うと、私たちの間を冬の名残を孕んだ風が吹き抜けた。
後藤
「寒いか?」
コーヒーを飲み終わり、缶を下に置いた後藤さんが距離を縮める。
サトコ
「少しだけ。夜になると、まだ冷えますね」
後藤
「卒業式でも言ったが、これからが本番なんだ。風邪をひかないようにな」
サトコ
「はい」
後藤さんの手が私の肩に触れると、その温かさを感じる。
ぐっと引き寄せられると、後藤さんが真剣な目で私を見つめていた。
後藤
「アンタが卒業するってことは···もう俺たちの関係を隠す必要もない」
サトコ
「はい···」
後藤
「だから···これからは名前で呼んでくれないか?」
サトコ
「え?」
突然のことに思わず聞き返すと、後藤さんはかすかに視線を泳がせる。
後藤
「呼び方なんて、どうでもいいと思ってたんだが···」
「やはり、恋人は名前で呼んだ方が自然なのかと思ってな···」
サトコ
「そ、そうですね!恋人なら名前で呼んだ方がいいですよね!」
(後藤さんは呼び方は関係ないって言ってたけど)
(実家に帰ったりして、心境の変化があったのかな···)
新幹線で後藤さんに言われたことを思い出す。
後藤
「···そういえば、壱誠のことは名前で呼んでるんだな」
(あの時から、気にしてたのかも···)
後藤
「呼んでくれるか?」
サトコ
「は、はい···!」
(後藤さんがこう言ってくれてるんだから、私も覚悟を決めよう!)
サトコ
「せっ、せ···」
後藤
「······」
サトコ
「せい···」
後藤
「······」
サトコ
「せい······」
(いざとなると、なかなか言えない!)
後藤
「···言いづらいか?」
サトコ
「な、慣れないだけなので大丈夫です!」
「あ、あの、ちょっとひとりで練習してみていいですか?」
後藤
「練習···?」
私は後藤さんから視線を外すと、夕焼けに顔を向けた。
サトコ
「せ、せ···誠二···さん、誠二さん···うん、この調子!」
小さな声で誠二さんの名前を呼び、少しずつ慣らしてみる。
(難しい事じゃないんだから!私もいつかは名前で呼びたいって思ってたし···)
サトコ
「誠二さん···」
もう一度練習で呼んでみると、
後藤
「それがいい」
ぐっと引き寄せられたかともうと、後藤さんの顔が目の前にあった。
じっと瞳を見つめられ、顔から火が出そうになる。
後藤
「もう一度、呼んでくれ」
サトコ
「!」
サトコ
「···誠二···さん···」
後藤
「ああ」
微笑んだ後藤さんの顔が近づき、その唇が重ねられる。
サトコ
「んっ···後藤さ···」
後藤
「違うだろ?」
サトコ
「誠二、さん···」
反射的に苗字で呼んでしまい、
名前で呼び直すとご褒美だというようにもう一度キスをされた。
サトコ
「なんだか、私だけ恥ずかしくてズルいです···」
後藤
「俺は先に名前で呼んでたからな」
サトコ
「やっぱり···名前で呼んだ方がいいですか?」
そうだと答える代りに、後藤さんは食むような口づけを繰り返す。
後藤
「アンタの特別になれた気がする」
サトコ
「誠二さん···」
(ずっと前から、誠二さんは私の特別な人なのに)
こうして言葉にして、関係を進めていくのも大切なのだと知る。
少し顔を離して、私たちは近い距離で見つめ合う。
後藤
「この風景を二人で観るのも最後だ」
サトコ
「そうですね···」
後藤
「これからは新しい場所で、二人で頑張っていこう」
サトコ
「はい、誠二さん!」
馴染んだ景色に別れを告げるけれど。
次にまた、誠二さんと見る景色に胸を膨らませ、
私たちは新しい季節の訪れを心待ちにしていた······
Happy End