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ふたりの卒業編 石神3話

【石神マンション】

黒澤さんから公安にいる理由と石神さんの話を聞いた日の夜。

私は石神さんのマンションの前に立っていた。

(結局、黒澤さんの話を聞いたあとは石神さんに会えなくて)

(診療時間ぎりぎりに莉子さんが紹介してくれた病院に行ったけど)

結果としては “急性ストレス障害” と、医者から正式な診断がおりた。

(ここまできたら石神さんに報告しないわけにはいかないよね)

治療は当面カウンセリングで進めることになり、その話もしなければならなかった。

緊張しながら部屋番号を押すと、少しの間を置いて石神さんの声が聞こえてくる。

サトコ

「氷川です」

石神

どうした?こんな夜に

サトコ

「石神さんに報告しなくてはいけないことがあって」

石神

とにかく、中に入れ

サトコ

「はい」

オートロックのドアが開き、私はマンションの中に入った。

【リビング】

サトコ

「夜分遅く、すみません」

石神

めずらしいな。連絡も入れずに来るのは

サトコ

「あ‥」

(いろいろ考え込んでたせいで、前もって連絡するのすっかり忘れてた!)

サトコ

「すみません!もし都合が悪かったら、後日でも‥」

石神

構わない。急ぎの件だったから、ここまで来たんだろう

とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着け

石神さんが運んできたのは、ここに置いてあるペアのマグカップ。

それを見ると、少しだけほっと心が落ち着くのを感じた。

サトコ

「いただきます」

石神

ああ

(美味しい‥)

コーヒーをひと口飲んでから、私は意を決して口を開く。

サトコ

「実は‥」

銃が撃てなくなったこと、原因は先日の発砲で容疑者を意識不明の重体にしてしまったこと。

医師に診察してもらった結果、ASDの診断がおりたことーーそれらをなるべく客観的に話す。

石神

‥‥‥

サトコ

「‥‥というわけなんです」

上手く説明できなかったかもしれない。

けれど石神さんは私の話に口を挟むことなく最後まで聞いてくれた。

石神

話はわかった。ASDに関しては任務中のことが発端だ

こちらでも相応の対応が出来るよう各所に確認しておく

(慰めるような言葉を簡単に言わないところが石神さんらしいな)

事実を事実として受け止め、冷静に対処する姿は、いかにも石神さんだ。

(でも、この方がいい。慰められるよりも話がしやすい)

もう一口コーヒーを飲んでから、私はわずかに視線を落とした。

サトコ

「ASDの原因にもなっていると思うんですが‥」

「私には昨日の判断が適切だったと、どうしても割り切ることが出来ないんです」

石神

‥‥‥

サトコ

「あそこで犯人を止める必要はあった。でも、もっと他の選択もあったんじゃないか‥」

「そう思い悩んでしまう私は‥公安刑事には、向いてないでしょうか?」

石神

それを俺に聞くことに、意味があるのか?

サトコ

「え?」

いつもと変わらない石神さんの冷静な声に視線を上げる。

照明のせいか彼の眼鏡越しの瞳がよく見えずに、私は目を細めた。

石神

他でもないお前の人生の決断に、他人が口出しするべきではない

サトコ

「‥‥‥」

(他人‥)

その言葉が鉛のように重く入ってくる。

石神

向いていないと言われたら、公安刑事を辞めるのか?

その程度で辞めるのであれば、遅かれ早かれ退職するか転属を願い出ることになる

どんな状況でも、最後に決めるのは自分だ

サトコ

「‥はい」

石神さんの言うことは正論だ。

反論の余地はない。

石神

今回俺に出来るのは‥せいぜい決断した後の手続きからになる

サトコ

「‥そう、ですよね」

(石神さんは正しい。決めるのは自分‥どうしたところで、そこに行きつくのは分かってる)

(でも‥)

石神さんの言葉が的確であればあるほど、ぐっと胸が苦しくなる。

同時に見えてくる、これまでの石神さんとの関係。

(これまで私が頑張れていたのは‥)

(最後の最後で石神さんが見守ってくれてるっていう安定感があったからなんだ)

(前に室長から捜査を外れるように言われた時だって‥)

【潜入先】

石神

室長、捜査は順調に進んでいます。氷川はターゲットとかなり距離を縮めました

動けないことで捜査から外すより、このままやらせた方が早期解決につながると思います

私が責任を持ちます

氷川にやらせてやってください

【マンション】

(石神さんの支えがあったから、背伸びも出来た)

(でも、それは石神さんが教官だったからで‥)

(卒業したら、責任は全て自分で背負わなければいけない)

(それは当たり前のことで‥)

刑事としての頭は理解しているのに、どこか納得いかないのは‥‥

(他人の人生だって線引きされてしまったら‥私は石神さんの何なんだろう‥?)

教官として恋人として‥何か道標を示してくれるかもという期待があったのだと気づく。

(もうすぐ一人前の公安刑事になろうっていうのに、こんな甘えた考えじゃダメってことか)

(今は石神さんの前にはいない方がいいかもしれない)

(きっとロクな顔できてないから‥)

サトコ

「こんな時間に面倒を持ち込んでしまって、すみませんでした」

「病院の件については必要な書類があれば提出しますので」

石神

‥‥‥

石神さんの顔を見られないまま、鞄を手に立ち上がろうとすると‥

石神

待て

サトコ

「何か‥」

石神

A国大使襲撃事件の報告書を、ここで書いて行け

サトコ

「今からですか!?」

石神

学校にいる間は他のことで手一杯だろう。ここで書いていった方が早い

サトコ

「そ、それは確かにそうですけど‥」

(この状況で報告書の作成とは‥!黒澤さんじゃないけど、鬼だ!)

(だけど、こうやって鍛えられていくものなのかも‥)

サトコ

「わかりました!テーブルお借りします」

石神

終わったら呼んでくれ

サトコ

「はい」

石神さんが席を外し、私は報告書の作成に取り掛かった。

(これで大丈夫かな。石神さんにすぐにチェックしてもらえるのは有り難い)

(学校だとつかまえるのも大変だし‥ここで書かせてもらってよかった)

ひと通り書き終えて見直しをしていると‥台所からいい匂いがしてくる。

サトコ

「これって‥出汁の匂い?」

石神

終わったか

顔を上げると、ちょうど石神さんがリビングに戻ってきた。

サトコ

「はい。一通りは‥確認してもらってもいいですか?」

石神

ああ

石神さんが報告書を確認する間、緊張してしまうのはいつになっても変わらない。

石神

‥問題ない。この短い時間でよくまとめた

サトコ

「ありがとうございます!ここで報告書を書けって言われたときは、鬼かと思いましたけど‥」

石神

なに?

“鬼” という言葉に石神さんの眼鏡がキラリと光る。

( “鬼” 呼ばわりはマズかった?)

<選択してください>

A: ちょっと黒澤さんの真似を

サトコ

「ちょっと黒澤さんの真似を‥」

石神

見本にすべき人間が間違ってるな

サトコ

「以後、気を付けます!」

B: あの流れは正直キツイ

(でも、あの話の後に報告書を作るのは大変ではあったし‥)

サトコ

「あの流れは正直キツイです」

石神

だが、終わってしまえば気が楽だろう

サトコ

「はい。今はここで終わらせてよかったって思ってます」

C: 愛ゆえの優しさだったんですね

サトコ

「愛ゆえの優しさだったんですね」

石神

どういう意味だ?

サトコ

「書き始めはキツかったですけど、今は終わらせてよかったって思ってます」

「石神さんの言う通りにしてよかったです」

報告書をテーブルで整えると、石神さんはそれを手近なファイルに挟んだ。

サトコ

「じゃあ、今度こそ私はこれで‥」

石神

少しそこで待っていろ

サトコ

「え?まだ何か‥」

私をもう一度ソファに座らせ、石神さんが席を外す。

そしてすぐに戻ってきた石神さんの手には大きなお鍋があった。

石神

この鍋敷きを置いてくれるか

サトコ

「は、はい!」

石神さんの右手に掛かっていた鍋敷きを取ってテーブルに置く。

鍋敷きの上にそっと置かれたお鍋の中は‥

サトコ

「わ、おでん‥!」

石神

空腹は正常な判断を欠く。とりあえず腹から満たせ

サトコ

「お腹ペコペコだったんです。すごく嬉しい!」

石神

腹の虫がまた騒いでいるようだったからな

サトコ

「えっ、聞こえてたんですか!?」

思わずお腹を押さえる私に石神さんがフッと笑う。

石神

熱いうちに食べよう

サトコ

「いただきます!」

石神

何にする

サトコ

「ええと‥大根とちくわから。あと玉子も食べたいです!」

石神さんがお玉でよそってくれると、その眼鏡が曇る。

サトコ

「ふふ、眼鏡外しましょうか?」

石神

すぐに戻る。気にしなくていい

ほかほかのおでんを前に、私は大根から口に運んだ。

サトコ

「ん、美味しい!」

石神

そうか。あまり時間がなかったが、とりあえず形になってよかった

(石神さん、もしかして‥)

(私におでんを食べさせるために、報告書を作って行くように言ったの?)

サトコ

「このおでん‥染みますね」

石神

時間があれば、もう少し柔らかくしたいところだ

(味だけの話じゃなくて、心に染みるんです‥)

ツン‥と鼻の奥が痛くなり、私は誤魔化すように笑った。

サトコ

「石神さんが手料理食べさせてくれるの、珍しいですよね」

「料理、嫌いなわけじゃないんですね」

石神

計量がレシピ通り正確でないと納得できないタチだからな

ひとつの料理を作るのに時間がかかる

その点、おでんは出汁だけ作ればいいから楽だ

サトコ

「出汁は多めに作ってストックも出来ますからね」

石神

そうなのか?

サトコ

「はい。今度、一緒に作りませんか?」

石神

ああ

眼鏡を曇らせながらおでんを食べる石神さんに、昨日からずっと感じていた緊張が緩むのを感じた。

石神

今日は泊まっていけ

サトコ

「え、でも、明日は休みじゃないのに‥」

石神

たまにはいいだろう。もう電車も終わる時間だ

(いつの間にか、もうそんな時間に‥石神さんがこう言ってくれるのなら、いいの‥かな)

私は小さく頷き、今夜はこのまま泊まることが決まった。

【寝室】

石神

‥‥‥

サトコ

「‥‥‥」

夜、同じベッドに入ると石神さんが腕枕をしてくれた。

寄り添う温もりに、石神さんの気持ちが伝わってくるようだった。

(厳しいことを言っても、私のことを見放したわけじゃない‥)

(ちゃんと私の近くに居ようとしてくれてる)

サトコ

「腕‥重くないですか?」

石神

負担はかかるかもな

サトコ

「じゃあ、もう‥」

無理はさせられないと、頭を腕から外すと‥

石神

‥‥‥

サトコ

「い、石神さん?」

もう一度腕枕の位置に頭を持ってこられる。

石神

おやすみ

サトコ

「えっ‥」

目を閉じる石神さんに、何も言えなくなってしまう。

(ずるい‥でも、これが石神さんの優しさなんだ‥)

私はその胸に顔を埋める。

聞こえてくる規則正しい鼓動が私の心までも穏やかにしてくれる。

そして、その温もりは私に大切な言葉を思い出させてくれた。

(あれはそう‥石神さんと想いが通じたばかりの頃、二人で出かけた時‥)

【仲見世】

石神

この先‥もし本当に公安の刑事になったとしたら、お前が抱えるものも増える

真っ直ぐな分、傷つくことも多いだろう

サトコ

「‥‥‥」

石神

持てる荷物は、俺にも持たせてくれ

サトコ

「あ‥」

石神

卒業して、公安に配属になれば守秘義務も増える

俺に言えないことも必ず出て来るだろう。それでも‥

何かを吐き出せる胸くらいは貸してやれる。覚えておけ

【寝室】

(あの時の言葉に嘘はない。石神さんは見守ってくれてる)

(けど見守ることは、私の重要な選択を決めるってことじゃない)

(私の人生を決められるのは、私だけ‥)

石神さんが見守ってくれているからこそ。

銃が撃てない状況で、この先どうするのか自分で考えて行動しなければならない。

卒業までもう、あまり時間はないのだから。

【学校 会議室】

翌日は学校で面接試験の模擬練習が行われた。

成田

「では、順に公安刑事になる理由をお願いします。まずは千葉から」

千葉

「私が公安刑事を志す理由はーーー」

本番の面接は個人面接だけれど、今日は集団で模擬練習が行われている。

私の前には5人の訓練生‥皆の理由は『国家を守るため』という模範的なものだった。

(模範回答は私も頭に入れてきた)

(これは試験なんだから、求められている回答をすれば‥)

成田

「次、氷川」

サトコ

「はい。私は‥」

模範的な回答を‥そう思うのに、口が動かない。

サトコ

「‥‥‥」

成田

「氷川、どうした?」

サトコ

「す、すみません‥まだ、その‥上手くまとめられていなくて‥」

成田

「実技の成績が良かったからと気を抜いてるんじゃないのか」

「これは面接の中でも重要な質問になる」

「試験までにきちんとまとめておくように」

サトコ

「‥はい」

成田

「面接の模擬練習は以上だ。明日には評価シートを戻すので、各自確認するように」

全員

「はい」

千葉

「‥‥‥」

千葉さんの心配そうな視線を感じつつ、私は会議室を足早に出て行った。

【個別教官室】

(答えられなかった。公安刑事になる理由‥用意した答えを言うだけでよかったのに)

情けなさに唇を噛み締めながら、石神さんの個別教官室に向かう。

(模擬面接の件、成田教官から話が行くに決まってる。先に話しておこう)

サトコ

「石神教官、失礼します」

ドアを開けて入った私に返ってきた声はなかった。

(いないみたい‥メモを残していこうかな)

そう思い石神さんのデスクに行くと、その上にある “あるもの” に私の動きが止まった。

サトコ

「これって‥」

外で見かければ気に留めるほどのものではない。

けれど、その “あるもの” が石神さんのデスクの上にあることは‥大きな意味があった。

(今になって、どうして “これ” が、ここに‥?)

デスクの上の “あるもの” を見る私の頬は自然と強張っていた。

【拘置所】

その日の夕方、私はある人に会いに拘置所を訪れていた。

サトコ

「お元気そうで何よりです。丸岡さん‥じゃなくて、泉河さん」

泉河

「面会なんて誰かと思えば‥何の用だよ」

サトコ

「泉河さんにお聞きしたいことがあって」

泉河さんは公安学校1年目の時、学園長脅迫と公安学校の爆破事件を引き起こした元訓練生。

(泉河さんはある意味、誰よりも公安学校に固執していた人かもしれない)

(その泉河さんが公安刑事になった理由を聞いてみたくて)

彼ならきっと、お手本以外の答えを聞かせてくれると思ったから。

サトコ

「泉河さんは、どうして公安刑事になろうと思ったんですか?」

泉河

「は?今さらなんだ。嫌味か?」

泉河さんは顔をしかめると身体を横に向けてしまう。

(普通に聞いても教えてもらえないかな)

(こういう時は‥講義で習った交渉術で‥)

<選択してください>

A: 泣き落としで迫る

(泣き落としでいってみよう)

サトコ

「卒業試験の面接で “公安刑事になる理由” を聞かれるんです」

泉河

「だから、何だよ」

サトコ

「模範的な答えをするのは簡単です。でも、私は自分で考えた答えを出したくて」

そこで私はぐっと目に涙を溜めた。

サトコ

「だけど、ひとりで考えても上手くまとめられなくて‥」

「泉河さんのような人の意見こそ、聞きたいんです!」

泉河

「そんな見え見えの泣き落としに落ちる訳ねぇだろ」

サトコ

「う‥」

(バ、バレてる!)

泉河

「まあ、いい。 “公安刑事になった理由” ‥ね」

「大した理由もねぇから、特別に話してやるよ」

(泣き落としは失敗したけど、結果的にはよかったみたい)

B: 色仕掛けで迫る

(色気で迫ってみようかな。そろそろ私だって‥)

サトコ

「お願いします‥泉河さんにしか聞けないことなんです‥」

泉河

「気持ち悪ぃな。そんな色仕掛けに引っかかるヤツいねぇだろ」

サトコ

「う‥」

(やっぱり、こっち方面は苦手!)

サトコ

「‥聞きたいんです。他の誰でもない、泉河さんの話が」

色仕掛けを諦め、正直に告げると泉河さんの身体がわずかにこちらを向いた。

泉河

「‥まあ、特別に話してやってもいい。大した理由もねぇからな」

(あれ?結果的には上手くいったみたい?)

C: 自分の弱さを見せる

(こういう時は自分の弱さを見せるのも、ひとつの手なんだよね)

サトコ

「今になって迷っているんです。本当に公安刑事になれるのか‥私に向いているのか」

泉河

「はぁ?」

サトコ

「いろいろあって。この先やって行ける自信がなくなってしまって‥」

泉河

「へぇ、石神の指導があっても、そんなことになんのか」

「面白い。話してやるから、お前の話も聞かせろ」

(話に乗ってきた!この方法で正解だったんだ)

泉河

「俺が公安刑事を志した理由はーーー」

泉河さんは脚を組み直すと‥過去に思いを馳せるように、その目を細めた。

to  be  continued

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