【河川敷】
2人で手を繋いだまま街を抜け、やってきたのはいつかの河川敷。
私は何度も何度も、指輪の無くなった室長の左手をギュッと握った。
サトコ
「ふふっ」
難波
「なんだ~?」
サトコ
「いえ、別に‥」
(なんか、嬉しいな‥)
(指輪がひとつ無くなっただけなのに、こんなにも嬉しいなんて‥)
室長が現れるまでは、不安で仕方なかったというのに。
まるであの瞬間が嘘のようだ。
(そういえば、あの女性‥)
女性
『仁ちゃん、このオイル本当にもらっちゃっていいの?』
難波
『モチのロンだよ』
『俺はそんなもんくらいしかあげられないんだから、遠慮しないで取っといて』
女性
『うん、それじゃあもらっとくわね。ありがとう』
(一応、ハッキリさせておいた方がいいよね)
(ここで喜びに紛れてうやむやにするとまた、同じことの繰り返しになっちゃうかもしれないし‥)
(指輪を外してくれた今なら、勇気だしてちゃんと聞ける気がする!)
サトコ
「あの、室長‥!」
難波
「ん?どした?」
サトコ
「ひとつだけ気になってること、聞いてもいいですか?」
難波
「おお、ひとつと言わず、どんとこい」
サトコ
「その、オイルなんですけど‥」
「私‥女性にあげてたの、見ちゃったんです」
難波
「‥‥‥」
「‥なんだ、見られてたか」
サトコ
「あの女性って、時々電話がかかってくるどこかのクラブのママですよね?」
難波
「詳しいことは、お前でも教えることはできない‥」
「だが、当たりだ。あのママは協力者だよ」
(よかった。協力者の人だったんだ‥)
難波
「そして俺の個人的な‥」
室長は一瞬言葉を切った。
その不自然な間合いに、心臓がドクンと音を立てる。
サトコ
「個人的な‥?」
難波
「恋愛の師匠でもある」
サトコ
「れ、恋愛の師匠‥?」
難波
「取れない指輪の取り方を、教えてくれたのもあのママだ」
「だからお礼に、いらなくなった何とかオイルをあげたんだよ」
サトコ
「お礼なのに、使いかけですか‥!?」
難波
「だってあれ、石神にネットで買わせたから知らなかったが、すげぇ高いんだぞ」
「タバコ3カートンは買えるぞ?」
「颯馬のヤツ、少しは人を見てモノを勧めて欲しいもんだな」
サトコ
「ぷ‥」
思いがけない展開に、思わず吹き出しそうになった。
(室長って、大人の男かと思うと、こういうことにはすごく不器用なんだな)
(でも嬉しいな‥指輪を取るために、こんなに一生懸命になってくれてたなんて‥)
難波
「なんだ?その微妙な笑顔は」
「軽くバカにしてないか‥?」
サトコ
「違いますよ。ようやく、ホッとしたんです」
「本当は、室長とこんな風にデートしたりするようにはなりましたけど‥」
「これって本当に付き合ってるのかなって、ちょっと不安だったんです」
難波
「ええっ!?」
「まさか、付き合ってると思ってたの俺だけか?」
「もしかして、いまどきはこういう状態で付き合ってないこととかもあるのか?」
サトコ
「周りの子たちは、あるかもって‥」
「それに、別に付き合ってくれってちゃんと言われたわけでもないですし‥」
難波
「‥‥」
サトコ
「好きとかっていうのも、あの時一回聞いたきりですし‥」
難波
「‥‥」
サトコ
「それに‥‥」
難波
「ああ、わかった!」
「わかったから‥」
サトコ
「わかっただけ‥ですか?」
難波
「そ、それは‥‥‥だな」
室長は少し赤らんだ頬を隠すように、遠くを見た。
難波
「俺はいまどきの若者じゃない。この通りおっさんだぞ?」
「おっさんには、言えないこともある」
サトコ
「‥‥」
(それはまあ、そうかもしれないけど‥)
私の不満顔に構わず、室長は土手に座り込んだ。
雑草をかき分け、何かを探し始める。
サトコ
「?」
難波
「見るな。まだ見るなよ」
「しばらくの間、あっち向いとけ」
クルリと後ろを向かせられてしまい、仕方なく室長と背中合わせに座り込んだ。
室長は何やらブツブツと呟きながら、しきりと手を動かしている。
(結局このまま、ハッキリした言葉は聞けずに終わっちゃうのかな)
(付き合ってることは確認できたからいいと言えばいいんだけど)
(やっぱりちゃんと言葉にして欲しいよね)
(そう思っちゃうのは、単なる欲張りかもしれないけど‥でも)
ぼんやりと考えながら、空を見上げた。
私の気持ちとは対照的に、雲ひとつない一面の青空。
ため息をつくのもはばかられて、仕方なく足元のシロツメクサを見つめた。
(そういえば、シロツメクサの花言葉‥最後のひとつだけ言えずに終わっちゃったんだよね)
難波
「よし、できた!」
(‥そういえば室長、さっきから何やってんだろう?)
難波
「もうこっち向いていいぞ」
興味津々で振り向くが、室長はその「何か」をまだ後ろ手に隠している。
難波
「手ぇ出してみろ」
サトコ
「?」
言われるままに、右手を差し出した。
難波
「違う。逆だ、左」
サトコ
「左‥ですか?」
不思議に思いながら左手を差し出すと、室長はその手に自分の手を添えた。
そして隠していたもう片方の手を前に出す‥‥‥
サトコ
「これ‥シロツメクサの‥」
驚きのあまり言葉を失う私に、室長はそっと微笑んだ。
それは、シロツメクサの指輪。
室長は壊さないように慎重に、指輪を私の左手の薬指にはめてくれた。
サトコ
「なんですか‥これ‥」
難波
「ゆ、指輪だよ」
「ちょっとボロボロになっちまったけど」
サトコ
「‥‥」
難波
「しょうがないだろ。こう見えても、俺は不器用なんだ」
サトコ
「知ってます。だから‥」
「なおさら嬉しいです‥!」
言った瞬間、目頭に熱いものが溢れた。
難波
「サトコ‥?」
サトコ
「ありがとうございます」
「こんなこと、してくれるなんて思わなかったので‥」
難波
「泣くなよ~」
「これじゃまるで、おっさんが若い子をいじめてるみたいだろ?」
サトコ
「だって、止まらないんです‥」
難波
「まったく、お前ってヤツは‥」
室長は困ったように微笑みながら、指輪を嵌めた指にそっと唇を落とした。
サトコ
「!」
難波
「‥これが、俺の気持ちだ」
サトコ
「室長‥」
(室長は知らないだろうけど‥)
(この間私が言えなかったシロツメクサのもうひとつの花言葉はね、『私のものになって』)
(こんなことされたら、この先ずっと一緒にいられるのかもって、期待しちゃうよ‥)
困ったように見つめる室長を安心させようと、ゴシゴシと涙をぬぐった。
泣き笑いの私に呆れたのか、室長が私の頭に手を伸ばす。
難波
「もういい加減‥」
言いかけて、室長は急に手を止める。
難波
「‥嫌い、なんだったな」
サトコ
「ウソ‥です‥」
難波
「ん‥?」
私は、引っ込めかけた室長の手を強引に自分の頭に乗せた。
サトコ
「本当は大好きです!」
「室長に撫でられるの」
難波
「!」
一瞬目を見開いた後、室長はグイッと私を抱き寄せた。
強く、固く抱きしめられ、室長の想いが私の身体に流れ込む。
それはとても大きくて優しくて温かくて、なんだかすごく大切なものに思えた。
そんな私の気持ちが伝わったかのように、室長は少し身体を離し、私の顔をジッと見つめた。
難波
「いいか?一回しか言わないぞ?」
真剣な表情でそう宣言した室長は、ゆっくりと私の耳元に顔を寄せた。
そして、小さいけれどしっかりとした声で囁く。
難波
「‥‥‥」
サトコ
「!」
驚いたように顔を上げた私の額に、柔らかなキスが落ちてくる。
そのキスは、今までのどのキスよりも幸せで、祝福に満ち溢れていた。
【難波 マンション】
その夜、手を繋いだまま室長の家に帰ってきた。
今までと何ひとつ変わりはないはずなのに、部屋のひとつひとつが全て新鮮に映るのが不思議だ。
(今まではなんとなく、室長と元奥さんの家にお邪魔してるって感じだったけど)
(もうそんな風に思わなくていいんだよね‥)
難波
「サトコ?」
サトコ
「は、はい?」
振り返るなり、室長の怪訝そうな表情にぶつかった。
サトコ
「どうしたんですか?」
難波
「それはこっちのセリフだぞ」
「さっきから何度も呼びかけてるのに、1人でニヤニヤ‥」
サトコ
「え‥そ、そんなことしてました?」
(ダメだ‥すべての喜びが完全に顔に出ちゃってる‥!)
恥ずかしくて顔を覆った私を、室長のがっしりとした腕が包み込んだ。
難波
「何、期待してんだ?」
サトコ
「え‥期待なんて‥」
難波
「あんだけニヤニヤしときながら、そんな誤魔化しがきくと思ってんのか?」
室長はニヤリと笑みを浮かべると、私の身体を抱き上げた。
急に目線が高くなり、思わず足をばたつかせる。
サトコ
「ちょ‥下ろしてください!」
難波
「ばかっ‥暴れんな」
「俺は腰に爆弾を抱えてんだぞ!」
サトコ
「それならなおさら、下ろしてください」
難波
「ああ、もう、うるせぇな」
抱き上げたまま、室長は私の唇を塞いだ。
サトコ
「!」
難波
「体力温存しとけ」
「今日は熱い夜になるから」
サトコ
「え‥」
難波
「期待されたら、応えないわけいかないだろ?」
「こういう時こそ、年の功を見せつけてやらないとな」
ドサッ
サトコ
「きゃっ‥」
もつれ込むようにベッドに横たわると、室長は素早く私に覆いかぶさった。
難波
「今日のお前、なんか妙にかわいいな」
しみじみと私の顔を覗き込み、照れたような笑みを浮かべる室長。
優しく私の頭を撫でながら、ゆっくりと熱い唇を重ねた‥‥
【学校 教場】
後藤
「今日の講義は以上だ」
「氷川、レポートを集めて教官室まで持ってきてくれ」
サトコ
「はい!」
教場を出て行く後藤教官に代わり、教壇に立つ。
サトコ
「それでは、各列の後ろから前にレポートを送ってください」
ざわつく訓練生たちからテキパキとレポートを集めていると、
鳴子が意味深な笑みを浮かべながら近づいてきた。
鳴子
「サトコ!なーんかいいことあったんじゃない?」
サトコ
「え、なんで‥?」
鳴子
「晴れ晴れした顔してるように見えるよ?」
「あと、ちょっとお肌もキレイになったような気も‥」
「恋は女性をキレイにするっていうし、もしかしてサトコ‥」
千葉
「え、氷川が‥?」
何かに気づいたのか、図星をつく鳴子の言葉にドキリとなった。
サトコ
「な、鳴子ったら何言ってんのよ!」
「この無粋な生活に、恋も何もあるわけないじゃない」
千葉
「そ、そうだよな‥ビックリしたよ」
鳴子
「ふ~ん‥」
「ああ、イケメンと合コンしたいなぁ‥」
千葉
「合コン‥?そういえば、俺の友だちもしたがってたな」
鳴子
「ホントに!?やろうよ、合コン!」
「千葉くん、セッティングよろしくね♪」
千葉
「う、うん‥ちょっと聞いてみるけど」
鳴子
「もし合コンするなら、サトコも行くでしょ?」
サトコ
「わ、私は‥!」
慌てて手を振る私を、鳴子が怪しんだ目で見る。
鳴子
「やっぱりサトコ、リア充なんでしょ?それならしょうがないか」
「いいなぁ~。私も、合コンでイケメン彼氏見つけなきゃ!」
合コンに燃え、千葉さんを引っ張っていく鳴子を見送り、ホッと胸を撫で下ろした。
(室長とのこと、みんなに知られたら大変だもんね)
(室長に迷惑かけないように、校内では慎重に行動しないと‥)
【教官室】
サトコ
「失礼します!」
教官室には、珍しく全員が顔を揃えていた。
(この顔ぶれ、全員揃ってるとさすがに緊張するな‥)
なるべく室長と目を合わせないようにしながら、部屋の奥へと進む。
サトコ
「後藤教官、レポート持ってきました」
後藤
「ああ、ありがとう。ここに置いてくれるか?」
サトコ
「はい」
後藤教官のデスクにレポートを積んでいると、東雲教官がじっと私の顔を見つめているのに気づく。
サトコ
「?」
東雲
「わかりやす‥」
サトコ
「え‥」
東雲
「顔に出てるから。『なにかいいことありました』‥って」
難波
「‥‥」
(ここでもまた、同じことを‥!)
(私って、どんだけ分かりやすいの!?)
サトコ
「いいことなんて、そんな‥」
加賀
「ヘラヘラしやがって、クズが」
サトコ
「す、すみませんっ!」
颯馬
「フフ、女性は表情がきらきらしてた方が素敵ですよ」
サトコ
「き、きらきら‥?」
東雲
「モノは言いようですけどね」
後藤
「確かに‥ヘラヘラときらきら、似てるのに全然違いますね」
石神
「氷川、用が済んだならもう戻れ」
サトコ
「あ、すみません。それじゃ、失礼‥」
難波
「ちょっと待ってくれ、サトコ」
サトコ
「え!?」
一同
「!?」
(今、サトコって‥)
案の定、教官たちは唖然とした表情で私と室長の顔を代わる代わる見つめている。
(普段の癖で間違って呼んだとか‥?)
(ど、どうしよう‥これ、完全にまずいよね?)
サトコ
「し、室長?」
難波
「んん?」
私の焦りなど気にも留めず、室長はポカンとした表情で私を見返してきた。
難波
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいか?」
サトコ
「は、はい‥」
戸惑いながら室長に近づく私を、教官たちは敢えて見ないように視線を逸らした。
(みんな、気づいちゃったかな‥)
サトコ
「な、何でしょうか?」
難波
「この書類なんだけどな」
私は書類を覗き込んだ拍子に、室長の耳元にささやいた。
サトコ
「あの、室長‥」
「今、私のことサトコって呼びましたよね‥?」
難波
「‥呼んだけど?それがどうかしたか?」
サトコ
「え‥だって‥教官たちがいるのに‥」
難波
「関係ないだろ。別に、隠す必要あるか?」
サトコ
「!」
(それってつまり‥)
(それだけ真剣に考えてくれてるってことだよね?)
問いかける私の瞳に、室長は応えようともしない。
でももう、いちいち言葉にしてもらわなくて大丈夫。
室長と私は、今までよりもずっとずっと強い絆で結ばれている。
あの日、あの夜、そう確信できたから。
Happy End