【教官室】
成田
「統率力も指導力もケジメもない。お前のような奴には、今日限り辞めてもらう!」
サトコ
「そ、そんな‥」
返すべき言葉が見つからず立ち尽くす私の目の前で、勢いよくドアが開いた。
難波
「‥‥‥」
(難波さん‥!もしかして、私を助けに???)
難波
「‥どうしたんです、大声なんか出して」
「寝不足の頭に響くな‥」
難波さんはぼやきながら席に着くと、こめかみをグリグリと揉みだした。
(え、それだけ?やっぱり難波さんは私のことなんて、どうでも‥)
成田
「あのね、難波さん。これはあなたにも関わりのある問題ですよ」
難波
「‥ほう、どの辺が?」
成田
「全てです!」
成田教官は、1人1人の訓練生について次々と苦情を並べて行った。
難波さんは、ヒゲを撫でながらじっとその話を聞いている。
難波
「‥なるほど、確かに監督不行き届きだ」
成田
「でしょう?」
(そんな‥仕事の協力をしてくれなばかりか、私の肩も持ってくれないなんて‥)
(ここには、私の味方なんて誰も‥)
難波
「あなたが、ですよ。成田教官」
成田
「ん?」
難波
「監督不行き届きは、あなたの方だ」
サトコ
「!?」
難波
「氷川教官は、訓練生たちの持っている能力や可能性を伸ばして育てようとしている」
「公安刑事としての資質を高めるのも重要だが」
「そのために人間力を奪っちまったら意味がないですからね」
成田
「そ、それは‥」
難波
「次の考査の結果が、きっと証明してくれますよ」
「ねえ、氷川教官」
サトコ
「難波さん‥」
(難波さんは、全部分かってくれてたんだ‥)
思わず、目頭が熱くなった。
成田
「‥うまいこと丸め込んだものだ」
「これで結果が思わしくなかったら、その時こそ責任を取ってもらうからな!」
成田教官は私をもう一度睨みつけ、鼻息荒く出て行った。
サトコ
「難波さん、あの‥ありが‥」
背中越しに声を掛けるが、難波さんは振り向きもせずにドアに手を掛けた。
難波
「ちょっと一服してくるかな~」
サトコ
「え、ちょっと待っ‥!」
バタン!
(行っちゃった‥お礼、ちゃんと言いたかったのにな‥)
【教場】
翌日から。
難波
「ふぁぁ~」
(講義中なのにまたアクビ‥)
【グラウンド】
サトコ
「あと1周!あ‥」
(屋上にいるの、難波さんじゃ‥?)
(いないと思ったら、またあんな所でサボってる)
東雲
「氷川教官、終わりましたけど‥」
「なにニヤついてるんですか?」
サトコ
「え?」
加賀
「俺たちを苦しませて喜んでんだよ、マゾのくせに」
サトコ
「そ、そんなんじゃ‥!」
(何でだろう‥最近、妙に難波さんの姿が目に入る‥)
【屋上】
サトコ
「やっぱりココだったんですね!」
難波
「‥何か?」
サトコ
「やること溜まってますから、早く来てください」
難波
「じゃあ、最後に一本だけ」
「これ吸い終わったらすぐ駆けつけますんで」
サトコ
「‥約束ですよ?」
難波
「もちろんです、教官」
おどけて敬礼する姿に思わず微笑んでしまう。
(相変わらずなんだから‥)
呆れて歩き出すが、いつの間にか難波さんに対して、
以前のような不満や苛立ちが無くなっていることに気付いた。
(あんな風に庇ってもらったら、好感を抱いて当然か‥)
その時のことを思いだした瞬間、胸がズキンとした。
(なに、今の?もしかして私、難波さんのこと‥?)
困惑のままに、難波さんのいる方向を振り返った。
(最近妙に難波さんの姿が目に入ると思ってたけど、それって私が無意識に姿を探してるだけ‥)
考えれば考えるほど、胸がドキドキしてきた。
(でも待って‥)
(こんなことに気を取られて万一考査で大失敗したら、難波さんにも迷惑掛けちゃうよね)
(そんなことしたら、恩を仇で返すことになっちゃうし‥)
(今はとにかく、考査に向けて集中しよう!)
(何よりクラスの子の人生がかかってるもんね!)
雑念を振り払うように何度も頭を振り、やや強引に気持ちを切り替えた。
(そもそも勘違いかもしれないし‥)
(難波さんのあまりのギャップに驚いて、動揺したんだよね、きっと!)
【個別教官室】
難波
「レポートチェック、終わりました~」
サトコ
「それじゃ、次これを」
難波
「あ、ちょっと‥」
突然、難波さんが書類を持つ私の手を掴んだ。
サトコ
「!‥な、なにを‥」
難波
「実は最近初めて、手相ってやつを見てもらいましてね‥」
言いながら、難波さんはしみじみと私の掌を見ている。
(難波さんの手、あったかい‥)
思わずドキッとしてしまい、慌てて手を引っ込めた。
サトコ
「や、やめてください‥!」
難波
「あ‥嫌いでした?占いとか」
サトコ
「そうじゃないですけど‥仕事中ですから!」
顔が赤くなりそうになって、私は慌てて教官室を飛び出した。
【屋上】
風に当たろうと向かった屋上では、黒澤くんたちがバレンタインの話題で盛り上がっていた。
黒澤
「何しろ女子の絶対数が少ないですからね~。勝算低し!」
東雲
「まあ、数が少なくてももらうヤツはもらうしね」
千葉
「そういうこと」
黒澤
「それはモテる男の理論です!モテない男は、まず裾野を広げることから始めねば‥」
力強く立ち上がった黒澤くんと思いっきり目が合ってしまった。
その瞬間、黒澤くんの表情がパッと輝く。
黒澤
「いました!ここにも女子が」
サトコ
「女子って、私は教官ですよ?」
東雲
「関係なくないですか?」
「人を好きになるのに、訓練生とか教官とか」
黒澤
「そうですよ!サトコ教官は渡すんですか?本命」
サトコ
「ほ、本命‥?」
思わずポワンと難波さんの姿が浮かび、慌てて妄想を打ち消した。
(いやいや、無理無理‥)
東雲
「今、誰か具体的に想像しましたよね?」
サトコ
「あっ、よ、呼ばれてたんだった!」
これ以上深追いされないようにと、慌てて私は早々にその場を離れた。
【廊下】
数日後。
ついに初回の査定結果が発表された。
(すごい‥!全科目でウチのクラスの訓練生がトップを取ってる!)
廊下に張り出された結果を見て内心ガッツポーズを取っていると、成田教官が歩いてきた。
成田
「氷川教官のクラスは優秀な人材が順調に育っているようだと」
「公安部長からお褒めを頂いたよ」
私の目の前で立ち止まった成田教官は、面白くなさそうにそう言った。
サトコ
「本当ですか‥みんな、実力をちゃんと発揮してくれたようでよかったです」
成田
「運が良かったな。だがこんなのはたまたまだ。一度くらいで調子に乗るなよ」
サトコ
「ということは、このまま教官を続けていいんでしょうか?」
成田
「好きにしろ」
吐き捨てるように言って、成田教官は歩き出した。
その先には、いつの間にか難波さんが立ってこちらを見つめている。
難波
「‥‥‥」
(難波さん、やりましたよ‥!)
心の中で呟きながら微笑むと、難波さんはおどけたようにウィンクで応えてくれた。
(全部、難波さんのおかげだな‥)
【個別教官室】
サトコ
「この度はお力をお貸し頂き、本当にありがとうござい‥」
難波
「あ~固い、固い」
改めてお礼を言いに教官室を訪ねると、難波さんは思いがけず砕けた様子で出迎えてくれた。
難波
「そんな風に堅苦しくしてると、眉間に断層ができるぞ」
サトコ
「断層‥?」
難波
「ちなみに俺のは、活断層」
難波さんは嬉しそうに言うと、眉間のシワを作ったり消したりして見せた。
サトコ
「難波さんって‥」
(色んなことに無関心なようでいて、実はなんでもちゃんと見てる‥)
(しかもちょっと、おもしろいオジサンかも)
サトコ
「ふふっ」
思わず笑ってしまった私の前に、難波さんは無造作に箱を置いた。
難波
「ほら」
サトコ
「‥これは?」
難波
「ごほうびだ」
(ごほうびって、何だろう‥?)
難波さんはポンと私の頭に手を置くと、嬉しそうに私の隣に座った。
私が包みを開く間にも、上機嫌に話し続けている。
難波
「いやぁ、査定結果が出た時の成田の顔、見ものだったよな~」
「呆れるね~あいつらの才能も見抜けねぇくせに教官を名乗ってるんだから」
サトコ
「あ‥」
思わぬ毒舌をのぞかせる難波さんを横目に箱を開けると、
中にはチョコレートが入っていた。
難波
「逆チョコってやつだ。流行ってんだろ?」
サトコ
「そっか、今日、バレンタイン‥!」
(すっかり忘れてた‥!)
難波
「ほら、食え。激務の後は、糖分摂取しないとな」
サトコ
「すみません!本当は私の方が用意しなきゃいけなかったのに‥」
難波
「いいから、いいから」
サトコ
「でも私、この機会にこれまでのお礼をって思ってたんです」
「それなのに、すっかり査定に気を取られて‥」
難波
「そう言ってくれるなら‥お前の2時間、俺にもらえるか」
【バー】
そう言って連れて来られたのは、おしゃれなバーだった。
(なんか、難波さんのイメージと違う‥)
サトコ
「素敵なお店ですね」
難波
「いつもは大抵、モクモクした居酒屋だ」
サトコ
「何で今日はここに‥?」
難波
「たまにはな~」
難波さんははぐらかすように笑うと、慣れた様子で席に着いた。
難波
「ところでチョコ、嫌いだったか?」
サトコ
「いえ、とんでもない!」
難波
「ならいいけど。さっきから全然食おうとしないから」
サトコ
「そ、それは‥難波さんからもらったチョコなんて、レアすぎて食べられないというか‥」
難波
「だったら、一緒に食わないか」
サトコ
「いいですけど‥」
難波
「マスター、チョコに合うお酒お願い」
私が箱を開くと、難波さんはチョコを手に取り、私の口元に近づけた。
難波
「ほら」
サトコ
「‥ん、おいひい‥!」
難波
「うん、うまいな」
口の中にチョコの甘みが広がるのを待っていたように、マスターがお酒を運んできた。
甘みと苦みが混ざり合った絶妙な美味しさに、思わず笑みを交し合う。
サトコ
「私もちゃんと用意してたら、2種類楽しめたのに‥残念」
難波
「‥じゃあ、これで」
難波さんは私の手をそっと握ったかと思うと、唇を重ねてきた。
思いがけないチョコ味のキスに、驚きで全身が固まってしまう。
サトコ
「な‥?」
難波
「大丈夫。ちゃんと誰も見てない時にしたから」
耳元でささやかれ、自分でもわかるほどに顔がポッと赤くなった。
難波
「おお、真っ赤」
サトコ
「そ、それはっ!」
難波
「おもしれぇな。ひよっこ先生は」
難波さんは笑いながら抱き寄せるように頭を撫でた。
仕事も感情表現もマイペース。
でもそのマイペースさがたまらなく魅力的なのだと、
今さらながら気付かされたバレンタインの夜だった。
Happy End