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エピソード0 石神1話



【公安課】

先日解決した事件の報告書を作成していると、ふとタバコの匂いを感じた。

難波
堅実な仕事ぶりで、何より、何より

石神
難波さん···お疲れさまです

下がった眼鏡を押し上げ、手にしていたペンをデスクに置く。

難波
ちょっとな。お前に頼みたいことがあってなぁ

難波さんは手にしていた分厚い書類を俺に手渡してくる。

石神
『公安学校新設要項』?これは···

難波
警察庁管轄の公安学校を極秘で作るって話だ
公安学校の実働は警視庁の公安課に握られてる今···
察庁の方にも、使える実働部隊が欲しいんだろう

石神
以前にも同様の話がありましたが、結局、失敗に終わっていたかと思いますが

難波
その失敗を踏まえて、今度こそ成功させようって上は考えてんだ
で、今回も教官にと、お前にご指名がきてる

石神
前回のことを考えれば、成果を残せなかった私は外すべきではないでしょうか

難波
いやいや。失敗したのは、お前のせいじゃないだろう。上が適当に考えていたからだ
お前の指導能力は評価されてる

石神
しかし···

(上に行くまでは現場を経験し、この先得られない経験を得ておく···)
(今はまだ、その段階だ)

いつまでも現場第一の刑事でいたい―――そんなふうには、考えていない。
だが、上に行くことを目標にしている以上、経験を積める時期に積む必要があった。

石神
自分は指導するより、現場でまだ学ぶことがあります

難波
そう言うと思ったし、俺もそうさせてやりたいんだけどな···

難波さんは苦笑と共に、一枚の紙を差し出した。

難波
長官直々の辞令なんだ

石神
つまり、すでに決定事項···ということですか

難波
そういうことだ。悪いな。俺もサポートに入るから、頼む

石神
···わかりました

(上からの命令であれば、受け入れる他ない)
(追いたい事件もあるなか、現場から遠ざかることに不満は残るが···)

後進を育てることは、ゆくゆくは日本の未来を守ることにもつながる。

(そこから学ぶこともまたあるだろう)

決定事項であれば従い、その環境で最善を尽くすしかない。

(まずは。この分厚い資料の読み込みから始めるか)

携わるからには、以前と同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
前回の資料を探し、それと見比べながらの事前準備が始まった。

数日後。
公安学校への正式な配属日が決まり、荷物の整理を始めていた。

(時間にすれば、警察庁にいる時間の方が長い)
(だが、学校にも個別教官室が用意されているという話だしな···)

仕事をする場所が二カ所になるというのは、大きな変化だ。
効率的に作業をするには、どうすればいいか···ファイルの配分などを考えていると···

莉子
「聞いたわよ、左遷の話」

石神
木下···

後ろから声をかけてきたのは、同期の木下莉子だった。

石神
こんな時間に来ても、誰も残ってないぞ

莉子
「秀っちに会いに来たんだから、いいの」

石神
今、お前に依頼している件はないが?

莉子
「はいはい、いつもの秀っちよね。用件がなきゃ、着ちゃいけないみたいな」

石神
いい加減、そのだらしない言葉遣いを直したらどうだ

莉子
「秀っちが教官に選ばれた理由が、ほんとによくわかるわ」
「いい先生になりそうだもんね」

石神
······

あしらっても去る気配のない木下に視線を上げると、彼女は薄い笑みを浮かべている。

(簡単に考えを読ませない笑い方···こういうところも変わらない)

仲間内でも本心を見せることなど滅多にないのが、この仕事。
そういった意味では、木下のようなタイプにも慣れてきた。

石神
···話でも、あるのか

仕方なく作業の手を止めると、彩られた唇の笑みは深くなる。

莉子
「公安学校、私は教官じゃないけど、講師として誘われてるの」
「他に、どんな人が呼ばれるのか···興味ない?」

酒を煽る仕草を見せながら聞いてくる木下を見れば、その意図は分かった。

(事前の情報収集も円滑に事態を進めるために必要なことだ)

石神
わかった。どこにする

莉子
「いつもの店でいいんじゃない?」

石神
先に行っててくれ。机の上だけでも片付けておく

莉子
「明日にすればいいのに。几帳面ね」

(そういえば、夕食を食べるのも忘れていた)
(ついでに腹に軽く入れておくか)

予定の半分しか終わらなかった整理を残し、木下との打ち合わせ場所に向かった。



【バー】

莉子
「秀っち、こっち」

石神
外で、そう呼ぶなと何度言えばわかる···

言っても無駄だとわかりながらも、無言で頷けるほど厚顔無恥ではない。

莉子
「教官になったら、生徒と飲み会とかするのかしらね」

石神
ただの訓練生とは違う

莉子
「そうよねー。生徒がみんな、秀っちみたいな堅物だった、どうしよう」

石神
だったら、楽だな

莉子
「ふふ、どうかな。秀っちみたいな人が苦手なのもいるの忘れた?」

カクテルを飲みながら意味深な寝顔を向けてくる。
同時に、頭に浮かんでくるひとりの男の顔。

石神
···加賀か

莉子
「一発で名前が出てくるなんて、やっぱり仲良しね」

石神
致命的に気が合わないだけで、苦手意識の問題じゃない

莉子
「かもねー。でも、その兵吾ちゃんと秀っちが先生になる学校って、いい化学反応示しそう」

石神
···あいつが教官業務が引き受けたのか?

にわかには信じられずに問うと、木下はからかうふうでもなく頷いた。

莉子
「長官からの直々の指名じゃ、さすがに断れなかったみたいよ」

(俺と同じというわけか···)

出来れば負いたくない教官業務だが、上からの命令を退ければ今後に響く。

(あいつもそれくらいの計算はしたようだな)

己を中心に世界を回そうとする···そんな加賀でも、やはり組織の一員なのだと内心苦笑した。

莉子
「楽しみね」

石神
その話を聞いて、ますます憂鬱になった

(公安捜査員を養成するための、警察学校···)

前回の失敗の要因がどこにあったのか――それが指導する側にあったのだとしたら。

(加賀のような狂犬を入れたことが、吉と出るか凶と出るか···)

ただ、決して穏やかな始まりにならないことだけは確信できていた。



【公安学校 教官室】

真新しい建物の匂い。
胸には礼儀として警察大学校の記念品である万年筆を挿している。

石神
失礼します

教官室のドアを開けると、鼻につく煙。

(新校舎の匂いも、たちまち消す気か)

軽く眉をしかめると···タバコを吸う一人の男の姿が見えた。

to be continued



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