カテゴリー

ヒミツの恋敵編 難波4話

(ああ、もう、あと30分でレポート書き上げないと美容室の予約に間に合わない···!)

相変わらず学校とキャバクラへの潜入で忙しい毎日が続いていた。
廊下をバタバタと走っていると、向かいから室長が来るのが見える。

(あ、室長だ···)

後藤教官とのキス。
それを打ち明けた時の室長の反応を思い出し、何となく気まずい思いが込み上げた。

サトコ
「室長、お疲れさまです」

難波
おお、忙しそうだな

あまり目を合わせないまま挨拶するが、室長は相変わらずのんびりとした調子だ。

(いつもなら、ちょっとでも時間を見つけてどこでも言葉を交わしたいって思うけど···)

サトコ
「それじゃ、私···美容室に行かないといけないので」

難波
またあのグリグリ頭か。しっかり盛ってもらってこいよ

サトコ
「はい。それでは」

一応微笑んで、足早にその場を後にした。

(室長、私が避けてるっぽいの分かったよね。嫌な感じ···だったかな?)

気になるが、気になるから振り返れない。

(いいんだよね、これで。だって今一緒にいても、室長に嫌な思いをさせるだけな気がするし···)
(そうなったら、室長だってきっと居心地悪いはず)

サトコ
「おはようございま~す!」

プライベートはギクシャクしていても、ひとたび仕事のスイッチが入ると底抜けに明るい声が出る。
自分でも呆れるほどだが、今はそれがせめてもの救いだ。

ナナカ
「おはよー、レイアちゃん!」

私のすぐ後から来たナナカさんが後ろから飛びついてくる。
フワッといい香りが漂って、私も自然と笑顔になった。

サトコ
「あれ、ナナカさん、香水変えた?」

ナナカ
「分かっちゃった?実はね、この間来た社長さんから貰ったの」
「さっきLIDEしたら今日も来てくれるって言うから、いちおー」

サトコ
「さすが···そうやってお客さんの心を掴むんだ」

ナナカ
「オーナーに紹介された太客だからね~」

サトコ
「へぇ、似鳥オーナーに···」

似鳥と交流のある人間は、すべての素性を明らかにするよう指示されている。

サトコ
「その人って、どんな人?」

ナナカ
「やだ~レイアちゃん、狙ってる?」

サトコ
「まさか、ただの興味だよ」

ナナカ
「ふふ、だよね。この社長がさぁ···」

ナナカさんから色々話を聞いた後。
フロアに出て、さりげなく後藤教官を探す。
私の様子に気付いたのか、どこかから現れた後藤教官が私を物陰に連れ込んだ。

後藤
どうした?

サトコ
「今日、ナナカさんのお客に似鳥の知り合いが来ます」

後藤
了解

その時、私と後藤教官の装着している無線に盗聴器の音声がわずかに流れ込んできた。
二人同時に耳を澄ます。

サトコ
「···誰かと電話しているみたいですね」

後藤
探りはこっちで入れておく

サトコ
「よろしくお願いします」

パンパンッ
手を叩く音が聞こえて、私たちは慌ててフロア中央に戻った。

店長
「みんな、そろそろ開店するぞ。今日も大いに稼いでくれよ」

キャバ嬢たち
「は~い」

黒服が店の扉を開けると同時に、早くも数人の客が入ってきた。
後藤教官がさっと客に近づき、次々に席に案内していく。

(後藤教官、何をやっても完璧な身のこなし···)

フロアとの間を仕切るカーテンの隙間からその様子を見ていると、
先輩の黒服が後藤教官を手招いた。

黒服A
「玉三郎、ちょっと」

後藤
はい、なんでしょう?

黒服A
「3番テーブルの客、女の子がちょっと嫌がってるから見ててやってくれるか」

後藤
分かりました

(後藤教官、先輩からもすっかり頼られてる感じ···)

こうして見ていると、キャバ嬢たちも何かというと後藤教官に相談をしているようだ。

(この短期間にここまでみんなの信頼を勝ち取って、さすがだな···)

小倉ツネオ
「ゴホン!レイアさん、見惚れているところ悪いんですが···」

サトコ
「え···あ、はい?」

ふと気づくと、カーテンの脇にオクラさんが立っていた。

小倉ツネオ
「5番テーブルのヘルプに入ってもらってもいいですか?」

サトコ
「わ、わかりました!」

(いけない、いけない···見惚れてると思われてた)
(っていうか、そういう設定だからいいのか。それで···)

サトコ
「失礼しま~す!レイアです。よろしくお願いします」

呼ばれた5番テーブルでは、ナナカさんが接客しているところだった。

ナナカ
「レイアさん、こちらがさっき話した社長さん!」

サトコ
「そうなんですね。ナナカさんから聞いて、どんな方かな~って思ってたんです」
「でも社長さんなんてすごいですね~」

社長
「いやいや、そんな大したもんじゃないよ」

ナナカ
「またまた~そうやって謙遜しちゃって!本当はすっごいんだよ」

サトコ
「そうなんですか?私も社長さんのスゴイお話聞きたいな」

お酒を作りながらさり気なく言って微笑むと、社長さんも満更でもなさそうに話し始めた。

社長
「ウチはね、人材派遣なんかを請け負ってる会社なんだけど」
「ここの似鳥オーナーに贔屓にしてもらってて」

サトコ
「へぇ、オーナーに···それは心強いですね」

相手がどんな素性の人間かを知るには、こうして面と向かって話すのが一番手っ取り早くて確実だ。

(これで調べる手間が省けた。ナナカさんに感謝しないと···)

ギクシャクしたプライベートとは対照的に、潜入捜査官としての仕事は順調そのものだ。

加賀
次、配った資料の2枚目を見ろ

眠い目を擦りながら講義を聞いていると、ポケットの中でスマホが震えた。

サトコ
「?」

教壇に立つ加賀教官の目を盗み、机の下でそっと電源を入れてみる。

(室長からだ···)

LIDEの画面を開くと、『話したいことがある。週末ウチに来れないか?』とのメッセージ。

(なんだろう、話したいことって···やっぱり、最近の私の態度のことかな)

忙しい毎日が続いているとはいえ、
ここのところずっと学校で会ってもあまり言葉も交わさずに別れる場面が続いていた。

(いつまでも忙しさを言い訳にしてたらダメだって分かってるけど、ちょっと気が重いな···)

サトコ
「はぁ···」

思わずため息をついてしまったその瞬間。
ものすごい殺気と共に、何かが空気を切り裂いた。

ガツン!

サトコ
「痛っ!」

加賀
痛っじゃねぇぞ、このクズが

机の上には、砕けたチョークが転がっている。

(しまった、やっちゃった···)

加賀
そんなに俺の講義は退屈か?ああ゛?

サトコ
「す、すみません!」

加賀
すみません?謝りゃそれで済むとでも思ってんのか?

サトコ
「そういうわけでは、決して···」

必死にその場を収めようとするが、加賀教官の怒りと威圧感は増すばかりだ。

(私、終わったな···)

加賀
おら、急げ!このクズ

サトコ
「はい!」

加賀教官の怒鳴り声に追いかけられながら、パシリとして学校中を走り回った。

サトコ
「はぁ、はぁ···」

ようやく解放されてみると、不思議なことに心の中のモヤモヤが吹き飛んでいた。

(なにこれ···劇薬療法?)

なんだかおかしくなって、裏庭のベンチに座り込む。
すると、気の陰にしゃがみ込んでいる丸まった大きな背中が見えた。

(あれ、室長じゃ···とてつもなく無防備な感じ、なんかいいなぁ···)

こうして室長をちゃんと見るのは久しぶりだ。
穏やかな気持ちでいるせいか、背中を見ているだけなのに愛しさに胸の奥がキュンとなる。

<選択してください>

そのまま見つめる

(目が合うと色々考えちゃうけど、こうしている分にはいつまででも見ていられる···)

じっと見つめ続けていると、視線に気付いた室長が振り返った。

難波
おお、サトコ。そこにいるならこっち来いよ

気持ちは一瞬ためらうが、足は既に動き出していた。
室長の隣に、並んで小さくしゃがみ込む。

声を掛ける

気付いたら、引き寄せられるように傍まで来ていた。

サトコ
「···室長」

難波
おお、サトコ。どうした、疲れたような清々しいような顔して

サトコ
「ちょっと、色々ありまして···」

難波
まあ、座れよ

言われるままに、室長の隣に並んで小さくしゃがみ込んだ。

黙って隣に座る

そのまま引き寄せられるように近づいて、私は室長の隣に小さくしゃがみ込んだ。

難波
おお、サトコ。いたのか

サトコ
「何してるんですか、こんなところで」

難波
アリは偉いよな。こうして列になって、女王アリのために必死に働いてんだから

サトコ
「小さいのに頑張ってるんですね···」

難波
あ、コイツまた出てきた

サトコ
「どうしてまたって分かるんですか?」

難波
何となく顔つきがな

サトコ
「···顔つきも何も、みんな同じ顔してますけど?」

(あんなにぎこちなかったのに、アリのこととはいえ普通に話してるな···)
(なんか不思議···でも室長とのこういう会話って、妙に癒されるんだよね···)

難波
さっきメッセージ送ったぞ

室長はふと思い出したように呟いた。

サトコ
「そうでした。すみません。返事しようとしたら加賀教官に見つかって···」

難波
そりゃ、悪かったな
で、どうだ?

<選択してください>

行きます

(折り入って話なんて、ちょっと怖いけど···)

サトコ
「···行きます」

難波
そうか、よかった

ようやく私を見た室長は、静かな笑みを浮かべた。
難波
実は今晩から週末まで出張なんだ

サトコ
「そうなんですか?」

(もしかして、だから誘ってくれたのかな?)

まだちょっと予定が

サトコ
「まだちょっと予定が分からなくて···」

(わざわざ『話がある』なんて言われると、ちょっと···)

思わず後ろ向きな返事をしてしまった。

難波
そうか···

室長は残念そうにちょっと私を見る。

難波
実は今晩から週末まで出張なんだ

サトコ
「え···」

(もしかして、だから誘ってくれた?)

サトコ
「行きます。そういうことなら」

難波
悪いな

話したいことってなんですか?

サトコ
「室長が私に話したいことって、何なんですか?」

難波
だから来てくれって言ってるのに、それを今ここで聞くかねぇ

室長は苦笑しながら、ちょっと呆れたように私を見た。

難波
まあ、すぐに返事しなくてもいいけどな
今晩から今週末まで出張だし

サトコ
「そうなんですか···?」

(もしかして、だから誘ってくれた?)

サトコ
「行きます。室長の家」

難波
よし、じゃあ決まりだ

難波
おっと、女王のお出ましだぞ

サトコ
「え?本当だ、やっぱり大きいですね」

再びアリに注目しつつ、どうでもいい会話に戻る。

(ああ、やっぱり私、室長のこと好きだな···)

久々に感じた居心地の良さに、私たちは時のたつのも忘れて座り込んだ。

(なんか今日は、室長に元気注入された感じ)

足取りも軽くお店への道を急いでいると、賀来物産ビルの前で似鳥を見かけた。
とっさに、物陰に隠れる。

似鳥丈
「······」

似鳥はちょっと周囲を気にする素振りを見せながら、ビルの中へと消えて行った。

(ここ、昔キャバ嬢が飛び降り自殺して以来)
(幽霊が出るとかキャバ嬢の自殺が後を絶たないとかいう噂のビルだよね)
(似鳥はこんなところで何を···?)

サトコ
「おはようございま~す!」

いつもより少し早めに出勤すると、店にはまだオクラさんしかいなかった。

小倉ツネオ
「おはようございます···」

オクラさんは私の目も見ずにボソッと言う。

サトコ
「似鳥オーナーって、今日はもう来ました?」

さっきの姿が気になって何気なく聞いたのだが、オクラさんは興奮した様子で私に迫ってくる。

小倉ツネオ
「ど、どうしてレイアさんまでオーナーのことを?あいつ、そんなにいい男ですかね?」

サトコ
「別に、そういうつもりじゃ···」

小倉ツネオ
「あんな奴に惚れるナナカさんの気持ちが分からない!」

(へえ、オクラさんってナナカさんのことが好きなんだ···)

どうやらオクラさんは、似鳥を恋敵だと思っているようだ。

サトコ
「でもナナカさん、この間オクラさんのこと凄く褒めてましたよ~」

小倉ツネオ
「え、ほ、本当に?」

オクラさんはわかりやすくポッとなる。

サトコ
「逆にオーナーのことは、何を考えてるかよくわからないって言ってたな~」

口から出まかせを言うと、オクラさんの目が輝いた。

小倉ツネオ
「アイツの考えてることなんて全部俺がお見通しですよ」
「アイツはキャストにどんどん金を借りさせて」
「クビが回らなくなったところで風俗にポイだ」

サトコ
「えっ!?それ、本当ですか?」

小倉ツネオ
「かなり高値で売って儲けてますよ、アイツは」

(もしかして、それが組織の資金源になってるのかも)

その週末。
約束通りマンションを訪ねると、室長はエントランスで待っていてくれた。

難波
サトコ!

サトコ
「室長···!」

笑顔で右手を上げる室長の姿が眩しくて、思わず小走りに近づいた。

サトコ
「おかえりなさい」

難波
ただいま。なんか久しぶりだな

言いながら、嬉しそうに私に頬を摺り寄せる。

サトコ
「痛っ···痛いです、ちょっと」

難波
まあそう言うなって

室長にジョリジョリされて、思わず私も笑顔になった。

(この感触、ふんわり香る柔軟剤の香り···やっぱりいいなぁ)

室長の希望で、手料理の後はDVD鑑賞。
ソファに並んで座りながら、指を絡め、腕を回し、頬を摺り寄せ···
徐々に密着を深めて行く。

(この温もり、幸せを感じるよね···)

室長の肩に寄り掛かり、ほんわかしかけていた時だ。
急に室長の身体が硬くなったのが分かった。

サトコ
「?」

顔を上げると、いつの間にか室長が真剣な表情になっている。

難波
そういや、話したいって言ってたことだけどな

サトコ
「あ···はい」

(そうだった。幸せ過ぎて忘れてたけど···)

私も身体を硬くして、背筋を伸ばした。

(何を言われるんだろう···少し距離を置こうとか、そういうこと?それとも···)

一度は振り払ったはずの不安がまたゆっくりと沸き上がり始める。
心を落ち着けようと私が目を瞑ったのと
目の前にスッと何かの紙が差し出されたのはほぼ同時だった。

(ん?)

閉じかけた目を開き、目の前のその紙をじっと見つめる。

サトコ
「え?えええっ!?」

(こ、婚姻届!?)

しかも室長の名前はもう記入済みだ。

(どういうこと?よくわかんないけど···)

サトコ
「こ、これは···」

難波
見ればわかるだろ。婚姻届だ

サトコ
「そ、そうですけど···でも、どうしてここに?」

難波
それは、俺がもらってきて書いたからだろうな

サトコ
「ウソ···」

(こんなものが目の前にあるなんて信じられない···でも、嬉しい···!)

気付いたら、涙が溢れだしていた。

難波
何で泣くんだよ

室長はちょっと照れたように笑いながら、太い指で私の頬を拭ってくれた。

サトコ
「だって、嬉しくて···」

難波
バカだな。こんなもんで安心するなら、いくらでも書くよ

サトコ
「室長···」

(室長は全部分かってたんだ···)

後藤教官とのキスや、室長の言葉でかき乱された私の心。
それをすべて受け止めたうえで、室長はこうして私を包み込んでくれようとしている。

(そんな室長が好き、大好き。でも、それに引きかえ私は···)

自分の大人げない行動が恥ずかしい。

サトコ
「私も、書いていいですか?」

難波
もちろんだ。といっても、お前が卒業するまでは出せねぇけどな

サトコ
「分かってます」

あまりの嬉しさと高揚感に、手が震える。

難波
おい、字が老人みたいにヘロヘロだぞ

サトコ
「緊張してるんです!」

一文字一文字に、室長への想いを込めて。
私は生まれて初めて、婚姻届に名前を書いた。

to be continued

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする