カテゴリー

エピソード0 後藤6話

公安課の刑事として、それなりの成果があげられるようになったころ。
突然、ある辞令が下された。

後藤
俺が教官、ですか···?

石神
ああ。優秀な公安員を育てるために公安学校なるものが新設される
俺も教官として配属される予定だ

いささか苦々しい顔で告げる石神さんも、この辞令に諸手を挙げて賛成という訳ではないらしい。

後藤
通常の捜査は、どうなるんですか?

石神
それも続けることになる。常駐する場所が学校と公安課、半々になる体制らしい
今後の捜査には、公安学校の訓練生を使っていいことになる

後藤
つまり、仕事が増えるってことですか

石神
結果的にそうなるんだろうな
上が公安学校を理由に仕事を減らすわけもない

後藤
教官と言っても、具体的に何を···

石神
実践的な訓練、実演から、講義まで···やることは多岐に渡る

後藤
俺に教える才能があるとは思えません。後輩を育てた経験もないんですよ

石神
···黒澤は、お前の何だ

後藤
アイツは育ててません

石神
それなら···経験はこれから積め。決定事項だ

石神さんがデスクの上に分厚い資料を置いた。

石神
公安学校に関する資料だ。開校までに目を通して、授業計画を練っておけ

後藤
···了解です

(授業なんて···やり方もわからないってのに)

ぱらっと資料をめくり、膨大な情報量にそっと閉じる。

(仕事と言われれば、やらざるを得ないが···俺が教官か)
(夏月が聞いたら笑いそうだな)

僅かな間、目を閉じた。

公安学校は予定通り開校された。
そして俺はひとりの補佐官をつけることになる。

サトコ
「後藤教官、今日の課題、集めてきました」

後藤
ああ。置いておいてくれ

サトコ
「はい!」

明るい声に、よく動く表情。
俺から見れば小柄な体にパワーが漲っている。

サトコ
「他にお手伝いすることはありますか?」

後藤
いや、今はいい

彼女が部屋に入って来るだけで空気が変わる。
今にも雨が降り出しそうな重い空を割る陽射しのような···そんな存在に思えた。

(こんな雰囲気は夏月がいた時以来だ)

二度と感じることのない時間だと思っていただけに、彼女との時間には戸惑いがあった。

サトコ
「それじゃあ、後藤教官の仕事を見ていてもいいですか?」

後藤
見ていても、退屈なだけだろ

サトコ
「そんなことありません!勉強になります」

後藤
······

(どこが勉強になるのか···)

雑然としたデスクの上での書類仕事。
自分でも、もう少し片付いたら効率が上がるだろう···と思う程の環境だ。

(俺の何に憧れてるんだか···)

彼女から憧れの刑事だと聞かされたのは、少し前の事。

サトコ
「5年前の話なんですけど···」

通り魔に襲われた時、彼女を助けたのは俺だと彼女に告げられる。
ぼんやりと浮かび上がる記憶の残像。

サトコ
「その時の事···覚えてますか?」

後藤
ああ···あの時の学生がアンタなのか···

(この話をした時にも言ったが、氷川は俺を買い被り過ぎだ)

公安刑事としての務めは果たしているが、その根底にあるのは個人的な復讐心だ。
真っ直ぐに刑事を目指す氷川を前に、俺が教えられることなど、ほとんどない。

(教えられることがあるとすれば、捜査や現場でのノウハウくらい···)
(他の教官の補佐官になった方が、勉強になることも多いだろう)

公安学校のフタを開けてみれば、一癖も二癖もある人たちが教官の座に就いていた。
人間性はともかく、公安のエキスパートが集まっているのはすぐにわかった。

後藤
···氷川

サトコ
「お手伝いすること、出てきましたか?」

後藤
いや···

純粋ともいえるこの瞳を向けられると、いつも言えなくなる。
俺以外の補佐官になった方がいいんじゃないかーーと。

(言えないのは···結局、俺が···)

後藤
コーヒーを淹れてるか?

サトコ
「はい。私も一緒に飲んでもいいですか?」

後藤
ああ

彼女が淹れるコーヒーの香りを感じると、なぜか落ち着く。

(···現実味のない、夢の中にいるようだな)

静かな教官室で氷川と過ごす穏やかな時間は、俺はそんな風に感じていた。

それからしばらくの時が流れーー氷川が夏月とは全く違うと感じたのは、少しあとのこと。
そして、彼女が自分の中で唯一無二の存在になるのは···さらに、もう少しあとのことだった。

後藤
この間、お前の妹···千雪に会った
千雪自慢のレモンコーヒー、お前にも飲ませてやりたかった
···今度、持ってくるか?

返事のない会話を、ここでできるようになったのも、最近のことだ。

(お前と千雪は笑った顔が似てるんだな···)

事件を解決した、あの日から。
やっと夏月の笑顔が思い出せるようになった。

後藤
なあ、夏月。俺は、今···

独白のような声で続けた時。
屈んでいた俺の横に長い影が伸びた。

サトコ
「誠二さん」

後藤
ああ···

桶と柄杓を片付けてくれたサトコが戻ってきた。

サトコ
「ちゆちゃんに会ったこと、話したんですか?」

後藤
今度、レモンコーヒーを持ってくるかと思ってたところだ

サトコ
「あれは···まあ···でも、ちゆちゃんのイチオシですもんね」

複雑そうな顔で笑うサトコに、俺も立ち上がる。

サトコ
「夏月さんの事件当時···ちゆちゃんは海外に行ってたんですよね」

後藤
らしいな。だから、顔を合せなかった
それが今になって知り合って···アンタの友達になるんだから、わからないもんだな

サトコ
「わからないから···人生は楽しんですよ、きっと」

知らない未来を楽しいと思えるーーサトコらしい考えに笑みがこぼれそうになる。

後藤
アンタらしいな

サトコ
「誠二さんは、そう思わないんですか?」

後藤
いや···

俺の今なら、そう思える。
サトコと共に歩む未来は、きっと幸いに満ちているだろうと。

(そう確信できるのは···)

今が幸せだから、だとーーさっき言葉にできなかった想いを心の中で口にした。

Happy End

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする