【東雲 実家】
久しぶりの実家。
リビングのソファでは、夕食の片付けを終えた彼女が寛いでいる。
東雲
「お風呂沸いたけど」
サトコ
「あっ、教官、お先にどうぞ」
東雲
「いや、キミ客だから‥」
サトコ
「でも、今は動けそうになくて」
見ると、彼女の膝の上に三毛猫が居座っている。
最近、父さんたちが飼い始めたミケコ・1歳。
東雲
「‥いいよ。その子の相手はオレがするから」
サトコ
「でも‥」
東雲
「いいって。ほら‥」
オレが抱きかかえた瞬間、ミケコは「シャーッ」と威嚇してきた。
サトコ
「きょ、教官、やっぱり‥」
東雲
「いいって。早く行け」
サトコ
「‥はい」
彼女が出て行ったのを見計らって、オレはミケコをポイと床に落とした。
ミケコ
「シャーッ」
東雲
「うるさい」
ミケコ
「シャーッ、シャーッ」
東雲
「あの子、キミのじゃないから」
「オレのだから」
よく見ると、床にもソファにも猫の毛が落ちている。
たぶん、これが猫を飼っている家では当たり前の光景だ。
(なのに、最初はかなりきれいに片付いてたっけ)
おそらく、彼女が来ると知ったばあやが、徹底的に掃除をさせたのだろう。
その上で、出がけにあの子を煽ったのだ。
(何が目的なんだか‥)
オレのことが心配なのか。
単に、彼女のことが気に入らないのか。
それとも、他になにか思うところがあるのか。
(今度、時間を作って探っておくか)
(またヘンに煽られたり、邪魔されても困るし‥)
ミケコ
「ウウウ‥」
東雲
「‥‥‥」
ミケコ
「ウウウウ‥」
(‥そうだ、こいつもいたんだった)
久しぶりの、彼女との濃厚なアレコレを邪魔した張本人。
(この件については、今この場で手を打たないと‥)
【部屋】
サトコ
「えっ、この部屋でDVDを観るんですか?」
東雲
「そう。シアタールームは父さん専用だし‥」
「リビングはデッキの調子が悪いから」
もちろん、リビングのくだりは嘘だ。
けれども、そうすることに何の抵抗もない。
(ほんと、ありえないし)
(これ以上、ミケコに邪魔されるとか)
東雲
「ほら、これ、早くセットして」
話題を変えるため、オレはDVDのパッケージを彼女に突きつけた。
途端に、彼女の目が無駄にキラキラと輝いた。
サトコ
「ありがとうございます、教官!」
「この『新選組が愛した女』って映画、ずーっと観たかったんです!」
「でも、レンタル店をハシゴしても、いつも貸出中で‥」
「この界隈は全部探したのに、やっぱりムリで‥」
(‥知ってる)
だから、オレは千葉まで行ってきた。
もちろん、そんなの伝えるつもりはないけれど。
サトコ
「よし、セット完了しました!」
彼女が隣に戻ってきたところで、リモコンの再生ボタンを押す。
数秒間があいたあと、画面が切り替わり、OPテーマが流れ出した。
(ああ‥ハイハイ、イケメンばっか‥)
(好きだよね、誰かさんはこういうの)
チラリと隣を見ると、彼女はますます目を輝かせている。
そのことが面白くなくて、オレはわざと彼女の肩に頭を乗せた。
(ああ、この感じ‥)
(一緒じゃん、先週の映画と)
【映画館】
そう、1週間前‥
オレは彼女と映画館でB級ホラー映画を観た。
映画そのものは、どうしようもなく退屈で‥
開始30分で、早くもまぶたが半分下りてきてしまった。
(はぁぁ‥ほんとムリ‥)
(展開も演出もありきたりだし)
(相手役の男は、面倒くさそうなタイプだし)
(主人公は、一度フラれただけで、さっさと男を諦めてるし)
うちのスッポンを見習え、なんて内心毒づいてたわけだけど。
サトコ
「‥ひっ」
(ん?)
サトコ
「あ‥や‥」
「ダメ‥っ」
オレにしか聞こえない小さな独り言。
怖いシーンのたびに、跳ねたり縮こまったりする身体。
(え、本気で?)
まさか、B級ホラーをここまで怖がるとは‥
(面白すぎるんだけど、うちの彼女)
気がつけば、すっかり目が覚めていた。
そうして彼女ばかりを見つめていた。
なのに彼女は映画に釘付けだから、わざと寄りかかってみたりして‥
サトコ
「!」
(ぷっ‥緊張してる!)
(ほんと、単純すぎ)
(せっかくだから、もう少しからかって‥)
サトコ
「失礼しまーす‥」
(‥ん?)
東雲
「!」
今度は、こちらがドキリとした。
だっていきなり手を繋いできたから。
しかも‥
(ちょ‥手汗‥っ)
(濡れすぎなんだけど!)
それでもイヤじゃなかった。
彼女と繋がっていられることが。
(‥ま、いいけど)
(しばらく、このままでいてあげるのも‥)
【部屋】
(悪くない‥なんて‥)
サトコ
「すぅ‥すぅ‥」
(‥‥‥‥‥は?)
サトコ
「すぅ‥すぅ‥すぅ」
「‥へへ‥むにゃ‥」
もちろん、映画はまだ終わっていない。
彼女の好きそうなイケメンたちが、あれやこれやと奮闘中だ。
(なのに寝るとか‥)
東雲
「バカ!」
あり得ない。
本当にあり得ない!
(1時間半かけて千葉まで行ったのに)
お仕置きに鼻でも摘まんでやろうとして‥
ようやく気が付いた。
オレの右手が、彼女の左手と繋がれていることに。
東雲
「‥バカ」
鼻を摘まむのはやめた。
代わりに、手を繋いだままの状態で出来ることをした。
頬に‥目尻に‥こめかみに‥
そっと唇と押し当てていく。
(‥まだ起きないし)
(だったら、もう少し‥)
今度は、唇の端に少し長めに‥
それでも目覚めないなら、そのまま唇に‥
(甘‥)
サトコ
「ん‥」
(ほんと‥蜜みたい‥)
サトコ
「ん‥んん‥」
(‥ああ、起きたか。さすがに‥)
唇を離して、様子を窺う。
すると、彼女はうっすらと目を開けた。
サトコ
「や‥」
(ん?)
サトコ
「もっ‥と‥」
(‥え?)
サトコ
「もっと‥」
(‥まさか)
オレは繋いだままにしていた右手を振り払った。
そして、今度こそ容赦なく彼女の鼻を摘まみあげた。
サトコ
「いひゃい!いひゃひゃひゃっ!」
東雲
「いつから?」
サトコ
「ひゃっ?」
東雲
「いつから起きてた?」
サトコ
「え、ええひょ‥目尻のキッひゅ‥」
東雲
「早いね、思ってたより」
さらに、摘まんでいた指先に力を込める。
彼女は身をよじって逃げ出すと、赤くなった鼻を涙目でさすった。
サトコ
「だ、だって気持ち良かったから‥」
東雲
「なにが?」
サトコ
「キッス‥」
「でも、起きてるのがバレたらそこでおしまいかも‥って‥」
東雲
「‥‥‥」
(‥なに言ってんの)
そんなわけないじゃん、と言いたいのに。
素直じゃない「自分」が、ひょっこり顔を出す。
東雲
「‥そうだね」
サトコ
「!」
東雲
「おしまいだね。キミが目を覚ましたら」
「だから、もう‥」
サトコ
「寝ます!今すぐ寝ます!」
(‥は?)
サトコ
「おやすみなさい、教官!」
東雲
「‥‥‥」
サトコ
「ぐぅ‥」
「ぐうぐう‥ぐう‥」
(‥学芸会か!)
ダメだ。
呆れてものも言えない。
何に対してって?
こんな彼女を一瞬、「かわいい」と思ってしまった自分自身に対してだ。
(バカ、サイアク‥)
(ほんとあり得ない)
熱くなる頬を忌々しく思いながら、オレは上半身をゆっくりと屈めた。
演技が下手すぎるうちの彼女に、甘いご褒美を与えるために。
End