「あの電話の真相」
【中庭】
学校の中庭は意外に人目につかないようで、ひとりで考え事をするのに向いた場所だった。
(ネコにひっかかれる以外はいい場所だな)
芝生に座りながら、先ほどのモニタールームでの出来事を思い返す。
氷川が訓練中にひったくり犯を捕まえ、訓練は中止になった。
(教官として成田の言うことも間違ってはいないが···)
(訓練生とはいえ、警察官が窃盗犯を見逃すのも関心は出来ない)
個人的な考えで言えば、氷川の判断を評価したいところだ。
(この学校に集まった生徒はキャリアの出世欲の強い奴ばかりだ)
(そんな中で氷川は一番普通の警察官らしい)
後藤
「同じノンキャリアだから、か···」
石神
「ノンキャリがどうした?」
後藤
「石神さん···」
声をかけられて振り返ると、石神さんが立っている。
石神
「手の焼ける補佐官だと大変か?」
後藤
「いえ···別に言うほど手はかかりません」
「ただ、自分も刑事になりたての頃、ああだったかと思うとゾッとはしますね」
石神
「颯馬が純粋な目を持った新人だと言っていたな」
後藤
「やめてくださいよ。周さんから見れば、新人は皆純粋に見えるんでしょうから」
石神
「そうでもないだろう。キャリアは入庁した時から、互いを牽制し合ってギスギスしたものだ」
後藤
「大変ですね、キャリアは」
石神
「今では他人事じゃないだろう。お前は俺が上まで連れて行く」
「キャリアか否かは関係なく、頑張ってもらわなければ困る」
後藤
「石神さんの役に立てるよう最善は尽くします」
(それがあの事件を追い続ける条件みたいなものだからな)
石神
「···教える側になって初めて分かることもあるだろう」
後藤
「そうですね」
「まぁ、最初から優秀な石神さんには縁遠い話でしょうけど」
石神
「当然だ」
(この人が新人の頃の話は聞いたことがないが、加賀さんあたりは知ってるのか)
一瞬興味が湧いたが、聞かない方が精神衛生上いい気がする。
石神
「お前には丁度いい仕事だ」
「黒澤も何だかんだ言って手間のかからない男だったからな」
後藤
「それはまぁ···」
「本人には言いませんが、あいつが初めから優秀だったのは認めます」
黒澤は俺が直接関わった数少ない後輩だ。
ヘラヘラしたヤツだが、こちらで指導しなくても自分で必要なことは身に付けていった。
後藤
「新人が全員黒澤みたいだったら楽ですかね」
石神
「俺は御免だ」
「締まりのない顔は黒澤ひとりで充分だろう」
後藤
「確かに」
(あの訓練生の中から、使える捜査員が何人出るのか···)
いずれは石神さんたちに追いつく人材もいるかもしれない。
(氷川は正直公安よりも交番勤務が向いている気がするけどな)
石神
「あまり生徒に自分を重ねるな」
後藤
「どういう意味ですか?」
石神
「先程の訓練時のトラブル。お前は氷川の判断を支持しているだろう」
後藤
「それは···」
(歩とは違うが、この人も平気で人の考えていることを見抜いてくる)
ちょうど氷川のことを考えていたバツの悪さもあって言葉を濁してしまう。
石神
「警察官の本質を忘れないという意味では、氷川のしたことは正しかっただろうな」
「公安としては失格だが」
後藤
「···どちらを優先すればいいんですか」
石神
「ケースバイケースだ」
「ただ···人命第一なのは間違いない」
後藤
「はい」
石神さんは中庭を横切って校舎の方に戻っていく。
後藤
「自分を重ねるな···か」
(氷川を見ていると、刑事になりたての自分を思い出すのは確かだ)
(他の生徒とは違うから、余計に目に付く)
(何かと気にかかるのは、そういう意味で親近感が湧いていたからか)
誰かとかかわるのは面倒なはずなのに、氷川を煩わしく感じなかったのは、
そういう理由なのだろう。
後藤
「アイツが頑張るなら···教官として卒業させてやりたい」
氷川のことだ、きっと成田からの叱責で落ち込んでいるだろう。
しかし、立場上甘やかすわけにもいかない。
(氷川は俺の補佐官だしな···フォローくらいはしたいんだが···)
もともと気が利く性格ではないので、方法が思いつかない。
(···缶コーヒーでも差し入れするか)
どのコーヒーにするか自販機の前で迷って、
甘やかせない代わりに甘いコーヒーを買うことにした。
【路地裏】
しくじった······
苦い思いを噛みながら、引きずるように路地裏に身を隠した。
(深追いしすぎたな···)
尾行途中で突然後ろから出て来た男に、退くのが一拍遅れた。
腕をナイフで切りつけられ、追手は撒いたがキズは想像以上に深い。
(応急手当はしたが、このままじゃ貧血で気を失うのがオチだ)
(石神さんに合わせる顔がない···)
あれだけ危険だと言われていたのに、どこか軽率に考えていたのかもしれない。
1人で立っているのもやっとな状況で、血の気が引いて思考が鈍る。
(ここで下手に動いて見つかれば、これまでの捜査が全て無駄になる)
(迷惑をかけることになるが、助けを求めた方がいいか···)
携帯を操作するが、指先が震えて力が入りづらい。
(急いだ方がよさそうだな···)
(最低でも居場所を連絡して回収を···)
登録してある黒澤の番号を押す。
黒澤
『はい、あなたの黒澤です』
後藤
「黒澤···」
黒澤
『ただいま出張中につき、電話に出ることができません』
『あつーいメッセージを入れていただければ、すぐに折り返します』
後藤
「······チッ」
ふざけた声にイラつきながら終了ボタンを押す。
(肝心な時に···第一、出張中だから電話に出れないって、どういうことだ)
(せめて移動中とかにしろ)
後藤
「はぁ···」
こんな時ほど、どうでもいいことを考えてしまう。
黒澤を完全に頼りにしていただけに、あいつの手がないのは痛い。
(他の捜査員も顔が割れている可能性がある。かえって危険だ···)
(黒澤なら上手く辿り着いてくれると思ったんだが···)
(こうなったら石神さんに連絡するしかないか)
もう一度携帯に視線を落とした時、視界がぼやけていることに気付く。
(クソ···!しっかりしろ···!)
目を閉じると、おぼろげな影が瞼に浮かぶ。
それは、かつての相棒に似ている気がした。
後藤
「······」
(夏月···か···?)
(俺を···迎えに来たのか?待ってくれ···まだお前の仇を···)
サトコ
『あの、その···気を付けてください!』
(いや、違う···氷川か···なんで、こんな時にあいつのことを···)
氷川が俺のことを心から心配してくれていたのはわかった。
打算のない厚意が俺には過ぎたものだと感じた。
後藤
「氷川···」
携帯に表示された氷川の番号を押す。
なぜ、そうしてしまったのかは自分でもよくわからない。
(巻き込んではダメだ。わかってるのに···)
サトコ
『はい』
声を聞いた瞬間、一瞬だが気が緩んだ。
(夏月···もうちょっとだけ頑張らせてくれ)
(お前の無念を晴らしたら···どうなってもいいから)
後藤
「俺だ」
サトコ
『後藤教官!?』
後藤
「悪いが、車を出してくれ」
呼び出すからには教官らしくしていなければと、なけなしの気力を振り絞った。
to be continued