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ヒミツの恋敵編 難波6話

後藤
···氷川、どうした?

サトコ
「え···?あ、すみません。ボーッとしちゃって」

教官室で潜入捜査の報告書をまとめていたつもりが、
いつの間にか思いは別のところに飛んで行ってしまっていたようだ。

後藤
疲れた顔して、無理するなよ

サトコ
「大丈夫です。ありがとうございます」

なんとか微笑んで答えると、後藤教官はちょっと安心したように仕事に戻った。
ナナカさんから衝撃の告白をされたのは、昨夜のこと。
あれ以来、考えたくもない考えがグルグルと頭の中を回っている。

(男女がホテルに行くってことは、恐らくそういう事だよね)
(しかも室長は、ナナカさんから情報をとりたがってた···)
(室長は、仕事のためならナナカさんと···)

二人がホテルの部屋に一緒にいるのを想像しただけでも、堪らなくなった。
たとえそこに、気持ちは何も伴っていないのだとしても。

(仕事なんだから、しょうがない···)

もう一度自分に言い聞かせる。

(あの女優さんだって、ラジオで言ってたじゃない···)
(キスシーンなんてただの仕事、別に特別だとも思わないって)

黒澤
そ、そんな···!

いつの間にか教官室に来ていた黒澤さんが、雑誌を見ながら悲痛な声を上げた。

サトコ
「?」

後藤
なんだ、黒澤。どうかしたのか?

黒澤
これこれ、見てくださいよ!

黒澤さんが持ってきた雑誌のページには
人気女優が共演した相手役の俳優と電撃入籍したという記事が載っていた。

(あれ?この女優さんって···ラジオでしゃべってた、あの女優さんだよね?)

後藤
捜査に関わることかと思ったらただの芸能ネタか···

後藤教官は呆れるが、黒澤さんは真剣だ。

黒澤
ただの芸能ネタなんかじゃありませんって。これは、間違いなく由々しき事態です
この二人、つい最近の共演作で濃厚なキスシーンを演じた仲なんですよ!

サトコ
「!」

黒澤
その時は『仕事ですから』みたいな感じだったのに、フタを開ければどうですか
今になって、『演じてる時は本当にその人に恋してる』なんて言っちゃって···

(恋···)

黒澤
まあ確かに、そこまでしないとリアリティーが出ないって理屈は分かります

(リアリティー···)

黒澤
その結果、ミイラ取りがミイラになるなんて···そんなあってはならないことですよ
ああ、これでオレの儚い恋も終わりを告げました···

黒澤さんはやりきれなさそうに、ガックリとうなだれた。

(ミイラ取りがミイラに···それじゃ室長も、演じてる時は本当に恋してた···?)
(リアリティーを出すために···)

考えるほどに、胸が苦しくなる。
私は婚姻届の入ったカバンを引き寄せ、ギュッと抱き締めた。

(嫌だ···例え仕事でも、室長の気持ちが一瞬でも他の人に向くのは···)

後藤
氷川、大丈夫か?顔が真っ青だぞ

<選択してください>

大丈夫です

サトコ
「···大丈夫です」

(そう、大丈夫···室長だって、私が後藤教官とキスしたって聞いても平然としてたじゃない)
(私もあんなふうに振る舞わないと)
(今の私には、婚姻届もあるんだし···)

後藤
とりあえず、少し休め。後は俺がやっておく

追い立てるように、後藤教官は私を席から立たせた。

サトコ
「すみません」

昨日ちょっと飲みすぎて

サトコ
「昨日、ちょっと飲み過ぎたみたいで···」

後藤
何してんだ

サトコ
「!」

後藤教官は、気がかりそうに私の額に手を当てた。

後藤
熱はなさそうだけど、今日はもう休め
後は俺がやっておく

サトコ
「いえ、大丈夫です。やるべきことはちゃんとやります」

(そう、大丈夫···室長だって、私が後藤教官とキスしたって聞いても平然としてたじゃない)
(私もあんなふうに振る舞わないと)
(今の私には、婚姻届もあるんだし···)

どうしたんだろう···

サトコ
「どうしたんだろう、私···なんで、こんな···」

涙が溢れそうになるのをグッと堪えた。
後藤教官が、心配そうに私の顔を覗き込む。

後藤
氷川···?

(室長だって、私が後藤教官とキスしたって聞いても平然としてたじゃない)
(私もあんなふうに振る舞わないと)
(今の私には、婚姻届もあるんだし···)

サトコ
「大丈夫ですよ!私その俳優さんのファンだったので、ちょっと···」

後藤
ならいいが···

サトコ
「気分転換してきます!」

仮面が剥がれないうちに、私は慌てて席を立った。

週末。
心のざわつきが収まらないままに、室長の家を訪ねた。
いつも通りのおうちデート。
それなのに、おろしたてのワンピースなんか着てきてしまった。

(何に張り合おうとしてるんだろう、私···)

ご飯を作りながら、ふと考える。
気が付くと、そんな私を室長がじっと見ていた。

難波
似合うな、その服

サトコ
「え···」

難波
捜査で着てるアレよりそっちのがいいよ

サトコ
「そ、そうですか?ありがとうございます···」

(ドレスを試着した時は何も言わなかったのに···)
(こんな時に褒めてくれるなんて、ずるい···)

それでもいつも通りにご飯を食べて、ソファに並んでDVDを観て···
気付いたら、室長の腕が肩に回っていた。
そのまま自然な動きで引き寄せられて、室長のキスが落ちてくる。
その瞬間ーー

サトコ
「···ごめんなさい」

難波
え?

顔を背けてしまったのは、咄嗟の反応だった。

(何してるんだろう、私···)

難波
···どうしたんだ?急に

<選択してください>

······

どう答えたらいいか分からず黙り込む。

難波
何か···あったのか?

サトコ
「別に···」

難波
別にって顔はしてないな

なんでもありません

サトコ
「な、何でもありません」

難波
何でもないってことはないだろ

室長は心外そうに私を見つめる。

難波
それともアレか?焦らしプレーとか?

ごめんなさい

サトコ
「ごめんなさい」

難波
急に謝られても···
ほら、隠さずちゃんと話してみろよ

サトコ
「···ナナカさんに聞きました。アフターのこと···」

難波
ああ、アフターな···

サトコ
「仕事だって分かってます。分かってるけど、不安になっちゃって···」

難波
サトコ、俺は···

サトコ
「バカですよね、私。婚姻届までもらったのに···」

私はバッグから大切にしまってあった記入済みの婚姻届を取り出した。

サトコ
「こんなものまでもらったんだから、もっとドーンと構えてなきゃダメですよね」
「それなのに、いちいち室長の気持ちを疑って···」

難波
······

サトコ
「こんな気持ちのまま、室長とそいうことするのイヤだから···」
「ちょっとだけ待って欲しいんです。でも本当にちょっとだけですから」

難波
うーん、そうか···

室長は何とも言えない表情で私を見、婚姻届を見た。

難波
···分かった

(よかった···分かってもらえたみたいで)

難波
つまり、こんなもんがあるからか

サトコ
「え?···ええっ!?」

室長は婚姻届を手に取ると、いきなりビリビリと破り始めた。

サトコ
「ちょ、ちょっと待ってください!何するんですか。止めてください!」

必死に止めようとするが、室長は構わず破り続けた。
そしてそのバラバラの破片を、ゴミ箱の中に投げ捨てる。

サトコ
「そんな···どうして···」

粉々になった二人の絆を、私は必死にゴミ箱から拾い集めた。
そんな私を、室長は黙って見下ろしている。

難波
もういいから、それのことは一旦忘れろ

サトコ
「···どういう意味ですか?」

難波
まんまの意味だよ。しょせん、ただの紙切れだ

サトコ
「!」

拾い集めた紙切れを握り締め、私は部屋を飛び出した。

寮の部屋に戻った私は、必死に細かい破片をテープでつなぎ合わせた。

(なんでこんなことになっちゃんだろう···)

これを書いた時は、これは二人の幸せの結晶だと思っていた。
それなのに今は、変わってしまった二人の関係を物語るように粉々だ。

(上手くいってたはずだったのに···)

涙で視界が歪む。

(私が室長を信じられなかったから···一人で勝手に落ち込んで、バカなことを言ったから···)
(室長はきっと、呆れたんだ。こんな私に···)

大切なものが一瞬で指の間からこぼれ落ちてしまった感覚。
でも気付いた時にはもう手遅れで、二度と取り戻すことはできない。
涙が、ポトリと手元に落ちた。

(泣くな···悪いのは私なんだから···)

ようやく修復を終えた婚姻届は、笑ってしまうほどズタボロだった。

(直したってどうなるもんでもないのに···)

部屋にゴロリと転がりながら婚姻届をじっと見つめる。
そこに込められていたはずの、想いを探すように。

(これをもらったときはあんなに嬉しかったけど···)
(室長にとって、別に特別なものじゃなかったのかな)

サトコ
「しょせん、ただの紙切れか···」

その紙きれに一喜一憂し、踊らされていた私。
でも見れば見るほどやはりただの紙切れには思えなくて。
私はその大事な書類をバッグの中にしまい込んだ。

翌朝。
涙で腫れた顔を誰にも見られたくなくて、少し早めに登校した。
誰もいない屋上で、そっと鏡を覗き込む。

(多少腫れは引いてるけど、やっぱりどう見てもひどい顔···)
(今日は『Robin』の一斉ガサ入れの日なのに···)

コツン···

小さな音がして、傍らの手すりに缶コーヒーが置かれた。

サトコ
「?」

振り返ると、後藤教官が立っている。

サトコ
「後藤教官···!」

後藤
まあ、飲め

サトコ
「ありがとうございます···」

(こんな顔してるのに、訳は聞いてこないんだ···)

そんな後藤教官の優しさが身に染みて、また目線が熱くなり始めた。
コーヒーを飲むふりをして、上を向いたまま涙を堪える。

(これ以上、後藤教官に迷惑も心配もかけられないし···)

ようやく顔を戻して、懸命に笑顔を作った。

サトコ
「ごちそうさまでした。美味しかったです、すごく」

後藤
無理に笑うな
俺の前くらい

後藤教官が気遣わし気に私を見つめてくる。
その目はいろんなことを分かっているようなのに
後藤教官は決して踏み込んでこようとはしない。
その優しさが、辛かった。

サトコ
「無理なんて···」

再び胸の奥からグッと熱いものが込み上げようとした瞬間ーー
私は、後藤教官に抱き寄せられていた。

サトコ
「!」

後藤
······

(後藤教官···?)

混乱する私をあやすように、後藤教官は優しく私の髪に触れる。

後藤
元気だせ
室長は···アンタにプレッシャーをかけたんじゃないかと気にしてた

サトコ
「え···?」

(後藤教官は、たぶん仕事のことを言ってる。でも室長は···)
(きっと婚姻届のことを言ったんだよね)
(もしかして、室長があんなことをしたのは、私のため···?)

その瞬間、これまで見えていた景色がまったく別のものに見えた気がした。

(そうだよ。室長の真心を信じるなら、あの行動はきっと···)

後藤
もっと、俺を頼れ

サトコ
「後藤教官···」

後藤教官は、私を抱きしめる腕に力を込めた。
その胸は大きくて温かくて、ささくれ立った私の心を優しく包んで癒してくれる。

(ありがたいな、この優しさ···)

サトコ
「ありがとうございます。後藤教官」

私は感謝を込めて、ゆっくりと後藤教官の腕から離れた。

後藤
氷川···?

サトコ
「後藤教官のお陰で、ちょっと元気になれました」
「任務に戻ります。今日は、大切な日ですから」

背筋を伸ばして微笑む私を、後藤教官が眩しそうに見つめる。
私は決意を込めて、踵を返した。

(信じよう、室長を···)
(私が好きなのは、この世界で室長だけだから)

to be continued

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