子どもの頃から、月が好きだった。
ウサギがいるから···なんて、そういうメルヘンな理由じゃなくて。
月の裏側には都市があるとか、月面移住計画とか。
空想と想像がいくらでもできる余地があったからだ。
天体望遠鏡を買ってもらったのは10歳の誕生日···少し早くプレゼントはもらっていた。
あの望遠鏡はーーどこに行ったんだろうか。
反社組織の取り締まりが終わった、深夜3時。
クタクタのスーツで車に戻る。
津軽
「ねみーね···」
百瀬
「···っす」
運転席にモモが座り、俺は後部座席でシートに沈む。
津軽
「つーか、俺朝イチで出張なんだけど」
百瀬
「でしたね」
津軽
「あ、ウサに言うの忘れてた。明日の朝言っといてよ」
百瀬
「···今からでも言ってやった方がいいですよ」
ツンと素っ気ない答えが返ってくる。
(いつになく反抗的だなー)
津軽
「えー、いつもなら帰って来るまで知らなくていいとか言うじゃん」
「ウサちゃん側に立つの珍しくない?」
百瀬
「はぁぁ···」
津軽
「溜息とかさー、幸せ逃げるよ?」
「出張に連れて行かないの、まだ根に持ってんの?」
モモはハンドルに腕を預けていて、その顔は見えない。
百瀬
「···もう置いてかれるの、まっぴらなんで」
津軽
「それってさー···何年前の話よ···」
俺が百瀬を置いていったのはーー
モモはまだ学ランを着ている歳だった。
まだ肌寒い春先の海。
津軽
「俺、明日から、この町いないから」
百瀬
「······」
津軽
「あの時はさー···置いてったわけじゃないじゃんー···」
「俺が京都の大学行くからって、モモが京都の高校いくとかはないっしょ」
百瀬
「俺はそれでもよかったです」
津軽
「いやいや、よくないってば」
「それに今回だって、俺ひとりで十分だから行くだけじゃーん···」
後ろからボコボコ運転席を蹴る。
百瀬
「俺はアンタの考え、一生分かんないんで」
「だから、何も考えずについてくって決めてます」
「なのに、勝手にどっかに行かれたら」
「···また置いてかれるんじゃないかって。不安、なんですよ」
津軽
「···何言ってんの」
(次に置いてくのは、お前の方だよ。百瀬)
いつか、きっと、百瀬は百瀬の道を歩み始める。
俺の手の届かないところに行くーー寂しいが、それが健全で、そうあるべきだ。
(今の彼女とはいい感じみたいだし)
(花婿付添人やったりすんのかな)
(バチェラーパーティー開いてやりたいなー)
津軽
「中学の時のモモ、可愛かったよね」
百瀬
「最初は、マジでウザいと思ってました」
津軽
「正直すぎない?」
百瀬
「ウソついても意味ないんで」
チラッと見えたモモは笑っていた。
エンジンをかける音がする。
百瀬
「家でいいですか?」
津軽
「いや、課に戻って。仮眠室でいい」
百瀬
「了解です」
車が走り出してスマホを取り出す。
(ウサに連絡入れとくか)
『明日から1週間いないけど、さみしくて死んだらダメだよ』と送っておく。
この時間だから、返信はないだろうと思っていたけど。
津軽
「······」
朝から何度チェックしたかわからないLIDEの画面をまたみる。
(この時間、もう起きてるよな?)
(なのに既読すらつかないって···)
(普通、朝イチでスマホチェックするだろ。それをしないってことは···)
(誰かと一緒か!?)
思わず電話をかけようかと手が動きかけたが、昨日からの疲れがそれを阻んだ。
(無理。今、ウサに関する新情報を知っちゃったら、出張どころじゃねぇ)
津軽
「はぁぁぁ···」
子どもの頃から、あれこれ想像の翼を広げがちなところがある。
その想像力にこの先殺されるとは、この頃は知らず。
ウサのふんにゃりとした顔を思い出すだけにして、自分を甘やかした。
to be continued