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俺の駄犬が他の男とキスした話(後) 加賀3話

早朝、出勤すると津軽さんに提出する報告書を作成する。
でもそこに “那古組” の名前が出てくると、思わず頭を抱えてデスクに突っ伏した。

(奥野さん、もう私のことなんてとっくになんとも思ってないと思ったのに···!)
(だって今までの奥野さんの態度的にも、私なんて···!)

まさかまだ想われているなんて、つゆほども考えていなかった。
鈍くて無神経な自分が憎い。

(いくら奥野さんの気持ちを知らなかったとは言え、今回の数々の無礼な振る舞い···!)

サトコ
「あああああぁぁ···」

津軽
まだ心はカレに残ってるのに
うっかり、過ちを犯しちゃった相手の男の方が本気になって困ってる
···みたいな顔してるね

サトコ
「!!!???」
「津軽さん···やっぱりエスパーなんですか!」

津軽
自分があまりにも分かりやすいとは考えないの?

サトコ
「それは常に考えてますけど···」

(あまりにも的確に言い当てられすぎてる···もしかして津軽さん、加賀さんから何か聞いてる?)
(···いや、加賀さんに限ってそれはないな。津軽さんと石神さんに相談するのだけはあり得ない)
(百歩譲って石神さんには天変地異が起きたら相談するかもだけど)
(津軽さんにはない。絶対に)

サトコ
「うん、ないな。ないない」

津軽
何か今、失礼なこと考えなかった?

サトコ
「まさか。とんでもない」

(加賀さんが津軽さんにプライベートなこと話すわけないし)
(それにしてもどうしよう)
(奥野さんは『自分の気持ちを知って欲しかっただけ』って言ってたけど)

再び頭を抱えたくなったその時、“萌木芽衣” のスマホが鳴った。

(···那古さん!)

急いで席を立ち、スマホを持って廊下へ出た。

那古さんとの電話を切ると、急いで指定された場所へ向かう。

(『大事なお話があります』って···なんだか深刻そうだったな)
(それにしても加賀さんといい奥野さんといい那古さんといい、みんな呼び出すのが好き···?)

見回すと陸橋に佇む、那古さんの姿を見つけた。

サトコ
「那古さん!お待たせしてすみません!」

那古絢未
「······」

(あれ···?那古さん、なんだか雰囲気が···)

サトコ
「那古さん···?」

那古絢未
「あなたは···兵吾さんのなんですか?」

サトコ
「!」

驚きのあまり、駆け寄りかけた足が止まる。
少しの距離を置いて、那古さんと対峙した。

那古絢未
「あなたが持っていた、あの “はじらいパンダ” のがま口···」
「世界で3個しか存在していない、今ではプレミアがついているものです」

サトコ
「3個···!?」

那古絢未
「もともとは10個限定だったんです。でも色々と事情があって3個になって」
「ひとつ100万はくだらない値がついています」

サトコ
「ひゃっ···」

(まさかあのがま口が、そんなに高価なものだったなんて···!)
(えっ!?私、100万円のがま口を普通に使っていたってこと!?)

那古絢未
「それをあなたが持っているのは、どうしてですか?」

バッグに無造作に入っているがま口を思い出して、冷や汗が流れそうだ。
でもそんな気持ちも、那古さんの真剣な表情にすぐ消えてしまう。

那古絢未
「大事にしてください、って言ったんです。兵吾さんに」

サトコ
「······」

那古絢未
「でも···それをあなたに渡したってことは」
「······諦めて、ください」

震える声を、胸が締め付けられるような思いで聞いていた。

那古絢未
「私は、本気で兵吾さんが好きです。愛しています」
「あっ···あなたよりも、ずっと···兵吾さんを幸せにできます」

声だけではない。指先も震えているのがわかる。
その立場を利用して脅しているわけではない。

(私が公安刑事だって気付いてるのかどうかは分からない)
(だけど、脅しが通じないとかそういうことじゃない···ひとりの女性として言ってるんだ)

この人の立場を考えれば、情報源としてかなり加賀さんの役に立つ。
もしかしたら那古さんが言うように、私よりも加賀さんを幸せにできるかもしれない。

(···それでも!)

サトコ
「無理、ですっ」

身体の横でこぶしを握り、声を振り絞った。

サトコ
「私だって加賀さんが、好きだから」
「好きだから···そんなに簡単に諦めません···!」

那古絢未
「···!」

那古さんは協力者だと、加賀さんはすぐ私に教えてくれた。
今考えれば、わざわざ教える必要なんてないのに。

(あれはきっと、私がいつまでも悩んでるから···安心させてくれようとしたんだ)

サトコ
「それなのに、私は···」

加賀
『本当に何もねぇなら、最後まで貫けよ』

(奥野さんのことを知られなくなくて、余裕がなくなって···)
(事故だとしても、他の人とキスなんてしたら嫌われると思って···)

あのとき、ラブホテルのアメニティがバッグから落ちたことにも気付いていただろう。
そして、喫茶店での私を奥野さんの話も聞いていた。

(なのに···加賀さんは責めなかった)
(ただ、最後に一度だけ···『信用できない奴とは一緒にいられない』って言っただけ)

サトコ
「振られたのだって全部、私が悪くて···」
「加賀さんに嫌われたくないなんて言いながら、自分の保身ばっかり」
「ただ、加賀さんを信じればよかっただけなのに···ごちゃごちゃ考えて」

那古絢未
「······」

那古さんに話しているはずなのに、まるでそれは自分と向き合っているようだった。
淀んでいた気持ちが、少しずつクリアになっていく。

サトコ
「だから···私、諦められないです」
「加賀さんに、もうお前なんていらねぇ、って言われるまで」

那古絢未
「···不快だわ」

まっすぐ目を見つめる私から先に視線を逸らしたのは、那古さんだった。

那古絢未
「···失礼します」

サトコ
「那古さん···!」

那古さんが踵を返して立ち去ろうとしたそのとき、
見計らったかのように近くに黒いバンが停まった。
マスクをした男が降りてきた直後、素早い動きで那古さんの腕を掴む。

那古絢未
「な···!?」

怪しい男
「大人しくしろ!」

サトコ
「!」

(今の声···!)

サトコ
「ちょっと、あなた···!」

共犯の男
「邪魔するんじゃねぇ!」

ガン!と強い衝撃を後頭部に受け、一気に意識が遠のく。

(ダメ···ダメ!加賀さんに連絡するまで、気を、失う、わけには···)
(那古さんがさらわれたって···加賀さんに···)

············

to be continued

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