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あの日、僕らは隠れてキスをした 颯馬1話

颯馬
サトコ

囁くように声を掛けてきたのは、颯馬さんだった。

颯馬
後ほど一緒に庭の盆栽を見ていただきませんか?入り口を通った時にーー

ガシャンッ!

サトコ
「っ!?」

何かが壊れる音がして振り向くと、宿のおばあさんが放心したように立ち尽くしていた。
その足元には、割れた盆栽の鉢が散乱している。

サトコ
「大丈夫ですか!?」

颯馬
お怪我はーー

おばあさん
「爺さん···」

サトコ
「え···?」

呟いたおばあさんの目は、真っ直ぐに颯馬さんを見つめている。

颯馬
おばあさん、私はまだそこまで歳を取っては···

おばあさん
「あぁ爺さん!何年ぶりだろう!」

颯馬
···

聞く耳持たずのおばあさんに抱きつかれ、今度は颯馬さんが放心したように固まってしまった。

サトコ
「おばあさん、この人はー」

おばあさん
「わかっとるよ···。ただ、死んだ爺さんの若い頃にあんまり似てるもんだから」

サトコ
「···そうだったんですね」

颯馬さんも納得したようにその表情を少し和らげた。
でもおばあさんは、颯馬さんにぎゅっとしがみついたまま離れない。

おばあさん
「あぁ懐かしいねぇ、この温かさと感触。あの人の身体もこんな風に逞しくてねぇ」

颯馬
···

サトコ
「旦那さんのこと、大好きだったんですね」

おばあさん
「そりゃあもう、お見合いした瞬間に恋に落ちるほど素敵な人だったさ」
「その恋は爺さんが亡くなるまで続いた···い~や、今もあたしの恋は続いとるよ」

(おばあさん···)

深い皺が刻まれた横顔が、まるで少女のように可愛らしく見える。

サトコ
「とても素敵なご夫婦だったんですね。憧れます」

(私もそんな風に恋していたいな···)
(いつか颯馬さんと結婚できたら、颯馬さんがお爺さんになってもずっと···)

颯馬
おばあさん、すみませんがちょっと手を離していただけますか

おばあさんの思い出話にしみじみしていると、颯馬さんが優しくおばあさんの手を解いた。

颯馬
その五葉松を助けてあげなければ

おばあさん
「あんた、これが五葉松だってよく知ってるね」

颯馬さんはおばあさんの足元にしゃがみ、割れた鉢の盆栽をそっと拾い上げる。

おばあさん
「爺さんは盆栽が大好きで、我が子のように大切にしていてねぇ···」

サトコ
「旦那さんも盆栽が好きだったんですか!」

おばあさん
「も···って、もしやあんたもかね?」

颯馬
ええ

おばあさん
「ひゃー、こりゃもう運命だね!」

おばあさんはポッと頬を赤らめて、颯馬さんに腕に絡みつくようにしてまたくっついた。

(おばあさん、本当にお爺さんが恋しいんだなぁ)

加賀
クッ

後藤
周さん···

(ん?)

再び身動きが取れなくなった颯馬さんを見て、他の人たちが笑いを堪えている。

津軽
ふうん、あれが周介くんの将来の姿かぁ

百瀬
「···」

東雲
恋は盲目···

石神
そのようだ

(颯馬さんの将来?盲目?)

どういうことかと思いながらみんなの視線の先を追う。

(えっ、あの人がおばあさんの旦那さん!?)

そこにはにこやかなお爺さんの写真が飾られ、その人は見事なまでに禿げていた。

(···全然似てない)
(でもおばあさんの目には、ずっと恋してきた大切な人に重なってしまうのかな)

颯馬さんの綺麗な顔立ちが、おばあさんの思い出さえも美しく塗り替えてしまうのかもしれない。

(おばあさん、本当に嬉しそう)

サトコ
「颯馬さん、暫くおばあさんと一緒にいてあげてください」

黒澤
ひっ···

サトコ
「?」

颯馬さんの後ろで、なぜか黒澤さんが小さな悲鳴をあげた。

(黒澤さん、顔引きつらせてどうしたんだろ?)

サトコ
「じゃあ、私は部屋に行きますね」
「颯馬さんの優しさで、おばあさんを包んであげてくださいね」

颯馬
···貴女のお望みならば

おばあさん
「女の子の部屋は突き当りを右に行った奥、『なでしこの間』だよ」

サトコ
「はい、ありがとうございます」

颯馬さんの隣でニコニコ微笑むおばあさんに頭を下げ、部屋へ向かった。

サトコ
「えっと、なでしこの間···」

男A
「キミ、一人旅?」

男B
「俺たちが部屋まで案内しようか?」

部屋を探して廊下を歩いていると、2人組の若い男が絡んできた。

佐々木鳴子
「サトコ、どうしたの?」

男A
「お!もう1人美女登場!」

男B
「俺たちも2人だしちょうどいいじゃん。一緒に遊ぼうよ」

鳴子もやって来ると、男たちはさらにヒートアップする。

サトコ
「連れが来たので失礼します」

佐々木鳴子
「このあとも予定があるので」

事態を察した鳴子も、毅然と拒否の姿勢を見せた。
けど、男たちはしつこく絡んでくる。

男A
「そんなこと言わないでさ~」

男B
「てか俺、キミたちみたいな気の強い女子めっちゃ好み!」

(め、面倒臭い···どうやって切り抜けよう)

千葉大輔
「おーい、もう宴会始まるよ」

(千葉さん!いい所に来てくれた!)

サトコ
「は~い、今行きまーす!」

男A
「···男も一緒かよ」

男B
「チッ···」

千葉さんの登場に、男たちはあっさりと去って行った。

加賀
ビール追加!

津軽
こっちもよろしく~

おばあさん
「はいはい、ちょっとお待ちを!」

宴会は大いに盛り上がり、おばあさんは大わらわだ。

佐々木鳴子
「おばあさん一人で切り盛りしてるのかな?」

サトコ
「この勢いで飲まれちゃ追いつかないよね」

私と鳴子は顔を見合わせ頷き合った。

サトコ
「おばあさん、私たちも手伝います!」

おばあさん
「いいのかい?」

佐々木鳴子
「任せてください」

サトコ
「私たち、この人たちの扱いには慣れてますから!」

鳴子と私は、料理を出すのを手伝ったり、お酒を注いで回る。

(颯馬さんも飲んでるかな?)

黒澤
周介さ~ん、後で一緒に温泉行きまひょうね~

颯馬
···沈められたいのなら、是非

(あぁ、気の毒に···厄介な人に絡まれてる···)

黒澤
ちょっと歩さん聞きました~?オレ、周介さんに沈められちゃいますよ~

東雲
溺死体になれば浮いて来れるよ

黒澤
ひゃー、この人たち鬼だ~

黒澤さんは大袈裟な声を上げてへなへなと去っていく。

(チャンス、今なら颯馬さんにお酒を注ぎに···)

おばあさん
「料理は口に合うかね?」

颯馬
ええ、大変美味しいです

おばあさん
「それはよかった」

優しく微笑む颯馬さんを、おばあさんは嬉しそうに見つめている。

(黒澤さんが去ったと思ったらおばあさんが···)
(颯馬さんには近づけそうにないな···)

サトコ
「ふぅ···」

宴もたけなわの中、途中で抜け出し鳴子と交代で温泉へ向かう。
適当なタイミングで風呂でも行けと、石神さんが声を掛けてくれた。

(あの様子じゃ何時になるかわからないもんね)

サトコ
「そうだ、ちょっと庭に出てみよう」

温泉に行く前に庭に寄り、盆栽を見てみることに。

(本当は颯馬さんと一緒に見たかったけど···)

???
「一人で抜け駆けですか?」

サトコ
「!?」

颯馬
こんな暗がりじゃ、ろくに見えませんよ?

月明かりの下、颯馬さんが夜風のように静かに微笑んでいた。

to be continued

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