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愛の試練編 加賀8話

お互い、お風呂に入ってようやくすっきりした。

サトコ
「···っていうか加賀さん、お風呂入って大丈夫なんですか?」

加賀
処置してある。問題ねぇ
それより、さっさとしろ

サトコ
「あっ、はい。お注ぎします」

加賀さんのコップにビールを注いで、恐る恐る自分のコップとカチンと合わせる。

サトコ
「それじゃ···お疲れさまでした」

加賀
ああ

無事に生還できたことを祝して、ささやかな乾杯をする。
でもグラスに口をつけてから、はっと気づいた。

サトコ
「痛み止めの薬飲んでるのに、アルコールはまずくないですか!?」

加賀
ヤクなんざキメてねぇ

サトコ
「言い方···!」
「···え!?薬飲んでないんですか!?」

加賀
感覚が鈍るだろうが

(だからって···いくら処置したからって···骨折れてるのに!?)
(加賀さんは忍耐力も魔王並み···)

それはそれとして、そっとグラスをテーブルに置き、加賀さんに向き直る。
そして、土下座になりそうなほど深々と頭を下げた。

加賀
なんの真似だ

サトコ
「今回は、本当に本当にすみませんでした」

加賀
勝手に責任を背負うな、鬱陶しい

サトコ
「そう···ですけど、元を辿ればそもそも私が記憶を失ったから···」

(早く記憶を取り戻さないと、こうやっていろんな人に迷惑をかけるんだ)
(私の記憶が戻ってたらあの研究所に行く必要はなかった)
(加賀さんが怪我をすることだって···)

加賀
自己否定と自己責任を履き違えるなよ
他人のせいばかりにして落ちた奴を散々見てきたが
自分のせいだと思い込んで潰れてくヤツも同じほど見た
···

サトコ
「···え···?」

まだ何か聞こえた気がして顔を上げると、まっすぐに私を見ている加賀さんがそこにいた。

加賀
記憶があろうとなかろうと、何も変わらねぇ
···お前は、氷川サトコだろう

サトコ
「······!」

伸びてきた手が、私の指に触れる。
土砂をかき分けてボロボロになった指先を、まるで大切なものに触れるように包み込んだ。

(···どうして、そんなふうに言ってくれるんだろう)
(みんな、私の記憶がないことをいつも気にしてる感じだったのに)

思えば、記憶の有無を引き合いに出さないのは加賀さんだけだ。
加賀さんが言ったように、最初から私を “ 氷川サトコ ” として扱ってくれている。

サトコ
「···私って、どんな人間だったんですか?」

加賀
あ?

サトコ
「自分のこと、何も知らないんです」
「加賀さんから見た私って、どんな感じでした?」

加賀
······

(ウワー、心の底からめんどくさそう···!)

サトコ
「ちょっとくらいいいじゃないですか!雑談の延長ってことで!」

加賀
······

ため息をついた後、加賀さんが口を開く。

加賀
···図々しい
しつけぇ。めんどくせぇ

サトコ
「なるほど。積極的で可愛かったんですね」

加賀
一言も言ってねぇ

そう言いながらも、加賀さんはほんの少しだけ口元を緩めた。
初めて見る笑顔に、胸が僅かに甘い音を立てる。

(···さっき、トンネルの中で笑った時もこんな顔してたのかな)
(きっとそう聞いても、『笑ってねぇ』って言うんだろうけど)

加賀
クズ。愚図。使えねぇ。要領が悪ぃ
頭が固ぇ。回転も遅い。変に度胸があって始末が悪ぃ

サトコ
「あれ!?もしかして雑談まだ続いてます!?」
「っていうか、そろそろやめてもらっていいですか···?私のメンタルがもちそうにない···」

加賀
···駄犬

その言葉に、なぜか顔を上げてしまう。
私を見つめる加賀さんの目は、思っていた以上に穏やかな気がした。

(···なんか恥ずかしい!)
(そうだ、話を変えよう···!)

サトコ
「···かっ、加賀さんって恋人はいるんですか!?」

加賀
テメェに答える必要はねぇ

サトコ
「そうですけど···その、もしいたら、同じ部屋だなんて申し訳ないなと」

加賀
···いる

その答えに、なぜか心臓をぎゅっと掴まれたような気がして、身体が固まる。

(···あれ。私、あれ···?)
(なんか···なんか、胸の奥が変な感じ···)
(加賀さんに彼女がいても、私には関係ないことなのに)

サトコ
「···どんな人なんですか?」

加賀
あ?

サトコ
「あ、その···興味本位です」

加賀
···犬

サトコ
「はい?」

加賀
忠犬からは程遠いがな

サトコ
「···飼い犬の話じゃないですよね?彼女さんの話してるんですよね?」

(恋人のことすら、犬扱い···?)

でも彼女のことを話す加賀さんの表情に、それ以上の言葉が出て来なかった。

(···好きなんだな、その人のこと)
(横暴で傲慢なこの人は、恋人の前ではどんな甘い顔をするんだろう)

じく、じく、と、傷が膿むような痛みが胸に走る。
その後は少し話をして、お互い布団に入った。

(···女には困ってないって言ってた)
(そうだよね。いるよね、彼女くらい)

『警察庁警視、キャリア組、警察庁女性調べでは “ 抱かれたい男ナンバー1 ” 』
東雲さんの言葉が、脳裏を過る。

(···もし記憶が戻らなかったら、私は警察庁から追い出されるのかな)
(そうだよね。銃も使えない、捜査の役にも立たない。なんのノウハウもないただの女なんだから)

逆に言えば、記憶が戻ったらこの仕事を続けなければならない。
···さっきの加賀さんの表情を、この先ずっと見続けることになる。

(それは···なんか、嫌だな)
(どうしてかわからないけど···嫌だ)

どうして嫌なのか、説明できない。
考えたくない。
理由は知らない方がいいと、本能が告げている。

背中合わせの夜は、何も起こらずただ静かに過ぎて行った。

翌日、登庁する前に病院に寄った。

若旅
「ら、落盤事故、と言いましたか···?」

先生はよっぽど驚いたようで、手に持っていたカルテを床に落とす。

若旅
「ああ···!?」

床に散乱してしまった紙を慌ててかき集める先生は、
相変わらずの天然で、少し安心する。

若旅
「それにしても···無事でよかったです」

サトコ
「はい···命があったのが奇跡です」

(···かがさんのおかげで、助かった)
(でも記憶が戻ったら、加賀さんは···)

サトコ
「···記憶なんて、戻らなくてもいい」

若旅
「え?」

サトコ
「戻っても、辛いことばかりなら···その方がいいかもって」
「···あの、みなさんにすごく迷惑をかけてるので、なんだか申し訳なくて」

慌てて取り繕ったものの、自分の声が弱々しいことに気付く。

サトコ
「わかってる、わかってるんです。私が思い出さないと捜査協力にならないって」
「···でも······」
「···いっそ、辞めてしまえば···これ以上迷惑をかけることはないから」
「記憶が戻るかもしれない、戻らないかもしれない···その状況が一番中途半端ですよね」
「わ···わたし······」

泣き出してしまいそうな声をぐっと抑え込んだその時ーー

若旅
「戻らなくても、いいじゃないですか」

手に手を重ねられて、視線を持ち上げる。

サトコ
「···先生?」

若旅
「僕と、新しい人生を歩みませんか?」
「君を大切にしたいと、ずっと思っていたんです」

(···えっ!?)
(そ、そういえば、前にもそんなこと言われた気がしたけど)

まさか本気だとは思わず、それに今はそれどころではなくて完全に忘れていた。

若旅
「返事は急ぎません。でも覚えておいてください」
「記憶がなくても、あなたを···愛しく思っている人間がいることを」

(···びっくりした!)
(まさか、若先生に···こっ、告白されるなんて)

看護師
「······」

動揺を抑えようとしていると、廊下の隅から私を見ている看護師の存在に気付いた。
私と目が合うと、彼女は逃げるように詰め所に入って行く。

(なんだろう···?あの人、若先生じゃなくて私を見張ってるような)
(若先生が好きだから···?それとも、別の理由?)

サトコ
「はあ···もう、どうしていいのかわからないな···」

ため息を堪えることができず、気は滅入るばかりだった。

津軽
ウサちゃん!大丈夫だった!?

病院のあと登庁すると、津軽さんが慌てた様子で出迎えてくれた。

津軽
大変な目に遭ったね、可哀想に···
抱き締めてあげようか?おいで

サトコ
「あ、大丈夫です···」
「ご心配おかけしました。でも私より、加賀さんが」

津軽
あーうん。骨折でしょ?その日のうちに受診すればいいのにねー
あれ?ウサちゃん、それ

デスクに置いた私のバッグから覗くストレスボールを見て、津軽さんが少し驚いた顔をする。

津軽
兵吾くんのポチじゃん

サトコ
「えっ、加賀さんのなんですか?」

(しかも名前まで付けるなんて、加賀さんのイメージと違う···!)
(···でもなんで、加賀さんのポチが私のバッグに?)

サトコ
『あの···これ、お貸しましょうか···?』

加賀
いらねぇ

(あのときは、そんなこと何も言ってなかったのに)

津軽
骨折して役に立たないから、今日は家で休んでるはずだし
ちょうどいいから、それ渡しておいで

サトコ
「え!?」

<選択してください>

無理です

サトコ
「むむむ、無理です!加賀さんの家知らないし···」

津軽
ああ、じゃあ地図書いてあげる

サトコ
「いや、でも」

津軽
ちなみに、君と俺のマンション、同じだって知ってた?

サトコ
「ええ!?」

(そんなこと、なんで今サラッと言うの!?)

彼女に申し訳ない

サトコ
「いえ、その···申し訳ないですし···」

(彼女に···)

津軽
え、別にいいんじゃない?

東雲
そんなの気にしないでしょ、今さら

(倫理観ガバガバ···!)

入院してないの?

サトコ
「加賀さん、自宅療養なんですか?入院は···!?」

東雲
あー、あの人病院嫌いだから
うっかり入院すると、看護師がやたら言い寄ってきて面倒なんだって

(理由は常識の範疇を超えてる···!)

サトコ
「というか、わざわざ家に届ける必要はないんじゃ···復帰した時に渡せば」

津軽
でもねぇ···これがないと、やたら短気だし

石神
イライラした時はすごい勢いでそれを握っているな

颯馬
ええ、早く届けた方がいいでしょうね

東雲
あの人の生命線だからね、それ

後藤
俺にとっての滝のようなものだ

サトコ
「滝···?」

黒澤
なんなら、オレがサトコさんを加賀さんの家までお送りしますよ★

(みんなに言われたら、断れない···!)

結局、津軽さんにもらった地図を頼りに加賀さんの家へ行くことになってしまった。

to be continued

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