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愛の試練編 加賀3話

私の名前は、氷川サトコ。
ーー警察官、らしい。

津軽
申し訳ございませんでした

『津軽高臣』と名乗った上司が、深く頭を下げている。
謝られた両親らしきふたりと弟らしき子は、少し目を伏せてそれを受け止めた。

サトコ父
「···サトコ。父さんと母さんは津軽さんと話しがあるから」

翔真
「俺······、なんか飲み物買ってくるよ」

両親と弟が病室を出て行くと、最後に残った津軽さんが私を振り返った。

津軽
ウサちゃん、今はゆっくり休んで

サトコ
「はい···」

(···ウサちゃん?)

聞き返そうとする前に、津軽さんは両親を追って病室を出て行った。

(···警察官。刑事)
(···私が?)

包帯だらけの自分の両腕と両足。
骨折はないものの、少し動かせばあちこち痛む。
それなのに、このケガを負った記憶はぽっかりと失われていた。

(捜査中、事故に巻き込まれて···爆発の衝撃で自分の記憶が全部飛んだ)
(···って言われたけど、そんな危険な捜査をするような立場だったの?)

記憶を失う前の自分が、どんな人間だったのか。
今の自分は、その自分に近いのか。
それとも程遠いのか。
何もかもわからない。

医者
「気分はどうだい?」

ひとり取り残された病室に入ってきたのは、主治医の若旅先生だ。

( “ 若先生 ” ···だっけ)

若旅
「目が覚めて良かったよ。気分はどうだい?」

サトコ
「···よくわかりません」

若旅
「···仕方ないよ。徐々に思い出すだろうから焦らないで」
「そうだ!もし体調が大丈夫なら、気分転換に散歩にでも行こうか」

サトコ
「外に出られるんですか?」

若旅
「ああ。車いすを持ってくるから、ちょっと待ってて」

サトコ
「はい、すみません」

若旅
「いえいえ···」
「わっ」

ガン!
ちゃんと前を見ていなかったのか、若先生はサイドテーブルに思い切りぶつかった。

サトコ
「だ、大丈夫ですか?」

若旅
「ええ、いつものことですから」

(いつものこと···?先生、もしかしてちょっとドジ?)

若先生が廊下に出る直前、ドアの近くで人影が動いた。
ほんの一瞬見えただけだったけど、どうやら女性の看護師だったようだ。

(今、こっち見てた···?)
(なんだろう、もしかして “ 私 ” の知り合いかな)

でもそれなら声をかけてくるだろうし、逃げるようにいなくなったりしないだろう。
不思議に思いながら、若先生が戻って来るのを待った。

綺麗な花が風に揺れる病院の庭を、若先生と一緒に散歩した。
私の車いすを押してくれる若先生は、ときおり吹く風と同じくらいに穏やかな人だ。

若旅
「いやあ、今日もいい天気だね~」

サトコ
「そうですね···風が気持ちいいです」

(記憶って、何をすれば取り戻せるんだろう?)
(記憶が戻るまで、私はどこでどうやって暮らせばいいのかな···)

不安が伝わったのか、若先生は私を安心させるように微笑んだ。

若旅
「大丈夫だよ。きっかけさえあればきっと思い出せるから」

サトコ
「はい···」

若旅
「記憶ももちろんだけど、僕は君の怪我の方も心配だ」
「こんなに可愛いのに、万が一傷が残ったら大変だからね」

サトコ
「え···?」

若旅
「あっ!こ、こういうのってセクハラになっちゃうんだっけ···!?」

(···若先生、いい人だな。看護師さんたちからも人気があるのも分かるかも)
(でももし記憶が戻らなかったら···私、これからどうすればいいんだろう)

漠然とした不安が過ったその時、車いすが停まった。

サトコ
「若先生?」

若旅
「動かないでじっとしてて。蜂が、君の背中に止まってる」

サトコ
「えっ!?」

蜂、という言葉に身体が固まった、そのときーー
ガン!という衝撃と共に、車いすを蹴飛ばされた。

サトコ
「!!!!????」

???
テメェ···

車いすから転げ落ちそうになった私の隣で、見知らぬ男性が若先生の胸倉をつかんでいる。

???
「許可なくこいつに触るんじゃねぇ」

若旅
「なんだ君は···!?誰か!誰か来てくれ!」

サトコ
「や、やめてください!」

慌てて車いすから降りて、若先生の前に立ちはだかった。
スーツ姿の男性は若先生から手を離し、私を凝視している。

???
お前···

サトコ
「あなた···誰ですか?」

???
······ーーー

男性が、言葉に表せないような表情を浮かべる。
驚いたような、呆れたような、不機嫌なような、動揺したようなーーー悲しそうな。

(どうしてそんな顔···だって、車いすを蹴ったのはこの人だよね?)
(スーツ着てるけど、チンピラみたいな···)

無言で睨まれて、冷や汗が背中を伝う。

(でも、負けるな!怯んじゃダメだ)

サトコ
「こ、この人はお医者さんです。乱暴なことはしないでください!」
「これ以上何かするなら、警察呼びますよ!」

???
······

その人は、何も言わず私を見つめ続けている。
でも騒ぎを聞きつけて人が集まって来たタイミングで、舌打ちを残して姿を消した。

若旅
「今の男は···?」

サトコ
「先生、大丈夫ですか?」

若旅
「ああ···本当なら僕が君を守らなければいけなかったのに、情けないね」
「あの人は、君の知り合い?」

サトコ
「···いえ、知らない人です」

(だけど···あの人、どうしてあんな顔したんだろう)
(私が忘れてるだけで、本当は知り合いだったのかな)

それにしても、車いすを蹴飛ばすなんてさすがにあり得ない。
そう思うのに、あの人が最後に見せた表情がまぶたの裏に焼き付いて離れなかった。

数日後、退院したその足で連れて来られたのは···

(けっ、けけけ···警察庁!?)

サトコ
「私、捕まるんですか···?」

津軽
君は警察の人間だって説明したでしょ
外部には漏らせないから、ご両親の手前黙ってたけど···君は、公安刑事

サトコ
「公安刑事···」

津軽
今回、君の協力を得ることはちゃんとご両親の許可も得てるから

そう言って、津軽さんは私の前に煤焦げたノートパソコンを置いた。

津軽
君が命を賭して守ったパソコンだ

サトコ
「私が···?」

津軽
そう。これを守ろうとして逃げ遅れ、氷川サトコは爆発に巻き込まれた
さて、ここでクイズです。この中には何が入ってるでしょう?

サトコ
「······」

津軽
正解は···、俺たちが喉から手が出るほど欲しい情報だ

津軽さんが、パソコンの電源を入れる。
百瀬尊と名乗った不愛想な男性が手早く操作して、ひとつのファイルに辿り着いた。

百瀬
「ロック、解除しろ」

サトコ
「···はい?」

百瀬
「オマエはあのとき、リモートでファイルを削除される前に先手を打った」
「パスワード書き換えたんだろ」

サトコ
「···えっ?」

津軽
外からファイルを削除されないように、パスワードを変更した
とっさの判断にしては、上出来だよ。それを解除できるなら、ね

(···つまり、それって)

津軽
ロック、解除してくれない?

ニッコリと笑って、津軽さんがそう言った。

百瀬
「下手に弄ると、すべてデリートされるシステムが構築されてる」
「つまり、お前がパスワードを入れないとファイルは永久に手に入らない」
「津軽さんの手を煩わせるんじゃねぇ、とっとと入れろ」

<選択してください>

無理です

サトコ
「そんなの、無理です···!そもそも記憶がないのに、そんな」

津軽
そういう話をしてるんじゃないんだよね
聞こえなかったかな?君がパスワードを入れるしか方法はないって

百瀬
「···あんま怒らせんなよ」

できるものなら

サトコ
「できるものならやりたいですけど、何しろ記憶がないので」

津軽
君の言い分は聞いてない

ピシャリと言われて、呼吸が止まりそうなった。

(この人···怖い)

津軽
できるかできないか尋ねてるんじゃないんだ

ほかに方法は?

サトコ
「ほ、ほかに方法があるんじゃないですか?」

津軽
あったらそっち試してるよね?
時間ないし、無駄なことさせないでくれる?

(笑顔だけど、めちゃくちゃ怒ってる···!?)

(···この人のことは、何も知らないけど)

この笑顔、圧が、はっきりと私に伝えている。
『早く記憶を取り戻せ』『時間はない』ーーと。

サトコ
「わ、私···」

津軽
ま、急には無理だろうし···ちょっと休憩入れよっか

その瞬間、私たちの間に漂っていた緊張が緩んだ。
津軽さんが、テーブルからお菓子の入った箱を持って戻ってくる。

津軽
はい。お茶のお供の、エビマヨクッキー

(エビマヨクッキー···)
(···絶対、不味い)

to be continued

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