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愛の試練編 加賀10話

加賀
邪道だな

サトコ
「ええ···!?カレーには絶対鶏肉です!」

加賀
クズが。牛が正義だろ

サトコ
「何言ってるんですか。カレーと言ったらポークですよ」

加賀
言ってることが違うじゃねぇか

サトコ
「だって一番ヘルシーなのが鶏肉ですから」
「牛と豚、どっちがカロリー高いんでしょうね?」

たわいのない話をしながら廊下を歩いていると、不意に加賀さんが私の二の腕に手を伸ばしてきた。
驚いている間に、柔らかいところをぷにぷにと握られる。

サトコ
「なっなっなっ何するんですか!?」

加賀
喚くな

サトコ
「だって···!女性の二の腕をぷにぷにするなんて!」

加賀
牛と豚、どっちがカロリー高いんだろうな

サトコ
「······」
「···もしかして、暗に私のこと豚だって言ってます!?」

刑事1
「おい···氷川のヤツ、あの加賀警視に楯突いてるぞ」

刑事2
「怖いもの知らず過ぎるだろ···死をも恐れぬ愚行だ···」

ほかの刑事たちのそんな声が聞こえてきて、二の腕を触られていることが妙に恥ずかしくなった。
パッと手を引いて、熱を持った頬を隠すように目を伏せる。

サトコ
「か、加賀さんだって、カレーにお肉ばっかり入れますよね!?」

加賀
ーー!

突然、強い力で肩を掴まれた。
思いがけないほど必死な力が加賀さんの瞳に灯っていて、思わず息を飲む。

加賀
···思い出したのか

サトコ
「え···」

決して表には出さない、でもきっと私だけが分かる必死さ。
ようやくの思いで、首を振った。

サトコ
「い、いえ···ただの予想というか」

加賀
······

言葉もなく、静かに手が離れていく。
こちらに向けられた背中に、気付かされた。

(···私は、ここにいるのに)
(加賀さんは今、私じゃない “ 私 ” を見てた)

加賀さんだけが、記憶の有無に関係なく今の私を見ててくれていると思った。
でも違う。そんなはずはなかった。

(だって···加賀さんが一番、私に記憶を取り戻してほしいと思ってる)
(当たり前だ···私は、“ 私 ” じゃないんだから)

同じなのは、見た目だけ。
中身は、加賀さんが好きな私ではない。
そんな当たり前のことに、今さら気付くなんて。

加賀
···おい

怪訝そうな声に、我に返る。
反射的に笑顔を作って、書庫の方を指した。

サトコ
「あ!!」

加賀
!?

サトコ
「津軽さんにファイル持ってくるように言われてたんでした!」
「それじゃ、ここで失礼します」

加賀
···ああ

笑顔のまま加賀さんに背を向けて、近くの角を曲がる。
ぐっと唇を噛み締め、その先の書庫のドアを開けた。

誰もいない書庫のドアが閉まる前に、その場にしゃがみ込んだ。

(···どうしよう。どうしよう)
(どうしよう、どうしよう···どうしよう)

あの人が好きなのは、今の私じゃない。
加賀さんが望んでいるのは、記憶がある “ 私 ”ーー今ここにはいない、“ 私 ”

(私を見て···なんて、言えない)
(加賀さんが好きだなんて···言えない)

そう。好きだ、加賀さんが。
傲慢で強引で怖くて···“ 私 ” の話をする時だけ表情を変える、あの人が。

(どうやっても追いつけない、一番近いのに遠い··· “ 私 ” )
(今の私は···記憶のない私は、何があっても “ 私 ” にはなれないーー)

どうにか午前中の仕事を終え、コンビニで買ったおにぎりを持って警察庁近くの公園に寄った。
今の私をあざ笑うかのように、空は晴天だ。

(···加賀さんの恋人が自分だって知った時は、あんなに嬉しかったのに)
(今は、どん底に叩き落とされた気分···)

若旅
「隣、いいですか」

サトコ
「若先生···」

私の隣に座った若先生も、コンビニの袋を持っている。

サトコ
「もしかして、出張診療ですか?」

若旅
「まあ、そんなようなものです」
「···この間の返事も聞きたかったので」

(そういえば、若先生に告白されたんだっけ)
(そんなの忘れるくらい、加賀さんのことしか考えてなかった)

サトコ
「···ごめんなさい」

若旅
「氷川さん···」

サトコ
「若先生の気持ちには、応えられそうにないです」

若旅
「···そうですか」

少し残念そうに笑ったあと、若先生は私に向き直った。

若旅
「では、ここからはお話しますね」
「記憶はどうですか?何か些細なことでも、思い出しましたか?」

サトコ
「いえ···何も。思い出せたらいいんですけど」

若先生の目が、少しだけ見開かれる。

若旅
「この間は、記憶は戻らなくてもいいと···」

<選択してください>

やっぱり戻したい

サトコ
「···はい。でもやっぱり戻したいです、早く」

( “ 私 ” に戻れたら、何も気にせず加賀さんのそばにいられる)
(加賀さんが好きな “ 私 ” に···早く、戻りたい)

若旅
「···そうですか」

自分の気持ちが分からない

サトコ
「自分でも、自分の気持ちが分からないんです」
「でも確かなのは···記憶を取り戻した “ 私 ” を待っている人がいる、ということです」

若旅
「···でしょうね」

サトコ
「その人のためにも、忘れてしまった記憶を早く取り戻したいんです」

私は “ 私 ” じゃない

サトコ
「今の私は、“ 私 ” じゃないですから」
「“ 私 ” を待っている人に···“ 私 ” を返してあげたいんです」

若旅
「······」

(そして私も···“ 私 ” になって、加賀さんのところに帰りたい)

サトコ
「早く記憶を戻す方法···なんて、ないですよね」

若旅
「ええ。もしそんな方法があったら···」
「···決して、あなたには教えていませんよ」

不意に先生の声が低くなり、はっと気づいた時には口をハンカチで覆われていた。

(な···に···)

急激の遠のく意識の中で、若先生の声を聞いた気がした。

若旅
「···残念です。氷川さん」

ぽつ···ぽつ···
水が滴る音が耳につき、意識が戻った。

(ここ···は···?)

若旅
「おはようございます、意外と目覚めるのが早かったですね」
「薬が少し足りなかったのかな···それとも君の身体がタフなのかな?」

サトコ
「若···先生···?」

私のすぐ横に立っている先生を見てホッとしたのも束の間、異変に気付いた。
病院の手術台のようなところに寝かされ、両手両足を拘束されている。

サトコ
「先生···これは」

若旅
「面倒事を持ち込んでくれましたね」
「君が悪いんですよ?記憶を戻したいなんて言うから」
「···さっさと手を打たなきゃならなくなった」

(···この人、誰?若先生じゃない)

まるで別人のような変わり方に、驚きと焦りで声が出て来ない。
ただ、最悪な状況だというのは本能で理解した。

若旅
「いっそのこと、あの崩落事故で死んでいれば苦しまずに済んだのに」
「まさかあの男が、身を挺して君を助けるとは」

サトコ
「あなた···誰、ですか···?」

若旅
「ははは、見たんでしょう?名前を。あの裏帳簿の中で」
「国を変えるってのは、金が要るんですよ。それも、膨大な」

カチャカチャと、若先生が何か器具を弄っているのが分かる。
でもここからでは、何をしているのか見ることができない。

(まさかこの人が、津軽さん達が言ってたテロリストの “ P ”···!?)
(私が記憶を取り戻したら、あのファイルのパスワードを解除されるから···)

サトコ
「私を、殺そうとしたんですか···?」

若旅
「ええ、何度も」
「······けど全部、あの男に邪魔された」
「車いすを蹴られた時も、トンネルの崩落事故も」
「偶然かと思ったんですが、えらく勘のいい人ですね」
「しまいには車体下の爆破装置も解除していたんですから、反吐が出ます」

(加賀さんのこと···!)
(じゃあ加賀さんは、もしかして最初から気付いてたの?)
(だからわざわざ護衛を···私がひとりにならないように)

若旅
「君が死ねば、公安は一生、あのファイルを開くことはできません」
「いつ捕まるのか、知られるのか、ビクビクしながら生きるのはもう嫌で···」

サトコ
「どうして、私が公安だって···」

若旅
「Pを追うのは、公安の仕事ですよ。すぐピンときました」
「君の主治医になって、記憶が戻らないようにうまく誘導するはずだったんですが」
「なかなか難しいものですね、人の気持ちを動かすのは」

あの告白も、きっと油断させるためだ。
そうやって、私を殺す機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。

若旅
「上手くいけば、ドングリ党が仕組んだインサイダー取引でまた金を得られる」
「国を変えるための金を、またひとる手にできる」

(インサイダー···そんな話を持ち掛けて、テロリストを仲間にするなんて)
(テロリストと取引するのは、国を売るのと同じことなはずなのに···)

サトコ
「···私を、ここで殺すつもりですか」

若旅
「安心してください。臓器売買に明るい知り合いがいるので」
「足がつかないように、あなたの身体はひとつ残らずそっちに回してあげますからね」

笑いながら振り向いた若先生···いや、“ P ” の手には、冷たく光るメスが握られている。

(こんなところで死ぬの···?)
(加賀さんに、何も言えないまま)
(今の私が知らない加賀さんを、まだひとつも思い出してないのに)

光るメスは、私の喉を狙おうとしている。
冷や汗が全身から噴き出し、無我夢中で首を振り、両手両足を動かした。

サトコ
「いや···いや!触らないで···!」

若旅
「心配しないでください。動くと痛いですよ」
「ああ···麻酔はないので、動かなくても痛いかもしれませんね」

サトコ
「加賀さん···加賀さんっ···」

(死にたくない···!)

その瞬間、銃声と同時に、Pが持っていたメスがはじけ飛んだ。

若旅
「なっ···」

加賀
離れろ

(この、声···)

加賀
俺に二度、同じ事を言わせるんじゃねぇ
誰の『許可』得て、そいつに触ってやがる

ーー銃を構えた加賀さんが、部屋の入り口に立っていたーー

to be continued

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